彼岸の使い

ハジメユキノ

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荒ぶる神

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朽ち果てた鳥居。参道は苔むし、落ち葉が何年もの間掃き清められることなく降り積もっていた。
山間にあり、住む人がいなくなった集落にそれはあった。時折、祟りなど恐れぬ愚かな若者が、肝試しと称して参道を踏み荒らし、境内に入り込んだ。
「なぁ、こんなに汚かったら神さまなんていなくね?」
「だよなぁ(笑)」
「ご神体とか残ってんのかな?」
「さすがにもうないだろ?」
「覗いてみようぜ!見たことないし…」
賽銭箱を乗り越え、外れそうな格子戸を引っ張ると、さほどの抵抗もなく扉が開いた。痩せた板の隙間から入る僅かな光に反射するモノが奥の方に見えた。
「あっ!あれか?ご神体…」
「やっぱ鏡なんだな。もしかして高く売れるか?」
「おいおい!さすがにそれは…」
「わかんねえだろ?誰も来てないみたいだし」
近づいていくと、ぼんやり光っていた鏡が放つ光が強くなった気がした。

気付くと鳥居の外で落ち葉に埋もれていた。
「隼人?」
和哉は一人だった。隼人を探そうと立ち上がると目を疑う光景が目の前に広がっていた。
「な、ない!」
さっき二人で入り込んだ本殿が無かった。そして、さっきまで自分の前に立っていたはずの朽ち果てた鳥居も消えていた。
「隼人!どこだ?隼人!!」
急につむじ風が巻き起こり、目の前の景色が変わった。空気が薄くなり、全てが砂嵐のように横縞に見えた。
『我の眠りを妨げし者よ…。贄を捧げよ』
和哉の目の前にぼんやりと光る玉のようなモノが現れ、和哉は体を動かすことが出来なくなった。
「にえ?にえって何だ?」
口だけは動かすことが出来るらしく、呟いた言葉が増幅されて聞こえた。
『お前の魂…』
丸く光る玉から返事が返ってきた。
「隼人をどこにやった!」
『一緒にいたあの男は我の怒りに直接触れてしまった。鏡の中に永遠にさまよう…』
「返せ!隼人を返せ!」
『返して欲しいならば、お前が代わりに贄になれ』
「贄って…。まさか生け贄?」
『仕方あるまい?あれは触れてはならぬものに触れた』
「知らなかったんだ!触っちゃいけないなんて…」
『…。今までもお前達のように我に触れて命を落とした者は沢山いる。助かりたいとすがりつく者には一つだけある方法を教えてきた』
「ある方法って?」
『聞いたならば後戻りは出来ぬ』
「隼人を助けられるんだろ?」
『隼人は戻るだろう…。だが、お前には逃れられない運命が死んだあとも続くのだぞ?』
「あいつが助かるなら、俺は迷わない!」
『後悔しても我にはどうすることも出来ぬ。それでも迷わぬと?』
「ああ、構わない」
『愚かな若者よ。友は戻り、お前は代わりの贄を用意せよ。贄は三人。』
「俺と隼人で二人だろ!」
『隼人はもう本当ならば戻すことなどしない。我を穢したのだからな。あの男は鏡に触れただけでは無い。金になると言っていた。我が何も知らぬと思うな』
「だからって三人なんて…」
『人とは自分の身が可愛い生き物だ。助かりたい一心で身代わりを用意して助かろうとする』
「助かるんだろ!何だよ変な言い方すんなよ!」
『忘れたか?逃れられない運命が死んだあとも続くと忠告したはずだ。贄を用意するとはどういう事か分からぬか?お前達の魂の代わりを用意するということだ』
「え…。それって、つまり」
一瞬周りの風の音だけが聞こえ、光る玉は無言になった。
『お前は三人の命を奪い、我にその魂を捧げるのだ…』
「俺に人殺しをしろって言うのか!」
『…。お前自身が望んだ…』
「そんな事…出来ない!」
『選んだのはお前だ。我にはどうすることも出来ぬ』
「あっ!待ってくれ!俺は…」
『後戻りは出来ぬ…』
砂嵐は消えていた。隼人が近くに倒れていた。隼人を起こして早くここから逃げなければ…。

和哉はもう何も考えないようにしていた。あれは夢だ。隼人はここにいる。一緒に悪ふざけをし過ぎて、脅かされただけなんだ。
「隼人!起きろ!早くここから逃げよう!」
隼人は瞬間目をバチッと開いた。
「隼人?良かった…。大丈夫か?お前…」
隼人の目は俺を見ていなかった。目に見えない何かを必死に見ようと空間を凝視している。
「隼人?」
「俺達は身代わりを用意しなくてはならない…」
「おい!何言ってんだ?あれは夢だ!」
「いや、夢だと?お前には見えないのか?」
隼人が凝視した方向を見た。しかし、そこには何も無かった。
「何も見えないけど…」
「俺達には時間がない。贄には必要な条件がある。俺には贄にふさわしい人間が分かる…」
「ふさわしいって?どういう意味だ?」
「死にたがっている人間…」
ゾッとした。俺が知ってる隼人じゃない。本当に一度は鏡に封じ込められたのか?どんな恐ろしい目にあったんだ?
「隼人!俺達は悪ふざけし過ぎて脅かされたんだ!神様がそんな事させるわけ無い!」
隼人は内に魔を秘めたような恐ろしい目で俺を見た。
「あれは神だったものだ。誰にも振り向かれず、放置されたままでいた神だったものだ。人間を護る事などしない。人間に捨てられのだから…」
隼人は別人のように変わっていた。こんな奴じゃなかった。悪ふざけはするけれど、根は優しい男だったはずだ。贄を用意するなんて出来ない男だったはずだ!
「お前、隼人じゃないな?」
「和哉…。俺は俺だ。誰でもない。隼人だ」
「嘘だ!お前が身代わりの生け贄を用意するなんて出来ないはずだ!」
隼人は笑った。俺をあざ笑うように。
「まだ死ぬわけにはいかないんだよ…。お前も約束を交わしたのなら、果たさなければ死ぬぞ…」
死を目の前にすると、人間は変わってしまうものか?いや!俺は信じない!
「隼人は優しい男だ。人殺しをするなんて恐ろしいことは出来ない」
「まだ分からないのか?俺は鏡に触れた途端、あの世に飛ばされた。ただ触れただけなのに、目の前に火に焼かれ、串刺しにされても尚、絶叫しながら生き続ける人間を見た。あんな所に行きたくない…」
「地獄に行くとは限らないだろ?これから生き方を変えれば救われるはずだ!」
何がおかしいのか、隼人は笑った。高笑いする人間を初めて目の当たりにした。
「救われる?もう遅いんだよ!俺達は神だった者の怒りに触れてしまったんだ」
「いや!俺は嫌だ!人殺しをしたら地獄に落ちる。結局お前が見た景色が現実になる!」
「死ななければ地獄には行かない。俺は死なない…」
頭がおかしくなったのか?死なない人間なんていない。
「どういう意味だ?死なない人間なんて…」
「あいつに仕えればいい」
「仕える?」
「身代わりを捧げ続ける…」
「鬼みたいなこと言うなよ!」
隼人の目は、すでに人外のものに変わっていた。
「そう、鬼になる」
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