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虫の知らせ
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誰かに呼ばれたような気がして、ふとミトンを持ち上げた手を止めた。
ルフナが試験の為に家を空けてから今日で五日になる。
夕食を済ませて、今は明日の朝食用と手ならしにホワンシフォンを作っている最中だった。
ホワンシフォンはハンドミキサーがあれば一時間くらいで簡単に作れてしまう。
まずはエクイラの卵を卵黄と卵白に分けて、卵白は使うまで冷蔵庫へ。
ハンドミキサーで卵黄と砂糖を白っぽくなるまで混ぜて、植物油とホルクーの乳、一つまみの塩を混ぜ合わせておいたものを加えた後、米粉も入れてゴムベラでよく混ぜる。
別のボウルに冷やしておいた卵白と砂糖を三回に分けて入れながらハンドミキサーで角が立つまでしっかりと泡立てたら、卵黄の方の生地に1/3量を入れる。
ゴムベラに持ち替えてしっかり混ぜ合わせたら残った2/3量の卵白の中に生地を移し入れ、底から掬い上げるようにしてゆっくりと混ぜていく。
卵白の塊がなくなったらシフォン型に流し込んで表面をゴムベラでならし、軽く持ち上げて落とすのを2~3回繰り返して170℃に予熱したオーブンで30~40分程度焼く。
焼き上がった生地を竹串で刺して中まで焼けたことを確認して、オーブンから取り出そうとした矢先のことだった。
あとは逆さまにして、型の中央の穴にビンの先を通して固定した状態で冷ましたら、完成。
……なのだけれど。
なんとなく、焼き上がったこのシフォンは食べられないような気がした。
案の定、シフォンケーキの粗熱が取り切れる前に来客があった。
明らかに騎士の格好をした男性達が玄関に詰め掛けている。
念の為に服を外出用に着替えておいて正解だった。
「ルフナの母君ですね?私は王国軍第一騎士団所属のコストルと申します」
黄土色に近い金髪に琥珀色の目をした騎士が一歩前に出て名乗り出た。
彼がルフナの敬愛する騎士……。
いつかお会いしたいとは思っていたけれど、こんな形で顔を合わせることになるとは思わなかった。
「こんばんは、コストル様。このような時間にみなさんでお越しになるなんて、何事でしょう?」
「単刀直入に申し上げますと、ルフナが窃盗容疑で捕まりました。あなたにも共同正犯の容疑がかかっています。ご同行願えますか」
嫌な予感がしたとは思ったけれど、まさかルフナが逮捕されるだなんて。
予想もしない事態に息を呑む。
あのルフナが盗みを働いたなんて信じられない。
「どういう…ことでしょう……?まだ入隊試験の最中では…?」
「はい、試験は続いています。彼はこちらの判断で棄権としました。その際に盗品を所持しておりましたので身柄を拘束したのです」
「棄権…?!何があったのですか?ルフナは無事なのですか?いったい何を盗んだというのです?」
まさか樹海で魔物に襲われて、大怪我をしたのだろうか。
あのお守りを身に付けていれば絶対に大丈夫だと思ったのだけれど…。
「……心当たりはありませんか?」
「ええ……。ですのでとても驚いています」
心当たりなんてあるはずがない。
人様のものを欲し、ましてや奪い取るような真似をすれば、神々は絶対にその魂をお許しにならない。
罪の大小や生死に関わらず、魂は必ずその代償を求められる。
そう神殿で教え込まれてきたし、ルフナにも幼い頃から言い聞かせてきた。
もし窃盗が本当のことだったとしても、きっとそうする以外にどうしようもできない事情があったはず。
私にも容疑がかかっているということは、私がまたお店のことで恨みを買って、ルフナも巻き込まれてしまった可能性が高い。
「とにかく、すぐに私をお連れ下さい。事情はわかりませんが、私が行かなければ解決にはならないでしょうから…」
「…抵抗しないのですね」
「抵抗してもその分時間が過ぎるだけですもの。無益なことはしたくありません。すぐに参りましょ…」
「指輪、ですよ」
溜息の後に吐き出された言葉に目を見開く。
「国宝に指定された加護の指輪です。数十年前に紛失したとされていたその指輪を、ルフナが持っていました」
「指輪……」
それは間違いなく私がルフナに渡したお守りだろう。
できるだけ人目に触れないよう、服の下に隠せるように組紐を長く編んで首から下げさせていた。
あれが誰かの目に留まったということは、ルフナは何らかの原因で身動きの取れない状況に追い込まれていたか、組紐が切れて指輪が抜け落ちてしまったかのどちらかだ。
ルフナが自らお守りを人に見せびらかすようなことをするとは思えない。
それを聞いてなんとなく、この事件の全容がわかったような気がした。
あのお守りが原因であれば尚の事、私が行かなければならない。
「そういうことでしたら、ルーフェナハトは冤罪です。あれは私が息子に渡した、私の指輪です」
「……あなたの?」
