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84.泣きだしたパソン
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「な、何の連絡もなく、神殿から姿を消されてどのくらいになると御思いですか!」
「申し訳ありません」
「申し訳ありませんで済むならば、我らは告解などいたしません」
アーヘルゼッヘは泣きだしたパソンに頭を下げた。脇から、ゼ大臣補佐が顔を出した。
「ずっと、神々の言葉として、穏やかにあれと人々を説いて回られていたのですよ」
とアーヘルゼッヘへ言った。あなたの言葉を伝えていたのだ、という。アーヘルゼッヘは何とも言えない気持ちになった。私は神ではないのです、と言いたくなったが口を閉じた。ゼ大臣補佐の目は、余計なことは言わないでくれと言っていた。そのくらい、パソンの昨日はつらかったのかもしれない。
「チウ従兄上が亡くなられてから、帝都は収まりがつかなくなりつつあるのです」
パソンの本当の辛さはそこにあったのかもしれない。アーヘルゼッヘはうなずいた。テンネとチウは、彼らの中では全くの別人だった。アーヘルゼッヘの中でも別人になりつつあった。
「なぜ、陛下はチウ従兄上の言葉をお聞きになって下さらなかったのでしょうか。水の大切さを説き、陛下へ上水を分けてくださるように懇願したことがそれほど辛かったのでしょうか。陛下への忠誠の影りであるなど、どうして、そんな風に思えることができたのでしょう」
アーヘルゼッヘは、ふいごを作ったと言う作り話をしたチウのことを思った。みなに水を分けれるように、北の力が動いたと知らせずに、納得させようとしたのかもしれない。が、ふいごを漕ぐ人間がいないのだ。水を分けさせる方便だと思ったのかもしれない。パソンは小声でつづけて話す。ここ数時間の思いがあふれてきていたようだ。
「陛下は、みなが陛下への怒りや不満を抱えてしまうとわかっているのに、なぜ、あんな酷いことをなさったのでしょう。わたくしは誰にも答えることができません」
なのに、ここで怒りを鎮めてくれと説いて回らなければならないのだ。ゼ大臣補佐が敬意をこめてパソンを見ていた。これまで微塵もそんな不安をみせなかったのかもしれない。アーヘルゼッヘは、パソンの両手をしっかりと持ち上げた。
「争いにはなりません。平和が大切なのです」
「北の方なのに、人間を心配してくださるのですね」
アーヘルゼッヘは答えなかった。すべての混乱は、北のせいである、と言えなかった。言えばよかったのかもしれない。しかし、気丈に巫女としてふるまっている、一人前の女性のように振る舞い、神経をつかっている、まっすぐな瞳の十四歳の少女に向かって、自分たちのせいなのです。北は卑怯者なのです、と言うことができなかった。
アーヘルゼッヘは手を放し、一歩下がった。馬を探そうと後ろを見ると、トローネが騎乗したままよって来た。腕を差し出し、アーヘルゼッヘへ、
「貴殿はこちらが良いだろう」
と言って、自分の馬に引き揚げた。あの馬術では、到底、この先、生き抜けまいとでも思ったのかもしれない。それとも、馬があの馬術では気の毒だ、と思ったのかもしれない。離れた場所で、手綱を掴まれ、なだめられている馬は確かに気の毒に見えた。
アーヘルゼッヘは渋い顔をした。あの旅でそこそこ乗れるようになっていると思っていたのに、誇りが俄かに傷ついた。しかし、腕を上げると擦れた肘が突っ張ったように痛む。
トローネの後ろで鞍にまたがると、敗れた膝の下にかたい革の覆いが見えた。着ていなかったら、膝の骨を折っていたかもしれない、と思うとトローネの申し出はありがたい、と思い直した。
パソンが下がって、馬から距離をとると、騎乗していた全ての兵が、閲兵式ででもあるかのように姿勢を正して胸に手を置き敬礼した。馬の首がぴんと上がって緊張する。男達を見上げるパソンは片手をあげて、額にふれて天の力を彼らに与えると言った仕草で手を差し伸べた。男達は真剣な顔で姫巫女を見た。出陣の前の儀式のようだ。
