北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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28.とりあえず駆け付けた

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翌朝、広間の片隅でマントにくるまって仮眠をとったアーヘルゼッヘは、人声で目を覚ました。思ったよりもぐっすり眠れたらしい。朝露が髪に滴り、軽く拭と手先が濡れた。固い木のソファーから体を起こして、手すり近くへ歩いて行くと、恐ろしいほどたくさんの人でごった返していた。

とりあえず駆け付けた、と言う姿の町の人々だ。つましい服の農夫もいれば、豪商にしか見えない立派な服に身を包んだ人々もいる。その家人が周囲を囲って団体になっている。かと思えば、大きな革の前掛けをした職人達が固まって立っていたり、旅装のままの、荷物を馬車に置いたままではないかと思えそうな一団もいる。

大きな木の下には、好奇心に満ちた顔でこの様子を見に来たんだとでも言いたげな琴を抱えた詩人もいて、そんな中、警邏達が駆けずり回って人々を屋敷から押し放そうと苦労している。見ると、果樹園の間の町へ続く道は人々で埋まっいて、町を囲む外壁まで人の波が続いている。

 アーヘルゼッヘが階の上に立つと、一斉に人々の視線が上がった。と思ったら、動揺したような声が上がった。アーヘルゼッヘの後ろから慌てたような声がかかる。
「アーヘルゼッヘ殿。奥へ頼みます」
振り返ると、苦虫をかみつぶしたような顔のアゼルがいた。

襟の高い厚い生地の上着に、ふんだんに刺繍を施した飾り布をまとって凛として立つ姿は、優雅な腕の動きも手伝って、隊長と言うよりも貴族のように見えた。相変わらずだ、と言う感じだが、ほんの一週間ほど前に見た時には、余裕のある若者の表情をしていたのだが、額の汗といい、人ごみにもまれたのか、乱れた前髪といい、疲れた顔をしている。

「忌々しいことに、昨日の光を巫女姫の降臨だと言って触れて回った人間がいるのです」

と言って口の中で毒付いた。アーヘルゼッヘがなんと答えていいか迷っていると、腕を掴んで強引に奥へと歩き出した。後ろに残った人々のざわめきは、一瞬大きくなったのだが、アゼルへ視線が行くと静かになった。巫女姫の傍に北の者がいると知って、巫女姫の危機だと慌てた人々が、自分たちを守る隊長がそこにいると知って安心した、と言うようなことだった。

黒髪の青年でもあるアゼルは、アーヘルゼッヘの腕を放すと忌々しそうにアーヘルゼッヘを上から下まで眺めた。回廊の一角で、外からは見えない。中庭の緑がみずみずしく、朝の光がすがすがしい。まだ、砂漠の熱気もここまでは入り込まない。空を見上げると青空がまぶしい。回廊の四方にさらに部屋部屋へ続く廊下が続く。アゼルは、回廊をちらりとも見ずに、アーヘルゼッヘの脇で仁王立ちになると、胸を張って見下すような視線を見せた。そして、

「なぜ、北の方の力を使いながらも、チウを見殺しにしたんだ」
と低く唸るような声で言った。アーヘルゼッヘが疑問に眉を寄せると、
「人間だからごまかせると思っているのか? 人の心が読めないわれわれにも、推察する、と言う技がある。まるで人間のふりをして、力の出し惜しみをしていた。あれは、われわれを油断させるためだったのか!」
「何を言っているのか、私にはわかりません」
とアーヘルゼッヘは正直に言った。

いくらかイライラが伝染し、声がつっけんどんになっていた。しかし、不思議なことに、目の前でイライラを爆発させていると言うのに、こちらにそれが伝わらない。見せているだけで、相手に対して威嚇しない、そう言った品の良さがあるらしい。

アーヘルゼッヘの観察を知っているのか、アゼルは、アーヘルゼッヘが、アゼルを上品な人間だと思った瞬間、まるで殴りかかるような怒気を、アーヘルゼッヘにたたきつけた。思わず片手で、アゼルの怒りを防ぐかのように顔の前に手をかざしていた。無意識だった。

