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質問はいつでもできるわけじゃない
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『少し考える時間をくれ。悪いようにはしないから』
フレッドから前向きな返事をもらって、クレアの心は弾んでいた。
数年越しの恋心に実る兆しが見えたのだ。それだけでこれまで頑張ってきたことの全てが報われたような気がした。
それなのに、何やら雲行きが怪しくなってきた。
「勘違いなら申し訳ないけれど、私を口説いていらっしゃるなら迷惑です。私はハウトシュミットの妻ですもの。おかしな噂が立つと困りますわ」
近頃、クレアは若い男にやけに声をかけられる。
意中の相手を振り向かせた今、他の男に目移りするはずがない。フレッドが目をかけている若手だと言うから愛想良くふるまってはいるものの、本音を言えば会話することすら鬱陶しくて仕方が無かった。
クレアがフレッドと過ごす時間を減らして恋路の邪魔をする彼らのことを、このままでは恨んでしまいそうだ。
(フレッドに告げ口なんて、ずるいかもしれないけど)
フレッドにしても、可愛がっている部下が妻との間に余計な諍いを起こすよりはあらかじめ遠ざけておくことを選ぶだろう。
そう考えて護国卿の執務室を訪ねたクレアは、扉を叩く前に、中から大きな物音を聞いた。
『彼女はあなたの持ち物じゃない!』
『……』
『何がおかしい!』
重い物が倒れるような音に続いたのは、喧嘩の一幕だろうか。複数の人間、おそらく二人の男性が争う声だ。
ここはフレッドの執務室なのに、どうしてフレッドは喧嘩を止めないのだろう。人払いでもされたように護衛もいないのは何故だ。もしかして、フレッドは何かの事件に巻き込まれたんじゃないか。
不安と焦燥に駆られたクレアは周囲を見回した。部屋の中に二人以上の暴漢がいるとしたら、護身術しか教わっていないクレアではとても太刀打ちできない。
「ヴィル兄様! フレッドが……っ!」
通りかかったヴィルベルトに声をかけると、同じく最悪の事態を想像したのだろう彼は険しい顔をして、室内に体を滑り込ませた。
少しだけ開いた扉の隙間からは何も聞こえない。様子を伺おうと扉ににじり寄ったクレアは、出てきた顔見知りの青年に驚いて飛び退いた。
「レディ――」
「しっ!」
目が合った青年を手振りで黙らせて、『早く行って』と指示を出す。
まったく、彼に拘ったせいでフレッドの危機を逃したらどうしてくれるのだ!
『……何をしているんだ、お前は』
部屋の中からヴィルベルトの声が聞こえた。
呆れたような気安い口調からしてフレッドに話しかけたのだろう。ひとまず彼の無事を確認してクレアはほっと胸を撫で下ろした。
『『クレアをあげる』って言ったら殴られた。恋する青年を応援したつもりだったんだけど』
――その後に、夫の残酷な言葉を聞くとも知らずに。
「……は?」
『は!?』
『だってさぁ、もう五年だよ? もういいや、そろそろ離婚しようかなって。政略結婚の旨みは吸ったし』
あっけらかんと言ってのけるフレッドは、クレアに『悪いようにはしない』と誓いを立てたことを忘れてしまったのだろうか。それともあれはその場しのぎの嘘にすぎなかったのか。
否、そうではない。真実はもっと残酷だ。
『先に僕から婚姻無効を申し立てようか。『白い結婚』だから彼女の不名誉にもならないでしょ』
クレアは他の男に嫁いで幸せにしてもらえばいい、そのためにフレッド自らが有望株を斡旋していたのだと。それが彼の言う『悪いようにはしない』ということなのか。
クレアとフレッドが最初から『夫婦』ではなかったことにしてしまおうとさえ、フレッドは考えているらしい。
「……ふふ。そう、あなたはそんなことをするのね」
不思議と衝撃は無かった。クレアにもフレッドがすんなりと自分のものになる想像はついていなかったからかもしれない。
代わりにクレアの心に湧いてきたのは――『怒り』だ。
「ああ、まったく、手のかかる旦那様だこと。仕方ないわね、健気な妻が早く夫婦の愛情を分からせて差し上げないと」
決意を新たにしたクレアは、目の笑わない笑みを浮かべてその場を去った。
逃がすつもりは毛頭ない。これでもまだ足掻くというなら、フレッドが『参りました』と言うまでさらに追いつめるだけだ。
「私が処女だから『白い結婚』を申し立てる逃げ道が残るのよね。手っ取り早く道具で貫通……いいえ、せっかくここまで我慢したのに、そんなの嫌よ。フレッドを押し倒しましょう。とりあえず強壮薬を取り寄せて、」
――だが、クレアの計画は思うように運ばなかった。
程なくして隣国コルキアに放った密偵から『コルキアが傭兵を集めている』との報を受けたフレッドは軍議に出ずっぱりになり、妻と顔を合わせる暇すら無くなった。
スヘンデルの国防に関する機密をバルトール人のクレアが聞くわけにはいかず、何もできずに気持ちばかりが急いた。
さすがに寝る間も惜しんで働いている夫に夫婦生活をねだることもできない。
だから――。
「単刀直入に言うわ。我が妹クラウディアをバルトールに返していただきたいの」
