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答えのない問い
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「クレア、ひと月後の夜会に一緒に出てくれないか。バルトールの来賓も呼んで、僕たちの結婚五周年を祝う会を開くことになったから」
二ヶ月ぶりにまともに顔を合わせた夫の言葉を聞いて、クレアは眉を顰めた。
遠方からの来賓を呼ぶ夜会ならもっと早く日程を決めて然るべきだし、クレアと別れたくてたまらない彼が『結婚五周年のお祝い』にクレアを誘うなんて――何から何まで不自然すぎて、容易に裏の意図が知れた。
「コルキアの情勢はもういいの? いいえ、良くないからこその夜会かしら?」
「勘がいいね。正直言うと、よく分からないんだ。コルキアに潜り込ませていた密偵からの連絡も途絶えてしまった」
「それって……」
「殺されたかもしれないし、人の出入りが厳しく管理されていて、得た情報を外部に伝える手段が無いのかもしれない。コルキアが戦争の準備をしているのは確かだけど、侵略の時期も対象も分からないまま警戒を続けるにも限度がある」
だから、こちらからスヘンデルとバルトールの同盟をアピールして牽制しておこうかと思って。――フレッドの提案はどこまでも正しくて、涙が出そうになった。
(フレッドはずるい)
彼にとって都合の悪いクレアを他の男に押しつけて遠ざけようとしたくせに、『国のため』という理由があれば都合良く『仲睦まじい夫婦として振る舞え』と求めてくる。
翻弄されて揉みくちゃになったクレアの恋心には、徹頭徹尾知らないふりをしたままだ。彼の狡さがこの上なく腹立たしいのに、頼られなくなるのはもっと嫌で、彼を責めることもできない。
「……分かったわ。大好きなあなたと夜会に出られて嬉しい。私たちは夫婦ですもの、協力しないと」
反撃の棘を仕込んだ声は、少しだけ震えてしまった。
ばつの悪そうな『ごめんね』は思惑に塗れた夜会に出席させることを詫びたのか、いつまでも想いに応えられないことを言ったのか、クレアには分からなかった。
☆
バルトールを象徴する色は、炉の炎の朱である。
絞り染めの濃淡グラデーションが美しい朱色のドレスとファイアオパールのアクセサリーを身につけたクレアは、フレッドとともに挨拶まわりに追われていた。
「結婚記念日おめでとうございます。いつまでも仲睦まじいお二人に倣いたいものですなあ」
「ありがとう」
「そう言ってくださると嬉しいわ」
「それにしても、はや五年ですか。このご様子ですとお世継ぎの誕生は間近ですかな? いや、これは失敬!」
「……っ」
早くも酒に酔っているのか赤ら顔をした男に、品の無い軽口をかけられて、クレアは思わず硬直した。
フレッドの子ども。たとえ政略結婚だったとしても、否、国同士の結びつきを強める政略結婚なればこそ最優先で儲けるべきだったもの。……クレアには一生与えられないかもしれないもの。
「下世話な冷やかしは止めてくれないか。君には関係無いだろう」
「しっ、しかし! そのぅ、そうですっ、お世継ぎの有無はスヘンデルの今後にも関わりますから……!」
「『護国卿』を世襲にする気は無い。言い訳も不愉快だ」
「もっ、申し訳ありません! 護国卿!」
クレアを庇うように立ったフレッドは、男に冷ややかな視線を向けて叱責していた。クレアが傷つかないように、と。
(ちがう……っ)
クレアは男の言葉に傷ついたりしていない。何なら彼にはフレッドにもっと言ってやってほしかった。
――どうして妻に触れないのか。もう十分大人になったのに、あと何が足りないというのか、と。
湧き上がる悔し涙を堪えて何とか笑顔を保ったクレアは『外の空気を吸ってくる』と言い残して、逃げるようにその場を去った。
「フレッドの馬鹿! あなたの振る舞いこそ私を傷つけているって、どうして分からないの!?……分かっていても、あなたは私の気持ちなんてどうでもいいのよね」
人のいないバルコニーまで来て、ようやくため息が吐けた。
見上げれば空には無数の星々が瞬いている。美しい輝きの一つ一つさえ、心の荒んだクレアにとっては『ひとの悩みも知らずに』と恨めしく思えた。
「逃げてきちゃったのは、子どもっぽかったかも。でも、あれ以上あそこにいたらフレッドのこと引っ叩いてしまっていたわ。それが分かる私は大人だわ。ええ、そうよね。はぁ……そろそろ戻りましょうか」
今日は『ハウトシュミット夫妻がいかに仲睦まじいか』を見せびらかすための夜会だ、主役が長く席を外すのはまずい。冷静になったクレアは、会場へと踵を返した。
「クラウディア王女殿下、お久しゅうございます。殿下の才媛ぶりは遠くバルトールまで聞こえておりますよ」
会場の隅の人目につかない壁際で、クレアはしゃがれた声に話しかけられた。そこに立っていた従者連れの老人の姿を見て、すぐに名前を思い出す。会うのは五年ぶりだが、なにせ彼の見た目は五年前から全く変わっていないのだ。
「これはローゼンハイム公爵。あなたが来られるとは」
バルトールの筆頭公爵であり、クレアの姉レオカディアの母方の祖父でもあるローゼンハイム公爵だ。スヘンデルの支援によるバルトール再興を唱え、母方の後ろ盾が無いクレアの後見を引き受けたのも彼だった。
そのような経緯もあって彼にもこの夜会の招待状は送ったが、名代を立てるでもなくスヘンデルまでやって来るとは意外だった。