単に、アーヘルゼッヘにくっついて飛び出してきただけだと言うのに、恐ろしい何かに向かって行くような興奮を感じていた。いつの間にか、官庁街に寝泊まりしている東部の者や、本当に官庁の仕事をしている人々が現れて、彼らを見送る。彼らも、これから戦いに行く兵士を見送るような真剣な瞳で見送っていた。
アーヘルゼッヘ達は、静かに馬の首を東部へ向けて歩みを進め、彼らに背を向けるや否や、早足から駆け足へと歩みを変えて疾走しだした。
「それで、北の方。理由を教えていただけまいか?」
とアーヘルゼッヘの前でトローネが言った。
馬は疾走し、鞍の上でがくがく揺れる。自分で乗るより、乗せられる方がつらかった。だから、というわけではないのだが、アーヘルゼッヘは首を左右に黙って振った。答えるつもりはなかった。気配で分かったのかもしれない。見えていないのに、トローネは、
「北の方が約束をたがえるのか? 行きながら話すと言っていたのに?」
と言った。苛立ちと、疑惑で、声が陰っていた。
馬は、東部区域と中央区の境に差し掛かっていた。境の門は、バリケードのように、壊れた荷車や巨大なテーブルで、半分折れた板の門を埋めている。脇の通用門は無事らしく、そこから人の出入りがある。荷物を背負って、人が中央区へ移動している。兵士もそれを手伝うように、手をひいたり、荷物を持ってやったりしていた。
馬が来ると、人々の通行を止めて脇へ寄った。門の兵士は敬礼をして通してくれる。よく来る伝令を、そうやって通すらしい。慣れた様子だった。門に集まった人々が、騎乗したまま通り抜けるアーヘルゼッヘ達を黙ったまま見上げていた。その目は厳しく、守ってくれるのだろうかと問いかけているようだった。
「戦争はしてはならない」
アーヘルゼッヘはつぶやいた。トローネは今度は聞き返さなかった。アーヘルゼッヘはつぶやきを声にして、
「戦争に、なるはずがない」
とはっきり言った。トローネが耐えられなくなったらしく、
「どうしてだ?」
と聞いた。
「攻めてくる気がないからです。彼らは戦争をしに来たのではない。北の者が呼んで、そこにいるように、と言ったからそこに来たのです」
「つまり、おまえが呼んだのか?」
訳が分からないと言う声だった。
「申し訳ありません」
「申し訳ありませんで済むならば、我らは告解などいたしません」
アーヘルゼッヘは泣きだしたパソンに頭を下げた。脇から、ゼ大臣補佐が顔を出した。
「ずっと、神々の言葉として、穏やかにあれと人々を説いて回られていたのですよ」
とアーヘルゼッヘへ言った。あなたの言葉を伝えていたのだ、という。アーヘルゼッヘは何とも言えない気持ちになった。私は神ではないのです、と言いたくなったが口を閉じた。ゼ大臣補佐の目は、余計なことは言わないでくれと言っていた。そのくらい、パソンの昨日はつらかったのかもしれない。
「チウ従兄上が亡くなられてから、帝都は収まりがつかなくなりつつあるのです」
パソンの本当の辛さはそこにあったのかもしれない。アーヘルゼッヘはうなずいた。テンネとチウは、彼らの中では全くの別人だった。アーヘルゼッヘの中でも別人になりつつあった。
「なぜ、陛下はチウ従兄上の言葉をお聞きになって下さらなかったのでしょうか。水の大切さを説き、陛下へ上水を分けてくださるように懇願したことがそれほど辛かったのでしょうか。陛下への忠誠の影りであるなど、どうして、そんな風に思えることができたのでしょう」
アーヘルゼッヘは、ふいごを作ったと言う作り話をしたチウのことを思った。みなに水を分けれるように、北の力が動いたと知らせずに、納得させようとしたのかもしれない。が、ふいごを漕ぐ人間がいないのだ。水を分けさせる方便だと思ったのかもしれない。パソンは小声でつづけて話す。ここ数時間の思いがあふれてきていたようだ。
「陛下は、みなが陛下への怒りや不満を抱えてしまうとわかっているのに、なぜ、あんな酷いことをなさったのでしょう。わたくしは誰にも答えることができません」
なのに、ここで怒りを鎮めてくれと説いて回らなければならないのだ。ゼ大臣補佐が敬意をこめてパソンを見ていた。これまで微塵もそんな不安をみせなかったのかもしれない。アーヘルゼッヘは、パソンの両手をしっかりと持ち上げた。
