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【後日談】きみの嫌なところ1
しおりを挟む「改めて、今日からよろしくお願いします」
妊娠が分かって二週間後、朱莉は今日秋生の住むマンションに引っ越しをした。
朱莉は休職するまでは一人暮らしのままでいいと思っていたのだが、秋生や泉田にそれを否定され、この運びとなった。二人とも朱莉に対してはものすごく過保護だと思うが、それが嫌だとは思わない。甘えてもいいのだと許されたような気がして正直嬉しい。
「こちらこそ、よろしく」
荷物を運び終えた秋生がソファに座ったタイミングで声を掛けると、優しい笑顔がこちらを向いて頷いた。
「病院も近くなったし、会社までは東條くんが送り迎えするんでしょう? 私もたまに来るし、やっぱり越してきて正解よね」
リビングテーブルの傍に腰を下ろし、三人分の飲み物を持ってきてくれたのは泉田だった。二人はコーヒー、朱莉にはルイボスティーを淹れてくれたようだ。泉田は、今日は朱莉が無理したら困るからと引越しを手伝ってくれた。
「ありがとうございます。会社まで、ではなくて会社の近くまで、なんですけどね。隠し通すのが仕事を続ける条件なので」
そのためにわざわざ秋生は会社近くの屋内駐車場を借りてくれた。送迎なんてどこで社員が見ているか分からないのでやっぱり電車で通うと話したら、翌日には借りてくれていた。よほど朱莉が心配なようだった。
なんとなく、秋生は子煩悩になりそうな気がして朱莉は少し笑ってしまったのだが、でもきっとこの選択が正解なのだろう。
「それでも電車には乗れないんじゃない? 来てるでしょ、つわり」
泉田に見透かされ、朱莉は苦く笑った。
確かに最近匂いに敏感になって、吐き気がすることも増えていた。電車の中は煙草や香水、食べ物の匂いなどが混ざっているのですぐに具合が悪くなって会社の最寄りまでたどり着けないこともあった。これがつわりだと分かったのは、つい先日のことだ。
「はい……この間、ネットで調べたら可能性はあるみたいで」
「まあ、それはお腹の子が元気に育ってる証拠だから少し我慢してもらうとして……本当は辛い日は休めたらいいんだけど」
泉田にも今後の仕事のことは伝わっているので、朱莉はそう易々と欠勤できない環境にいることを理解している。泉田は朱莉から、隣の秋生に視線を移した。
「出来るだけ、サポートしてあげてね」
「分かってる。家で無理はさせないつもりだよ」
秋生は来月から夜勤の数を減らすと言っていた。朱莉が臨月になる頃には日勤のみにして、無事に子どもが生まれたら育児休暇を取るつもりだと話していた。
秋生なりに子どもを迎え入れる準備をしてくれているのだと思うと、それだけでも嬉しい。
「じゃあ、私帰るね。百合原く……じゃなかった、朱莉くん、火曜日の夜、検診忘れないでね」
「ありがとうございます、泉田先生」
先日籍を入れたので、朱莉の苗字は既に『東條』だ。ただ、便宜上ビジネスネームとして今後も『百合原』と名乗るつもりでいたのだが、こうやって言われると少し照れ臭いし、やっぱり嬉しい。
泉田には他にも会社を早退しなくていいように午後七時から特別に検診を受けられるようにしてもらっていた。これも泉田が言い出してくれたことで、やはり患者の中には仕事を辞められず、検診時間にも間に合わず、お腹の子を守れなかったという人もいるのだという。仕事のことはどうにもできないけれど、定期健診さえ受けていれば何かある前に対策できるから、と言ってくれたことは本当に感謝している。
「あ、あと、適度なスキンシップは母体の精神安定に効果的だから」
泉田はそれだけ言うと、じゃあね、と帰っていった。
秋生と二人で見送り、再びソファへと戻った朱莉は、ふう、と息を吐いた。隣に座った秋生がそんな朱莉に小さく笑う。
「泉田先生ってば……別に二人きりになるからって、何も変わらないのに」
「からかわれただけだよ。いつも通りでいい」
秋生がそっと朱莉の肩を抱き寄せる。
悔しいけれどこうして秋生の腕の中に居ると、確かに安心するのだ。精神安定というのも頷ける。
「でも……これからは同じ家に秋生さんもいるんですよね。それはすごく嬉しいです」
「そのうち邪魔になるかもしれないよ?」
秋生がくすくすと笑って朱莉を見つめる。朱莉はそんな秋生を見上げ、そんなことないです、と少し不機嫌な顔をした。
「秋生さんこそ……嫌になったりしませんか?」
まだ出会って一年にも満たない。こんなに早く結婚まで決めてしまうなんて思ってなかったけれど、朱莉にとっては秋生以上の人はいないと思っている。けれど秋生が同じかどうかなんて分からない。これから見せる朱莉の何かが秋生に耐えられないものだったら、別れたいと言われる日が来るかもしれない。
それは誰にも分からないのだ。経験があるから、なおのこと、そう思うと不安になる。
「嫌に、か……まあ、今でも嫌だなと思うところはあるよ」
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