憎い男

ハジメユキノ

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反撃

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香月は朝早くマンションへ帰った。浩介との家を出てから借りた所だ。
「朝帰りとは珍しいな」
浩介がマンションの前で待ち構えていた。
「あなたには関係ない」
香月は浩介から逃れるようにマンションの入口に向かうが、浩介に阻まれた。
「俺は認めないからな。俺は香月を愛してる」
「!」
香月は口をきく気にもならず、浩介をにらみつけた。
「帰って」
香月はマンションへと入っていった。
浩介は香月のそんな顔を初めて見たと思った。自分を愛してくれた女の激しい拒絶を。
「参ったな…。今度こそ香月を失うのか、俺は」
浩介は少し肩を落とし、マンションをあとにした。

香月は部屋に帰ると、ドアにもたれた。
緊張で心臓がキリキリと痛み、浅い呼吸に倒れそうだった。すぅっと深く息を吸い込み、長く息を吐いた。まさかこんなタイミングで浩介が現れるとは思っていなかった。だが、仕事をしている以上、浩介が香月の居場所を知る手段はいくらでもある。その事に気付かないなんて私もだいぶ余裕がないのね、と一人顔が緩んだ。

その夜、香月は加東から電話をもらい、また事務所を訪ねた。
「まだ、浩介の仕事やめられないの?」
加東は黙ってキッチンに行き、換気扇をつけてタバコに火を付けた。
「タバコ嫌いって言ったでしょう」
香月ににらまれ、渋々火を消した。
「タバコ吸う人とはキスしない」
女の言う事なんて今まで聞いたことなかったなと加東は思っていた。だが、逆らえない。そんな自分が笑えてきた。
「フリスク食べるからさ。そんなに怒るなよ」
香月はさっきからニコリともしなかった。
コーヒーでも淹れるかとキッチンに立ち、やかんを火にかけ豆を計り、ペーパードリップにセットした。
なんか様子が違うなと思っていたが、香月が言い出すまで待つことにした。
香月はソファで壁の方を向いて静かに泣いていた。
「もういやなの」
フリスクを口に放り込んで、香月の背中側からまわりこみ、髪を撫でた。
「どうした?ほら、抱きしめてやろうか?」
腕を広げてふざけて言うと、
「コーヒー飲みたい」と目を逸らしていた。
「ハイハイ」
俺はキッチンに戻り、湯が沸いたところで少しだけ注いでコーヒーをふくらませ、細く細く丁寧に淹れてると、背中に軽い衝撃が加わった。
「あぶね!」
前のめりになった自分の背中に香月がしがみついていた。加東は自分を必要としてくれていることを嬉しく思った。
「待ってろ。今美味しいコーヒー淹れてやるからな」
香月は加東の背中で静かに泣いていた。

香月は加東の淹れたコーヒーを飲んで体から力みが消えていった。
「浩介が家の前で待ち構えてたの。俺は認めないって…」
加東は香月の髪を梳きながら言った。
「あなたは何も心配しなくていい。間もなく全ての問題は解決するよ」
香月は加東の胸の中で静かに泣いた。
その夜は、加東が出来うる限りに優しく抱いた。今にも壊れそうな香月を大切に、自分の持てる限りの愛情をもって。
終わると間もなく、香月は静かに寝息を立てていた。


加東はそろそろだとマンションを引き払う準備を始めていた。引き払うといってもたいした荷物はない。着替えと簡単な調理器具、洗面用具…。
「夜逃げみたいだ」
一人微笑んだ。
昨日、あの警官と雪が盗聴器を全て見つけたらしく、もう情報は入ってこなくなった。盗撮もそろそろやめて報告と契約の解除を伝えないと。警察が自分にたどり着く前に…。
それにしても、雪とあの警官はお似合いだ。あいつなら雪を幸せにしてやれるだろう。男の俺から見てもあいつはいい奴だ。信用しても大丈夫だぞ、雪。今度こそ幸せになれ。って俺が元凶なのにな(笑)

浩介は加東から、盗聴器の発見と警察の動き、最後の盗撮写真をメールで報告された。自分の息子である陽斗の写真も入っていた。
「こんなに大きくなっていたのか…」
あの時探そうともしなかった自分を少し恨んだ。そろそろ潮時か。俺には何の資格もないんだな。
加東への契約解除を了解したと、メールを送り直しアドレスを消去した。

加東は香月のために、浩介の悪行の数々を暴き、それをレポートにまとめて弁護士に預けた。香月がそれを直接見ないでも済むように取り計らって下さいとメモをつけて。
弁護士に任せて浩介とは直接顔を合わせないまま離婚は成立した。先生から終わりましたよと連絡を受けたとき、加東からのレポートと一緒に渡されたメモの話をしてくれた。
「香月さん。あなたが雇った探偵さんは腕がいいだけでなく、優しい人ね」
「?どうしてそう思ったんですか?先生…」
先生は微笑んで、
「わざわざこんなメモを付けてきたのよ。香月さんがこれ以上傷つかないようにって」
メモを見た。香月は嬉しくて涙を流した。
「泣くほど喜べるあなたも優しい人ね」
先生は優しい顔をしていた。
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