メイク越しの私

わん子

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第八話:敵意の棘 踏み出す勇気

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10月上旬、朝7時の校舎の廊下は冷たい風が吹き抜け、静寂に包まれていた。
窓の外では校庭の木々が紅葉に染まり、秋の澄んだ空気が漂う。

彩花は3年B組のドア前で立ち止まる。
濃いメイクの鎧—厚いファンデ、鮮やかなリップ—が心を隠す。
美奈のクラスLINE拡散で「彩花が加害者」と敵意が広がる今、この鎧がないと足がすくむ。

昨夜も眠れなかった。
中学の教室が夢に現れる。
美奈がグループから無視され、ひとり教室の隅にいた。
机にボンドを塗られ、教科書がベタベタに。落書きされた机に「消えろ」と刻まれていた。
廊下で美奈に水をかけた仲間たちの笑い声。
美奈の震える背中、濡れた制服、うつむく瞳。
どんどんエスカレートしていく『いじめ』。

彩花はそれを黙って見ていた。

仲間外れが怖くて、嫌われるのが怖くて、美奈の叫びを無視した。

あの弱さが、美奈を地獄に追いやった。
目が覚めると、自己嫌悪で胸が締まる。

クラスLINEの噂がエスカレートし、鈴香の囁き、亮太の冷たい目が突き刺さる。
美奈の怒りの視線は、過去の傍観を突きつける。
「加害者」じゃない、って叫びたい。
傍観者だったと自分に言い訳を続けることにも疲れた。

凛子の温かい抱擁、陽太の明るい笑顔が、胸に灯る。
文化祭の夜、自分の過去を告白した彩花を凛子は黙って抱きしめてくれた。

陽太のギターが、暗い心を軽くした。

でも、メイクの鎧で自分を偽る毎日に、息苦しさが増す。
悠斗の冷たい視線、遠い目が、心を揺らし、焦りを掻き立てる。「変わらなきゃ」。
受験の重圧、進路の不安ものし掛かる。

美奈の痛みに向き合わなきゃ。
自分の罪を償いたい。
過去の弱い自分を変えたい。

鎧の下で、心が震える。


彩花はドアを開けた。
教室はざわめき、視線が刺さる。
鈴香の囁き、亮太の冷たい目。
美奈は窓際でスマホを手に笑う。
陽菜が彩花を見て、目を逸らす。

彩花は美奈の席の前に立ち、静かに言う。

「美奈、放課後、話したい。中学のときのこと、ちゃんと話したい」

声が震える。教室が静まる。美奈の目が鋭く光る。

「話す? 今さら何?」

美奈の声は冷たい。陽菜の視線が揺れる。鈴香が笑う。「厚かましいね」。彩花は目を伏せず、美奈を見つめる。

「私のせいで、美奈がつらかったこと。逃げないで、向き合いたい」

凛子が小さく頷く。陽太がウインク。「彩花ちゃん、かっこいいぜ!」。

悠斗が教室に入る。端正な顔、黒髪が揺れる。彩花を一瞥し、席に着く。
冷たい目、遠い影。

美奈が立ち上がり、睨む。

「放課後ね。いいよ。話してやる」

美奈の声に棘がある。陽菜が呟く。「美奈…」。

彩花は頷いた。鎧は重い。対話は怖いけど、逃げられない。


昼休み、屋上は紅葉の陽光に照らされていた。
赤と黄色の葉が鉄柵に引っかかり、秋の冷たい風が吹く。
彩花はお弁当を手に、凛子と陽太と過ごす。
美奈との対話が頭を離れない。
ボンドで汚れた美奈の机、水をかける笑い声。噂の視線。
凛子が静かに呟く。

