メイク越しの私

第二話：嘘の噂、隠した素顔

9月の朝、彩花の部屋は蒸し暑い。
カーテンの隙間から秋の陽光が差し込み、メイク道具を照らす。
クッションファンデ、アイシャドウパレット、カラコン、ハイライトペンシル、アイライナー。
彩花は鏡の前に立つ。素顔は平凡。そばかす、薄い眉、小さな目。
本当の私は、誰も必要としない。
コンシーラーでそばかすを隠し、クッションファンデを重ね、カラコンで目を大きく。アイシャドウ、ハイライト、アイライナー、ピンクリップ。
清楚なモテ顔。濃いメイクの鎧。
これで誰も本当の私を見ない。

スマホにクラスLINEの通知。「盛ってる清楚顔ガチダサ😒」「男漁りキモすぎ🤣💦」。

心が締まる。
作り笑顔を浮かべ、彩花は家を出る。
落ち葉がカサカサ鳴り、蝉の残響が遠く響く。

高校3年B組の教室は、文化祭前日のざわめきで満ちている。
扇風機がブーンと回り、窓から差し込む陽光が机に汗ばむ影を落とす。
色とりどりのポスター、ガーランド、衣装の布が散らばり、生徒たちが笑い合いながら準備に追われる。
彩花が教室に入ると、視線が集まる。
美奈が鈴香に耳打ちし、鋭い視線を投げる。美奈の目には中学の傷—汚された机、震える声—が宿る。
「ねえ、彩花、男ウケ狙いすぎてキモすぎなんだけど😝」「マジキモい、無理💦」。
美奈のギャル口調が教室に響く。
鈴香がクスクス笑う。「やば、マジで誰？🤣」。
陽菜がそっと目を逸らす。
穏やかな陽菜の仕草に、微妙な距離感が漂う。
彩花は濃いメイクの笑顔で窓際の席へ。
心がチクチクする。

他のクラスの男子がニコニコ近づく。バスケ部3年、クラスのムードメーカーで女友達も多い。

「お、彩花！ 明日文化祭、俺らのたこ焼き食いに来なよ！ お前可愛いし、来たら絶対盛り上がるって！」

教室が一瞬静まる。彩花は作り笑顔。

「え、誘ってくれてありがと！ でも、演劇部の裏方忙しくて行かないかも。」

「マジか、残念！ でも絶対寄れよ！」と笑って去る。
美奈が舌打ち。「彩花、ガチウザ😒」。鈴香がスマホを叩く。「彩花、健太にチヤホヤされてウケる🤣」。通知が光る。「彩花、盛って媚び売ってるのヤバ😩」。彩花の胸が締まる。モテるのはメイクの仮面。偽物の私。

凛子が手を振って待っている。
鋭い目元、色気漂う立ち姿。
演劇部のエースで、教室の空気を変える存在。
凛子のそばにいると、つまらない自分を忘れられる気がする。

「彩花、今日も可愛いね。気にしない。気にしない。」

凛子の声は柔らかく、彩花を包む。
彩花は頷く。

「うん、平気」

スマホに通知が光る。

「彩花、盛って媚び売ってるのウケる😒」。見ないで、と凛子が言ったのに思わず見てしまう。
凛子が眉をひそめる。

「通知、切っちゃいな。」

彩花は笑う。

「ありがとう、凛子」

頭ではわかっているけど通知を切ることもできず見てしまう。

美奈が鈴香にまた囁く。「彩花、ガチで盛ってるだけじゃん😝」「転校生に絡むのもキモすぎ、マジ無理💦」。陽菜が黙って美奈を見つめ、視線を落とす。
彩花は聞こえないふり。
心がチクッと刺さる。
ホームルームが始まり、担任が文化祭の注意点を話す。
彩花はノートに目を落とし、笑顔を保つ。平気。
中学の自分—グループの下っ端、ただ見ていた自分—を誰も知らない。
この濃いメイクがあれば、誰も気づかない。

ホームルームが終わり、生徒たちが準備に動き出す。
廊下で悠斗がクラスメイトと話している。黒髪、端正な顔立ち、落ち着いた雰囲気。
彩花は作り笑顔で絡む。

「悠斗君、文化祭楽しみだね。一緒に準備しない？」

悠斗はカラコンを見据え、素っ気なく答える。

「俺に構うな」

彩花は笑顔のまま固まる。
心がチクッと痛む。
陽太がギターケースを背負って現れる。
くしゃっとした笑顔で、

「悠斗、ちょっと冷たくね？ 彩花ちゃん、いい子じゃん」

悠斗は「…関係ない」と返す。
陽太は肩をすくめ、彩花にウィンク。

「彩花ちゃん、一緒に文化祭、盛り上げようぜ！」

彩花は笑う。陽太の明るさが心を軽くする。

演劇部の部室は文化祭前日の熱気で溢れている。
古い木の床に小道具—紙の花、木製の剣、布の幕—が散らばり、衣装がハンガーに揺れる。
窓の外は夕暮れの湿気を帯び、扇風機が弱々しく回る。
彩花は裏方で小道具の最終確認に追われる。紙の花の接着を直し、幕のシワを伸ばし、タイムスケジュールを部員と調整。
汗が額に滲むが、仲間と準備する時間が彩花を支える。
凛子が仮設舞台で演技の最終調整。
鋭い目、色気ある仕草でセリフを磨く。

