異世界に転生してた俺

乙女田スミレ

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前編

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「シュンちゃん、大丈夫?」

 薄目を開けると、夏の制服姿のリオが心配そうに覗き込んでいた。

「少しは気分良くなった?」

 自分の部屋の寝台に横たわっていたことを俺は思い出す。

 ――俺の、部屋。

 魔法並みに便利なものに満ち溢れているのに、城内にある鶏小屋よりも狭い、不思議な空間。

「顔色は悪くないのにね」

 半身を起こした俺は、差し出されたガラス製のゴブレット……グラス……カップ……母親はコップって言ってるな、に入った水をごくごくと飲み干した。

「まだまだおばさん帰って来そうにないから、勝手にキッチン触っちゃってごめんね」

 そう言いながら、リオは床にぺたんと腰を下ろした。
 格子柄のスカートから、つるりとした太腿がはしたなく露出している。こちらの世界では普通の丈のようだが、淑女としてはいかがなものか。

 ――それとも、リオは〝彼女〟じゃないのか?

「暑いね。エアコンの温度下げていい?」

 勉強用の机の上にある〝リモコン〟を取ろうと立ち上がったリオの後ろ姿を、俺はまじまじと眺めた。
 馬の尻尾みたいに括ったサラサラの髪の下のうなじや、制服の水色のシャツに包まれた肩が、儚いくらいに華奢だ。

 ――同じ十七歳の時点でも、〝彼女〟はもっと大人びた体型だったような気がする。

「……ねえ」
 リモコンを置いたリオは、少し気まずそうに振り返った。

「なんで、そんなにじろじろ見てるの?」

 気取けどられていたのか。今さらかも知れないが、俺は慌てて目を逸らす。
「べ、別に……」

「もしかして、記憶がはっきりしてきた?」

 嬉しそうに声を弾ませたリオに、お前こそ忘れてるんじゃねーよと言いたくなる。

「……もうとっくに全部思い出してる」

 まだ幾重にもしゃがかかっているような感じだから、まず頭の中でそれをかき分けなきゃならないが。
 俺たちは近所に住む同い年の幼なじみで、中三の二月から付き合っている、ということだってちゃんと憶えている。

 三日前、俺は鍛錬……じゃないな、体育の授業で〝バスケ〟の試合をしていて、敵と激しく接触して気を失った……らしい。
 そして、前世の記憶がよみがえった。
 事故の直後は、今世の記憶をすっかり駆逐してしまうほど鮮やかに。

「『君の名前は?』なんて訊かれて、ほんとショックだったんだからね」

 保健室で目を覚ました俺は、駆けつけてきてくれたリオに向かって、自分はシュワンヌ王国の第三王子として生まれ後に国王となったディークフリッドであると名乗り、彼女にも名前を訊ねて……泣かれた。

 その後、病院で精密検査を受けたが、一過性の記憶障害とのことで他に異常は見つからなかった。

 程なくこっちの世界のことも思い出せるようになったので、今日から学校に復帰したんだが、やはり前世の記憶の方が強めなせいか今ひとつ調子が出ず、リオに付き添われて早退してきた。

 リオの唇が少し拗ねたような形になる。
「ここで二人きりになったら思い出してくれるかもって、期待してたのに……」

「――何を?」

 なぜか少し頬を染めたリオは、揶揄を含んだ口調で言った。
「シュンちゃんは、『シュワンヌ・テイルズ』の王子さまなんだよねえ?」

 こんなふうに茶化されると、俺の中ではありありと浮かぶあの世界が、ここではすべて虚構なんだと改めて思い知らされて気分が滅入る。

 リオが口にした『シュワンヌ・テイルズ』は、この世界で俺たちが生まれたころにそこそこ売れたというゲームの名前だ。
 俺はそれで遊んだことはないが、一部の人たちの間では根強い人気があったそうで、続編もいくつか作られて、去年には復刻版も発売されたらしい。

「王子さまのディークフリッドは……」

 リオの前で俺がその名を口走ってしまったとき、保健の教師が「それって『シュワンヌ・テイルズ』? 懐かしい!」と反応したことにより、俺たちはそのゲームの存在を知ることとなった。

 精一杯生きたつもりの自分の人生が、架空のものとして扱われているのは衝撃だった。

「小さい頃に魔王の手下にさらわれかけたときに記憶をなくして、素性が判明するまでは冒険者として暮らしてた苦労人なんだよねー」

 〝ネット〟で調べたらしいディークフリッド情報を呑気に語るリオに、俺の心は波立つ。

 そうだ。子供のころは随分と苦労した。
 何も思い出せない俺を拾ってくれた優しい木こりの夫婦も、村を襲ってきた魔物にあっけなくやられて、生きていくために冒険者をやるしかなかった。
 でも、お前と出会って恋に落ちて、記憶を取り戻して魔王を倒し、お前と結婚して死ぬまで一緒にいて、愛に満ち溢れたいい人生だったんだぞ。

「――リオ」

 保健室に駆け込んできたお前を見たとき、俺は直感した。思わず名前を訊いたのは、確かめたかっただけなんだ。

 ――姿は違うけど、お前が〝彼女〟なんだろ?