だから、問題は宙に浮いたまま、夫婦の気持ちはすれ違ったままで、二人はバルトール王国第七王女にして現オルドグ大公妃レオカディアの襲来を迎え討つことになった。
フレッドから前向きな返事をもらって、クレアの心は弾んでいた。
数年越しの恋心に実る兆しが見えたのだ。それだけでこれまで頑張ってきたことの全てが報われたような気がした。
それなのに、何やら雲行きが怪しくなってきた。
「勘違いなら申し訳ないけれど、私を口説いていらっしゃるなら迷惑です。私はハウトシュミットの妻ですもの。おかしな噂が立つと困りますわ」
近頃、クレアは若い男にやけに声をかけられる。
意中の相手を振り向かせた今、他の男に目移りするはずがない。フレッドが目をかけている若手だと言うから愛想良くふるまってはいるものの、本音を言えば会話することすら鬱陶しくて仕方が無かった。
クレアがフレッドと過ごす時間を減らして恋路の邪魔をする彼らのことを、このままでは恨んでしまいそうだ。
(フレッドに告げ口なんて、ずるいかもしれないけど)
フレッドにしても、可愛がっている部下が妻との間に余計な諍いを起こすよりはあらかじめ遠ざけておくことを選ぶだろう。
そう考えて護国卿の執務室を訪ねたクレアは、扉を叩く前に、中から大きな物音を聞いた。
『彼女はあなたの持ち物じゃない!』
『……』
『何がおかしい!』
重い物が倒れるような音に続いたのは、喧嘩の一幕だろうか。複数の人間、おそらく二人の男性が争う声だ。
ここはフレッドの執務室なのに、どうしてフレッドは喧嘩を止めないのだろう。人払いでもされたように護衛もいないのは何故だ。もしかして、フレッドは何かの事件に巻き込まれたんじゃないか。
不安と焦燥に駆られたクレアは周囲を見回した。部屋の中に二人以上の暴漢がいるとしたら、護身術しか教わっていないクレアではとても太刀打ちできない。
「ヴィル兄様! フレッドが……っ!」
通りかかったヴィルベルトに声をかけると、同じく最悪の事態を想像したのだろう彼は険しい顔をして、室内に体を滑り込ませた。
少しだけ開いた扉の隙間からは何も聞こえない。様子を伺おうと扉ににじり寄ったクレアは、出てきた顔見知りの青年に驚いて飛び退いた。
「レディ――」
「しっ!」
目が合った青年を手振りで黙らせて、『早く行って』と指示を出す。
まったく、彼に拘ったせいでフレッドの危機を逃したらどうしてくれるのだ!
『……何をしているんだ、お前は』
部屋の中からヴィルベルトの声が聞こえた。
呆れたような気安い口調からしてフレッドに話しかけたのだろう。ひとまず彼の無事を確認してクレアはほっと胸を撫で下ろした。
『『クレアをあげる』って言ったら殴られた。恋する青年を応援したつもりだったんだけど』
――その後に、夫の残酷な言葉を聞くとも知らずに。
「……は?」
『は!?』
『だってさぁ、もう五年だよ? もういいや、そろそろ離婚しようかなって。政略結婚の旨みは吸ったし』
あっけらかんと言ってのけるフレッドは、クレアに『悪いようにはしない』と誓いを立てたことを忘れてしまったのだろうか。それともあれはその場しのぎの嘘にすぎなかったのか。
否、そうではない。真実はもっと残酷だ。
『先に僕から婚姻無効を申し立てようか。『白い結婚』だから彼女の不名誉にもならないでしょ』
クレアは他の男に嫁いで幸せにしてもらえばいい、そのためにフレッド自らが有望株を斡旋していたのだと。それが彼の言う『悪いようにはしない』ということなのか。
クレアとフレッドが最初から『夫婦』ではなかったことにしてしまおうとさえ、フレッドは考えているらしい。
「……ふふ。そう、あなたはそんなことをするのね」
不思議と衝撃は無かった。クレアにもフレッドがすんなりと自分のものになる想像はついていなかったからかもしれない。
代わりにクレアの心に湧いてきたのは――『怒り』だ。
「ああ、まったく、手のかかる旦那様だこと。仕方ないわね、健気な妻が早く夫婦の愛情を分からせて差し上げないと」
決意を新たにしたクレアは、目の笑わない笑みを浮かべてその場を去った。
逃がすつもりは毛頭ない。これでもまだ足掻くというなら、フレッドが『参りました』と言うまでさらに追いつめるだけだ。
「私が処女だから『白い結婚』を申し立てる逃げ道が残るのよね。手っ取り早く道具で貫通……いいえ、せっかくここまで我慢したのに、そんなの嫌よ。フレッドを押し倒しましょう。とりあえず強壮薬を取り寄せて、」
――だが、クレアの計画は思うように運ばなかった。
程なくして隣国コルキアに放った密偵から『コルキアが傭兵を集めている』との報を受けたフレッドは軍議に出ずっぱりになり、妻と顔を合わせる暇すら無くなった。
スヘンデルの国防に関する機密をバルトール人のクレアが聞くわけにはいかず、何もできずに気持ちばかりが急いた。
さすがに寝る間も惜しんで働いている夫に夫婦生活をねだることもできない。
だから――。
「単刀直入に言うわ。我が妹クラウディアをバルトールに返していただきたいの」
だから、問題は宙に浮いたまま、夫婦の気持ちはすれ違ったままで、二人はバルトール王国第七王女にして現オルドグ大公妃レオカディアの襲来を迎え討つことになった。
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