8 / 55
4-1
しおりを挟む週が明けて月曜日、朱莉が出勤すると、何人かの男性社員がこちらに近づき、おはよう、と声をかけてきた。いつもの光景を見て、朱莉の仕事が始まったと気合いを入れて笑顔を作る。
「おはよう、百合原くん。月曜日の朝から会えて嬉しいよ。後で、経費申請に行くからね」
「はい。お待ちしてます」
柔らかく答えてから、朱莉がその社員の肩越しに人だかりを見つけ、視線をそちらに向ける。するとそれに気づいた社員が、望月円くんだね、と口を開いた。
「望月円くん?」
「今年、広報に入った新人で、すごく可愛らしくてすぐに人気になって……あ、いや、百合原くんの方がキレイだし、人気もあるよ!」
慌てて朱莉を褒めるが、朱莉はそれのほとんどを聞かず、円に視線を向けて妙に納得していた。彼は多分、朱莉と同じ役割を担っているのだろう。可愛い笑顔をふりまいて、優しい言葉を掛けて、男性社員の視線を惹きつけている。その間に何人もの女性がすんなりとオフィスへと向かっていた。
可哀そうに、この仕事結構大変だよ、なんて思って尚も円を見ていると、その傍に週末自分に酷い言葉を告げた彼がいた。そのだらしない表情を見て、次は彼をターゲットにしようということか、とため息を吐いた。男じゃダメなんじゃなかったのか、と思うところもあるが、円は確かに女性よりも可愛らしい容姿をしている。
どうか彼が円にこっ酷くふられますように、と呪いをかけていると、後ろから、百合原くん、と声がかかり、朱莉が振り返る。この会社の多数の人が朱莉に向ける視線とは違う視線に、朱莉はどこかほっとして笑顔を向けた。
「……想生さん。おはようございます」
「同期なんだから敬語は要らないって言ってるだろ。というか、またこんなところで足止めされて」
はあ、とため息を吐いて想生が辺りを見回すと、それまで朱莉を囲んでいた社員たちが、そろそろ行かなきゃ、なんてうそぶいてそれぞれにオフィスへと向かっていった。
想生は朱莉の同期で、今は設計室のただの社員だが、その苗字はこの会社名と同じ、早乙女という。つまり、想生はこの会社の御曹司だ。
彼は朱莉が社長とどういう契約をしてこの会社にいるのかを知らされていないらしく、単純に他の社員に絡まれていると思っている。だからだろう、朱莉を見つけるとこうしてにらみを利かせて人を散らしてくれていた。社員のほとんどはこの御曹司のひと睨みに逆らえない。想生自身もきちんと自分の立場を理解して、利用できるものは利用しているのだろう。ただそれは、ほとんど他人の為というのが、想生らしい。
「まあ、そんなに気にしてないから。嫌なことは嫌って言えるし。それよりぼくは、あっちが心配かな」
朱莉が視線で円を指す。想生がそれをたどり、円に視線を向けた。未だに多くの社員に囲まれている円を見て、想生がそのまま固まる。息を止め、ごくりとつばを飲み込んで、そのまま円から視線を逸らせないでいるようだ。
「想生さん?」
「あ、いや……彼も絡まれやすいの、かもな……」
声をかけてくるか、と想生が歩き出そうとしたが、すぐに始業時間となり、円を取り囲んでいた社員が散っていく。出番のなくなった想生は朱莉に視線を戻し、大丈夫みたいだ、と苦く笑った。
「彼のことも頭に入れておくよ。百合原くんも困った時は遠慮なく呼んで欲しい」
「はい。ありがとうございます」
朱莉の返事を聞いた想生は、しばらく円を見つめてから、エレベーターへと向かっていった。
「想生さんのタイプだったのかな、彼」
だとしたらそのまま想生が攫ってしまえばいい、こんな仕事は長くする必要なんてない、と思いながら、朱莉も自身のオフィスへと向かった。
今日はいつもよりも楽にオフィスの自分のデスクに辿りついた朱莉は、朝の仕事をしながら、デスクに置いた自身のスマホにメールの着信が来ていることに気づき、それを開いた。
それは、秋生からの返信だった。
朱莉は土曜の昼に秋生の部屋を出たのだが、その際に『後日お礼に伺います』と秋生の名刺にあったメールアドレスにメッセージを送っていたのだ。
「……食器の片づけ助かりました。それと大量の缶チューハイをいただくことにしたのでもう十分です……って、いい人過ぎない?」
やはり仕事で使っているメールアドレスだったようで、週末は開いていなかったらしい。返信が遅れたことをまず謝罪するところから既に『いい人感』が漂っている。そしてこの文面だ。
朱莉は、うーん、と思わず唸ってしまう。
「え、何々? 百合原くん、スマホ見つめちゃって」
浮いた話? と楽しそうに通りかかった女性社員がこちらに近づく。女性は食べ物と恋の話題にはすぐに飛びついてくる。
「いや、浮いた話とかではないんですが……ちょっとお世話になった人がいて、その人に何かお礼をと思ってるんですが、何がいいかなと思って」
さすがに秋生の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。酔っぱらって絡んだ挙句、寝落ちして家まで運んでもらい、更にベッドを独占し、朝食まで出してもらったのだ。食器洗いと缶チューハイで済ませていいはずがない。
「お礼かあ……菓子折りが定番だけど、甘い物苦手な人にお菓子って逆に迷惑よね。かといって、食べ物以外だと日用品とかになっちゃうから急に生活感でるしねえ」
私もよく悩むよ、と彼女も一緒に首を傾げる。
「いっそ、甘いのもしょっぱいのも持っていく、とか?」
「え?」
「どれかは多分ヒットするだろうし、要らないものは会社とかで配ってもらえばいいかなって」
そう言う彼女の視線の先は、共有デスクの上に向けられていた。そこには社員が持ち寄ったお菓子が入っている。旅行のお土産が入っていることが多いが、たまに貰い物だけど好みじゃないと言って置いていく人もいる。
秋生の職場にこんなシステムがあるかは分からないけれど、確かに好みじゃないものを他人に譲ることは出来るだろう。
「そう、ですね。そうしてみようかな」
ちゃんと会ってお礼を言うのだから、その場で苦手なものは朱莉が回収してもいい。そう思えば、なんだか少し楽に考えることができた。
「うん、じゃあ頑張って」
女性社員が微笑み、朱莉から離れる。総務課と書かれたガラス戸の向こうに人影が見えたので、関わりたくないと思って離れたのだろう。きっと何かの申請に来た社員だ。朱莉は一度仕事モードに気持ちを切り替えて開いたドアに笑顔を向けた。
30
あなたにおすすめの小説
平凡高校生の俺にイケメンアイドルが365回告白してくる理由
スノウマン(ユッキー)
BL
高校三年生の橘颯真はイケメンアイドル星宮光に毎日欠かさず告白されている。男同士とのこともあり、毎回断る颯真だが、一年という時間が彼らの関係を少しずつ変えていく。
どうして星宮は颯真に毎日告白するのか、そして彼らの恋の行方は?
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。
これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。
無自覚両片想いの勇者×親友。
読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる