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修羅場の誕生日パーティー

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私は目の前が真っ暗になりそうになるのを、必死で堪えました。
その日の夜は猜疑心と悲しみとで全く眠れませんでした。
公子が私と会わない間に家族の目の届かない職場で他の女性と親密な関係になっていただなんて、ひどく裏切られた気持ちでした。
気持ちが落ち着いたのは、夜が明けようとしている頃でした。
少しだけ冷静さを取り戻した私は、先程の話がヴェロニカ嬢のお姉様の勘違いかも知れない…と思うようになりました。
そうでなければ、私に何か一言あっても良いと思ったのです。
ルーイン様のご実家に伺えば、カスティーリ公爵家の皆様はいつも通り温かく迎えて下さいます。
幼い頃から親しくしてきましたので、夫人もご兄妹も家族のように接してくださるのです。
もしルーイン公子がこの婚約に不満を持っていると知っているのならば、私の年齢のことも考慮すれば、夫人も母も好き同士でない子ども達を無理矢理結婚させようなどとは考えないはずです。

(次の休暇に賭けてみよう…。次の休暇でもお会いできなかったら、心を決めましょう…)

そう考えて、私は一旦ルーイン公子を疑うことを止めました。
お手紙もひと月に一度からふた月に一度に減らし、次の休暇の日程も事前にお知らせしました。
フィニッシングスクールを入学してから、公子にはお会いしていません。
この冬で丸2年です。
公子が貴族学校に通っている頃でも月に一度は顔を会わせていましたので、こんなに長い間お会いしないことはありませんでした。
公子は平気なのでしょうか…?

(私は、寂しいです…)

そんな私の思いも空しく、今回も公子が公爵邸に帰って来ることはありませんでした。

冬の休暇を終えて、寮に戻って来たその日の夜。
いつものように、ヴェロニカ嬢、アリアンナ嬢、ナタリア嬢と恒例の楽しいお茶会が始まりました。
そこで私は、衝撃的なことを耳にします。

「休暇の間に、ルーイン公子が家に挨拶にいらっしゃったの!一緒に夕食をいただいたのだけれど、とっても気さくで気遣い上手な方でしたわ。お姉様とは休日に王都でデートをしたり、夏には2人きりで南に旅行にも行ったのですって。結婚も真剣に考えているから、お付き合いを許して欲しいとお父様に頭を下げていたわ。婚約者のことは心配しなくて大丈夫だと、私の前でお姉様にはっきりお約束してくださったの!きっと結婚もすぐに決まると思うわ!」

はしゃいだ雰囲気の中、私は平静を取り繕うのに必死でした。
先程までの、アリアンナ嬢と伯爵子息がお付き合いを始めたお話や、ナタリア嬢の初めてのお見合い話のほっこりとした気持ちは、一瞬にしてどこかに消え失せてしまいました。

(休日に…王都で、デート?)

私は公子とデートなどしたことがありません。
お会いするのはいつもどちらかの家の応接間で、室内には必ず家の者や使用人がおりました。
いくら婚約しているからといっても、男性と未婚の女性をふたりきりにさせないというのは、女性に対する礼義であり当然の配慮です。

(夏に、旅行…?)

もちろん公子と旅行したこともございません。
旅行ができるということは、何日かまとめてお休みを取ることもできるのですね。よかったです。

(ふたりきり、で…)

年頃の男女がふたりきりで外泊するということが、どういうことか公子が知らないはずはありません。
私は旅行どころか、公子とふたりきりで過ごしたことなど一度もないですが。
ということはヴェロニカ嬢のお姉様と日にちを合わせて休暇を申請したということですね。なるほど。

(シーフォニル侯爵に結婚のご挨拶…)

正式なお付き合いをするならば、ご両親にお許しを請うことは当然のことですね。
これだけふたりきりで過ごされているのなら少し遅い気もしますが…。
ご挨拶はご旅行に行く前になさった方がヴェロニカ嬢のお姉様への誠実さがより伝わって、心象はもっと良くなったかと思います、公子。

(婚約者のことは、心配しなくてもいい…?)

