おじょうさまとごえい

ハフリド

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5. 月之宮家

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「那由。あれがわたしの家よ」

由貴子が指さした先にある家は、思ったよりも小さかった。

まあ、あくまでも「思ったよりは」である。実際、那由が住んでいる木造二階建て全八室のアパートよりも大きいし。

家、というよりも、どこかの別荘地にでもあるようなその建物は、広い敷地の一角にあった。芝生の敷き詰められた敷地内には、他にも建物がいくつかある。

那由の視線を受け、身体を預けたままの由貴子がわらった。

「ああ。そうだった。わたしの家の在り方は、普通ではないらしいのよね。困ったわね。人間というのは、誰でも、自分の常識が誰にでも通じると思って生きているのだから。それにわたしが同級生を連れてくるなんて、久しぶりなのよ。初等部のとき以来ね」

困ったわ、と由貴子はわらった。

「那由になにを説明すればいいのかまったくわからないわね。そうね、こうしましょう。なにか疑問に思ったことがあったら尋ねてちょうだい。それでいいわよね」

「はあ」

いいわよね。もなにも同意以外に返しようがない。

車が玄関前に止まった。

すごい。車が入ることができるようにわざわざ道が作られ、しかも降りるところには屋根がある。車寄せというのだろうか。映画などではみたことがあるが、まさか実在するとは。

那由が先に降り、由貴子が続く。

「では、お嬢様。わたしは車を修理に回してまいります」

「ええ。よろしくね、じいや」

なんと、あの運転手さんはじいやさんであったか。

本日、二度目の「まさか実在していたとは」である。

「そうそう。説明することを思いついたわ。那由、ご覧なさい」

自分の前言をあっさりとくつがえすと、由貴子は敷地に点在する家屋を指さした。

「あの一番大きな家が本邸。おじいさまとおばあさま。お父様。それからおばさま――お父様の妹ね――それから従妹が住んでいるわ。ああ、もちろん、使用人もね」

なるほど。どうやらこの家では使用人が存在するのが当たり前らしい。

「おばさまは二度結婚したのだけれども、二度離婚しているの。いま三度目の結婚に向けて、何人かの方々とお付き合いをされているわ」

「……はあ」

そうですか、としか言いようがない。

「あちらの洋館がお母さまの家よ」

「お母さんは別の建物に住んでいるのですか?」

「そうよ。愛人が三人もいると、さすがに本邸で一緒に暮らすのは手狭でしょ?」

「問題は、手狭であるところなんですね」

由貴子は不思議そうな顔をした。

「ええ、なにか不思議――わかったわ。なぜ愛人が三人ほどしかいないのに本邸だと手狭になるのか、ということね。お母さまのいまの愛人は、全員芸術家なのよ」

正確にいうと、芸術家もどきなのだけれどもね、と由貴子はわらった。

「画家のなりそこないと、文筆家気取りと、下手な音楽家よ。でも誤解しないで。みな、良い人なのよ。ただ、自分がなりたいものになるための才能がなくて、それで、せめてそれらしい振る舞いをしようとしているだけなの。描きかけのキャンバスを破ってみたり、昼夜逆転の生活をしてみせたり、音が降りてこないとわざわざ人前でつぶやきながらうろうろしたりとね」