「……怖いよな、向き合うの」

彩花の胸が締まる。
凛子の寂しさが、向き合う怖さを重ねる。

彩花は顔を上げる。

「お母さん、文化祭の舞台見てくれたっぽい?」

凛子は苦笑いする。

「観てないと思う。」

彩花は凛子を真っ直ぐ見て言う。

「でも、お母さんのマネージャーさんが動画を撮りにわざわざ学校まで来たんだよね? それって…」

凛子は目を伏せ、呟く。

「彩花の思ってる通りならいいけど、もう期待することに疲れたんだよね。」

秋の風が彩花の髪を揺らす。

陽太がギターを手に、最近よく耳にする流行りの応援歌を歌い出す。

明るいメロディー、優しい声。
陽太の笑顔が、屋上に温かさを広げる。

彩花の心が、ほんの少しほぐれる。
凛子も小さく微笑む。
歌が終わると、陽太が言う。

「彩花ちゃん、応援してる!美奈も、絶対わかってくれるよ!」

心は重い。
凛子と陽太の支えで踏ん張るが、正直美奈の怒りが怖い。
彩花は頷いた。
鎧は重いけど、2人がいる。
なんとか、向き合える。


放課後、3年B組の教室は静かだった。
夕暮れのオレンジが窓を染め、紅葉の影が床に揺れる。
生徒は去り、机の並びが冷たく感じる。

彩花は教壇近くで美奈を待つ。
濃いメイクの鎧から恐怖が溢れ出しそうになる。

美奈が現れる。
ギャル風の明るい髪、鋭い目。陽菜が後ろに立つ。

彩花は静かに言う。

「美奈、2人で話したい。」

「廊下で待ってて」美奈が言い陽菜は頷き、廊下へ。

美奈が彩花を睨む。

「話したいって、何? 中学のこと、覚えてるよね」

美奈の声は鋭い。
彩花は頷いた。喉の奥がギュッとしまって声を出すのが辛い。

「覚えてる。中学のとき、みんなが美奈を無視しし初めて、次は机を汚して‥‥どんどんエスカレートしていって、笑いものにしてた。」

美奈の目が燃える。

「あんた、何してたの? 後ろで見てて、何考えてた? バカにした目で、ずっと見てたよね。アイツらのことより、あんたのその目の方がよっぽどムカつく!」

美奈の声が震える。
彩花は目を伏せず、美奈を見つめる。

「バカになんてしてない」

美奈の目が鋭くなる。彩花は続ける。

「そう思わせたなら、ごめんなさい。本当に後悔してる。あのとき、仲間外れが怖かった。美奈の心がどんどん傷ついてくのを見るのも、怖かった。謝りたい。止める勇気があればよかった。本当にごめんなさい」

美奈が一歩近づく。

「謝るのなんて、ただの自己満だろ。自分が楽になりたいだけだろ。怖いって何だよ。私の方が、ずっと怖かった!」

絞り出すような美奈の叫びで、彩花は胸が張り裂けそうに思う。

恐らく美奈も彩花と同じなのだろう。少し離れた、中学の同級生が来ないような高校を選んで新しい自分をスタートさせようとした。

その美奈の新たなスタートすら、自分の存在が邪魔をした。

3年になるまで同じクラスになることなく顔もほとんど合わせず過ごしてきて、入学後今年初めて同じクラスになった。

そこで過去の苦しみが蘇りまた美奈を苦しめた。

あの頃の美奈の苦しみや恐怖はそれほどだったと言うことだ。

「うん、美奈の怖さ、想像もできなかった。自分の弱さで、美奈を傷つけた。許してくれなくていい。でも謝りたい。美奈がどうして欲しいか、教えて欲しい」

美奈が唇を噛む。声が震える。

「どうして欲しいかなんて、自分でもわからない。でも、彩花が楽しそうに笑ってるのは許せない。一生許せない。」

美奈は踵を返し、教室を出る。
廊下で陽菜と合流し、去る。

彩花は立ち尽くす。
夕暮れのオレンジが、教室を静かに染める。

彩花は教室の机に座り込んだ。

薄暗い教室、夕暮れの影が揺れる。
美奈の「一生許せない」と言う言葉が頭の中をこだまする。
水をかける笑い声、濡れた制服が胸を刺す。中学の罪悪感。あの頃の美奈と今の美奈が重なって見えた。

これが正解だったのかわからない。
美奈の言う通り、自己満でしかない。

涙が溢れ、震える手で拭う。
後悔が胸を埋め尽くす。

凛子と陽太の支えが、遠く温かい。
でも、今は届かない。
美奈の痛みとこれで向き合えたのかはわからない。
変わらない現実。

涙を堪え、立ち上がった。鎧は重い。
帰らなきゃ。足取りが、鉛のよう。

下駄箱は薄暗く、夕暮れの光が廊下に伸びる。彩花はうつむき、赤い目で靴を履く。

美奈の「一生許せない」が頭を巡り、足が重い。
気づかぬうちに、凛子と陽太が下駄箱の影で待っている。
凛子の鋭い目が彩花の姿を捉え、心配に揺れる。
陽太はいつもの笑顔を抑え、静かに見つめる。
彩花の震える肩、濡れた目を見て、凛子が陽太に目配せ。
声をかけず、そっと見守ることにする。
彩花は2人に気づかず、鞄を握り、校門へ向かう。
凛子と陽太の温かい視線が、彩花の背中に寄り添う。

夕暮れ、校門前の道は秋の夜の匂いに包まれていた。
街灯が薄暗く灯り、冷えた空気に紅葉の葉が舞う。
彩花は鞄を握り、校門を出る。

対話の重さ、変わらない現実が、足を鉛のようにする。

校門の向かい、バス停のベンチに人影がある。
悠斗だ。端正な顔、黒髪が街灯に映る。

隣に知らない制服の女の子。
暗い髪、シンプルな制服をどこかオシャレに着こなし、男なら守ってあげたくなるような雰囲気の女の子。
そんな女の子が泣きながら悠斗に抱きつき、肩に顔を埋めているのが見える。
悠斗の服を掴む手が、親密に震える。
悠斗の表情は硬い。ぎこちない腕で抱き返すが、目は冷たく、どこか遠い。

彩花の足が止まる。心が軋む。

説明できない苦しさが胸を刺す。

彩花は悠斗のことを何も知らない。
だから、あの女の子のことも知らない。

でも、その光景を見るのは嫌だ。

こんな自分—美奈との確執を抱えた自分—が、そんなことを思うのは烏滸がましい。

心と瞳が揺れる。
妙な疎外感と孤独感が膨らむ。
止まっていた涙がまた溢れ出す。

悠斗が一瞬、彩花の背中を見るが、彼女は気づかない。
彩花は涙を隠すように目を伏せ、急いで去る。
足元で紅葉の葉がカサリと音を立てる。
冷たい風が頬を刺し、街灯の光が遠ざかる。
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