「立派に成長なされましたな。……ええ、実に理想的な成長だ」
「ありがとう、ローゼンハイム公爵。でも、私はもう『殿下』ではないわ。クラウディア・ハウトシュミット、ただの『ハウトシュミット夫人』よ」
「――健気ね、クラウディア。あなたを蔑ろにする夫の名など捨ててしまえばいいのに」
「何ですって?」
ローゼンハイム公爵の後ろに控えた人物から開口一番『哀れみ』を向けられて、かちんときた。
普段なら笑って訂正できたのかもしれないが、フレッドに不満を持っている今だからこそ、聞き捨てならない。
「そこのあなた、無礼でしょう。名を名乗りなさい!」
てっきりローゼンハイム公爵の従者だと思っていたが、それにしては態度に遠慮が無さすぎる。上質だが華美ではない服装に身を包み、金髪を肩で縛った細身の『青年』は、眉根を寄せた。
「姉を忘れてしまったの? 幼くしてバルトールから引き離されたのだから無理もないけれど」
「っ、あなたは……っ!」
一度気づけば、どうして今まで気づかなかったのだろうと思う。
クレアの知る『彼女』は濃い化粧をしていなかったから、顔の印象は大きく変わっていないのに。身分ある女性が身分を偽りながら堂々と素顔を晒し、男装して乗り込んでくるという発想自体が無かった。
「レオカディア姉様!?」
「久しぶりね、クラウディア。……それに、ハウトシュミット卿も」
彼女の流し目の先には、どこか苛立った様子のフレッドがいた。
クレアの横に立ったフレッドに向かって、クレアの姉王女にして現オルドグ大公妃であるレオカディアは顎を上げ、腕を組んだまま傲岸と言い放った。
「単刀直入に言うわ。我が妹クラウディアをバルトールに返していただきたいの」
単語はこの上なく明瞭なのに、言葉の意味が分からなかった。
『クラウディアをバルトールに返す』とは『バルトールに帰省しなさい』ということだろうか。そんな用件を伝えるためにスヘンデルに乗り込んでくるのがおかしいことは分かるけれど。
「レオカディア姉様? 何を仰っているの、そもそも姉様がどうしてここに……」
「ハウトシュミット卿、少々込み入った話をする場を用意していただけますかな。他人に聞かれたくはありませんので」
「そうみたいだね。控えの部屋でよければ」
混乱するクレアをよそに、レオカディアたちの抱える事情を見てとったフレッドは一行を奥まった小部屋へと案内した。
「ここでの話は他言無用にてお願いいたします」
口火を切ったローゼンハイム公爵の言葉に頷くと、彼はしゃがれた声で淡々と重大事を告げた。
「国王陛下の容態が思わしくなく、この夏は越せないだろうと侍医が申しておりまして」
「お父さまが? それは大変ね」
バルトール国王とはクレアの父親のことだが、知らせを聞いても然程の衝撃や悲しみは無かった。
それは、スヘンデルへ嫁ぐ直前以外の親子の付き合いが希薄だったせいかもしれないし、国王の年齢と不摂生ぶりを踏まえると嘆くより先に『仕方が無い』と思ってしまったからかもしれない。
「ええ。儂も残念ですが、天寿というものでしょう。問題は次代でして、順当に考えれば次の国王は王太子殿下ということになりますが……」
「話が長いわ、お祖父様。我々に時間は無いのだから。――クラウディア、あなたが女王になりなさい」
「は……!?」
今日はレオカディアに驚かされてばかりいる気がする。
『冗談でしょう』とへらりと笑い飛ばそうとしても、引き攣った口角は上手く上がってくれない。だって、気づいてしまった。『冗談』を言ったはずのレオカディアの目が笑っていないことにも、話の腰を折られたローゼンハイム公爵が『もっと現実的な話をしましょう』と止めないことにも。
それでも認めたくなくて、クレアは震える声で言い募った。
「レオカディア姉様、冗談は止めて」
「冗談を言うためにわざわざスヘンデルまで来ないわ」
「『女王になれ』が冗談でなくて何だと言うのです。私に王位が回ってくるはずがない!」
バルトールの王位は男子優先継承だ。適当な者がいなければ女子や王家の傍系の中から年齢や本人の資質、後ろ盾の有無を基準にして選ぶことになるが、今代の国王は艶福家で後継には困らない。
大勢いる現国王の子の中でも、クレアは末子で、女で、母は身分の無い洗濯女で、国王の寵愛も外戚の後ろ盾も無い。何よりクレアはスヘンデルへ嫁ぐ時に王位継承権を放棄している。
天地がひっくり返ったとしてもクレアが国王に選ばれることはない、はずだった。
「そもそもエーミール兄様がいらっしゃるのに!」
「王太子殿下は廃位か、死んでいただくことになりますな」
「死……!? 無茶苦茶を言わないで!」
ローゼンハイム公爵は王太子を殺してでもクレアを王位に就けようと画策しているらしい。
彼の思惑が読めずに取り乱すクレアの背中をさすって落ち着かせながら、フレッドはぽつりと言った。
「……王太子がコルキア贔屓だからか」
「それが何だっていうの」
「エーミール王太子とコルキアに嫁いだナーディア王子妃は宰相家出身の母を持つ同腹の兄妹だ。親コルキア路線を取るだろう彼の治世下では親スヘンデル派のローゼンハイム公爵は権力を握れない。だけど、そんな安い理由でクーデターを起こすのはお勧めしないな」
本当にそんな理由だけで人を殺すつもりなのだろうか。
批判されたローゼンハイム公爵がむすりと黙り込んだのを見るにフレッドの推測は大きく外れてはいないようだが、フレッド自身も訝しげに首を捻った。
