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第2章
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「お前は、私がこのブランシュに産ませた子だ。あれは、国王陛下の姪であるギーゼラとの婚約が決まった頃のことだった。私はあの可愛いブランシュと若く儚い恋を楽しんだが、今思えば、親の決めた婚約に嫌気がさしていただけなのかもしれない」
伯爵は懐かしむような瞳をしている。
「私とブランシュの間には男の子が生まれた。それがお前だ。このままではいけないと思った父は、フェリクスに多額の金を握らせ、ブランシュと共にこのブランギットから追いやった。……彼女は産後の回復が思うようにいかず、3年ほどして死んだらしい。
そして、同じ年にハンスが生まれたのだ。跡を継ぐべき血筋を持つ者のほうが遅く生まれたのは、運が悪かったとしか言えないだろうな」
「跡を継ぐべき血筋……」
「あぁ、そうだ。この格式高いリューネブルク伯爵家の当主がただの豪商の娘に産ませた子だと知れたら、領民からの信頼はどうなる?受け継がれてきたこの品格は?王侯貴族のみで紡がれたこの血を汚すことができようか?」
いつの間にかカーテンは元に戻され、ブランシュの肖像画は隠れてしまっていた。
「ヴィーツ、お前にこのリューネブルク伯爵位を譲ることは出来ない」
思いもよらない宣告だった。思わずヴィーツは言い返す。
「け、けれどお父様、僕はこのリューネブルク家の継嗣として今まで過ごしてきたじゃありませんか」
「…私はもともと、お前には家を継がせないという父との約束でお前を手元に置いた。私の血を引いたものがただの豪商のもとで成長するのは耐えられなかったのだ。それに、同じ年に生まれたのだ、ハンスに跡を継がせたっていいだろう。あいつのほうがずっと出来もいい」
この人は、伯爵家当主として貴い血筋を守れるのならば、実の息子にこんなことも言えるのか……。
ヴィーツはあいた口が塞がらなかった。こんな身勝手な話はない。もともと権力などにそこまで固執するほどの興味がなかったとはいえ、突然跡継ぎの座から落とされたとなると話は違う。
「申し訳ないが、適当な婚約相手でも見つけてやるから、どこかの貴族の婿養子にでもなるといい。金は持たせてやる、困ることはないだろう」
かなり昇ってきた陽が斜めに差し込み、ライン伯爵の表情に影を作る。その凍ったような青い目からはなんの感情も読み取れず、ただ貴族らしいともいえる排他的な冷たさばかりがにじみ出ていた。
「話はこれで終わりだ。今日は部屋に戻ってなにかお前の好きな本でも読んでおけ。…お前の母親も文学が好きだったからな」
そう言い捨てると、彼は何も言えずにいる息子をそのままにして奥に続くさらに個人的な間へと姿を消した。あとには立ち尽くすヴィーツだけが残される。もう何も考えられるようなことは無い。溢れ出す涙もそのままに、彼は父の部屋をあとにした。
部屋に戻った黒髪の少年は、流れる涙にかまうことなく寝台に突っ伏していた。実の母親なのだからと自分に言い聞かせて今までで馴染もうとしてきたギーゼラが、まさか血のつながりのない他人だとは思わなかった。自分だけが透き通る金髪を持たない理由がこのようにしてわかるなんて、なんと皮肉なものだろうか。リューネブルク家に祝福される者には似なかったこの黒髪を、ヴィーツは心から憎んだ。血筋を露骨にあらわすこの髪と、実母によく似たエメラルドの瞳。
(僕はもう、お父様にも、伯爵家にも、ブランギットにもレーヴェン王国にも、誰にも必要とされていないんだ)
