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第2章1節 魔法学園対抗戦/武術戦

第213話 そういう世界

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<魔法学園対抗戦・武術戦 七日目 
 午前十一時 グレイスウィル天幕区>




「……ご飯?」
「そうそう! 何か演習区の方に行ったらさ、これ貰ったんだ!」


 クラリアは包装されたカツサンドをルシュドに見せる。


「お金、いる?」
「そーれがタダでいいんだって! 何か学生の皆に頑張ってほしいとかどうとか言っていたぜ!」
「うーん……?」

「細かいことは気にすんなぁ! とにかくだ、貰えるもんは貰っちまおうぜ!」
「うん、そうする」



 ルシュドはジャバウォックと立ち上がり、歩を進めようとしたが、



「そうだ……ハンス、どこ?」
「んあ? そういや朝から姿を見かけてねえな」
「おれ、ハンス、誘う。ご飯、一緒、食べる」

「それもいいな! クラリアはどうする?」
「アタシはこのサンドイッチをサラに渡してくるぜー!」
「じゃあ、お別れ。ばいばい」
「また後でなー!」





 数十分程して。



「ハンス……ああ、あのエルフか。こっちには来てないぞ」
「ていうか来たら目立つしな。あーでも、俺朝にちらっと見かけたわ。ちょっと気が重そうな感じだったな」
「そういやさっき神妙な顔して本部の方に歩いて行った気がする。そっちに行ってみたらどうだ?」



