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第三章
第25話「母と娘」
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休日の朝。
トーストをかじっていると、母さんがエプロン姿のままリビングから顔を出した。
「ひな、今日ひさしぶりに街まで行こうか。服、見に行かない?」
思わず口の中のパンを飲み込み損ねそうになる。
服。しかも俺に?
(服なんて、スーパーでシャツ買えりゃ十分だろ……)
前世ではスーツとワイシャツばかり。休日は適当なジャージ。流行なんて気にしたこともない。
それが今は――小学生の女の子。
店に行けば、ピンクやリボンやフリルの世界が待っているに違いない。
「べ、別に今の服で……」
慌てて言いかけたが、母さんはにこにこと俺の手を取った。
「たまにはいいでしょ。女の子だもの。似合うの選んであげるから」
強引に手を引かれ、結局はバスに揺られて商店街へ。
通りには親子連れが歩き、同年代の女の子が可愛い服を抱えて笑い合っている。
胸の奥がちくりと痛む。俺はこういう時間を、一度も味わったことがなかった。
⸻
子ども服売り場に入ると、視界が一気にパステルカラーに染まる。
ピンク、ラベンダー、ミントグリーン。
ラックにはレースのついたブラウスや、ふわっと広がるスカート。
ひとつひとつが「女の子らしさ」の象徴みたいで、どう見ても俺の世界とは縁遠い。
「ほら、ひな、これなんかどう?」
母さんが花柄のワンピースを広げる。
「わ、わざわざ試着しなくても……」と抵抗する間もなく、背中を押されて試着室に押し込まれた。
狭い鏡の中に、黒髪のボブカットにぱっつん前髪、大きな瞳の少女が立っていた。
裾にレースが揺れるワンピースを着て、恥ずかしそうに肩をすぼめている。
……いや、それが俺だ。
(これは……罰ゲームかよ)
鏡に映る“如月ひな”に、どうしようもなくむずがゆさを覚える。
でも、背後のカーテン越しに母さんの声が聞こえた。
「ひな? 見せてごらん」
観念して外に出ると、母さんの顔がぱっと輝いた。
「わぁ、似合ってる! やっぱりひなはこういうのが一番かわいいね」
胸が、不意に詰まった。
その言葉は、俺が四十五年間、一度も言われたことがなかったものだった。
前世の母にだって、そんなふうに笑いかけられた記憶はない。
「……べ、別に」
小声で返すのが精一杯。頬が熱い。
母さんは嬉しそうにワンピースの裾を整えて、「これにしようか」と満足げに頷いた。
⸻
帰り道、母さんが手に提げた紙袋が歩くたびに揺れていた。
中身は、俺が欲しいと口にしたわけでもないのに、確かに“俺のため”に選ばれた服。
信号待ちで母さんがふとこちらを見て、柔らかく微笑んだ。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
大人だった頃には、もう手に入らないと思っていた時間。
俺はそれを、今になってようやく味わっている。
トーストをかじっていると、母さんがエプロン姿のままリビングから顔を出した。
「ひな、今日ひさしぶりに街まで行こうか。服、見に行かない?」
思わず口の中のパンを飲み込み損ねそうになる。
服。しかも俺に?
(服なんて、スーパーでシャツ買えりゃ十分だろ……)
前世ではスーツとワイシャツばかり。休日は適当なジャージ。流行なんて気にしたこともない。
それが今は――小学生の女の子。
店に行けば、ピンクやリボンやフリルの世界が待っているに違いない。
「べ、別に今の服で……」
慌てて言いかけたが、母さんはにこにこと俺の手を取った。
「たまにはいいでしょ。女の子だもの。似合うの選んであげるから」
強引に手を引かれ、結局はバスに揺られて商店街へ。
通りには親子連れが歩き、同年代の女の子が可愛い服を抱えて笑い合っている。
胸の奥がちくりと痛む。俺はこういう時間を、一度も味わったことがなかった。
⸻
子ども服売り場に入ると、視界が一気にパステルカラーに染まる。
ピンク、ラベンダー、ミントグリーン。
ラックにはレースのついたブラウスや、ふわっと広がるスカート。
ひとつひとつが「女の子らしさ」の象徴みたいで、どう見ても俺の世界とは縁遠い。
「ほら、ひな、これなんかどう?」
母さんが花柄のワンピースを広げる。
「わ、わざわざ試着しなくても……」と抵抗する間もなく、背中を押されて試着室に押し込まれた。
狭い鏡の中に、黒髪のボブカットにぱっつん前髪、大きな瞳の少女が立っていた。
裾にレースが揺れるワンピースを着て、恥ずかしそうに肩をすぼめている。
……いや、それが俺だ。
(これは……罰ゲームかよ)
鏡に映る“如月ひな”に、どうしようもなくむずがゆさを覚える。
でも、背後のカーテン越しに母さんの声が聞こえた。
「ひな? 見せてごらん」
観念して外に出ると、母さんの顔がぱっと輝いた。
「わぁ、似合ってる! やっぱりひなはこういうのが一番かわいいね」
胸が、不意に詰まった。
その言葉は、俺が四十五年間、一度も言われたことがなかったものだった。
前世の母にだって、そんなふうに笑いかけられた記憶はない。
「……べ、別に」
小声で返すのが精一杯。頬が熱い。
母さんは嬉しそうにワンピースの裾を整えて、「これにしようか」と満足げに頷いた。
⸻
帰り道、母さんが手に提げた紙袋が歩くたびに揺れていた。
中身は、俺が欲しいと口にしたわけでもないのに、確かに“俺のため”に選ばれた服。
信号待ちで母さんがふとこちらを見て、柔らかく微笑んだ。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。
大人だった頃には、もう手に入らないと思っていた時間。
俺はそれを、今になってようやく味わっている。
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