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彼の求婚は残念すぎた

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 に会うまで、クレアは世界の広さを見誤っていた。

 世界で一番偉いのはクレアの父で、世界で一番美しいのはクレアのすぐ上の姉なのだと本気で信じ込んでいた。
 だって、父は口を開けば二言目には『余は二百年続く由緒正しきバルトール王国の王だ』と誇ったし、大国の王子に見初められた姉王女は『ぱっとしない薄茶色とは違うのよ』と自慢の金髪を揺らしたから。

 それがどうだ、たった一人の青年の訪問によって、クレアの世界の全ては一変してしまった。
 二つ隣のスヘンデルという国から来た暗金髪ダークブロンドの美青年に、クレアの知る狭い世界は丸ごと引っ掻きまわされたのだ。

 その青年と話すとき『二百年続く由緒正しきバルトール王国の王』は、必ず彼の機嫌をうかがうような卑屈な目つきをした。
 バルトール一の美女と名高い第八王女ナーディアは、自慢の髪の手入れをいつも以上に丁寧に行い、美貌に念入りな化粧を施して、青年を行く先々で待ち伏せた。
 仮にも一国の国王や王女までもがその青年に対して全力で媚びを売るのには、理由があった。
 青年――フレデリック・ハウトシュミットは、三年前に建国されたスヘンデルの建国者であり代表者である。
 腐敗した旧王国を革命により滅ぼして新たな国を建てただけでも十分に傑物なのに、彼の出自を問わない人材登用と貿易による外貨獲得に力を入れた政策が当たったおかげで、今のスヘンデルは加速度的に豊かになっている。
 せっかく保有する鉱山の産出量も減りつつある斜陽のバルトールはなんとしてでもスヘンデルの勢いにあやかりたい。

 おまけに、ハウトシュミットは、たいそう美しい青年だった。
 髪油で撫でつけずに遊ばせた暗金髪と流行を取り入れた服装は貴族の若君や大店の若旦那然として、彼の中性的な美貌によく似合っている。一見して軽薄にすら見える洒落男だ。
 クレアはそこまで正確な事情を把握してはいなかったが、『ものすごく羽振りがいい国からとてもかっこいいお偉いさんが訪ねてきたから父も姉もはしゃいでいるのだ』と理解していたし、その理解は概ね正しかった。
 加えて言えば、ハウトシュミットがわざわざバルトールを訪れたのは、両国の間にあるコルキア王国へ備えるための同盟の土台作りと――彼の花嫁を探しにきたのだという専らの噂だった。
 彼は今年二十六歳になる。ようやく身を固める気になったついでに、婚姻によってバルトールとの繋がりを作るつもりなのだと。

「スヘンデルとは今後良い関係を築いていきたい。ハウトシュミット卿、我が娘たちは皆美しく聡明だ。若い者同士、話も弾むことだろう。お気に召したものがいれば、親睦を深めるがよい」

 噂を肯定するように、バルトール国王に促された彼は微笑んで答えた。

「私も貴国と円満な関係を築きたいと思っています。ご縁があれば王女殿下を私の妻として我が国に迎えたい」
「おおっ! どれでも好きに持っていくがいい!」
「ありがとうございます」

 ハウトシュミットは、挨拶のために謁見の間にずらりと並べられたバルトールの王子王女の前をゆっくりと通りすぎた。
 聡明な第七王女レオカディアの前も、美しい第八王女ナーディアの前も通りすぎて、そして――。

「クラウディア王女殿下、私と結婚してくださいますか」

 第九王女クラウディア――クレアの前で、彼は足を止めてその場に跪いたのだ。

「え……?」
「どうして!? そんなちんちくりんよりも、あたくしの方があなたの妃にふさわしいわ!」

 どうして彼は私の前で立ち止まったのだろう。
 混乱してろくな返事もできないクレア本人よりも早く、金切り声のナーディアがその理由を問い質してくれた。

「そもそもスヘンデルに『国王』は存在しません。当然私の妻も『妃』にはなり得ない。ただの『ハウトシュミット夫人』だ。我が国に嫁ぐのなら、それくらいは理解しておいていただきたいな」

