姉の婚約者を寝取った話

なかたる

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ギシギシとベッドを揺らしながら男は呟いた。
「シェリアっ…!」
呼ばれたのは僕の双子の姉だ。それもそのはず、彼は僕の双子の姉の婚約者なのだから。
ズキズキと痛む心に見ぬふりをして僕は精一杯彼の身体にしがみ付く。
(好き、好きです、大好き)
きっとこの気持ちを伝える日は来ないだろう。そしてこの関係に期限が付いていることも勿論理解していて虚しい行為を僕は乞う。
卑しい思いと欲のせいで、随分と快楽を拾える身体になったのは返って良かった。
その方がこの人は罪悪感を持たない。
その方が、僕も、変に情をかけられない。



「──あら、こんなところで愚弟に会うなんて。今日は最悪な1日になりそうだわ」
「お言葉だねリア、そっくりそのまま返すよ」
険悪な空気を放つ僕たちに寮生や友人たちが慌てて割って入ってくる。
「おいやめろよリル」
僕の腕を掴んで目を逸らさせたのは幼馴染のガルオ・ヒューズ伯爵令息だ。
「…先に喧嘩を売ってきたのはアイツだよ」
「だからってお前が応戦したら駄目だろ。ほら、もう飯食ったんだし行こうぜ」
どうして僕がアイツのためにそそくさとこの場を後にしなければいけないのかと腹が立ったけれど、すぐにその言葉に感謝することになった。
「おはようシェリア」
「あらご機嫌よう、カイル様」
友人達と共に現れたのは1学年上のカイル・フォースト侯爵令息──シェリアの婚約者だ。
「今日も相変わらず美しいね」
周りの冷やかしも気にせず素直な褒め言葉を口にする彼は、昨日、僕の部屋で僕を抱いた。
(…そんなにこの顔が好き?)
僕はこれが嫌いでたまらない。それこそナイフで剥ぎ取ってやりたいくらい。
「おいリル、行くぞ」
「置いていくよ~」
ガルオとクラスメイトのセシル・ブラッド侯爵子息に急かされ頷き身を翻す。
「リアちゃん相変わらずだねぇ。なんでそんなに仲悪いの?双子なのに」
「おいセシル。やめとけって」
人の家の問題に首を突っ込むなと言ったガルオに思わず笑う。相変わらず人の良いことだ。
「別に良いよ。僕だって知らないんだから」
「どういうこと?」
「向こうが一方的に嫌って貶してくるんだ、僕が歩み寄る必要は無いだろう?」
本当に分からないのだ。なにがそんなにも僕を目の敵にするのか。
恵まれて育ったのは彼女の方なのに、随分と最悪な方に成長したと思う。
両親から愛され、使用人から大切にされ、僕の好きな人を片っ端から虜にして。
同じ顔なのに、女と男の違いがここまではっきりと浮き出るとは思わなかった。
「それにしてもカイル先輩ほんっとに格好いいね。僕も憧れてるんだ~」
「そういや、最近リルはあの人と話してないのな。昔は仲良かったのに」
「…そう?」
そんなことも無かったような気がするけれど。僕は彼の大勢いる後輩のうちの1人だった。
「別に仲良くないよ」
しまった、存外声が大きく出てしまった。聞こえてしまっただろうか。
(…まぁ気にしないか、あの人は)
あの人はいつも僕なんて興味なくて、僕がどう思おうとどうでもいい人だったから。
そのくせ変なところ優しくて、惚れたが負けとはまさにこの事だ。
「そうかぁ?」
「それより今日の午後の授業──」

あぁ、今日も穏やかだ。
いつか僕と彼の関係が切れてもこんな穏やかな朝を過ごせたら、きっと幸せだと思う。



「お前、俺の他に何人いんの?」
「え?」
散々鳴かされ、ようやく終わって意識が沈みかけた頃にそれは問いかけられた。
「こういう関係の奴、他に何人いるのか聞いてんの」
ぶっきらぼうなその言葉に、貴方だけですって言えたらどれほど楽だろう。
「…聞いてどうするんですか?」
「別にどうもしねぇよ」
まぁそうだろうね。本当に気が向いただけか、話題に乏しくなったのか。
「先輩と寝るのが1番気持ちいいから、先輩に誘われたら他の奴ちゃんと断りますよ」
にこりと笑いかけて心の中でガッツポーズをする。
さりげなく普段断らない理由をビッチっぽく言えた。
それに意味が違っても、貴方に1番だと伝えられた。
「…あっそう」
ふいっと視線を逸らした彼が布団を被り直す。身体だけの関係でも、こうして恋人のように朝まで居てくれるのが嬉しくて堪らない。
心臓の鼓動が分からないように少しだけ距離を置いて背中を向ける。
「おやすみなさい」
「…おやすみ」
再び意識が降下していく感覚に目を閉じる。
なんだか温かい手が僕の首や背中を確かめるように動くのがこそばゆくて息を漏らせば離れていった。
──僕には貴方だけだけれど、貴方は僕なんかには目もくれない。
そんな貴方が、好きで好きで堪らない僕はきっと、貴方のためなら死ねるんだろう。
そんな重いこととても口には出来ないけれど。