「一つ分からないのは、オルドグ大公妃までクーデター計画に加担していることだけど」
君は身勝手で危険な計画に乗るほど愚かじゃないだろう。
フレッドに咎めるような目を向けられたレオカディアは、眉間を指で押さえながら言った。
「……本当はまだたくさんあるのよ、バルトールの鉄は。それが、全ての発端だった」
『鉱業以外にめぼしい産業が無いバルトールは、鉱山の枯渇によって衰退の一途を辿っている』――レオカディアの言葉は、世界に既に受け入れられた所与の前提を覆すものだった。
「ありえない。記録上はバルトールの鉱山の産出量は年々減っているはずだ。値を吊り上げるために産出量をごまかしたとしても、ここまで出し惜しみする理由は無い」
「嘘ではないわ。鉱脈が深いところにあって採掘にはかなりの危険を伴うけれど」
「話にならないな。よほど深くて手間と金がかかるか、恐怖で鉱夫が働かないのか、どちらにしても商売にならないから今までは掘らなかったんだろう?」
「後者よ」
「だったら尚更だ。いくら金を積まれても恐怖心は残る」
『どうしても掘り出せない資源は無いのと同じだ』とフレッドが言うと、レオカディアはゆるく首を振った。
「今まではそうだった。ところで、あなたは恐怖心を鈍らせる方法をご存知ない?」
「……まさか」
「ええ、そう。南大陸産の薬物をコルキア王の意を汲んだ商人たちが持ち込んだの」
「樹葉か!」
近年『発見』された南大陸からは、珍しい動植物が持ち込まれて高値で取引されている。その中でもとびきり高値がつく代物でありながら輸入を厳しく規制されているのが『樹葉』と呼ばれる薬物だ。
樹葉の特徴として興奮作用や強い依存性が挙げられる。
恐怖心を興奮で打ち消せば危険な作業もさせられる。依存性の虜となった鉱夫に報酬として薬物を与えれば働かせ続けることができる。それがコルキアの思惑なのか。
「コルキアも馬鹿なことを。無理をさせたところで、後に残るのは資源を取り尽くした山と廃人同然になった鉱夫たちだ。長い目で見てどちらが得か分からないのか」
「それが、コルキアにはバルトールを支配する気は無いみたい。絞れるだけ絞りとって残り滓の国と民は捨てるつもりらしいわ」
「そんなことをすればバルトールの反発は必至だ」
「残念ながら、エーミール兄様はそれでいいんですって。いざとなったらバルトールを捨てて自分たちだけコルキアに賓客として迎え入れてもらうから、って」
「腐ってる」
「ええ、本当にね」
兄王太子への怒りを湛えたレオカディアの瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
バルトールにいた頃のクレアは姉を冷たい人だと思っていたが、今はそうは思わない。彼女は血の通った情のある人で、それゆえに肉親への情を捻じ伏せて兄を殺してでも民を救おうとしているのかもしれない。
(あれ? でも、そうだとすると、何か違和感が――)
「ふーん、大変だね。でも、それはクレアには関係無いだろう」
頭を掠めた疑念の正体をクレアが突き止める前に、フレッドはあっさりとクーデターへの協力を拒否していた。わざとらしいくらいそっけない口調を作っている。
「クレアはスヘンデルへ嫁ぐ時に王位継承権を放棄した。今さら女王だなんだと言われても――」
「これはおかしなことを仰る、ハウトシュミット卿。教会に『白い結婚』の申し立てをしたのは、あなた自身ではありませんか」
背中に添えられていた手に、力が入ったのが分かった。ローゼンハイム公爵の指摘は、フレッドの痛いところを突いたらしい。
「……聖職者には守秘義務があると思っていたんだけどね。随分と口が軽いらしい」
「迂闊でしたな。二百年の伝統を誇るバルトールは教会との付き合いも深く、知己も多い。気心知れた儂らが相手なら口も滑りましょう。それとも『知られても構わない』とお考えでしたかな? 婚姻無効が認められず離婚の話になった時に『夫はこの時点で別れたがっていた』という証拠になりますから」
「さあね。申し立てはすぐに取り下げよう」
「それはなりません。わざわざ申し立てたのなら本当に白い結婚なのでしょうな、婚姻無効を認めるように儂からも教会に口添えしましょう。婚姻が無効となれば遡ってクラウディア殿下の王位継承権は復活しますから、即位に支障は無いかと、」
「ふざけるな!」
フレッドは大きな声でローゼンハイム公爵を遮った。常日頃の彼ならば得意の弁舌で煙に巻いて相手を言いくるめるだろうに、今の彼はすっかり余裕を失っている。
「君たちの言い分は『クレアをクーデターの神輿に担いで矢面に立たせて、情勢が落ち着いたところで自分達が実権を握ります』ってことだろう!」
「人聞きが悪い。クラウディア殿下、あなたは王たるにふさわしい成長をしてくれた。洗濯女の娘であるあなたが一国の王となる、これほどの栄誉はありますまい」
「本当に栄誉だと思うなら君が国王をやればいい!」
「そんな畏れ多いことを」
「嘘を吐くな。クーデターが失敗すれば確実に死ぬ。次期国王に歯向かうんだ、どれほど惨い殺され方をしてもおかしくない。仮にクーデターが上手くいったとして、斜陽の国を継いで気苦労が増えるだけだろう!」
彼自身がかつて経験した物事について語っているからだろうか。フレッドの言葉にはずっしりとした重みがあった。
「辛い思いをさせるためにクレアを育てたんじゃない! そんなの、僕は絶対に認めない!」
