錆びた指先。~大人なあんたとガキの俺の二重奏~

かたらぎヨシノリ

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四枚目、これが大人とガキに与えられたラストチャンス。

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     ♯

「聞いた聞いた? ビッグニュースよねぇ! 鳴海ちゃん~! すっごい、あたし、あたし自分のことじゃないのにこんなに興奮したの初めてなんだけど」

 世田谷の外れにあるビルの五階。事務所の扉を開くとマネージャーの菅元が満面の笑みで出迎えてくれた。まだ若い菅元は俺よりも二つ年上なだけで、この業界のキャリアは俺とさほど変わらない。

「ビッグニュース?」
「そうよぅ。伝言聞いたんでしょ、あたし興奮しちゃって最後まで入んなかったから何回も吹き込んじゃったけどさ」
「……ああ、ごめん。聞いてないです」
「ええぇえ!! ……じゃ、もしかして奈義くんもまだ聞いてないのかしら」
「……奈義? 聞いてないって、事務所に来てないんですか」
「そうなのよぅ。てっきりあたしも鳴海ちゃんと二人で来ると思ってたんだけどね……さっきも携帯に電話したの。でも全然連絡取れなくて困ってるのよねぇ~。先方の都合もあるし、いつまでも社長とのお話じゃあちらも退屈だろうしね」
「ん? 社長、来客中?」

 ちらりと事務所の奥の社長室のドアに目をやる。確かに向こうからは人の気配がした。

「そうそう、鳴海ちゃんもちゃんと挨拶しないと! うちの事務所にとってもあなたたちジゼルにとっても大事なお客様なんだから!!」

 菅元のちっさい体の中のどこににそれだけ有り余っているんだと思うくらいの力で、腕をぐいぐいひったくられ、俺は抗う暇もなかった。菅元が社長室のドアをノックする。

「……ちょ、待ってっ」
「社長~菅元ですけど、今鳴海ちゃん来たんで入っていいですよねぇ」
「鳴海? 馬鹿スガ! さっさと入りなさい!」

 キツい罵声に俺は首を竦めるが、菅元は随分慣れてしまったようで、笑いながらドアを開けた。

 「し、失礼しますぅ、ほら、鳴海ちゃんも!」

 半ば無理矢理社長室に引きずり込まれ、頭を押さえ付けられる。ぐき、と俺の首が嫌な音を立てるが菅元は構わず社長室のソファのとこに俺を引っ張っていく。よくわからないが、なぜだか菅元はいつになく興奮しているようだった。
 ライブ前とレコーディング前の時も菅元はこんな興奮状態になるのをぼんやりと思い出す。クビになったら菅元とも離れるんだと考えたらやっぱり寂しかった。……少しだけだけど。

「……遅くなりまして本当に申し訳ないです。これがジゼルの鳴海です。鳴海、ちゃんと挨拶して」

 ようやく菅元の腕を振り払い、俺は社長と向かい合わせにソファに座った人物に今度は自分から頭を下げる。

「――榊、鳴海です。よろしく」

 なんで辞める人間が知らない奴に挨拶してんだろう、と不思議に思いながら、顔を上げたら奇妙な違和感があった。
 黒髪を後ろでくくった男は柔らかい笑みを浮かべて俺を見ていた。切れ長の眼は澄んだ蒼空の青。日本人離れの彫りは外国の匂いがした。

「こちらこそよろしくね、鳴海くん」

 ゆっくりと立ち上がった男は背が高く、痩せてはいたがもやしみたいな俺とは違って、がっしりとしていた。男は大きな手を差し出して、握手を求めて来た。
 しかたなく俺も手を出して握手をする。

(……あ)

 手を触ってわかった。この人、音楽をやっている。指先が弦を弾き込んで固くぼろぼろになっていた。

(奈義とおんなじ)

 マメが出来て潰れて皮膚が固くなって、痛みを堪えた先に生まれる音楽。簡単に出来そうで簡単に辿り着けない高み。そういうものが染み付いた、指先だった。

「ね、どうしてジゼルが売れないのかわかる?」

 男が突然切り出した。意図がわからなくて俺は男の顔を見上げる。……既視感。

「君の歌聴かせてもらったよ。よかった。でも売れてないのなんでか君分かってるでしょ」
「ツチヤ先生! 急に何をおっしゃるんですか」
「黙ってて、泉さん。……ね、鳴海くん。君は、君にしか出来ないことをするしかないんだよ」
「俺にしかできないこと……?」

 なにを言い出すんだろう、この人は。

(ジゼルが売れない理由? そんなこと、俺が一番知ってる――!)

 滅多に揺らがない感情が、この時ばかりは激しくマイナスの方に動いた。不快感と苛立ち。正論に立ち向かえない弱い自分に対しての怒り。

(でも、そんなの初対面の相手になんで責められなきゃいけないの!? 社長にだったら、わかるけど――)

 俺は手を振りほどいて拒絶をあらわにする。一刻も早くこの場所から逃れたかった。この男と同じ空気なんて吸いたくない。

「心を伴わない歌は歌とはいわないんだよ」

 男の言葉が、俺を貫いた。
 カッ、と頭に血が上るのと体の下にストンと血が落ちるのが同時で俺は何がなんだかわからなくなる。
 何もかもわかったような男の態度に俺は恐怖した。がくがくとみっともなく体が震え、菅元が慌てて俺の肩を抱いた。

「だ、大丈夫? 鳴海ちゃん……っ」

 大丈夫なわけがない。優しい奈義の忠告でさえ俺は傷つくくらい脆い豆腐メンタルなのに大丈夫なわけがなかった。
 でも平気な顔をしなければ。
 嫌な相手だけど、こいつは事務所にとっても大事なお客様なんだ。
 なら、奈義にとってもそうだろう。
 俺一人のわがままで相手の気分を害するのは避けなくては。
 俺は、もう子供じゃないんだから。
 真正面からの批判にも耐えれるだけの分別は持ってる。どれだけ傷ついても平気な振りは出来る。

「ツチヤ先生! うちの鳴海を苛めないでちょうだい。これから一緒に仕事をしていくっていうのに……!」
「ああ、すみません。言いたいことはすぐに言っちゃう質なんですよ。僕。……それであの子も傷つけちゃったんだっけ。うん、鳴海くん? ごめんね、本当のこと言い過ぎたね」

 ごめんなさい、と頭を下げる。
 その際も社長にグチグチ文句を言われて男はへらりと笑っていた。
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