ああ、そうでした。公子には婚約者がいたのですものね。
婚約者がいる手前、旅行やデートはお忍びで、シーフォニル侯爵にも秘密にしていたのでしょう。
何せカスティーリ家の皆様もご存知ないご様子でしたから。
ところで「心配しなくてもいい」というのはどういう意味ですか、公子。
婚約者わたくしは何も聞いていないのですが…。



プツン。



と、私の中で何かが切れた音がしました。
そうして、私は決めたのです。
フィニッシングスクールを卒業したら、ルーイン公子との婚約を解消しよう、と。
そしてもう二度と男性に心を乱されることのないよう、修道女になり社会奉仕に一生を捧げる。
3年もの間、家を一軒建てられる程の授業料を支払ってまで花嫁修業をさせてくれた両親にはとても申し訳ないですが、私が強く望めば反対はしないはず。
ルーイン公子も、母親に決められた好きでもない婚約者と婚約を解消できて喜ぶに違いありません。
…そう、思っていたのに。


(なぜそんなに驚くの…?)


3年ぶりに会えた公子に「お祝いに何か欲しいものはあるか?」と聞かれたので、これ幸いにと「破談にしたい」と答えたら、公子は石のように固まってしまいました。
『破談』という穏やかではない言葉が聞こえたのでしょう、お父様もお母様も皆、談笑を止めて私達に注目し始めました。

「ちょっと待ってくれ…、突然で、その……冗談だろう…?」

公子は困ったように笑いかけてきました。
返事をしないでいると、私が本気だということをその視線で悟ったのか公子は動揺を隠そうと手のひらで口元を覆い隠しました。

「……」
「お認めいただけないのですか? 先程、欲しいものなら何でもいいとおっしゃったではありませんか」
「確かに言ったけど…。こんな時に『破談したい』なんて、まさか言われるとは思わなくて…」

私は以前から、学校を卒業してグラスフィーユ邸に戻った翌日――つまり明日から、カスティーリ公爵のお屋敷で暮らし、1年後に入籍、同日に結婚式を挙げる予定になっていました。
そう思うと公子が驚くのも当然のタイミングだったかも知れません。
これは事前に私の両親やカスティーリ公爵夫妻に相談しておくべきでした。
今となっては後悔先に立たずですが…。
お二人には翌日にでもお時間をいただいて、しっかり謝罪をさせていただこうと思います。
もしかして公子がこんなにも驚いているのは、自分から言い出す前に私から提案されたからでもあるのでしょうか。
きっとそうに違いないです。

「そうですか? 公子にはお心当たりがあるのではないですか?」

私は確たる自信を込めて言いました。
こう言えば彼はきっと狼狽して、どうして知っているんだ…といったふうに視線で訴えてくるだろう、と。
けれど予想は外れました。
公子は明らかに困惑の色を浮かべて、「心当たり…?」と首を傾げています。

(しらを切るつもりね…)

私の婚約者は相当なペテン師のようです。
怒った私は、この2年間ヴェロニカ嬢から聞いた全てのことを話すことにしました。
本当はこの場で――彼の両親も自分の両親も揃った、私の卒業兼誕生日祝いの食事会というおめでたい席で、このような話をしたくはありませんでしたが…公子がそのような態度をとられるのであれば仕方がありません。

「寮で同室だったご令嬢が、帰省のお土産話によく公子のお話を聞かせて下さったのです。宰相の補佐官となられたカスティーリ公子は大変優秀で、容姿端麗な上に紳士的で優しく、王宮に勤める女性やお茶会に集うご令嬢達の憧れの的になっている、と」
「……?」
「そんな公子には、親密にしている女性が1人いらっしゃるそうです。もちろん、私のことではございません。公子とその女性はとても仲睦まじいご様子で、王都をふたりきりで散策なさったり、ご自身の執務室に招き入れてふたりきりでお過ごしになられたり、休日にはふたりきりでご旅行をなさったり。既に結婚のお約束もされていて、昨年頃からその女性のお屋敷で一緒に食事をすることも増え、順調に愛をはぐくまれているご様子だと申しておりました」
「それは本当なの、ルーイン?!」