 ルシュドは聞き込みの情報を元に、大会運営本部の天幕までやってきたのだが。





「うう……」
「何だ、この変てこな集団……」



 大会の本部である建物は、魔法陣によって増設された小屋。魔力で生成されているらしく、不思議な光沢を放っている。


 そしてその周囲には、様々な色の天幕が張られていた。一つは対抗戦に出資している商会、あるいはは地方都市の観光協会、また或いは――



「えーと、ハンス、ハンス。どこだろう……」
「エルフの行きそうな場所はエルフが知ってんじゃないか?」
「ん?」


 ジャバウォックが顎でしゃくる先には、数人のエルフの大人がいた。


「それ、そうか。おれ、訊いてみる」





 森林を思わせる黄緑の天幕、そこには美しい女性の姿が描かれている。



「すみません。おれ、ルシュド、言います」



 その天幕にいた、声をかけられた彼らは振り向く。

 冷ややかな視線も添えて。



「えっと、おれ、友達、探して……」
「人間風情が話しかけるな」
「えっ――」




 目視することもままならぬまま、


 ルシュドは吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。




「っ……」
「何すんだよ! ちょっと声をかけただけじゃねえか!」
「ハッ、そこのナイトメアも盾突くか! いいだろう!」
「……!」



 何とか起き上がれたルシュド。そして天幕の奥から、


 ハンスがこちらを見ているのが、しっかりと目に入った。



「ハンス!」
「黙れ! 我ら同胞の名前を気安く呼ぶな!!」


「がぁ……!!」
「ぐうううう……!!」


 風が鞭のようにしなり、叩き付けてくる。

 或いは針のように鋭く、或いは岩のように重く。


「これで終いだ。二度とエルフに逆らえないようにしてやる――」
「させるかあああああ!!!」




 風を操っていた男と、ルシュドの間に、

 ピンク色の髪の少女が割って入る。




「き、貴様……!! 我等に無礼を働くか!!」
「知るか!! 弟を傷付けられて、無礼もクソもあるか!!」
「あ……!!」



 その声で気が付いた。


 ルシュドの肉親、ルカの姿が目の前にあることに。




 牙と角を剥き出しにして、今にも襲いかかろうとせんばかりの勢いで、彼女は自分を庇うように立っている。


 そして向こうから歩いてくるもう一人の姿も――



「ルカ!! 余計なことはするな!!」
「でも……!」
「連中はお前がどうこうして何とかなる相手じゃねえ!! ここはガラティアとは違うんだ!!」

「連中だと……? 貴様も我等に仇成すのか!!」
「それなら一丁やるか? どうだ?」


 竜賢者は男をぎろりと睨み付ける。


「……っ」




 男が年の功とも言えない気迫に狼狽していると、


 天幕から銀髪のエルフが流麗な身のこなしでやってきた。




「……これはこれは。何やら騒がしいと思えば、竜族の者が何用ですかな?」



 すると竜賢者は腕を前に回す形のお辞儀をする。流れる所作にルカは唖然とした。



「これはこれはアルトリオス様。お噂は兼々お聞きしております。結構なご活躍のようで」
「ははっ、それはどうも。我等寛雅たる女神の血族ルミナスクラン、エルフの偉大さを世に知らしめるために日々精進しているところですよ。それはそれとして、一体何が起こったのかお聞かせいただいても?」


「それについては私から――そこに転がっている愚かな人間が、あろうことに我々の前に気安く現れ、気安く声をかけてきたのです」
「愚かって、あんたらねえ……!!」



 怒りを抑えきれないルカと、そんな彼女に支えられたルシュドが近付いてくる。



「恐らく貴方がたは我々に謝罪をしてほしいと思っているのだろうが……その前に一つ弁明させてくれ。こいつは無知な所があってな。貴方がたが寛雅たる女神の血族ルミナスクランであることも知らずに声をかけてしまったんだと思う」
「……そうなの?」
「……うん。おれ、知らない、何も……」


 ジャバウォックがルシュドの身体に入り、その拍子に彼の呼吸が落ち着いてくる。


「成程、そういうことでしたか……では何故声をかけたのですかな?」
「……!? アルトリオス様!?」
「間違いは誰にでもある。一度痛めつけたのだから、今度は間違えることはない――そうだろう?」
「……っ」


 アルトリオスの気迫に、ルシュドは頷かざるを得なかった。


「わかれば結構。それで、この世で最も美しく、聡明で、偉大なる種族であるエルフの者に、何用で声をかけたのです?」
「……」



 ルシュドは天幕の奥に目を遣る。



 ハンスは依然としてそこにいた。椅子に座って、こちらに背中を向けている。



「……おれ、友達、探してる。そこ、いる……」
「……そういや先程名前を呼んでいたな。まさか、ハンスと友人だとでもいうのか?」
「は、はい……」

「貴様!! 人間風情がそのような雑言をのたまうな!!」
「落ち着きなさい。本当に友人かどうかは、直接訊いてみればいいのです。どうですか?」



 アルトリオスの問いかけに、ハンスは僅かに身体をこちらに向けて、



「……そんな人間なんて、知らない」


 目線を合わせずに、確かにそう言った。





「……!!」
「とのことです。誰か別人と勘違いされたのでは?」

「で、でも……! おれ、わかる! 間違い、ない!」
「大体寛雅たる女神の血族ルミナスクランの者が、人間風情と仲良くする道理がないのです。さあさあ、これで用事は済んだでしょう?」
「待って……! ハンス、ハンス!」



「……ルシュド、戻るぞ。これ以上は何を言っても無駄だ」
「でも……!」
「ごめんね、ルシュド。でもあんたは怪我してるから……早く戻って、治療をしよう」
「ああ……!」



 竜賢者は一礼し、遅れてルカも頭を下げる。最後までルシュドは、ハンスに声をかけようともがいていた。





「……行ったな。全く、実に騒がしい人間だ」
「……ええ。本当にその通りです」

「貴様、本当にあんな人間のことは知らないな?」
「……はい。見かけたのも今が初めてです」
「そうかそうか……ククッ」



 アルトリオスは一際大きく、そして質の高い素材をふんだんにあしらった椅子に腰かける。



「貴君も実に災難だな。あんな人間に絡まれては、満足に学園生活も楽しめないだろう?」
「ええ。毎日大変ですよ」
「そうだろう。人間というものは実に軟弱な生き物だ。故に力を持つ異種族と繋がりを持とうとする――何と愚かで、見窄らしいことか」
「本当に鬱陶しく思います」
「ククッ……」


