姉の婚約者を寝取った話

なかたる

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夕食を食べて、友人との歓談もそこそこに僕はクリス先輩の部屋へと向かった。
「…あれ?」
そういえばクリス先輩の部屋に行ったことがなかった気がする。
先輩のフロアに入るのは久しぶりだけれど、今は夕食時だから滅多に人も居ない。どうしたものかと思案していると背後から肩を掴まれた。
「ここで何やってんだよ」
「カイル、先輩…」
「おっ、リルくんじゃん!」
カイルと共にいた数人がわらわらと寄ってくる。
「フロア間違えてるぞー」
「え?あ、そ、そうですね」
面倒なことになるのは避けたいし、クリスの部屋で何をしていたかも探られたくない。
少なくとも眠れないと話したのは僕が初めてだと行っていたし、知られたくないのだろう。
「間違えたみたいです、すみません。失礼します」
またなーと手を振りながら食堂に向かう先輩たちに一礼して、階段を登って自室のフロアに行く。
少しして声が聞こえなくなってからまた降りて、扉の名前を確認しながら歩いた。
(…カイル先輩の隣だったのか)
初めからこの周辺を見れば良かったと思いながらノックをすれば、クリスが出て来た。
「いらっしゃい。もう夕飯食べた?」
「はい。クリス先輩は…」
「夕方にお菓子食い過ぎたからさぁ。あ、入って」
「お邪魔します」
ぺこりと頭を下げて部屋に入る。中は随分と散らかっていて、ソファーの上の書物を床に落とした彼が座るように指示してくる。
「あの、部屋」
「片付けたんだぜこれでも」
「…掃除しません?」
「なに、手伝ってくれんの?」
お茶も入れられないのにと笑う彼に眉を寄せる。
「これでも掃除は得意なんです。ここら辺、触っても大丈夫ですか?」
「おう」
全部読んだし、といとも簡単に言う彼に何とも言えなくなる。これは大人でもほとんど解読不可能で有名な書物ではないのか?
「…先輩って完璧な人だと思ってました」
「えー、マジで?」
「だって成績も良いし、自由奔放だけど人のこと思いやれるし」
「…誰それ。俺じゃないよ、成績良いのは認めるけど」
肩を竦めた彼がポットに湯を入れる。茶葉が浮き沈みして嗅ぎ慣れない臭いが部屋に充満した。
「…不思議な匂いですね」
「悪い、無理そう?」
「いえ。…嫌いじゃないです。むしろ、好きなくらい」
「…だいぶ疲れてるよ、お前」
「え?」
「これを好きって言うのはよっぽど嗅覚おかしいやつかよっぽど疲れてるやつだけだって」
「…なら前者かもしれませんね」
「いやいやいや」
だって夜に不健全とはいえそれなりに運動して汗をかいてから寝ているんだから、疲れてるはずがない。
「…まぁいいけど。はい、どーぞ」
「ありがとうございます」
口に含むとほんのりと味が広がる。
「美味しいですね」
「だからそれ美味しいって思うって、…いいや」
ため息を吐いたクリスに笑う。いつも笑っている彼がこんなに呆れた顔をするのを見た人は一体他にいるのだろうか?
「あ、でも凄いですね、これ。もう眠くなって来た」
「…もう俺は突っ込まねぇぞ」
「え?」
「……少し寝ろ。ある程度になったら起こすから」
「は、い…」
意識が沈んでいくけれどいつもとは違う。
何も考えなくて良いと言われたみたいに、ゆっくりゆっくり沈んでいく。
(…先輩)
僕のことを、いつまで抱いてくれますか。
いつまで、僕はこの恋に気持ちを注ぎ続けるのだろうなんて、考えるのも烏滸がましいというのに。