 夫婦はいかなる時も愛し敬い慰め助ける関係になるわけですから、とハウトシュミットは微笑んだまま、直截にナーディアの誤解を指摘した。暗に『娘たちは皆聡明だ』と紹介したバルトール王の面目まで潰すことになると分からないはずもないだろうに。

「そっ、そんなの、ただの言葉の綾ですわ! ハウトシュミット卿が国家元首であることに変わりはないでしょう!?」 
「現時点ではそうですね。今は私がスヘンデル政府の代表たる『護国卿』だ。ただ、それも数年後にはどうなるか分かりません。我が国の成り立ちを考えるとね」
「え……っ、だって、羽振りがいいって噂じゃない!」
「革命が起きてからたった三年で国内情勢が安定するとでも? 噂は良くも悪くも誇張されるものです。嫁いで一年も経たないうちに夫婦の首が仲良く広場に晒されることになるかもしれませんよ」
「ひっ!? あ、あたくし! やっぱり辞退します!」
「それが良いでしょうね。ナーディア殿下はコルキアの王子との縁談が進んでいると聞きました。私もコルキアを刺激したくない。無駄なロマンスをするリソースは無いので」

 まるで結婚する気も相手に好かれる気も無いような言いぶりを聞いて、クレアはなんとなく悟り始めていた。
 このひと、丁寧な口調で綺麗な顔でにっこり笑っておけば、何を言っても許されると思ってるんだろうな。実際今まではそれで許されてきたんだろうな、と。

「晒し首になっても構わない、それでもあなたと結婚したい――と、仮にわたくしが言ったとしても?」

 口を挟んだのは第七王女レオカディアだった。
 唯一クレアを蔑視しない代わりに干渉もしない姉は、冷ややかな声でハウトシュミットに問いかけた。

「あなたは今、わたくしたちのことをそこにいる妾腹の幼い妹よりも結婚相手として劣っていると仰ったのよ、ハウトシュミット卿。ひどい侮辱だわ」
「そのつもりはありませんでしたが、ご気分を害したなら謝ります。ですが、慈善事業でもあるまいし、妻になりたい女性を全員妻にするわけでもない。私が妻にしたい女性を選ぶ上で個人的な好みを反映させて何が悪いのです?」
「『優劣』ではなく『好み』だと仰るのね、抜け目のないこと。後学のために教えてくださる? 母親は貴族ですらない洗濯女で、夫人として護国卿を助けるどころかスヘンデル語もおぼつかない、地味な子どものどこが、あなたのお眼鏡に適ったのかしら?」

 レオカディアの言葉は手厳しいが、そこに嘘や誇張はひとつも無かった。
 クレアは国王が洗濯番の娘に戯れに手をつけて産ませた娘で、王女としての教育を受けてはいるが外国語は苦手な科目だ。バルトール語と似通ったスヘンデル語でさえ得意ではない。
 容姿だって綺麗な黒髪や金髪の兄姉たちと違って、一人だけ髪も瞳も薄茶色だ。こうして一列に並べられるといっそう違いが際立って、惨めな気持ちになった。
 クレアには人よりも優れた取り柄なんて何ひとつないのだ。ハウトシュミットは誰でも選べるはずなのに、どうしてあえてみそっかすのクレアを選んだのだろう。
 レオカディアの問いを受けて、ハウトシュミットはクレアに視線を向けた。彼の綺麗なペリドットの瞳に映し出された少女は情けなく今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 光の加減か、一瞬彼が眉を顰めたように見えた。もう一度確かめようとした時にはへらへらと軽薄な笑みを浮かべていたから、きっとただの見間違いだったのだろうけれど。

「……仕方ない、これだけは言いたくなかったのですが」

 ハウトシュミットはよく通る声で、朗々と歌うように言った。

「――私は、幼い少年少女しか愛せないのです」
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