「彩花、剣の位置、右に5センチずらして」。

凛子の指示が飛ぶ。

彩花は頷き、素早く動く。
凛子の信頼が胸を温める。

「彩花、ほんと頼りになる。ありがとう」

彩花は微笑む。つまらない自分でも、ここでは必要とされる。

朝とは違う男の子が部室に現れる。サッカー部3年、爽やかで人懐っこい。

「彩花！ 演劇の裏方やってるって聞いて見に来た！まじ頑張ってんじゃん！明日絶対見に行くわ！」。

部員が少しざわつく。
彩花は笑顔。

「ありがと！ 裏方だけど、いい舞台にするから見に来てね！」

「いいじゃん！ 期待してるぜ！俺らの模擬店も来てくれよな！」と去って行く。

廊下からヒソヒソと彩花の噂話が聞こえる気がする。

少しして陽太がギターを抱えて現れた。
くしゃっとした笑顔でギターを弾き、即興ソングを歌う。

「凛の演技、俺の心ドカン！ 彩花ちゃん、裏方の星だぜ！」

「最高！最高！ 受験なんて秋の風に飛ばせ～！ 最後の文化祭、ぶちかませ～！」

部員が笑い、彩花も笑顔になる。
陽太の声が部室を明るくする。
凛子が微笑む。

「陽太、また騒いで」

陽太はウィンクして凛子に投げキッス。

彩花の胸が温まる。
演劇部の絆が、噂の重さを少し軽くする。

亮太が部室に現れる。俺様系のモテ男。

「明日の文化祭、彩花に誘われたけど断ったぜ。あんな女に惑わされなくて正解」

彩花は微笑みを保つ。
心がギューっと締まる。
亮太には軽く話しかけられただけ。あんなの誰にでもしてる。
それをはぐらかしただけ。彩花もいつも通り。
凛子が亮太を睨む。

「亮太、嘘やめて。彩花はそんな子じゃない」

陽太がギターを置く。

「亮太、ダサいぞ。彩花ちゃん、気にすんな！」

亮太は肩をすくめて去る。
彩花は小道具の整理に戻る。胸が痛むが、凛子と陽太の言葉が支える。

夕暮れ、教室は静まり返っている。
ほとんどの生徒が帰り、校舎に秋の静けさが漂う。
彩花は一人、窓際の机に座る。
スマホにSNSの通知。

「マジで盛るだけ？ 偽清楚、ガチで誰？🤣💦」「男漁りヤバすぎ、キモ😩」。名指しじゃないけど、明らかに自分。心が軋む。彩花は小さな鏡を取り出し、濃いメイクの顔を見つめる。ブラウンのカラコン、キラキラのハイライト、シャープなアイライナー、ピンクのグロス。清楚で儚いモテ顔。偽物の鎧。涙が滲み、アイライナーが薄く流れ落ちる。メイクが崩れる。こんな顔でも、本当の私は隠せない。
中学の教室がフラッシュバックする。2年C組、曇った午後。美奈が教室の隅で教科書を開く。グループの女子—美咲、玲奈、彩花—がクスクス笑う。美咲が囁く。「美奈、無視しようよ。面白いよね」。彩花は黙って頷く。仲間外れが怖かった。美奈が話しかけてきても、目を逸らす。美奈の声が小さくなり、視線が床に落ちる。教室の空気が冷たくなる。次の日、美咲が美奈のノートにボンドを塗る。ページがくっつき、美奈が震える手で剥がそうとする。教室が静まり、視線が美奈に集まる。彩花は胸が締まる。止めたい。でも、美咲の「彩花、黙ってろ」が頭を縛る。
数日後、玲奈が美奈の机を校舎裏に運ぶ。雨が降り、教科書が濡れる。美奈が一人、雨の中を走って机を探す。グループが教室の窓から見て笑う。「マジ、びしょ濡れウケる！」と美咲。彩花は目を伏せる。胸が締め付けられる。美奈の背中が、雨に滲んで小さく見える。最悪の日、廊下で美咲が美奈にペットボトルの水をかける。美奈の制服がびしょ濡れ、震える声で「やめて…」と呟く。美奈の瞳が彩花に一瞬向く。助けて、と言わんばかりに。彩花はただ黙る。教室が凍りつき、誰も助けない。美咲が笑う。「彩花、つまんない顔してんね」。彩花は自分じゃない誰かが傷つくことに、ほっとしていた。
記憶が現実に戻る。彩花は机に突っ伏す。涙が止まらない。美奈の震える声、びしょ濡れの制服、助けを求める目。止められなかった弱い自分。濃いメイクで隠したかった。中学の罪悪感が胸を埋め尽くす。美奈のギャルっぽい声が耳に残る。「彩花、盛ってマジキモいんだけど😝」。。凛子の「気にしないで」、陽太の「負けんな！」。悠斗の冷たい目。素顔を見せる勇気はない。SNSは嘘ばかり。偽物の私と同じ。彩花は震える手で鏡を握る。濃いメイクを落としたら、何をしたらいいか分からない。