血を吐くような悲痛な叫びに言い返せる者はおらず、小部屋に沈黙の帳が降りた。その沈黙を破ったのもまたフレッドだった。
「少々熱くなってしまったね。それは謝る。でも、交渉は決裂だ。さあクレア、一緒にお客さまのお見送りをしよう」
丁寧な表現に包まれた『とっとと帰れ、二度と顔を見せるな』は所々破れた隙間から本音が覗いていた。今の彼は取り繕う余裕も無いくらい腹を立てているのだろう。
フレッドに促されて椅子から立ち上がったクレアは、強い輝きを放つ姉の瞳を見返して――小さな疑問に気づいてしまった。
「……どうしてレオカディア姉様は洗いざらい話したの?」
例えば普段のフレッドならクーデターの計画を聞いても怒りはしなかったかもしれない。でも、きっと『玉座が割に合わないことも分からない馬鹿の計画が上手くいくとも思えないけど』などと冷笑した上で断っていただろう。
クーデターへ加担することは我が身の危険を伴うからだ。
だから計画を聞いた者の対応は『良くて様子見、悪くて密告』が関の山だろう。聡明なるレオカディアがそのことに気づかなかったはずがない。それなのに、どうして彼女はごまかしもせずに計画を打ち明けたのだろう。
「クーデターに誘われたって軽々しく話に乗るわけが無い。頼み込むだけでは断られるって分かっていたでしょうに、どうして?」
「クレア、もう話は終わったよ。聞かなくていい」
「それに……コルキアはそこまでして鉄を確保してどうするつもりなのかしら。貴金属じゃなくて鉄よ? でも、大砲や銃の鋳造には使えるわね。だったら、どこかに戦争を仕掛けるつもりで」
「頼む、気づかないでくれ!」
「――ああ、コルキアは準備ができたらすぐにでもスヘンデルに攻め込む気なのね。それが嫌ならバルトールのクーデターに協力するしかない、ってこと?」
レオカディアがもったいぶらずに機密を打ち明けたのは、最終的にクレアとフレッドを協力させる勝算があったからだ。
『護国卿の情に訴える』などという不確実な方策ではなく、もっと現実的な『利害の一致による同盟』の可能性が。
「確かにそれなら、私に声をかけない選択肢は無いわね」
もしもクレアがスヘンデルに馴染めずバルトールに帰りたがっていたなら、女王になる話に喜んで乗っただろう。もしもクレアがスヘンデルを愛していれば、故国もスヘンデルもコルキアの脅威に晒された時に何もせずにはいられない。――どう転んでもクレアは確実にバルトールに戻るだろうとレオカディアは踏んだのだ。
レオカディアの考えは正しい。そもそもクレア本人がどれほど嫌がったところで、フレッドはスヘンデルのためになる選択をするだろう。ただでさえ別れたくてたまらない小娘を実家に帰すことが彼にとっての『損』になるわけがないのだから。
「鉱夫に無理をさせれば必ずガタが来る、バルトールからの資源の供給は大した量にはならずに終わるよ。仮に戦争になってもスヘンデルが勝つ。だから、クレアは心配しなくていい!」
そのはずなのに――どうして今更になってフレッドはクレアを必死に引き留めようとしているのだろう。
「でも、戦争に勝ったとしても、消耗したスヘンデルを他の国が放っておいてくれるかしら」
「外交でも防衛戦でも何なりと方法はある。僕が何とかするから、バルトールに行く必要なんて無いよ」
「フレッド……」
駄々っ子のように『何とかする』と理屈の通らない言葉を並べる彼なんて初めて見た。
あれほどクレアを追い払うために躍起になっていたくせに。言葉を尽くして引き留められると、彼に愛されて惜しまれているのだと勘違いしてしまいそうだ。
「クレア、親コルキア派の国王が即位すれば遅かれ早かれ戦争は起きたんだ。君に責任なんてかけらも無い。君に王になる資格があるからって、王にならなきゃいけないわけじゃない!」
「でも、現に戦争に直面しているのは私たちなのよ」
「いつ死ぬか分からない危険な場所に行かせられるか!」
「――それは、こちらの台詞なのだけれど?」
冷ややかな声のした方に顔を向けると、レオカディアは憎悪すら感じさせる目でフレッドのことを睨んでいた。
「ハウトシュミット卿、あなたはクラウディアに求婚した時に『子どもの笑顔を曇らせるようなことは決してしない』と誓ったわね。それを聞いたからわたくしはクラウディアを託したのに、あなたは誓いを破った。三年前にクラウディアが殺されかけたのも、あなたが巻き込んだせいではなくて?」
「姉様! それは違っ、」
「その通りだ」
違う、フレッドは間一髪のところで助けてくれたのに。
クレアが言い募ろうとした言葉は、当の本人に否定されて、誰の耳にも届かなかった。
「革命に不満を持つ者に襲われたんだから、僕のせいだ」
「そんなあなたが、どの口で『危険な場所に行かせられない』なんて言うのかしら」
「……僕の傍にいる方が危険だと?」
「そうよ。それに、バルトールとスヘンデルを繋ぐ子を産むように命じられたクラウディアが白い結婚のまま放っておかれて、どれほど不安だったと思うの? あなただけがこの子の幸せを考えているような言い方をしないで」
「君ならクレアを幸せにできるとでも言いたげだな」
「わたくしはそんなできもしない保証はしない。もちろん、最善は尽くすけれど。わたくしは身勝手なことを言っている、自分のためにクラウディアを利用しようとしている、それは認めるわ。でも、あなたも同じでしょう?」