ふふふ、と由貴子はわらった。

かなりひどい言葉ではあるが、本人に悪気は一切ないようだ。

というか。

おそらくこの人は、他人を悪く思うということがないのだろう。感情がそこまで行きつく前に相手の存在を意識から消し、そしてそのまま忘れる。

傲慢な生き方を傲慢と知ることもなく生きてきた同級生は、那由の手を引いた。扉を開け、中に入る。

「ただいま。ばあや。今日は驚かせることがあるのよ。わかるかしら?」

あらあらなんでしょう、とおっとりとした初老の女性の声が奥から返ってきた。スリッパの音と共に、ふくよかな女性が姿を見せる。

「おかえりなさいませ、お嬢様――あらあらまあまあ、お隣の素敵な方はどなたかしら?」

「紹介するわ。わたしの大切なお友達の那由よ。可愛いでしょう」

由貴子が、髪先をいじってきた。このわずか半日で一気に距離が近くなっているような気がする。

というか。
大切なお友達なのか、わたしは。

「こんにちは、那由と申します」

ぺこりとあたまを下げると、ばあやさんは可愛らしくわらった。

「園原、と申します。でも、由貴子さまと同じように『ばあや』と呼んでいただけるとうれしいわ」

「ばあやと、さきほど車を運転していたじいやは夫婦なのよ」

由貴子が那由の髪をいじりながら補足する。

「当然、じいやの苗字も『園原』。だから『ばあや』と呼んだ方がいいわ。その方が、呼ばれる方もわかりやすいでしょうからね――そうそう、ばあや。お風呂の準備をして。那由を入れるから」

「かしこまりました。お嬢様もご一緒に?」

ええ、もちろん、と由貴子はうなずくと、那由の手を引き、そのまま奥の部屋と入った。リビングと呼ばれる空間のようだが、革製のソファーがいくつか置かれた上でもなお広々としている。

そこに座りなさい、と命じると由貴子はキッチンへと入った。ばあやさんとなにやら楽しそうに話をしたあと、冷たい飲み物が入ったグラスをお盆にのせてもどってくる。どちらも時代を感じさせるデザインだが、そこに不思議な高級感がある。

「はい、どうぞ。疲れていると思って、少し甘めにしておいたわ。もし、甘すぎたら言ってね。薄め用のお水をもってこさせるから」

ローテーブルにコースターを敷き、その上にグラスを置く。グラスは背の高いデザイン。透明な炭酸の中に、カットした色とりどりのフルーツが入っている。一番上にはミントが。

なんだろう。

たったこれだけのことだけれども、やっぱりお金持ちってすごいんだな、という気持ちになる。

トレーをキッチンにもどすと、由貴子は那由の隣に腰かけた。また手を伸ばしてきて、髪先をいじる。

「あの、由貴子さま。なぜ先ほどから髪を触ってくるのですか?」

「気になるからよ。あなた、あまり良い理容師さんに来てもらっていないわね。ギザギザだわ。もちろん、それは那由にとてもよく似合っているのだけれども、せめて髪先にはもう少し気を遣えないかしら? 触るほうのことも考えるのがマナーではなくて」

「お言葉ですが、由貴子さま」

こほん、と那由は咳ばらいを一つした。

「普通、同級生から触られることを考慮して髪の手入れはしません。それから、わたしは理髪店には――」

そこでふと気付く。

この人、理容師さんに「来てもらって」と言っていたぞ。

「どうかしたの?」

「ああ、いえ、別に」

まあいいや。育ちが違えば、常識も違うのだし。

「理髪店にはいっていません。自分で切っています」

「なぜ?」

「面倒なので」

「そう。それは素敵な理由だわ」

由貴子は髪先から指を外した。

「いいわ。それなら許してあげる。これからも自分で切りなさい。ただ、最後の仕上げはわたしにさせなさい。いいでしょう? そのくらいのことは許容できないと、素敵な大人になれないわよ」

「は……はぁ」

なにゆえ、わたしはいま自分で髪を切ることを許されて、おまけに、由貴子さまに切っていただくという面倒を負わなければならないのだろう、とは思うのだが、横で楽しそうにグラスを口につける同級生の姿を見ていると、そんな反論がつまらないもののように思えてくる。

おそるべし、由貴子さま。

そのまま由貴子が身体を預けてきた。

重いなぁ、とは思うものの、押し返すわけにもいかないのでそのまま受け止め続ける。

グラスに口を付けた。
甘い。そして美味しい。

なにも起きない静かな時間が流れる。風が木々を揺らす音が、午後の日差しに重なる。傾けるグラスの角度が徐々に高くなる。飲み干す。

それと同時に廊下の奥から、ばあやさんの声が聞こえた。

「お嬢様。お風呂の準備ができましたよ」
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