「お疑いでしたら私を早く彼の元へお連れ下さい。私は神に誓って、嘘は申しませんわ」
私は胸を張って、猜疑(さいぎ)に満ちた青年の視線をまっすぐに射抜き返した。
ルフナが試験の為に家を空けてから今日で五日になる。
夕食を済ませて、今は明日の朝食用と手ならしにホワンシフォンを作っている最中だった。
ホワンシフォンはハンドミキサーがあれば一時間くらいで簡単に作れてしまう。
まずはエクイラの卵を卵黄と卵白に分けて、卵白は使うまで冷蔵庫へ。
ハンドミキサーで卵黄と砂糖を白っぽくなるまで混ぜて、植物油とホルクーの乳、一つまみの塩を混ぜ合わせておいたものを加えた後、米粉も入れてゴムベラでよく混ぜる。
別のボウルに冷やしておいた卵白と砂糖を三回に分けて入れながらハンドミキサーで角が立つまでしっかりと泡立てたら、卵黄の方の生地に1/3量を入れる。
ゴムベラに持ち替えてしっかり混ぜ合わせたら残った2/3量の卵白の中に生地を移し入れ、底から掬い上げるようにしてゆっくりと混ぜていく。
卵白の塊がなくなったらシフォン型に流し込んで表面をゴムベラでならし、軽く持ち上げて落とすのを2~3回繰り返して170℃に予熱したオーブンで30~40分程度焼く。
焼き上がった生地を竹串で刺して中まで焼けたことを確認して、オーブンから取り出そうとした矢先のことだった。
あとは逆さまにして、型の中央の穴にビンの先を通して固定した状態で冷ましたら、完成。
……なのだけれど。
なんとなく、焼き上がったこのシフォンは食べられないような気がした。
案の定、シフォンケーキの粗熱が取り切れる前に来客があった。
明らかに騎士の格好をした男性達が玄関に詰め掛けている。
念の為に服を外出用に着替えておいて正解だった。
「ルフナの母君ですね?私は王国軍第一騎士団所属のコストルと申します」
黄土色に近い金髪に琥珀色の目をした騎士が一歩前に出て名乗り出た。
彼がルフナの敬愛する騎士……。
いつかお会いしたいとは思っていたけれど、こんな形で顔を合わせることになるとは思わなかった。
「こんばんは、コストル様。このような時間にみなさんでお越しになるなんて、何事でしょう?」
「単刀直入に申し上げますと、ルフナが窃盗容疑で捕まりました。あなたにも共同正犯の容疑がかかっています。ご同行願えますか」
嫌な予感がしたとは思ったけれど、まさかルフナが逮捕されるだなんて。
予想もしない事態に息を呑む。
あのルフナが盗みを働いたなんて信じられない。
「どういう…ことでしょう……?まだ入隊試験の最中では…?」
「はい、試験は続いています。彼はこちらの判断で棄権としました。その際に盗品を所持しておりましたので身柄を拘束したのです」
「棄権…?!何があったのですか?ルフナは無事なのですか?いったい何を盗んだというのです?」
まさか樹海で魔物に襲われて、大怪我をしたのだろうか。
あのお守りを身に付けていれば絶対に大丈夫だと思ったのだけれど…。
「……心当たりはありませんか?」
「ええ……。ですのでとても驚いています」
心当たりなんてあるはずがない。
人様のものを欲し、ましてや奪い取るような真似をすれば、神々は絶対にその魂をお許しにならない。
罪の大小や生死に関わらず、魂は必ずその代償を求められる。
そう神殿で教え込まれてきたし、ルフナにも幼い頃から言い聞かせてきた。
もし窃盗が本当のことだったとしても、きっとそうする以外にどうしようもできない事情があったはず。
私にも容疑がかかっているということは、私がまたお店のことで恨みを買って、ルフナも巻き込まれてしまった可能性が高い。
「とにかく、すぐに私をお連れ下さい。事情はわかりませんが、私が行かなければ解決にはならないでしょうから…」
「…抵抗しないのですね」
「抵抗してもその分時間が過ぎるだけですもの。無益なことはしたくありません。すぐに参りましょ…」
「指輪、ですよ」
溜息の後に吐き出された言葉に目を見開く。
「国宝に指定された加護の指輪です。数十年前に紛失したとされていたその指輪を、ルフナが持っていました」
「指輪……」
それは間違いなく私がルフナに渡したお守りだろう。
できるだけ人目に触れないよう、服の下に隠せるように組紐を長く編んで首から下げさせていた。
あれが誰かの目に留まったということは、ルフナは何らかの原因で身動きの取れない状況に追い込まれていたか、組紐が切れて指輪が抜け落ちてしまったかのどちらかだ。
ルフナが自らお守りを人に見せびらかすようなことをするとは思えない。
それを聞いてなんとなく、この事件の全容がわかったような気がした。
あのお守りが原因であれば尚の事、私が行かなければならない。
「そういうことでしたら、ルーフェナハトは冤罪です。あれは私が息子に渡した、私の指輪です」
「……あなたの?」
「お疑いでしたら私を早く彼の元へお連れ下さい。私は神に誓って、嘘は申しませんわ」
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