姉の婚約者を寝取った話

なかたる

文字の大きさ
上 下
4 / 9

しおりを挟む

長く退屈だった授業がようやく終わった昼休み、僕は図書館にいた。
「こんにちは」
「あぁ、久しぶり。元気かい?」
挨拶をした僕に笑いかけてくれたのは非常勤講師のエリック先生だ。
「元気ですよ。先生は、旅行に行かれてたとか」
「そうそう、お土産があるんだ」
はい、と渡された包みを開けてみると飴のようなものが入っていた、
「これは?」
「前にあまり眠れていないと言ってただろう?これは安眠効果があるらしい」
「そうなんですか。ありがとうございます、…と」
そういえばクリス先輩にお茶をもらったお礼がまだ出来ていなかった。
「これ、お世話になった先輩にも分けて良いですか?前にお茶を淹れてもらって、助かったんです」
「あぁ、勿論。足りなくなったらまた言ってくれ、俺の分も大量に置いてあるから」
「ありがとうございます」
これならティータイムにも良いかもしれない。
「それで悩みのタネは解決したのか?」
直球に尋ねてきた彼に思わず笑いが漏れてしまう。
「いいえ。寧ろ、悪化しました」
「…無理はするなよ。君は昔から頑張りすぎる」
そう、彼は昔、僕の家庭教師をしていた。沢山のことを教えてもらった。
「先生は、結婚なさらないんですか」
「傷を抉ってくれるなよ」
「そんなつもりは。ただ気になっただけで」
「生憎、俺を貰ってくれる奇特な女性はなかなかに居ないんだ。人と関わるのも滅多にないしな、この窓から学生たちを見下ろすのが日課だ」
「寂しい日課ですね」
僕も真似をして下を覗き込めば、中庭でボール遊びをしている先輩たちがいた。
「──あ」
こちらに気が付いたクリス先輩がそれはもう綺麗な笑顔で手を振ってくる。
振り返そうとしたところで、彼の隣に立っていたカイルと目が合ってしまった。
あの日から1度も話していない。
「…えらく顔の整った奴らだな。君の知り合いか?」
「えぇ、…先輩です」
「ふうん。仲良いのか」
「1人はリアの婚約者ですよ。あの、茶髪の方」
「…あのわがまま娘のねぇ」
先生はガルオの他にリアを特別扱いしなかった数少ない人だ。
窓の下のカイルは目を離そうとしない。何となく気まずくてこちらから逸らしてしまった。
「先生、僕そろそろ行きますね」
「待って待って。婚約者くんと目が合ったんだけど逸らすタイミング逃した」
「…馬鹿ですか、もう」
本当に仕方のない人だ。思わず笑って、両手で顔をこちらに向かせる。
「先生も大概顔整ってますよ、三十路とは思えない」
「なぁ傷抉るのやめてくれる?」
「ふふ。僕、先生のこと割と好きですよ」
「そりゃどうも。お前がボンキュッボンのお姉ちゃんなら良かったなぁ」
「失礼なひと。もう行きますね」
「あ、俺ももう出る」
席を立った彼が僕の後ろをついてくる。
「しばらく通勤ですか?」
「いや、明日からまた出張」
「お疲れ様です」
「そういえばさっき言ってたお茶ってどんなやつ?俺も飲んでみたい」
「なら少し分けてもらっておきましょうか?」
「頼める?あ、」
「出来れば今日のうちに、でしょ?」
「あぁ」
どうせしばらくは顔を見せないだろうし仕方ない。この人は睡眠薬でも無ければ眠るのも忘れて研究に没頭する人だ。
「分かってますよ。夜に僕の部屋に来て下さい、渡せたらその時に」
「分かった」
職員室の前で彼と別れ、中庭横の廊下を横切ろうとした時だ。
「──クリス先輩!」
丁度タイミングが良かった。1人廊下へと涼みにやってきた彼に声をかける。
「おっ、リルくん」
「すみません。今いいですか?」
「ん?」
「少しあのお茶分けて欲しくて。この前おすそ分け頂く前に帰っちゃったので」
「あぁ、全然いいぜ。部屋で飲んでいく?」
「いえ。夜に人と会う約束があるので」
「そっか、なら次の時間サボるし寮に取りに戻ってやるよ」
「えっいいですよ、そこまでしなくて」
「いいっていいって。俺の部屋に取りに行ってカイルと会ったら気まずいんじゃねぇの?」
──この人はどこまで知っているのだろう。
「…アイツ、滅多なことじゃ人にキレたりとかしないと思うけどなぁ」
「……もし僕に悪いところがあるのなら、教えてくれたら謝るんですけどね」
何を怒っているのか分からないし、そもそもどうしてガルオの前であんなことを言ったのかも分からない。
けれどもしあれがガルオで無かったらと思うと本当にゾッとする。
「まぁ早いうちに仲直りしろよ」
頭をポンポンと叩かれ、頷きかけた時だ。
「クリス」
「──お、カイル。お前も休憩?」
「あぁ。…何話してんの?」
冷たい声がその場に響く。駄目だ、やっぱり顔を見るにはまだ怖い。
「大したことじゃねぇよ。じゃあまたな」
「あ、はい。失礼します」
ぺこりと2人に向かって一礼してさっさとその場を後にする。
どれだけ貶されても好きでいるのは、僕がおかしいからなのだろうか。
僕が女だったら遠慮なくあの人に好きだと言えたのかなんて、考えてみたら虚しくなるだけだった。