「争いにはなりません。平和が大切なのです」
「北の方なのに、人間を心配してくださるのですね」
アーヘルゼッヘは答えなかった。すべての混乱は、北のせいである、と言えなかった。言えばよかったのかもしれない。しかし、気丈に巫女としてふるまっている、一人前の女性のように振る舞い、神経をつかっている、まっすぐな瞳の十四歳の少女に向かって、自分たちのせいなのです。北は卑怯者なのです、と言うことができなかった。
アーヘルゼッヘは手を放し、一歩下がった。馬を探そうと後ろを見ると、トローネが騎乗したままよって来た。腕を差し出し、アーヘルゼッヘへ、
「貴殿はこちらが良いだろう」
と言って、自分の馬に引き揚げた。あの馬術では、到底、この先、生き抜けまいとでも思ったのかもしれない。それとも、馬があの馬術では気の毒だ、と思ったのかもしれない。離れた場所で、手綱を掴まれ、なだめられている馬は確かに気の毒に見えた。
アーヘルゼッヘは渋い顔をした。あの旅でそこそこ乗れるようになっていると思っていたのに、誇りが俄かに傷ついた。しかし、腕を上げると擦れた肘が突っ張ったように痛む。
トローネの後ろで鞍にまたがると、敗れた膝の下にかたい革の覆いが見えた。着ていなかったら、膝の骨を折っていたかもしれない、と思うとトローネの申し出はありがたい、と思い直した。
パソンが下がって、馬から距離をとると、騎乗していた全ての兵が、閲兵式ででもあるかのように姿勢を正して胸に手を置き敬礼した。馬の首がぴんと上がって緊張する。男達を見上げるパソンは片手をあげて、額にふれて天の力を彼らに与えると言った仕草で手を差し伸べた。男達は真剣な顔で姫巫女を見た。出陣の前の儀式のようだ。
単に、アーヘルゼッヘにくっついて飛び出してきただけだと言うのに、恐ろしい何かに向かって行くような興奮を感じていた。いつの間にか、官庁街に寝泊まりしている東部の者や、本当に官庁の仕事をしている人々が現れて、彼らを見送る。彼らも、これから戦いに行く兵士を見送るような真剣な瞳で見送っていた。
アーヘルゼッヘ達は、静かに馬の首を東部へ向けて歩みを進め、彼らに背を向けるや否や、早足から駆け足へと歩みを変えて疾走しだした。
「それで、北の方。理由を教えていただけまいか?」
とアーヘルゼッヘの前でトローネが言った。
馬は疾走し、鞍の上でがくがく揺れる。自分で乗るより、乗せられる方がつらかった。だから、というわけではないのだが、アーヘルゼッヘは首を左右に黙って振った。答えるつもりはなかった。気配で分かったのかもしれない。見えていないのに、トローネは、
「北の方が約束をたがえるのか? 行きながら話すと言っていたのに?」
と言った。苛立ちと、疑惑で、声が陰っていた。
馬は、東部区域と中央区の境に差し掛かっていた。境の門は、バリケードのように、壊れた荷車や巨大なテーブルで、半分折れた板の門を埋めている。脇の通用門は無事らしく、そこから人の出入りがある。荷物を背負って、人が中央区へ移動している。兵士もそれを手伝うように、手をひいたり、荷物を持ってやったりしていた。
馬が来ると、人々の通行を止めて脇へ寄った。門の兵士は敬礼をして通してくれる。よく来る伝令を、そうやって通すらしい。慣れた様子だった。門に集まった人々が、騎乗したまま通り抜けるアーヘルゼッヘ達を黙ったまま見上げていた。その目は厳しく、守ってくれるのだろうかと問いかけているようだった。
「戦争はしてはならない」
アーヘルゼッヘはつぶやいた。トローネは今度は聞き返さなかった。アーヘルゼッヘはつぶやきを声にして、
「戦争に、なるはずがない」
とはっきり言った。トローネが耐えられなくなったらしく、
「どうしてだ?」
と聞いた。
「攻めてくる気がないからです。彼らは戦争をしに来たのではない。北の者が呼んで、そこにいるように、と言ったからそこに来たのです」
「つまり、おまえが呼んだのか?」
訳が分からないと言う声だった。
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