北大陸のアーヘルゼッヘ

ふみはなえ

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53.目の前の剣の鞘を見た

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「セノ卿。あなたにこの方のような事ができて? 今この瞬間、力の証明がなければ、暗殺者の仲間として葬り去られようとている真っ最中に、力がないと言い出すなんて」
アーヘルゼッヘは、目の前の剣の鞘を見た。これは、そんな意味があったとは分からなかった。それを見て、セノ卿は鼻で笑った。
「ご覧の通り、気づかなかっただけのようです」
「では、わたくしが気づいた力は嘘だと言うの? おまえは、わたくしを希代の姫巫女と言いながら、わたくしがおびえるほどの力を感じていると言うのに、それは信じないと言うの? 都合がよすぎます!」
セノ卿はパソンを見て考え込んだようだった。ほんの瞬くほどの瞬間だったが、何か心が動いたようだ。アーヘルゼッヘへ視線を戻し、
「なぜ、姫巫女がここに来られた時に、あなたはここへおいでにならなかったのですか?」
と聞いた。
「それは、わたくしを守るような義務などないからです」
とパソンがきりっとした声で言った。しかし、アーヘルゼッヘは首を左右に振って、それを否定した。

「暗殺者だと知っていたら来ていました。そんな人間には見えなかっただけです。あの男は、東部の惨状を憂い、変えたいと熱望し、今日、この瞬間に賭けて馬を駆ってきた、情熱の塊に見えたのです」
しんと静まり返ってしまった。アーヘルゼッヘが彼らを見ると、セノ卿は苦い顔をしている。ゼ大臣補佐は首に巻いたリボンに指を入れて緩めている。パソンが代わりにつぶやいた。
「それは、まさしくその通りだったのですわ。わたくしや神殿のものがいなくなれば、東部は自由になるのですから」
「それは、テンネがそう噂をまき散らせているからです」
そうセノ卿が答えた。
「いいえ。わたくし達神殿の人間達を養うために、彼らには重税を課せられています。どの地域よりも厳しい税です」
「代わりに、荷揚げの仕事や、関税の仕事、海からくる全ての荷の仲介の仕事の専売権を与えています」
「大商人達は、東部の税を嫌って、自分たちの敷地の崖下に桟橋を組んで滑車で荷揚げをしています。東部では、値の張らない荷物の仕事ばかりで、彼らにうまみはありません」
「それは、大商人やそれに群がる利権者達が悪いのであって、神殿のせいではありません」
「神殿が裁きの制度を放棄しているから、取り締まるべき者を取り締まれずにいるのです」
「それさえも違います。裁きの制度が放棄されたのは、もう何百年も前のことです」
「それは、戦争がおこり、人々の意識を宮殿へ集中させるためだからです。しかし、戦争は終わったのです。人々が我慢をし、大商人が利ざやを稼ぐのを見つめながら、乾きに亡くなる必要はなくなっているのです」
「まだ、戦争が終わって十年にしかなりません」
「もう、十年もたったのです。庭を駆け回っていた幼子も、市井に入りいわれのない我慢と差別にさらされるようになったのです。わたくしは、庭を駆け回っていた幼子です。彼らの気持ちがわかります。戦争は終わったのです。彼らを抑える、神殿の役目はなくなったのです。今の神殿の役目は、彼らのために水を引き、彼らのために命をささえることなのです」
「それをしている姫巫女を暗殺しようと言うのは説明になりません」
「なります。わたくしがいなければ、神の声の存在を伝える者はいなくなります。神がいると証明ができない者達に、神の代理として統治させたくはない、と言えばきっと人の心も動くでしょう」
「次に生まれる姫巫女が、同じように神の声をお聞きになるはずです」
「ざれごとを。生まれながらにして何もかもできるのであれば、わたくしはあの町で何もせずして姫巫女になっていました」

吐き捨てるように言った言葉に、セノ卿は口を閉じた。深い会釈は幼すぎると言われながらも姫巫女の地位を引き継いだパソンに対する敬意であった。アーヘルゼッヘも同じように敬意を感じた。しかし、浮かんだ言葉をそのままに口にした。

「彼が話していた言葉に嘘はなかったのです。チウ閣下が生きているかどうか不安に思い、明日のパソン殿の帰還に胸躍らせていたのです。暴動かどうかはわかりませんが、帝都は確かに人々が扉を開けて、たいまつを灯らせて、外へ走りだしていたのです。一か所に集まりだした後、馬に気づいて目を転ずると、あの若者がここへやって来たのです」
「なら、私は正直な若者を手にかけたんだとおっしゃりたいのか」
とセノ卿が厳しい声で聞いた。言った瞬間、顔色を変えた。
「ゼ大臣補佐。帝都へ参ります。じっとしていては、彼らが危ない」
と言って、鞘を腰に納めて大股で出ていこうとした。アーヘルゼッヘはあわてて止めた。
「動乱は止んでいます。東部はもちろん、帝都中静かなものです」
「粛清を恐れ地下へ逃げたのかもしれない」
言いながら、セノ卿はアーヘルゼッヘの顔を見た。アーヘルゼッヘは首を左右にゆっくり振る。
「地下の様子まではわかりません」
「今、見てくださらぬか?」
と言う言葉に、アーヘルゼッヘは躊躇した。が、すぐにうなずき、絨毯に胡坐で座った。目を閉じる。と、悲鳴が上がった。ぱっと眼を見開くと目の前に白刃が見え、のけぞると鼻の紙一重のところを刃がなでた。セノ卿の剣だった。返す刃で、アーヘルゼッヘの首を狙った。が、飛びのくついでに絨毯を掴み片手で強く引っ張った。とたんに、セノ卿の足が緩んだ。パソンが立ち上がりかけていたのだが、同じように足が弛んでセノ卿の腰に当たった。セノ卿がパソンを掴んでその喉に刃を当てた。が、その直前に刃もろともに後ろへ飛ばされていた。

ゼ大臣補佐が、腰を落として両手で突き出すようにして、セノ卿を突き飛ばしていたのだった。
「密偵をしていると、組んでいる相手の気質も分かるようになるものじゃ。疑う質が抜けぬせいで、同朋まで疑って、と何度も何度も否定をしていたのだが」
倒れたセノ卿の手から剣を取り上げた。軽く束に触れただけのように見えた。が、天井近くを飛んで、入口の天幕の脇にしなを打って突き刺さる。
「もっと早く気付いておれば、亡くさずともよかったものを」
とゼ大臣補佐は、倒れて身動きとれないセノ卿を見下ろしながら、つぶやいた。
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