 恐らく使用人であろうエルフの女性が持ってきたワインを、彼は口に含んで一服する。


「さて……私からの話は先程ので最後だ。ハンス、それからジョン。貴君等はもう戻ってもいいぞ」
「……左様でございますか」
「ああ。今後ともエルナルミナス神の栄光のために共に苦心していこうではないか……」
「……」



 ハンスと、彼の隣に座っていた中年の男性が立ち上がる。ビロードで作られた緑のローブを着ていて、付いている皺は刻み込まれて取れなさそうだ。



「失礼します」
「……失礼、します」


 二人揃って仲良く――とも言い難い様子で、天幕から出て行く。





 ジョンと呼ばれた彼は、ハンスの父親。ウィーエルの貴族の一つ、メティア家の現当主。


 彼は現在、貴族区にある自分の天幕に戻っている――自分と一緒に。




「……ああ。もうここまででいい」
「……そうですか」


 貴族区の入り口まで来た所で、ジョンは手を振ってハンスを追い返そうとする。


「今回は対抗戦をご覧になりにいただき、誠に感謝いたします」
「気にするな。寛雅たる女神の血族ルミナスクランで出張になったから、そのついでに来ただけだ……」


 そう言って、ジョンはふうと溜息をつく。



 何度も見てきた父親の癖。一回の会話で数十回はザラにある。これのせいで彼は貴族らしい雰囲気を携えられない。

 もっとも彼が父をあまり好いていない理由は、これ以外の所にあるのだが――



「ああそうだ……手を出せ」
「……何でございましょうか?」
「これを……」


 ジョンはそう言って、二枚の金貨を右手に握らせた。


「……詫びになるかは、わからないが」
「……知らないって仰ったのをお忘れで?」
「彼の態度を見ていれば何となく想像はつくよ……お前の、友達だ。違うか?」
「……」



「……もある。彼にはどうか、そのことを伝えてくれないか」



 また溜息をつく。今度のはやや大きめだ。


 そしてジョンは重い足取りで、貴族区の中に入っていった。





「ごめんねルシュド、こっちの準備するのに追われちゃって……」
「ううん、大丈夫。痛っ……」

「ああごめんね、これ染みるかもね。でも我慢してね、早く怪我治るから……」
「……我慢、する……」



「ああもう、こんなことになるなら仕事ぜーんぶ賢者様に任せて、真っ先にルシュドに挨拶するべきだった! まさか寛雅たる女神の血族ルミナスクランに絡みに行くとは思わなかった!」
「それについては俺の不手際でもある。連中には関わっちゃいけねえって、よく教えておくべきだった。申し訳ない」


「……大丈夫、です。それより、おれ……」
「友達、いたんだよね? ハンス君? だっけ? 何であいつらあんなこと言うんだろうね!」


「……おれ、知らない……言われた……」
「だからそういう連中なんだよ。エルフ以外の異種族、とりわけ人間を毛嫌いしているんだ。少しでも人間に関わったって形跡を残したくないんだよ」


「……友達、う、そ……?」
「ほらほら泣かない泣かない。いや、泣きたくなるほどショックだったのはわかるけどさ。でもまた会う機会はあるんでしょ?」
「うん、ある……」
「そん時に訊いてみればいいじゃん! だから元気出そう? ほらハンカチ!」
「ねえちゃん……ううっ……」





