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9.痛みが引くのをじっと待った
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アーヘルゼッヘの額を、輝くオレンジ色の血が流れていた。
男は舌打ちをして、上着の隠しからハンカチーフを引っ張り出して、血を素早く抑えた。自分の手に付かないように。他の誰にもつかないように注意して。
制帽が、アーヘルゼッヘをつかもうとすると、手を振ってさがらせた。
アーヘルゼッヘは、されるがままになりながら、痛みが引くのをじっと待った。痛さはすぐに引いていく。傷もすぐに消えるだろう。しかし、漠然とした不安をかんじた。人間は強いと思い出していた。
恐怖の力を使わなくても、人間は強かったんだと思いだした。北の者達と千年もの間、戦争で戦えるくらい強いんだ、と言うことを、嫌な気持ちになりながら思い出していた。
男は、アーヘルゼッヘをレヘルゾンと呼んでいた。北の者に詳しいと言うよりも、もしかしたら、知りつくしているのかもしれない。丁寧に額の血を拭う姿からすると、血の恐怖も知っていそうだ。人間には99.99999%猛毒であるレヘルゾンの血のことも。
「大丈夫か? おい?!」
アーヘルゼッヘを覗き込みながら男は声をかける。老人には全く見えない。豊かな白髪の若い男の姿だった。男は、北の者の力を知っていて、傷で不機嫌になっているはずの北の者を目の前にして、気遣っている。
力をふるえば人間は一瞬にして吹き消すこともできる。そう聞いているはずだし、やりたい者がいるなら、実際するだろう。その気まぐれな性質も、知っているかもしれない。なのに、男は、恐怖のかけらも持っていない。アーヘルゼッヘは、不思議な思いで男を見た。
「怖くないのですか?」
「それは、こっちのセリフだろう…」
男は呆れたように言った。警棒を構えたままの男たちがいた。銃を手にした制服が、すぐ後ろに立ち、アーヘルゼッヘに狙いを定めている。確かに棒は痛かった。銃はさらに痛いらしい。怖いかもしれない。しかし、北の館に、ばれるかもしれない、と言う事の方がずっと怖い。見つかりたくない。それが、アーヘルゼッヘの今の芯になっていた。
その時、空咳がした。と同時に、イライラしたような声が、
「チウ閣下?」
と杖の男に問いかけた。顔を上げると、あの、馬車の御者台から飛び降りた、ビロードの襟の男が、制帽達の間に立って腕組みをしていた。
「不法侵入者でしたら、こちらに渡していただかないと困るのですが」
と、全然困っていないような声で言った。閣下と呼んで敬意を示しているのだが、腕を組んで仁王立ちに見下している。
噴水広場を囲む建物の窓には、人々が鈴なりになっていた。興奮に沸いた顔が覗いている。あとから来たのか、さらに増えた制帽達が、広場に入る馬車を止め、広場の端に人々を押しやっている。北の者がつかまって安心したのか、好奇心に負けたのか、制帽の腕の避けるようにして、つま先立ちになったり、しゃがみこんだりして、こちらを覗き込んでいる。
騒然とした雰囲気だが、恐怖はなかった。アーヘルゼッヘは、額のスカーフを自分の手で押さえ、ゆっくりと立ち上がる。人々が一瞬ざわめいたのだが、チウが脇から手を貸すように立たせると、別の意味でざわめいた。恐怖と興奮の空気が交互に湧き上がった。
「チウ。おまえが北と戦争を始めそうだという噂で駆け付けたんだぞ」
と、ビロードの男はぐっと砕けた声を出した。
「アゼル。それなら、これで、戦争ではないとわかるだろう」
とアーヘルゼッヘの腕をとった手を視線だけでちらりと見た。アゼルは、苦く笑って、
「捕縛命令を怒鳴っておきながらか?」
「悪かったな。おまえの隊を……。しかしだな。これで証明できたわけだ」
「何がだ?」