「何?」
「お前は俺の恋人なんだよな?」

 リオは眉根を寄せた。
「やっぱりまだ忘れてるの?」

「いや……」

 今世の馴れ初めだって憶えてる。
 中三の……あの世界にはなかった聖バレンタインの日に、お前はちょっと怒ったような顔をして「ただの幼なじみは、もうやめたいんだけど」ってチョコレートをくれたんだ。すごく嬉しかった。

 前世で初めて想いを告げてくれたときも、照れ隠しなのか、お前は少しふくれっ面になってたよな。
 俺が死にかけて、隣国の姫騎士だったお前が治癒魔法をかけて助けてくれた直後だった……って、〝姫〟で〝騎士〟って何なんだ? しかもお飾りでもなく、魔王討伐の最前線に出るなんて――と今世の俺は思ってしまうが、とにかく、お前との旅は楽しかったよな。

 それにしても、『シュワンヌ・テイルズ』が登場人物の衣装を〝本格中世風〟と謳ってたらしいのは幸いだった。そうじゃなかったら、お前は太腿や胸元を派手に露出して戦うはめになってただろうからな。

 ゲームでは俺が国王になってお前と結婚したところで「その後も賢王の治世は末永く続いたのであった……」みたいな感じで終わってるそうだけど(続編は、俺たちの子孫の物語らしい)、結婚してからも色んなことがあったよな。むしろ、お前との絆は、あれからどんどん強いものになっていった。

「――なあ」
「ん?」
「俺たちって、どこまでしてたんだっけ?」
「は……!?」

 俺の質問に、リオの顔がぱっと赤くなる。
 何もなかったわけじゃないのは思い出せるが、子供まで沢山作った前世と、どこかごっちゃになってる気がする。

「わ、忘れたの?」
「いや……たしか……」

 俺は眉間に皺を寄せ、記憶をたどってみる。
 やっとほんの少し恋人らしくなったのは、去年の秋ごろだったか。

「初めて……くちづ……キスしたのはこの部屋だったよな」

 リオの顔の赤みがさらに増す。

 自らあんなふうに〝告って〟きたくせに、高校生になっても何も様子が変わらないリオにあのときの俺はちょっと焦れてて、割と唐突に唇を重ねた。
 顔を離したら、リオの目がちょっと甘い感じで潤んでて、あー俺たちきっと前世から好き同士だっただろーって思ったんだっけ。まだ何も思い出してないときだったけど。

 それからも、あまり機会はなかったけど、人目をしのんで何度かキスしたな。
 そうそう、〝クリスマス〟には、明かりを灯した街路樹を繁華街に観に行って、そこでもした。木の陰に隠れてて誰も見てないのに、周りを気にするリオがかわいかった。

「――この前の、シュンちゃんの誕生日のことも……思い出せる?」

 恥ずかしそうに視線を落としたリオの顔を目にしたとたん、頭の中でふたつの情景が交差した。

 ずり上がった薄いピンクの下着からのぞく、ささやかな膨らみ。
 地面に敷いたマントの上で、突き上げる俺の動きに合わせて揺れる、白くて豊かな膨らみ。

 どちらもめちゃくちゃ愛おしい。ふたつの情景は俺にとっては同じだ。全く同じように胸が熱くなる。リオ、やっぱりお前が〝彼女〟なんだろう?

「……憶えてる」

 あの日、リオがお祝いにと買ってくれた〝コンビニ〟のケーキを一緒に食べた後は、真面目に〝期末テスト〟の勉強をしていたが、休憩中に何となく口づけの雰囲気になった。
 唇を合わせたらもっと欲しくなって、今世では初めてリオの服の中に触れた。

「……途中で止められて、『試験が終わったら』ってお前が言ったのも」

 リオは唇をきゅっと噛む。前世と同じ仕草だ。
 じかに胸を触られただけでいっぱいいっぱいになったリオは、腿に這わせた俺の手を制してそう言ったんだ。

「――試験、もう終わってるよな?」

 リオの肩がぴくりと小さく揺れる。
 俺は寝台から降りて、リオの細い腕をできるだけ優しくつかんだ。

 机の二段目の引き出し、と今世の俺が思い出す。
 このあたりからはずいぶん離れたところにある〝コンビニ〟で、恥ずかしさを堪えて買ってきた避妊具が入っているはずだ。
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