心の中でつぶやいた。柔らかく濡れて艷めく深い緑の瞳が、初春の陽光に照らされて少し尖った光を返す。いつもなら妖精の微笑みを思わせるその光も、今ばかりは涙に暮れた天使の瞳のようだった。
「ねえマリー、僕は少し散歩に行ってくるから、帰りが遅くなっても気にしないでね」
どこか陰のある面差しでメイドに告げる。ヴィーツは貴族の子息らしいシャツと半ズボンの上に深い紺色の洒落たマントを羽織り、本を3冊ほど籠に入れてシュトレーンの城を出た。高価そうな金のボタンにはリューネブルクの紋章が輝いている。足どりは重い。朗らかに賑わう城下町を抜け、ヴィーツは深い森へと向かった。
ヴィーツはひとりになりたいとき、いつも森へ行く。森と文学は、孤独な貴族に生まれた彼にとっての唯一の友人とも言えた。昼間でも薄暗い森の中、優しく、それでいて清冽な風に心を洗われながら読む詩文はいつにも増して胸に染み入る。ヴィーツにとっては何より温かく感じられる大樹に背を預けて本に向かえば、目の前の嫌な現実は全て消え去っていった。表では煌びやかな装いをした貴族たちの暗く汚い裏の顔も、そして血筋に固執した古い慣習に縛られる現実も。
今日もヴィーツは、お気に入りの樹にもたれて本を開いた。なめらかな紙に指を滑らせてゆっくりとページをめくる。行儀良く並んだ黒い文字を空想への翼に代えて、別世界に夢中になれるこの瞬間が何より好きだった。
しかし、いつものようにその瞬間を楽しもうとしたとき、ヴィーツの視界の隅に見慣れないものが見えた。木々しか見えないはずのその方向には、何故か小さな屋敷があった。お伽噺に出てくるような、真っ赤な屋根に煙突がついた家。自分の住む城から考えれば、本当に小さな小さな家だ。壁に絡みつく蔦も門に茂った見たことのない花たちも、全てがヴィーツの知らないものだった。彼は気づけば本を閉じ、好奇心の赴くままにその屋敷へと足を向けていた。木の葉を通り抜けて射し込む光が行く手を阻むかのようにその黒髪をくすぐるが、まるでそんなことには気づかないかのように、美しい黒髪の少年はその屋敷との距離を縮めていく。ただそれを、何も言わない木々たちが見送っていた。
伯爵は懐かしむような瞳をしている。
「私とブランシュの間には男の子が生まれた。それがお前だ。このままではいけないと思った父は、フェリクスに多額の金を握らせ、ブランシュと共にこのブランギットから追いやった。……彼女は産後の回復が思うようにいかず、3年ほどして死んだらしい。
そして、同じ年にハンスが生まれたのだ。跡を継ぐべき血筋を持つ者のほうが遅く生まれたのは、運が悪かったとしか言えないだろうな」
「跡を継ぐべき血筋……」
「あぁ、そうだ。この格式高いリューネブルク伯爵家の当主がただの豪商の娘に産ませた子だと知れたら、領民からの信頼はどうなる?受け継がれてきたこの品格は?王侯貴族のみで紡がれたこの血を汚すことができようか?」
いつの間にかカーテンは元に戻され、ブランシュの肖像画は隠れてしまっていた。
「ヴィーツ、お前にこのリューネブルク伯爵位を譲ることは出来ない」
思いもよらない宣告だった。思わずヴィーツは言い返す。
「け、けれどお父様、僕はこのリューネブルク家の継嗣として今まで過ごしてきたじゃありませんか」
「…私はもともと、お前には家を継がせないという父との約束でお前を手元に置いた。私の血を引いたものがただの豪商のもとで成長するのは耐えられなかったのだ。それに、同じ年に生まれたのだ、ハンスに跡を継がせたっていいだろう。あいつのほうがずっと出来もいい」
この人は、伯爵家当主として貴い血筋を守れるのならば、実の息子にこんなことも言えるのか……。
ヴィーツはあいた口が塞がらなかった。こんな身勝手な話はない。もともと権力などにそこまで固執するほどの興味がなかったとはいえ、突然跡継ぎの座から落とされたとなると話は違う。
