おじょうさまとごえい

ハフリド

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18. 由貴子、静久

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由貴子の前には雨の姫がいた。

恐怖と後悔でぐちゃぐちゃになった顔を隠すように、妖魔にかしずかれていた少女は正座をしたまま頭を床につけた。

畳敷きの和室。電気は通っていないらしい。その代わりに青白い光がいくつも室内に浮いている。清掃は行き届いているが、障子戸とふすまはかなりの年月を感じさせる。

由貴子は首をかしげた。

「謝罪をしているようだけれども、いったい何についてのものなのかを教えていただけないかしら、静久さん。その行為はわたしに向けたものよね。そうなると、わたしとしてはなにかしらの対応をしなければならないわよね。でも、いまのままでは、とまどうことしかできないわ。静久さん。あなたはいったいなにについて謝ろうとしているのかしら?」

「わ……わたしは、あなたを……こ……殺すために…………ここに…………」

「ああ、そうだったわね。それで、静久さんはいまからわたしを殺すのかしら?」

由貴子は雫の前に座った。

クッキーの入ったバスケットとお茶の入ったポット。

そして那由から預かっていた傘を置く。

「あら、いけない。那由の傘を持ってきてしまったわ。あの子、これがないと困るでしょうね。静久さん。お話の途中で申し訳ないけれども、那由がどこにいるのかご存知かしら?」

「そ、外……だと……思います」

「そう。ところで静久さん。さきほど、屋根の上にいるときに――ああ、いきなり屋根の上と言われてもびっくりするわよね。誤解なさらないでね。わたし、いつもはそんなところに上るようなことはしないわよ。今日は特別。那由が連れて行ってくれたのよ」

「そ……そうですか」

「そのとき、あなたの声が聞こえたの。謝罪の言葉と――『夢の中であっても、これ以上殺されたくない』という言葉が。あなた、夢の中で殺されているの?」

静久は自分の胸を苦しそうに抑えた。

うつむく。

「……鬼たちの……妖魔たちのいうことに従わないときは……わたしは…………雨の姫は……雨でつながって……いつのまにか……夢でもつながって…………子供の頃は夢の中でも遊んでくれていたのに…………いまは…………逃げることもできなくて……どこにいっても……つながってしまった相手はつながりつづけて……」

「それは大変ね。雨の姫。なるほど、天と地を結ぶのだもの、妖魔とつながることもできるのね。それでも不便ね。別れることができないというのは」

由貴子の目には雨の姫にからみつく無数の光の糸が見えた。少女にからみつくそれは彼女を守る繭にも、そして彼女を拘束する鎖にも見える。

そして、彼女を操る糸にも。

そのうちの一つが自分と静久を結んでいることに気付いた。

思い出す。屋上で雨粒を受けたことを。

「ああ、なるほど、つながるのならば、つなげることもできる。つなげるというのは結ぶことだから……それでわたしをここに連れてくることができたのね」

便利ね、とわらう。

「それならばわたしを他の場所に連れていくこともできるのよね? それならわたし、南極に行ってみたいわ――あら、でも南極に雨は降るのかしら?」

「ど……どうでしょう」

静久が顔を上げると、由貴子が立ち上がるのが見えた。そのまま近づいてくる。身をこわばらせる雨の姫の頭を、月の姫が優しくなでた。

「悪い鬼たちとのつながるのはもう終わりにしなさい」

「――ぁ」

雨の姫の唇から、小さな言葉がこぼれた。

月の姫のその一言。

それがこれまで彼女を縛っていた全てを断ち切る。

精神的な意味ではない。呪術的な意味で彼女を縛っていた糸が全て切り離されたのがわかった。身体が軽くなる。自分の心とそこに結びつく身体が全て自分のものになるのがわかった。

「さてと、わたしはそろそろ那由に会わないと。外にいるのよね。あなたも一緒に行きましょう。深夜のお茶会だもの。飛び入りのお客様は大歓迎よ」

「は、はい」

静久の顔に初めて笑みがうかんだときだった。

「――ご歓談中失礼いたします」

その声に続くように、障子戸が静かに開いた。

あの仮面の鬼がいた。

薄影と名乗っていたその鬼は、板張りの廊下で正座をしていた。後ろにはガラス戸があり、その向こうには闇と夜が広がっている。

薄影はうやうやしく一礼をした。

そして勝者しか持ちえぬ傲慢な笑みとともに口を開く。

「お探しの那由様でございますが――さきほど我々の手で殺しました。いまは黄泉路よみじを歩まれている頃かと」

劇的な効果を狙った鬼の思惑は、少なくとも表面上は外れた。

「そうなの」

由貴子の声は常と変わらなかった。

「困ったわね。この傘は那由のものなのよ。あの子が殺されたのであれば、わたしこれを預かったままになってしまうわ」

由貴子は正面にいる少女におだやかな笑みを浮かべた。

あまりにもおだやかであるため、雫の背筋に恐怖が走る。

「薄影さん。那由のところに案内していただけないかしら?」

「それは――ご覧になられない方がよろしいかと」

由貴子は小さく息を吐いた。

「わたし、誰かに命令をすることが嫌いなのよね。ご存知も知れないけれども、わたしの家には使用人がたくさんいるの。使用人というのは仕えている人の命令をきかないといけないでしょう。それが子供の思い付きであっても。だからわたしは、命令というものを可能な限り自制しているのだけれども――」

那由が聞いたらあきれ顔と共にためいきをつきそうな言葉を区切ると、由貴子は表情を改めた。

笑みが消える。

「薄影。案内しなさい」

「は、はい!」

巨大ななにかに抑え込まれたかのように薄影の頭が下がった。

「ご案内……いたします」

「ありがとう」

由貴子の顔に再び笑みが浮かぶ。薄影の背に続き歩き出そうとして、由貴子は自分が室内で靴を履いていることに気付いた。

「あら、いけない。お行儀がわるかったわね、わたし。ごめんなさいね。あとでお掃除にくるわ。静久さん、あなたはどうするかしら? 一緒にいらっしゃる」

行きたくない。

薄影が殺したというからには、月の姫の横にいたあの少女は本当に殺されたのだろう。そこにいた妖魔たちに。そして、彼女をそこに送り込んだのは、雨の姫の力――つまり、自分自身である。

だから。
だからこそ。

「はい」

静久は立ち上がった。

「静久様――」

いさめる、というよりも留まることを命じる薄影の言葉が聞こえた。だが、聞こえただけである。その言葉にはもはや以前のような力はない。

自分自身の力によって結んでしまったつながりはもはや切れている。

仮面の鬼が動揺するのがわかった。それを無視して静久は月の姫に話しかけた。

「お供いたします。由貴子様」
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