黙り込んだフレッドに一瞥をやってから、レオカディアはクレアを鋭く見据えた。
「あなたが選びなさい、クラウディア。あなたと国の行く末を」
二ヶ月ぶりにまともに顔を合わせた夫の言葉を聞いて、クレアは眉を顰めた。
遠方からの来賓を呼ぶ夜会ならもっと早く日程を決めて然るべきだし、クレアと別れたくてたまらない彼が『結婚五周年のお祝い』にクレアを誘うなんて――何から何まで不自然すぎて、容易に裏の意図が知れた。
「コルキアの情勢はもういいの? いいえ、良くないからこその夜会かしら?」
「勘がいいね。正直言うと、よく分からないんだ。コルキアに潜り込ませていた密偵からの連絡も途絶えてしまった」
「それって……」
「殺されたかもしれないし、人の出入りが厳しく管理されていて、得た情報を外部に伝える手段が無いのかもしれない。コルキアが戦争の準備をしているのは確かだけど、侵略の時期も対象も分からないまま警戒を続けるにも限度がある」
だから、こちらからスヘンデルとバルトールの同盟をアピールして牽制しておこうかと思って。――フレッドの提案はどこまでも正しくて、涙が出そうになった。
(フレッドはずるい)
彼にとって都合の悪いクレアを他の男に押しつけて遠ざけようとしたくせに、『国のため』という理由があれば都合良く『仲睦まじい夫婦として振る舞え』と求めてくる。
翻弄されて揉みくちゃになったクレアの恋心には、徹頭徹尾知らないふりをしたままだ。彼の狡さがこの上なく腹立たしいのに、頼られなくなるのはもっと嫌で、彼を責めることもできない。
「……分かったわ。大好きなあなたと夜会に出られて嬉しい。私たちは夫婦ですもの、協力しないと」
反撃の棘を仕込んだ声は、少しだけ震えてしまった。
ばつの悪そうな『ごめんね』は思惑に塗れた夜会に出席させることを詫びたのか、いつまでも想いに応えられないことを言ったのか、クレアには分からなかった。
☆
バルトールを象徴する色は、炉の炎の朱である。
絞り染めの濃淡グラデーションが美しい朱色のドレスとファイアオパールのアクセサリーを身につけたクレアは、フレッドとともに挨拶まわりに追われていた。
「結婚記念日おめでとうございます。いつまでも仲睦まじいお二人に倣いたいものですなあ」
「ありがとう」
「そう言ってくださると嬉しいわ」
「それにしても、はや五年ですか。このご様子ですとお世継ぎの誕生は間近ですかな? いや、これは失敬!」
「……っ」
早くも酒に酔っているのか赤ら顔をした男に、品の無い軽口をかけられて、クレアは思わず硬直した。
フレッドの子ども。たとえ政略結婚だったとしても、否、国同士の結びつきを強める政略結婚なればこそ最優先で儲けるべきだったもの。……クレアには一生与えられないかもしれないもの。
「下世話な冷やかしは止めてくれないか。君には関係無いだろう」
「しっ、しかし! そのぅ、そうですっ、お世継ぎの有無はスヘンデルの今後にも関わりますから……!」
「『護国卿』を世襲にする気は無い。言い訳も不愉快だ」
「もっ、申し訳ありません! 護国卿!」
クレアを庇うように立ったフレッドは、男に冷ややかな視線を向けて叱責していた。クレアが傷つかないように、と。
(ちがう……っ)
クレアは男の言葉に傷ついたりしていない。何なら彼にはフレッドにもっと言ってやってほしかった。
――どうして妻に触れないのか。もう十分大人になったのに、あと何が足りないというのか、と。
湧き上がる悔し涙を堪えて何とか笑顔を保ったクレアは『外の空気を吸ってくる』と言い残して、逃げるようにその場を去った。
「フレッドの馬鹿! あなたの振る舞いこそ私を傷つけているって、どうして分からないの!?……分かっていても、あなたは私の気持ちなんてどうでもいいのよね」
人のいないバルコニーまで来て、ようやくため息が吐けた。
見上げれば空には無数の星々が瞬いている。美しい輝きの一つ一つさえ、心の荒んだクレアにとっては『ひとの悩みも知らずに』と恨めしく思えた。
「逃げてきちゃったのは、子どもっぽかったかも。でも、あれ以上あそこにいたらフレッドのこと引っ叩いてしまっていたわ。それが分かる私は大人だわ。ええ、そうよね。はぁ……そろそろ戻りましょうか」
今日は『ハウトシュミット夫妻がいかに仲睦まじいか』を見せびらかすための夜会だ、主役が長く席を外すのはまずい。冷静になったクレアは、会場へと踵を返した。
「クラウディア王女殿下、お久しゅうございます。殿下の才媛ぶりは遠くバルトールまで聞こえておりますよ」
会場の隅の人目につかない壁際で、クレアはしゃがれた声に話しかけられた。そこに立っていた従者連れの老人の姿を見て、すぐに名前を思い出す。会うのは五年ぶりだが、なにせ彼の見た目は五年前から全く変わっていないのだ。
「これはローゼンハイム公爵。あなたが来られるとは」
バルトールの筆頭公爵であり、クレアの姉レオカディアの母方の祖父でもあるローゼンハイム公爵だ。スヘンデルの支援によるバルトール再興を唱え、母方の後ろ盾が無いクレアの後見を引き受けたのも彼だった。
そのような経緯もあって彼にもこの夜会の招待状は送ったが、名代を立てるでもなくスヘンデルまでやって来るとは意外だった。
「立派に成長なされましたな。……ええ、実に理想的な成長だ」
「ありがとう、ローゼンハイム公爵。でも、私はもう『殿下』ではないわ。クラウディア・ハウトシュミット、ただの『ハウトシュミット夫人』よ」