「あぁ、分かってる。明日にでも──」
何か話し声が聞こえて意識が浮上する。頭まですっぽり被っていた布団があまりに暑くて、慌てて僕は起き上がった。
「先輩っ!」
いま何時だろう。窓の外がすっかり暮れているのに焦って声を出せば、ベッドから見えない位置にいた彼が顔を出した。
「あ、やっと起きた」
「誰かいたのか?──は?」
クリスに続いて顔を見せたのは、他でもないカイルだった。
(え、なんで…いや、なんでってあっちのセリフか)
2人が仲良いのは周知の事実だし、なんならサボっているクリス先輩を引っ張って授業に連れて行くのは彼くらいだ。
「おい、なんでお前がここに……」
僕の姿を見て言葉を失ったと言わんばかりの顔をした彼にサッと血の気が引いたのはクリスの言葉でだ。
「服落ちてるから着ろよ」
眠る時に脱ぐ癖があるのは昔からだ。けれど、裸でベッドで眠る僕を見て、僕が男を食い物にしていると知っている彼はどう思うだろう。
「──あの、これは」
慌てて服を拾い上げて腕を通している間も何も言わずにこちらを見ている。
そりゃそうだ、親友と穴兄弟なんて考えたら嫌だろうし。勿論クリス先輩とはそんなんじゃないけど。
駄目だ、何を言ったって言い訳にしか聞こえないだろう、それにクリス先輩に何か疑われるようなことがあってはいけないから、滅多なことは言えない。
ここは大人しく退散するに限るだろう。
「じゃあ先輩、失礼します!」
「あ、リルくん!?」
扉の前に立っていた2人の間をすり抜けてさっさと早歩きで逃げ出す。
早く、早く、早く。
あと少しで自階のフロアだというところへ辿り着いた時だった。
「わっ」
襟首を掴まれ、そのまま壁に身体を押し付けられる。
勿論相手はカイル先輩だった。
「よくもまぁ、アイツに手ェ出せたな?」
──怒るのも最もだ。大切な友達にそんな風に手を出されたら怒るに決まっている。
けれど否定したってどうしようもないし、クリス先輩には悪いけれど、少しでも僕の気持ちがバレないようにするためにはもってこいだった。
「そんなに怒らないで下さいよ」
へらりと笑って見せたけれど心臓はうるさいほどに鳴っている。
「次からは誰が相手とかバレないようにしますから」
「…そういう問題だと思ってんのか?」
グッと握り締められた拳にさすがにヤバイと身をよじらせた。
「分かりましたって。次から先輩の友達には手を出しませんから」
「──次から?」
ヤバイ、もしかしてまた地雷踏んだ?なんで?
「とりあえずもう行っていいですか?こんなところ、誰かに見られてもヤバイんで」
「なにが?」
スッと目を細めた彼が僕の顎を押さえた。
「見られて困るのはお前だろ。なぁ、クソビッチ」
「っ……」
酷い言葉で罵られても、この人なら良い。
けれどやっぱり傷付いてしまうのは仕方のない事だ。
「リル」
救世主とはまさにこの事だろう。階上から声を響かせたのはガルオだった。
「お前どこで何やってたんだよ。…何してんの?」
事情が分かっているからか、冷たい視線で見下ろした彼にクリスはハッと笑った。
「なに、コイツもお前のお相手?」
「先輩っ、」
「なぁガキ、コイツさっきまで他の奴の部屋で眠りこけてたんだぜ。それに何度も俺に足開いてるようなクソビッチなんだよ」
「先輩!!」
なんてことを言うのだ。こんなの、こんな仕打ちをされても、どうして僕は。
(だって望んだのは僕じゃないか)
そういう設定なら抱いてもらえると思った。なのに、心だけはズタボロになる。
こんなに汚い姿を、幼馴染にまで軽蔑されるのは辛かった。
「──手を、離して頂けますか?」
僕の顎を掴んでいた手がガルオによって剥がれる。
「行くぞリル」
「え、あ、うん」
昔のように僕の手を引いた彼につられて、僕は震える足で階段を上る。
「待てよ!!」
「──失礼ですが、先輩」
繋いだ僕の手を持ち上げて甲にキスを落としたガルオの格好いいことありゃしない。
「『もっと』って強請るコイツ、可愛いでしょ?あんま虐めないで下さいよ」
「ちょ、ガルオっ」
「行くぞ」
聞こえていたのか、そんなにはっきりと。恥ずかしいけれど、慣れないことをしたガルオのうなじは真っ赤に染まっていた。
「…お前さぁ」
スタスタと歩いながら大きく息を吐いた彼に「ごめんなさい」ともう1度謝る。
「…俺はお前の親友だ」
「ん」
「お前のすることを責めはしねぇ。けど、あんなところであんな話するんじゃねぇよ。誰が聞いてるか分からないんだから」
「…ん。ありがと」
「今日はさっさと寝ろよ」
「ん、そうする」
おやすみと言い合って部屋に戻る。
今朝新しくしたシーツに身を乗せて、僕はゆっくりと息を吐いた。
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