「人間の心の怒声は聞こえるのか。少しは、北の生き物らしい特徴はあると言うことか」
吐き出すような言葉に、
「何を怒っているのか、私は本当に分からない」
と低く抑えた声で答えた。
「何を言っているのか、だと? 昨夜、貴様は、力を使った。この砂漠一帯に太陽が落ちたかのような光の海を作っておいて、わからない、と言う気なのか?!」
「それは。確かに力を使ったが、それは、パソンが抑えてくれて」
「その、パソンを、帝都から引きずり出すために、力を使ったのだろう! なぜ、その力で同時にチウを助けなかった。おまえなら造作もないことだろうが!」
「私の力…。パソンをつかんだ。…確かに。あの時力を使っていたのか」
と、アーヘルゼッヘは思い出していた。ソンが見えなくなるほどの力の渦の中にいた。あれは自分の力の渦か、帝都を包む力の幕か分からなかったが、あそこに触れた時、確かに力を感じていた。

「ほぉ。本当に、今まで気づいていなかったのか」
あきれたようなアゼルの言葉に、アーヘルゼッヘは、
「それほど、大きな力だったとは思わなかった」
「町の明かりが闇夜に思えるほどの明るさだった。おかげで、前夜祭は即中止で、恐怖に駆られた人々は、大祭の神々の怒りを買ったと本気で信じ、神々の怒りを鎮めようとやっきになった」
「鎮める?」
「そうだ。明かりがあるのに、闇にしか見えない。神々は水も光も人々から取り上げるのかと、恐ろしい妄想が広がったのさ」
乗りは軽く、しかし、表情も声も重かった。

町の噴水広場では、大勢の人がランタンやたいまつに照らされながら、輪になってダンスを踊り、路地裏にまで広がっている屋台を練り歩き、時には楽団の前で足を止め、時には花屋で明日の祭りのための花冠を買いながら、一瞬の光とその直後の闇を経験したのだ。恐怖に動きを失った人々は、歌も楽の音も声もなくして、乾いた風の音だけが町中を吹き抜けた。そこに落ちた、誰かの声が、
「神々の怒りだ」
と言うつぶやきが、町を一瞬にして悲鳴と叫び声の渦に巻き込んだのだった。

闇夜に乗じた者達もいた。スリ、カッパライ、はては強盗まで。外から来たならず者が、祭りの客から強盗へと変貌した。警邏達が笛を鳴らし、互いの場所を確認しあい、互いに手をつないで家へ戻るように呼びかけて。徐々に目が慣れてきて見渡して時には、これが、大祭の前日かと思うような有様だった。

倒れた屋台や、敗れたマント、踏みくちゃにされた花冠や果物が、そこらじゅうに散乱し、しかも、がらんと静まり返っていた。アーヘルゼッヘは、見るともなしに、アゼルの回想を追っていた。見ているとの意識もなかった。だから、アゼルが、
「もし、あの後に、姫巫女の声が響き渡らなかったら」
と言って苦い顔をしても、黙るだけで何も言えなかった。

アーヘルゼッヘが、帝都を探るために出した光は、巫女姫の祈りの声で包まれた。あの時、町中があの祈りに包まれていた。あの優しさは、森の獣も虫も人も、何もかもを安らかな世界の中へと包み込んだ。あの祈りがなかったら、再び人は光と闇を味わっただろう。神の怒りを感じた直後に。

「すみません。私のせいです」

アーヘルゼッヘは言葉短く謝罪した。アゼルは頭の弱い奴は嫌いだと顔に書いてあった。まっすぐアーヘルゼッヘを見ながら、あごの先で軽蔑をあらわした。しかし、言った言葉は違っていた。

「我らが巫女姫を帝都のウジ虫から救ってくれたことに対して礼をいう」

軽蔑していたのは、帝都の人間達だったのかもしれない。しかし、アーヘルゼッヘは尊敬やいたわりしか向けられたことのない者だ。町での冷気に満ちた人間の態度にも凍ったが、このまっすぐぶつけられる侮蔑にも弱かった。視線を外し、うつむいて、
「チウ殿は、そこへ行ってしまった。私が至らないばっかりに」
とつぶやいた。アゼルは鼻で笑った。
「初めから期待などしてない。一人助けただけでも上出来だ」
と言った。思えば、ずいぶん失礼な言い方だった。しかし、アーヘルゼッヘは、首を横に振って、
「期待など関係ない。本気で助けなければと思っていたなら、二人とも助けていた。できなかったのは、状況を知ろうとしなかった私の怠慢だ。申し訳ない」
と今度は、本当の意味で、つまり、気弱な自分が出した言葉ではなく、責任を感じるものとして謝罪をした。