「――健気ね、クラウディア。あなたを蔑ろにする夫の名など捨ててしまえばいいのに」
「何ですって?」
ローゼンハイム公爵の後ろに控えた人物から開口一番『哀れみ』を向けられて、かちんときた。
普段なら笑って訂正できたのかもしれないが、フレッドに不満を持っている今だからこそ、聞き捨てならない。
「そこのあなた、無礼でしょう。名を名乗りなさい!」
てっきりローゼンハイム公爵の従者だと思っていたが、それにしては態度に遠慮が無さすぎる。上質だが華美ではない服装に身を包み、金髪を肩で縛った細身の『青年』は、眉根を寄せた。
「姉を忘れてしまったの? 幼くしてバルトールから引き離されたのだから無理もないけれど」
「っ、あなたは……っ!」
一度気づけば、どうして今まで気づかなかったのだろうと思う。
クレアの知る『彼女』は濃い化粧をしていなかったから、顔の印象は大きく変わっていないのに。身分ある女性が身分を偽りながら堂々と素顔を晒し、男装して乗り込んでくるという発想自体が無かった。
「レオカディア姉様!?」
「久しぶりね、クラウディア。……それに、ハウトシュミット卿も」
彼女の流し目の先には、どこか苛立った様子のフレッドがいた。
クレアの横に立ったフレッドに向かって、クレアの姉王女にして現オルドグ大公妃であるレオカディアは顎を上げ、腕を組んだまま傲岸と言い放った。
「単刀直入に言うわ。我が妹クラウディアをバルトールに返していただきたいの」
単語はこの上なく明瞭なのに、言葉の意味が分からなかった。
『クラウディアをバルトールに返す』とは『バルトールに帰省しなさい』ということだろうか。そんな用件を伝えるためにスヘンデルに乗り込んでくるのがおかしいことは分かるけれど。
「レオカディア姉様? 何を仰っているの、そもそも姉様がどうしてここに……」
「ハウトシュミット卿、少々込み入った話をする場を用意していただけますかな。他人に聞かれたくはありませんので」
「そうみたいだね。控えの部屋でよければ」
混乱するクレアをよそに、レオカディアたちの抱える事情を見てとったフレッドは一行を奥まった小部屋へと案内した。
「ここでの話は他言無用にてお願いいたします」
口火を切ったローゼンハイム公爵の言葉に頷くと、彼はしゃがれた声で淡々と重大事を告げた。
「国王陛下の容態が思わしくなく、この夏は越せないだろうと侍医が申しておりまして」
「お父さまが? それは大変ね」
バルトール国王とはクレアの父親のことだが、知らせを聞いても然程の衝撃や悲しみは無かった。
それは、スヘンデルへ嫁ぐ直前以外の親子の付き合いが希薄だったせいかもしれないし、国王の年齢と不摂生ぶりを踏まえると嘆くより先に『仕方が無い』と思ってしまったからかもしれない。
「ええ。儂も残念ですが、天寿というものでしょう。問題は次代でして、順当に考えれば次の国王は王太子殿下ということになりますが……」
「話が長いわ、お祖父様。我々に時間は無いのだから。――クラウディア、あなたが女王になりなさい」
「は……!?」
今日はレオカディアに驚かされてばかりいる気がする。
『冗談でしょう』とへらりと笑い飛ばそうとしても、引き攣った口角は上手く上がってくれない。だって、気づいてしまった。『冗談』を言ったはずのレオカディアの目が笑っていないことにも、話の腰を折られたローゼンハイム公爵が『もっと現実的な話をしましょう』と止めないことにも。
それでも認めたくなくて、クレアは震える声で言い募った。
「レオカディア姉様、冗談は止めて」
「冗談を言うためにわざわざスヘンデルまで来ないわ」
「『女王になれ』が冗談でなくて何だと言うのです。私に王位が回ってくるはずがない!」
バルトールの王位は男子優先継承だ。適当な者がいなければ女子や王家の傍系の中から年齢や本人の資質、後ろ盾の有無を基準にして選ぶことになるが、今代の国王は艶福家で後継には困らない。
大勢いる現国王の子の中でも、クレアは末子で、女で、母は身分の無い洗濯女で、国王の寵愛も外戚の後ろ盾も無い。何よりクレアはスヘンデルへ嫁ぐ時に王位継承権を放棄している。
天地がひっくり返ったとしてもクレアが国王に選ばれることはない、はずだった。
「そもそもエーミール兄様がいらっしゃるのに!」
「王太子殿下は廃位か、死んでいただくことになりますな」
「死……!? 無茶苦茶を言わないで!」
ローゼンハイム公爵は王太子を殺してでもクレアを王位に就けようと画策しているらしい。
彼の思惑が読めずに取り乱すクレアの背中をさすって落ち着かせながら、フレッドはぽつりと言った。
「……王太子がコルキア贔屓だからか」
「それが何だっていうの」
「エーミール王太子とコルキアに嫁いだナーディア王子妃は宰相家出身の母を持つ同腹の兄妹だ。親コルキア路線を取るだろう彼の治世下では親スヘンデル派のローゼンハイム公爵は権力を握れない。だけど、そんな安い理由でクーデターを起こすのはお勧めしないな」
本当にそんな理由だけで人を殺すつもりなのだろうか。
批判されたローゼンハイム公爵がむすりと黙り込んだのを見るにフレッドの推測は大きく外れてはいないようだが、フレッド自身も訝しげに首を捻った。
「一つ分からないのは、オルドグ大公妃までクーデター計画に加担していることだけど」
君は身勝手で危険な計画に乗るほど愚かじゃないだろう。
フレッドに咎めるような目を向けられたレオカディアは、眉間を指で押さえながら言った。