夕食前にお茶を分けてもらい交換で飴を渡した。どうやら愛用していたけれど手に入りにくくなっていたものらしく、大層喜ばれてしまった。
部屋に戻ってしばらくするとノックの音がした。
「はい。エリック先せ、……え?」
てっきり彼だと思っていたのに、そこに立っていたのはカイルだった。
「カイル先輩?どうして…」
「…誰か来る予定でもあんのかよ」
「え?あ、いえ…」
「誰だよ」
やっぱり怒ったままだ。怖いって、本当に。
「先輩の知らない人ですよ」
もしやまた先輩の友達をと思われたのか、冷たい視線に安心して下さいと笑いかける。存外に友達思いだったらしい。
「部屋入れてくれないわけ?」
「え、今からですか?」
「お前、俺を優先するって言っただろ」
確かに言ったが、それは前もって約束があった時の話だ。急に来られてもこちらにも都合がある。
「すみませんけど明日にしてもらえませんか?」
「なんで?」
「なんでって、だから約束が…」
「なに、お前嘘ついたの?」
あぁ言ったくせに、と非難の目を向けられても困る。
「ならもう少し待ってもらえませんか?用事済ませてからで良いのならお相手しますから」
仕方ないので妥協案を示せば、彼はあからさまに機嫌を悪くした。
「マジでないわ、お前」
──そっちだって同じようなものだろう。どうしていつも僕ばかり責めるんだよ。
「…あー、リル?」
「っ…先生…」
困ったような顔で立っていたのはエリックだった。
「ごめんなさい、少し先輩と話が長引いて。入ってください」
扉を開ければその手を掴まれた。
「ふざけんなよお前」
その顔は嫌悪そのもので、あぁ、これじゃいつ捨てられてもおかしくないか。
だって彼にとって都合のいい道具でなくては、僕の存在意義などないのだから。
「…わざわざ来てくれたのにごめんなさい、エリック先生。すぐに行きますからいつもの場所で待ってて貰えますか?」
「え?あぁ、まぁいいけど」
早めになと言い残した彼が去ったのを確認して、先輩を部屋に入れる。
「どうぞ」
「っ…あんなあからさまに優先していいのかよ?」
何を言うのか、優先しろと言ったのは他でもない貴方だというのに。
「滅多に会えない人なんですよ。でもまぁいいです、そういう気分になったんでしょ?抜いてあげますからベッド座って下さい」
「──は、ふざけんな。わざわざ来たんだから抱かせろよ」
「…マジで言ってます?」
この後エリックに会うと言ってるのに鬼畜かよ。そんなところも好きだけど。
「分かりましたよ、さっさと済ませましょう」
自ら服を脱いで彼にまたがる。恥じらいなんてへったくれもない。
どうせ気持ち良くなるのはお互い様だ。待たされるのが嫌いな先生の為にも、僕はいつもより懸命に腰を振ってさっさと終わらせるべく動いた。
そろそろ達しそう、という時にキスをねだったのを受け入れてもらえたのは想定外だったけれど、小さく砕いておいた飴玉を彼の口に押し込む。
普段なら何回戦もするほど元気な彼だけれど、寝息を立てたのを見て一安心した。
「…眠って、ますよね?」
声をかけてみても反応はない。よかったと息を吐いて、僕はお茶の紙袋を持って部屋を後にした。

「遅い」
「ごめんなさい。ちょっと立て込んじゃって…はい」
「サンキュ。ていうかあれ、リアの婚約者だろ」
「…はは」
「……面倒なことは起こすなよ」
「わかってますよ」
中々に聡い彼はそれ以上は言わなかった。けれど、ただ僕は無性に話したくなった。
「先生はこの後、どうするんですか?」
「明日の移動時間が長いからな。本でも読んで夜更かしする予定だが」
「なら、少しだけ話に付き合ってくれませんか?勿論無理にとは言いませんけど」

初めて見た時から好きだった。
栗色の髪も、優しい目元も、落ち着いた声も。
けれどそれを全てリアに奪われた。
馬鹿なことをしたと後悔しているけれど、やめどきがもう分からないこと。

全てを話し終えて、僕は何故か泣いていた。
「…お前は良い子であろうとしすぎたからなぁ」
責めるでも何でもなく、ただそう言って頭を撫でてくれたエリックには申し訳が立たない。
「大丈夫だって。こんなこと言って良いのか分からないが、いくら好きな奴に似ててもその気がなかったら男なんか抱けるかよ」
「先生は僕のこと抱けますか?」
「無理」
ぴくりともしないと笑った彼にこちらも笑う。
「その先輩は?」
「僕の部屋で寝てると思います」
「理由は聞きたくないけどさ。そいつ、ほんとに睡眠薬飲んだのか?」
「え?」
「あの有名なフォースト侯爵子息だろ?そんな無用心に口に入れられたもの飲み込むか?」
「…でも、寝てましたよ?」
「それなら飲んだのかもしらんが、あれは舐めて溶かすタイプだぞ。しかも半量じゃ、今起きてもおかしくないと思うが…」
「えっ、あ、もうこんな時間…!」
時計はとっくに深夜を過ぎている。
「ごめんなさい先生、もう行きますね!」
「あぁ。色々頑張れよ、俺はお前の味方だ」
「──はい。先生も出張お気を付けて」
「リル」
「はい?」
「餞別だ。お前に反応はしないが、これくらいはな」
役に立てばいいがと呟いて、エリック先生は僕の首筋を吸い上げた。
ちりっとした痛みは、何度も先輩に付けられ慣れているものだった。
「…ありがとうございます」
「生きろよ」
「なんですか、それ」
笑った僕は頭を下げて、いつもの場所──学園敷地内の裏庭にあるベンチを後にした。
しおりを挟む

処理中です...