「申し訳ないが、適当な婚約相手でも見つけてやるから、どこかの貴族の婿養子にでもなるといい。金は持たせてやる、困ることはないだろう」
かなり昇ってきた陽が斜めに差し込み、ライン伯爵の表情に影を作る。その凍ったような青い目からはなんの感情も読み取れず、ただ貴族らしいともいえる排他的な冷たさばかりがにじみ出ていた。
「話はこれで終わりだ。今日は部屋に戻ってなにかお前の好きな本でも読んでおけ。…お前の母親も文学が好きだったからな」
そう言い捨てると、彼は何も言えずにいる息子をそのままにして奥に続くさらに個人的な間へと姿を消した。あとには立ち尽くすヴィーツだけが残される。もう何も考えられるようなことは無い。溢れ出す涙もそのままに、彼は父の部屋をあとにした。
部屋に戻った黒髪の少年は、流れる涙にかまうことなく寝台に突っ伏していた。実の母親なのだからと自分に言い聞かせて今までで馴染もうとしてきたギーゼラが、まさか血のつながりのない他人だとは思わなかった。自分だけが透き通る金髪を持たない理由がこのようにしてわかるなんて、なんと皮肉なものだろうか。リューネブルク家に祝福される者には似なかったこの黒髪を、ヴィーツは心から憎んだ。血筋を露骨にあらわすこの髪と、実母によく似たエメラルドの瞳。
(僕はもう、お父様にも、伯爵家にも、ブランギットにもレーヴェン王国にも、誰にも必要とされていないんだ)
心の中でつぶやいた。柔らかく濡れて艷めく深い緑の瞳が、初春の陽光に照らされて少し尖った光を返す。いつもなら妖精の微笑みを思わせるその光も、今ばかりは涙に暮れた天使の瞳のようだった。
「ねえマリー、僕は少し散歩に行ってくるから、帰りが遅くなっても気にしないでね」
どこか陰のある面差しでメイドに告げる。ヴィーツは貴族の子息らしいシャツと半ズボンの上に深い紺色の洒落たマントを羽織り、本を3冊ほど籠に入れてシュトレーンの城を出た。高価そうな金のボタンにはリューネブルクの紋章が輝いている。足どりは重い。朗らかに賑わう城下町を抜け、ヴィーツは深い森へと向かった。
ヴィーツはひとりになりたいとき、いつも森へ行く。森と文学は、孤独な貴族に生まれた彼にとっての唯一の友人とも言えた。昼間でも薄暗い森の中、優しく、それでいて清冽な風に心を洗われながら読む詩文はいつにも増して胸に染み入る。ヴィーツにとっては何より温かく感じられる大樹に背を預けて本に向かえば、目の前の嫌な現実は全て消え去っていった。表では煌びやかな装いをした貴族たちの暗く汚い裏の顔も、そして血筋に固執した古い慣習に縛られる現実も。
今日もヴィーツは、お気に入りの樹にもたれて本を開いた。なめらかな紙に指を滑らせてゆっくりとページをめくる。行儀良く並んだ黒い文字を空想への翼に代えて、別世界に夢中になれるこの瞬間が何より好きだった。
しかし、いつものようにその瞬間を楽しもうとしたとき、ヴィーツの視界の隅に見慣れないものが見えた。木々しか見えないはずのその方向には、何故か小さな屋敷があった。お伽噺に出てくるような、真っ赤な屋根に煙突がついた家。自分の住む城から考えれば、本当に小さな小さな家だ。壁に絡みつく蔦も門に茂った見たことのない花たちも、全てがヴィーツの知らないものだった。彼は気づけば本を閉じ、好奇心の赴くままにその屋敷へと足を向けていた。木の葉を通り抜けて射し込む光が行く手を阻むかのようにその黒髪をくすぐるが、まるでそんなことには気づかないかのように、美しい黒髪の少年はその屋敷との距離を縮めていく。ただそれを、何も言わない木々たちが見送っていた。
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