「……本当はまだたくさんあるのよ、バルトールの鉄は。それが、全ての発端だった」
『鉱業以外にめぼしい産業が無いバルトールは、鉱山の枯渇によって衰退の一途を辿っている』――レオカディアの言葉は、世界に既に受け入れられた所与の前提を覆すものだった。
「ありえない。記録上はバルトールの鉱山の産出量は年々減っているはずだ。値を吊り上げるために産出量をごまかしたとしても、ここまで出し惜しみする理由は無い」
「嘘ではないわ。鉱脈が深いところにあって採掘にはかなりの危険を伴うけれど」
「話にならないな。よほど深くて手間と金がかかるか、恐怖で鉱夫が働かないのか、どちらにしても商売にならないから今までは掘らなかったんだろう?」
「後者よ」
「だったら尚更だ。いくら金を積まれても恐怖心は残る」
『どうしても掘り出せない資源は無いのと同じだ』とフレッドが言うと、レオカディアはゆるく首を振った。
「今まではそうだった。ところで、あなたは恐怖心を鈍らせる方法をご存知ない?」
「……まさか」
「ええ、そう。南大陸産の薬物をコルキア王の意を汲んだ商人たちが持ち込んだの」
「樹葉か!」
近年『発見』された南大陸からは、珍しい動植物が持ち込まれて高値で取引されている。その中でもとびきり高値がつく代物でありながら輸入を厳しく規制されているのが『樹葉』と呼ばれる薬物だ。
樹葉の特徴として興奮作用や強い依存性が挙げられる。
恐怖心を興奮で打ち消せば危険な作業もさせられる。依存性の虜となった鉱夫に報酬として薬物を与えれば働かせ続けることができる。それがコルキアの思惑なのか。
「コルキアも馬鹿なことを。無理をさせたところで、後に残るのは資源を取り尽くした山と廃人同然になった鉱夫たちだ。長い目で見てどちらが得か分からないのか」
「それが、コルキアにはバルトールを支配する気は無いみたい。絞れるだけ絞りとって残り滓の国と民は捨てるつもりらしいわ」
「そんなことをすればバルトールの反発は必至だ」
「残念ながら、エーミール兄様はそれでいいんですって。いざとなったらバルトールを捨てて自分たちだけコルキアに賓客として迎え入れてもらうから、って」
「腐ってる」
「ええ、本当にね」
兄王太子への怒りを湛えたレオカディアの瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
バルトールにいた頃のクレアは姉を冷たい人だと思っていたが、今はそうは思わない。彼女は血の通った情のある人で、それゆえに肉親への情を捻じ伏せて兄を殺してでも民を救おうとしているのかもしれない。
(あれ? でも、そうだとすると、何か違和感が――)
「ふーん、大変だね。でも、それはクレアには関係無いだろう」
頭を掠めた疑念の正体をクレアが突き止める前に、フレッドはあっさりとクーデターへの協力を拒否していた。わざとらしいくらいそっけない口調を作っている。
「クレアはスヘンデルへ嫁ぐ時に王位継承権を放棄した。今さら女王だなんだと言われても――」
「これはおかしなことを仰る、ハウトシュミット卿。教会に『白い結婚』の申し立てをしたのは、あなた自身ではありませんか」
背中に添えられていた手に、力が入ったのが分かった。ローゼンハイム公爵の指摘は、フレッドの痛いところを突いたらしい。
「……聖職者には守秘義務があると思っていたんだけどね。随分と口が軽いらしい」
「迂闊でしたな。二百年の伝統を誇るバルトールは教会との付き合いも深く、知己も多い。気心知れた儂らが相手なら口も滑りましょう。それとも『知られても構わない』とお考えでしたかな? 婚姻無効が認められず離婚の話になった時に『夫はこの時点で別れたがっていた』という証拠になりますから」
「さあね。申し立てはすぐに取り下げよう」
「それはなりません。わざわざ申し立てたのなら本当に白い結婚なのでしょうな、婚姻無効を認めるように儂からも教会に口添えしましょう。婚姻が無効となれば遡ってクラウディア殿下の王位継承権は復活しますから、即位に支障は無いかと、」
「ふざけるな!」
フレッドは大きな声でローゼンハイム公爵を遮った。常日頃の彼ならば得意の弁舌で煙に巻いて相手を言いくるめるだろうに、今の彼はすっかり余裕を失っている。
「君たちの言い分は『クレアをクーデターの神輿に担いで矢面に立たせて、情勢が落ち着いたところで自分達が実権を握ります』ってことだろう!」
「人聞きが悪い。クラウディア殿下、あなたは王たるにふさわしい成長をしてくれた。洗濯女の娘であるあなたが一国の王となる、これほどの栄誉はありますまい」
「本当に栄誉だと思うなら君が国王をやればいい!」
「そんな畏れ多いことを」
「嘘を吐くな。クーデターが失敗すれば確実に死ぬ。次期国王に歯向かうんだ、どれほど惨い殺され方をしてもおかしくない。仮にクーデターが上手くいったとして、斜陽の国を継いで気苦労が増えるだけだろう!」
彼自身がかつて経験した物事について語っているからだろうか。フレッドの言葉にはずっしりとした重みがあった。
「辛い思いをさせるためにクレアを育てたんじゃない! そんなの、僕は絶対に認めない!」
血を吐くような悲痛な叫びに言い返せる者はおらず、小部屋に沈黙の帳が降りた。その沈黙を破ったのもまたフレッドだった。
「少々熱くなってしまったね。それは謝る。でも、交渉は決裂だ。さあクレア、一緒にお客さまのお見送りをしよう」