アゼルは黙ってアーヘルゼッヘを見た。片手をあげると、アゼルの後ろで兵士が動いた。ベージュの上着に緋色の帯をかけ、ブーツは黒く、こげ茶のズボンには赤と金の筋がつく。帽子は横に平たく三角だった。その帽子を器用に頭から落とさないようにかぶりながら、腰に下げたサーベルや背中に背負った銃をどこにもぶつけないように、回廊の手すりの脇から、音もなく近寄って、片膝をつきながらアゼルの下に床几を置いた。アーヘルゼッヘの後ろにも、いつの間にか兵士が立って、同じような布製の椅子を置く。

そして、アゼルが座るのを待っていたかのように熱いグラスが二つ差し出された。アゼルは、二つを両手で鷲掴みして、一つをアーヘルゼッヘへ差し出した。
「前夜際には、温酒を飲むものだ。さあ」
と言って、アーヘルゼッヘが手に取るまで、身動き一つしなかった。

 アーヘルゼッヘには、分からなかった。ついさっきまで、侮蔑もあらわに睨んでいた男が、今は、まるで、親しい来客であるかのように振舞っている。気配も先ほどの怒りもなければ、いらだちもない。まるで、全くの別人が目の前にいるようにさえ見える。
「毒など入っていないぞ」
「いえ。そうではなく」
一瞬口ごもったが、アーヘルゼッヘは素直に聞いた。
「なぜ、このような歓迎するような事をしてくださるのでしょうか?」
「歓迎をしているのではない。前夜祭に喧嘩をするのは、水の神の不興を買う。あってはならないことだ」
「しかし、もう、今日は当日ですし」
「ならなおさらだ。さあ、酒をとれ。気に入らなくても、これから二週間ばかりは、我らは腹からの友である」
アーヘルゼッヘは酒を見た。ぐらぐら沸かした果実酒を柄杓で固いグラスに入れたらしい。濃いオレンジ色に泡が立ち、鼻をつんとした酒の匂いがさす。

「これは上手いぞ。帝国随一の温酒だ。まず、帝王だとて飲めない酒だ」
アーヘルゼッヘは覗き込んだ。
「疑うか? 帝都へゆられて運ばれたら、温酒にした時に香りが消える。ここでしか飲めない酒だ。だから、町の祭りでは大判振る舞いになる。町の者なら誰もが飲む感謝の酒だ」
そう言ってからアーヘルゼッヘと眼を合わせた。その目がゆるくなるのが分かる。
「私の謝罪の意味もある。あなたは、自分の身を守るためには力を使わなかった。しかし、巫女姫のためには使ってくれた。帝都に姫がいないことが、どれほど我らの救いになるか、きっとあなたにはわからない。チウもきっと喜んでいるはずだ。しかし、昨日の夜はひどかった。本当にひどかったのだが、それも今では過ぎたことだ。私は、これを飲んで流してしまいたいと思う。私はおまえに感謝がしたいのだ。これを飲んではくれまいか?」
とアゼルが言った。アーヘルゼッヘは、自然と腕が伸びていた。グラスは細い足まで熱かった。指が二本で、他の指が熱さで浮いた。それを見て、
「そうそう。早く飲まねばやけどする」
アゼルは言って、グラスに口をつけた。アーヘルゼッヘも真似てグラスに口をつけると、息を合わせたように二人一緒に飲みほした。恐ろしく熱かった。思わずむせた。見るとアゼルも軽くせき込んでいるようだった。口に黒い手袋の手をあてて、軽く咳をしている。むせているのを見せないようにしているらしい。

「まあ、子供のころから飲むとなれるらしいが。体質は人それぞれだ」
と言って、口の端を持ち上げた。笑ったようだ。アゼルは、帝国一の酒も、あまり好きではなかったらしい。アーヘルゼッヘは、口の中に残った香りが、口の中で膨らみ始め、鼻に抜け、空気になって自分を覆っているように感じた。

「これは、飲むのではなく、吸う酒だな」
「うまいことを言う。今度、売り出す時に、うたい文句に追加しよう」
アゼルはそう言って、立ち上がった。
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