「捕縛できるような北の方は、北の方じゃない。先祖がえりだ。見た目が人間離れしているだけさ」
男は舌打ちをして、上着の隠しからハンカチーフを引っ張り出して、血を素早く抑えた。自分の手に付かないように。他の誰にもつかないように注意して。
制帽が、アーヘルゼッヘをつかもうとすると、手を振ってさがらせた。
アーヘルゼッヘは、されるがままになりながら、痛みが引くのをじっと待った。痛さはすぐに引いていく。傷もすぐに消えるだろう。しかし、漠然とした不安をかんじた。人間は強いと思い出していた。
恐怖の力を使わなくても、人間は強かったんだと思いだした。北の者達と千年もの間、戦争で戦えるくらい強いんだ、と言うことを、嫌な気持ちになりながら思い出していた。
男は、アーヘルゼッヘをレヘルゾンと呼んでいた。北の者に詳しいと言うよりも、もしかしたら、知りつくしているのかもしれない。丁寧に額の血を拭う姿からすると、血の恐怖も知っていそうだ。人間には99.99999%猛毒であるレヘルゾンの血のことも。
「大丈夫か? おい?!」
アーヘルゼッヘを覗き込みながら男は声をかける。老人には全く見えない。豊かな白髪の若い男の姿だった。男は、北の者の力を知っていて、傷で不機嫌になっているはずの北の者を目の前にして、気遣っている。
力をふるえば人間は一瞬にして吹き消すこともできる。そう聞いているはずだし、やりたい者がいるなら、実際するだろう。その気まぐれな性質も、知っているかもしれない。なのに、男は、恐怖のかけらも持っていない。アーヘルゼッヘは、不思議な思いで男を見た。
「怖くないのですか?」
「それは、こっちのセリフだろう…」
男は呆れたように言った。警棒を構えたままの男たちがいた。銃を手にした制服が、すぐ後ろに立ち、アーヘルゼッヘに狙いを定めている。確かに棒は痛かった。銃はさらに痛いらしい。怖いかもしれない。しかし、北の館に、ばれるかもしれない、と言う事の方がずっと怖い。見つかりたくない。それが、アーヘルゼッヘの今の芯になっていた。
その時、空咳がした。と同時に、イライラしたような声が、
「チウ閣下?」
と杖の男に問いかけた。顔を上げると、あの、馬車の御者台から飛び降りた、ビロードの襟の男が、制帽達の間に立って腕組みをしていた。
「不法侵入者でしたら、こちらに渡していただかないと困るのですが」
と、全然困っていないような声で言った。閣下と呼んで敬意を示しているのだが、腕を組んで仁王立ちに見下している。
噴水広場を囲む建物の窓には、人々が鈴なりになっていた。興奮に沸いた顔が覗いている。あとから来たのか、さらに増えた制帽達が、広場に入る馬車を止め、広場の端に人々を押しやっている。北の者がつかまって安心したのか、好奇心に負けたのか、制帽の腕の避けるようにして、つま先立ちになったり、しゃがみこんだりして、こちらを覗き込んでいる。
騒然とした雰囲気だが、恐怖はなかった。アーヘルゼッヘは、額のスカーフを自分の手で押さえ、ゆっくりと立ち上がる。人々が一瞬ざわめいたのだが、チウが脇から手を貸すように立たせると、別の意味でざわめいた。恐怖と興奮の空気が交互に湧き上がった。
「チウ。おまえが北と戦争を始めそうだという噂で駆け付けたんだぞ」
と、ビロードの男はぐっと砕けた声を出した。
「アゼル。それなら、これで、戦争ではないとわかるだろう」
とアーヘルゼッヘの腕をとった手を視線だけでちらりと見た。アゼルは、苦く笑って、
「捕縛命令を怒鳴っておきながらか?」
「悪かったな。おまえの隊を……。しかしだな。これで証明できたわけだ」
「何がだ?」
「捕縛できるような北の方は、北の方じゃない。先祖がえりだ。見た目が人間離れしているだけさ」
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