丁寧な表現に包まれた『とっとと帰れ、二度と顔を見せるな』は所々破れた隙間から本音が覗いていた。今の彼は取り繕う余裕も無いくらい腹を立てているのだろう。
フレッドに促されて椅子から立ち上がったクレアは、強い輝きを放つ姉の瞳を見返して――小さな疑問に気づいてしまった。
「……どうしてレオカディア姉様は洗いざらい話したの?」
例えば普段のフレッドならクーデターの計画を聞いても怒りはしなかったかもしれない。でも、きっと『玉座が割に合わないことも分からない馬鹿の計画が上手くいくとも思えないけど』などと冷笑した上で断っていただろう。
クーデターへ加担することは我が身の危険を伴うからだ。
だから計画を聞いた者の対応は『良くて様子見、悪くて密告』が関の山だろう。聡明なるレオカディアがそのことに気づかなかったはずがない。それなのに、どうして彼女はごまかしもせずに計画を打ち明けたのだろう。
「クーデターに誘われたって軽々しく話に乗るわけが無い。頼み込むだけでは断られるって分かっていたでしょうに、どうして?」
「クレア、もう話は終わったよ。聞かなくていい」
「それに……コルキアはそこまでして鉄を確保してどうするつもりなのかしら。貴金属じゃなくて鉄よ? でも、大砲や銃の鋳造には使えるわね。だったら、どこかに戦争を仕掛けるつもりで」
「頼む、気づかないでくれ!」
「――ああ、コルキアは準備ができたらすぐにでもスヘンデルに攻め込む気なのね。それが嫌ならバルトールのクーデターに協力するしかない、ってこと?」
レオカディアがもったいぶらずに機密を打ち明けたのは、最終的にクレアとフレッドを協力させる勝算があったからだ。
『護国卿の情に訴える』などという不確実な方策ではなく、もっと現実的な『利害の一致による同盟』の可能性が。
「確かにそれなら、私に声をかけない選択肢は無いわね」
もしもクレアがスヘンデルに馴染めずバルトールに帰りたがっていたなら、女王になる話に喜んで乗っただろう。もしもクレアがスヘンデルを愛していれば、故国もスヘンデルもコルキアの脅威に晒された時に何もせずにはいられない。――どう転んでもクレアは確実にバルトールに戻るだろうとレオカディアは踏んだのだ。
レオカディアの考えは正しい。そもそもクレア本人がどれほど嫌がったところで、フレッドはスヘンデルのためになる選択をするだろう。ただでさえ別れたくてたまらない小娘を実家に帰すことが彼にとっての『損』になるわけがないのだから。
「鉱夫に無理をさせれば必ずガタが来る、バルトールからの資源の供給は大した量にはならずに終わるよ。仮に戦争になってもスヘンデルが勝つ。だから、クレアは心配しなくていい!」
そのはずなのに――どうして今更になってフレッドはクレアを必死に引き留めようとしているのだろう。
「でも、戦争に勝ったとしても、消耗したスヘンデルを他の国が放っておいてくれるかしら」
「外交でも防衛戦でも何なりと方法はある。僕が何とかするから、バルトールに行く必要なんて無いよ」
「フレッド……」
駄々っ子のように『何とかする』と理屈の通らない言葉を並べる彼なんて初めて見た。
あれほどクレアを追い払うために躍起になっていたくせに。言葉を尽くして引き留められると、彼に愛されて惜しまれているのだと勘違いしてしまいそうだ。
「クレア、親コルキア派の国王が即位すれば遅かれ早かれ戦争は起きたんだ。君に責任なんてかけらも無い。君に王になる資格があるからって、王にならなきゃいけないわけじゃない!」
「でも、現に戦争に直面しているのは私たちなのよ」
「いつ死ぬか分からない危険な場所に行かせられるか!」
「――それは、こちらの台詞なのだけれど?」
冷ややかな声のした方に顔を向けると、レオカディアは憎悪すら感じさせる目でフレッドのことを睨んでいた。
「ハウトシュミット卿、あなたはクラウディアに求婚した時に『子どもの笑顔を曇らせるようなことは決してしない』と誓ったわね。それを聞いたからわたくしはクラウディアを託したのに、あなたは誓いを破った。三年前にクラウディアが殺されかけたのも、あなたが巻き込んだせいではなくて?」
「姉様! それは違っ、」
「その通りだ」
違う、フレッドは間一髪のところで助けてくれたのに。
クレアが言い募ろうとした言葉は、当の本人に否定されて、誰の耳にも届かなかった。
「革命に不満を持つ者に襲われたんだから、僕のせいだ」
「そんなあなたが、どの口で『危険な場所に行かせられない』なんて言うのかしら」
「……僕の傍にいる方が危険だと?」
「そうよ。それに、バルトールとスヘンデルを繋ぐ子を産むように命じられたクラウディアが白い結婚のまま放っておかれて、どれほど不安だったと思うの? あなただけがこの子の幸せを考えているような言い方をしないで」
「君ならクレアを幸せにできるとでも言いたげだな」
「わたくしはそんなできもしない保証はしない。もちろん、最善は尽くすけれど。わたくしは身勝手なことを言っている、自分のためにクラウディアを利用しようとしている、それは認めるわ。でも、あなたも同じでしょう?」
黙り込んだフレッドに一瞥をやってから、レオカディアはクレアを鋭く見据えた。
「あなたが選びなさい、クラウディア。あなたと国の行く末を」
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