チャイムの音が鳴って休み時間を知るなり、生徒たちはぞろぞろと教室を出たり入ったりする。
「なぁリル、次の授業移動だぞ」
すっかり眠ってしまっていた僕を起こしたガルオは仕方なさそうにため息を吐いた。
「寝てねぇの?」
「…なんで?」
「明け方に先輩出てきたから」
その言葉ですっかり目が覚めた。口をはくはくと動かした僕に彼は気まずそうに言う。
「お前角部屋だから他の奴は気付いてないだろうけどさぁ、俺、隣の部屋だから聞こえるんだよ」
「…え」
「お前の声。はっきりじゃなくて微かにだけど」
──最悪だ。よりにもよって幼馴染に見られ聞かれていたなんて。
「待っていつから」
「…何ヶ月か前から、言おうか迷ってたけど」
「っ…ごめん…」
何に対する謝罪か分からなかった。けれど少なくとも気色の悪い声を聞かせて申し訳なかったのだ。
「…お前のことずっと見てたから、責めはしねぇよ」
荒い手つきで僕の頭を撫でた彼が「でも」と言葉を続けた。
「お前のそれは、叶わないぞ。…傷付く前に早いこと、手を引いとけよ」
姉との確執をよく知っている彼は随分と言葉を選んでくれたのだろう。
「…ありがとう、ガルオ」
でも、もう手遅れだよ。
胸がガラスの破片でとっくにいっぱいだから。
「とりあえず今日はもう寮に戻れよ。先生には俺から言っておくから」
「…大丈夫だよ」
「顔色悪いんだよ、お前」
「なら次の時間だけ休もうかな。医務室に行くから先生に言っておいて」
呼び止める声を無視して廊下を進む。ふと視界の端に中庭で談笑するリアとカイルを見つけたけれど、ふいっと視線を逸らした。
あの2人を見ているのは本当にしんどい。
ゆっくりと息を吐いて、僕は人の声の合間を潜り抜けて歩いた。


「あれ、リルくんじゃん」
医務室の椅子に座ってへらりと笑ったのは、カイルの友人のクリス・ノルウェス先輩だった。
公爵令息ということも忘れさせるほどに気さくで面倒くさがりな先輩だ。
一部ではただの馬鹿だなんて言われているが、頭の良さは学年トップレベル。
「クリス先輩」
「なになに、体調悪い系?」
「…ちょっと眠れなくて」
「ふぅん。先生は次の時間まで戻らないって言ってたよー?」
「そうなんですか」
チャイムの音が頭に響く。自由奔放なこの人はまた授業をサボるのだろうか。
「まぁベッド勝手に使っていいんじゃない?」
「いいんですかね?」
「見るからに体調悪そうだもん、お前」
わざわざカーテンを開けてくれた彼に小さく礼を言ってジャケットを脱ぐ。
「──先輩は」
「あぁ俺?サボり」
「…そうですか」
これほど堂々としていればいっそ清々しい。
「リルくんは優等生だからサボりとかしたことないでしょ」
「比較的真面目な方だとは思います」
寝かせる気が無いのか暇なのか知らないが、話しかけてきた彼を無視するわけにもいかない。
けれどその方が助かっていた。考えて嫌な夢を見るよりも目を瞑って話している方が楽だ。
「良い子だもんねー」
良い子?良い子って、なんだっけ。
「…僕、良い子ですかね」
「え?そうでしょ、俺から見たらだけど」
「──もしかしたら先輩が思うよりも、ずっと悪い子かもしれませんよ」
例えば、そう、姉の婚約者を寝取るような。
「……悪い子って自覚があるうちは」
ふっと電気を遮って影が出来る。僕の頭をぐしゃりと撫でた彼が笑った。
「まだ大丈夫だよ」
「…悪いことをやめる気がなくても?」
「悪いことでもそれが自分の正義なら、押し通せば良いだけの話だろ」
「…成る程。その考え方はありませんでした」
これは悪いことだと考えながら彼を誘い抱かれたけれど、正義だと思えば自分にとっては正義になるのか。
「眠れないのはそれが原因?」
「そう、なんですかね」
「…可愛い顔が台無しだ。今夜、俺の部屋においで」
「え?」
「定期的に取り寄せているお茶があるんだ。よく眠れるから」
「…先輩も飲むんですか、それ」
「眠れない時にな」
「先輩にもそんな時あるんですね」
自由な人は意外と肩身狭く生きているらしい。
「俺も人間だからな」
「…それ僕に言っても良かったんですか?」
「誰かに言ったのはお前だけだよ。お前は誰かに言い触らしたりしないだろ」
信頼されているのはどうしてだろう。そんなに親しくした覚えもないのだけれど。
「僕、お茶の入れ方分かりません。いつもガルオがやってくれてたから」
「…仕方のない奴だなお前」
乱暴に頭を撫でた彼が本当に仕方なさそうに笑う。
「やるついでに入れ方も教えてやるよ」
「良いんですか?」
「夕食の後な。っていうかお前の髪、すげぇさらさらしてんのな」
何か手入れしてんのと尋ねられ首を縦に振る。
「これだけは僕の宝物なんですよ」
唯一、ふわふわなシェリアと似なかった部分。
決してカイルは触れようとしないけれど、僕にとってはそれでも良かった。
あの女と違うところがあって、それでも抱いてもらえることを特別に感じていたから。
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