悲鳴とも怒号とも言える大声が、グラスフィーユ邸の応接室に響き渡ります。
声を上げたのはカスティーリ公爵夫人――公子のお母様です。
夫人は今にも倒れそうな青い顔をしています。

「貴方わかっているの…?
リタちゃんは貴方のために、3年間も家族と離れて必死でお勉強してきたのよ?それなのに…リタちゃんが頑張っている間に、他の女性と仲良くしていたですって?リタちゃんという可愛い婚約者がありながら?それが本当なら…本当なら……即、刻!勘、当!です!!!」
「勘当は言い過ぎよ、オディール…」

激昂するカスティーリ夫人を宥めたのは私の母、マリーナ・グラスフィーユ夫人です。

「その話は本当なのか、ルーイン」

興奮から瞳を潤ませ、肩で息をする妻の背にそっと手を触れながら、カスティーリ公爵が冷静に息子に問いかけます。
その息子、ルーイン公子はというと…先程から茫然としているばかりで釈明しようともしません。

(これは、黒、か…?)

その場に居合わせた、冷静を失ったオディール夫人以外の皆様方が心の中で『噂は真実である』と結論を出しかけているのがわかりました。
私も勿体ぶるつもりはございません。早々に止めを刺させていただきます。

「私にこのことを教えてくれた同室のご令嬢は、公子がお付き合いをされているオーロラ・シーフォニル公女の妹君、ヴェロニカ公女です」

オーロラ・シーフォニル。
その名前には、この場にいる方々なら誰しも聞き覚えがあるはずです。
外交官であるシーフォニル侯爵の長女で、多忙な宰相付きの女官に選ばれた優秀な女性。
女官としての能力も容姿も申し分ないと、王宮を訪れたことのない私でさえ知っています。
補佐官の公子とは年も同じで、職場で毎日顔を合わせる間柄でもありますから、親密になるのも容易い関係です。

(これは、黒、だな…)
(これは、黒、ね…)

誰もがそう結論を出し、憐れみや軽蔑のこもった視線を公子に送ります。
そこでようやく放心状態だった公子が我を取り戻しました。

「ちょっと、待ってくれ。オーロラ嬢とは何もない。君の誤解だよ」
「私はオーロラ公女の妹君からお話を聞いたのですよ。姉に親しくしている男性ができた、と。父君であるシーフォニル侯爵にご挨拶も済ませ、結婚も秒読みだと喜んでいました。ルーイン公子には親に決められた婚約者がいるようですが、全く上手くいっていないので心配いらないそうです」
「誰がそんな勝手なことを…!」

公子が珍しく苛立たしげに声を荒げました。
けれどすぐに、「ああ、オーロラ嬢の妹君だったか…」と冷静に自問自答します。
そして深い溜め息をひとつ零すと、手を伸ばして私の両手を握り、真剣な表情で私を見つめました。

「それは嘘だよ、リタ。ヴェロニカ嬢の作り話だ」
「……」

あれが作り話だったなんて、とても信じられません。
彼女の喜び様はとても演技には見えませんでしたし、そのことを確認しようにも肝心の公子は私を避けるような行動をしていたではありませんか。
公子を責める言葉が口から出そうになりましたが、なんとか堪えます。
その代わりに胡乱な視線を向けると、説得しようとする公子の顔に冷や汗が浮かんだように見えました。

「僕のことが信じられない?リタは、僕よりもオーロラ嬢の妹君を信じるの?」

公子は悲しそうな顔で笑いかけてきましたが、今更同情を引こうとしても無駄です。

「…失礼かとは存じますが、その通りです」

ハッキリ答えると、公子は目を真ん丸に見開き、どこかではっと息を呑む声が聞こえました。

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