 ガラティア観光協会と書かれた天幕の中で、甲斐甲斐しく治療を受けるルシュド。

 ハンスはその光景を目の当たりにして、会いに行く気が失せていた。



「……」

「……きみは」

「……ぼくのような奴と関わるには、真っ直ぐすぎるんだよ……」



 天幕の裏側、人があまり通りかからない場所。寛雅たる女神の血族ルミナスクランとガラティア観光協会の天幕は、丁度反対の位置にあったのが幸いだった。


 金貨を握り締めながら、ハンスはその場を後にする。風が吹き、彼の姿を隠すように纏わり付く。





「……」


 ルシュドの治療は完了したが、彼は泣き疲れてしまったようで、そのまま天幕に留まっていた。用意してもらったベッドで横になっている。


 ルカは片時も離れず彼に寄り添っていた。時々紅茶を淹れてきては、飲みやすいように冷ましてくれている。


「ほらお代わり。スコーンもいる?」
「……いる」

「じゃあ持ってくるね。用足しにも行くんだよ?」
「うん……」



 ルカは立ち上がり、食料棚に向かっていく。

 その時、彼女が机に置いていった本が目に入った。分厚くて装丁も硬く、文字の形もお堅い魔術の本だ。



「うっ……」
「なぁにぃ、あたしの読んでた本見てたの。頭痛くなるよ!」


 笑いながらルカが戻ってくる。幼い頃から見てきた快活な笑顔だ。


「……でも、ねえちゃん。これ、読んでる」
「あたしも頭痛くなってるけどね。あはは!」
「……」


 布団に顔を埋めながら、泣き出しそうな声でこぼす。


「人間……」
「……ん?」


「おれ、さっき、言われた……おれ、人間……」
「……」


「竜族、特徴……何にもないから……」



 ぶるぶると震えるその姿は、次に続く言葉の答えを求めているようで。



「おれ、どうして、こうして……生まれて、きた……?」






 ルカがその答えを探して黙っていると、彼は寝息を立て出した。とうとう本当に疲れてしまったらしい。




「……邪魔するぜ」
「……ノックぐらいしてよね」


 竜賢者が若干汗を掻きながら入ってくる。そしてルシュドが一切手を付けていなかった紅茶を飲み干した。


「何だこいつ、眠ったのか。後で天幕に戻らないといけないのに」
「いいじゃんこれぐらい。許してあげてよ、今日はルシュドにとって刺激が強すぎた……」


 彼の額をそっと撫でるルカ。竜賢者の視線は、彼女が読んでいた本に向けられていた。


「……どうだ? 『魔術入門』は。お前の望む答えは見つけられたか?」
「ううん……全然。そもそもそんなに読み進められてないよ。やっぱり魔術は意味わかんない」



 だが今の彼女は、この穏やかに眠る弟の為にも、意地として読み解かないといけないという、使命感に駆られていたのだ。



「……お前はあの噂を信じてるんだよな」
「信じるっていうか、疑ってる。或いは、望みを懸けてる。爪も鱗も牙も角も、竜族たる特徴はルシュドにも存在していた」



 『魔術入門』の下に隠れていた、薄い本を取り出す。

 そこには人間の男が一人。しかしその背中には薄く消えかかってる翼が描かれている。



「『翼を失った竜』……か」
「魔力を失うと異種族の特徴も消える……もしもルシュドがそうだとしたら……」


 言いかけてそこで止め、ルカは頭を抱える。何故なら彼女が知ってるルシュドは、そういうことをされていないからだ。


 竜族の一員として、彼らの行動は悉く調べ尽くした。それでもまだ知らないことがあるかもしれないという事実が、彼女を悩ませ、頭を痛ませていた。




「……竜賢者様ってさ、いつから竜族に関わるようになったの」
「遠い遠い昔だ。それこそ、まだお前が影も形もなかった頃」
「……」



「……その時点で、連中は俺には決して言えないような秘密を抱えていた。俺のことは信用しているが、余所者である以上こればかりは教えられないと」


 腹部をさする竜賢者。そこには爪で大きく抉られた跡が残っていることを、ルカは知っている。


「……ルシュドの魔法学園入学を提案した時に、側近連中と乱闘したのにも関係あるの?」
「わからん。だが、無関係と言うわけではないだろう」


 彼は葉巻を取り出し、魔法で火を点けそれを吸った。




「……やっぱりルシュドは、心のどこかで気にしてる。自分は一体何者であるのか」

「あたしは姉として……少しでもそういう不安を取り除いてあげないといけないんだ……」




 ちょうどその時、午後四時を知らせる鐘が鳴った。色々な思いを抱えて、今日も一日が終わるのだ。
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