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40 一途な想い
しおりを挟む「ひ、ひどい中傷ですっ……!」
栗色の髪の少年は、ふるふると震えながら抗議する。
「王太子殿下は誰に対しても決して横暴なふるまいなどなさらず、失敗ばかりしている僕――今も、お渡しするのを忘れたハンカチを届けに上がったところですが、そんな慌て者のことも長い目で見守ってくださる心優しいお方です! もちろん、不埒な仕打ちを受けたことなど、ただの一度もありません……!」
「スペン……」
少年の父親であるメラッソ男爵も客として招かれていたようで、人込みの中から息子をなだめようと近づいてきた。
「あ、あんなデタラメ、フィオラにも悪いよ……」
声を詰まらせた息子に代わって、隣に立った男爵が説明する。
「私どもの息子スペンシラードには、一途に想い合っている幼なじみの許嫁がおりまして……。無作法はお詫びいたしますが、事実と全く異なる放言を見過ごせなかった息子の気持ちも汲んでいただければ幸いです」
「――それでは、私も」
唐突にアルド・スィ・アレアティも口を開いた。
人々の不可解そうな視線を浴びながら、黒髪の騎士はファルファーラ伯爵夫人のもとへ颯爽と歩いていく。そして、彼女の手を取ってそっと指にくちづけた。
「ひとすじに愛している女性がおりますので、荒唐無稽な妄想話は迷惑でしかありません」
出席者たちは大きくどよめく。
会場の中ほどにいたノーヴィエ侯爵夫人が「ア、アルドちゃん!?」と声を上げたが、興奮した人々の喧噪にかき消されてしまった。
「アルドさまとファルファーラ伯爵夫人が……!?」
「伯爵夫人があんなに赤くなって」
「アルドさまかっこいい……」
「年の差はあるけど、なんだかすごく似合ってるな」
「しゃ、じゃあ、カーラ嬢の話はなんだったの……?」
一人の男性がぼそっと言う。
「カーラ嬢こそ、遊び人たちの間では尻軽で有名だと聞いたことがあるぞ」
「ええっ?」
「ああ、その噂なら僕も知ってる」
旗色が悪くなってきたカーラは、それでも必死に言い張ろうとした。
「で、でもっ、少なくとも私の義姉は王子から弄ばれて、飽きられたらまるでぼろきれのように捨てられ――」
「そんなこと、この僕がするはずないっ!」
ロゼルトの憤然とした大声が響き渡り、人々は再び静まり返った。
あの穏やかで折り目正しい王子が、感情をあらわにして怒っている。
「弄ぶ? 飽きる? 捨てる? どれも絶対にありえないよっ! 僕は初めて会ったときから、ずっとずっとピアに片想いしてるんだから……!」
ロゼルトの隣で、ピアはぽかんと口を開けた。
「……スペンもアルドも羨ましいな……。大好きな女性と相思相愛だなんて……」
涙がロゼルトの頬をつつっと伝い、人々は息を呑む。
「ピアのことが好きで好きでたまらないのに、僕の恋はいつまで経っても報われないんだ……」
切なさを募らせたロゼルトは、いよいよ本格的に泣き始めてしまった。
しんとした大広間にすすり泣きだけが聴こえる中、誰かがぽつりと呟く。
「ずっと一途に想い続けていらっしゃるなんて……素敵」
それをきっかけに、あちこちで好意的な声が上がった。
「爛れきってるどころか、純情すぎるんだが!?」
「確かに、ピア嬢は素晴らしい方だからなあ」
「あれほど完璧な王子さまでも、片想いに苦しんだりなさるのね」
「なんだか親近感が湧いてくるな」
「――でも」
わいわいと盛り上がっている中、ふと誰かが疑問を口にした。
「片想いということは、ピアさまはどういうわけか王太子殿下のお気持ちには応えられないということですのね……?」
――あんなふうに並んでいらしても、とてもお似合いなのに?
――ピア嬢には他に想い人でも?
――幼いころから近くにいすぎて、ご兄妹のような感覚なのかも?
――ピアさまは謙虚だから、気後れしてしまっているだけでは?
いくつもの不思議そうな視線がピアに集まる。
「えっ、あ……」
おろおろとピアが横を見ると、ロゼルトはまだ手の甲で目元を押さえてシクシクと泣いていた。
「あ、あの……、わ、わたしは……」
身を縮め、言いにくそうにピアは告げる。
「ロゼルトさまのお気持ちを、いま初めて知ったばかりで……」
皆は「えっ」というような顔になった。
「えっ」
ロゼルトは実際に声に出し、濡れた目でピアを見る。
「ぼ、僕、伝えてなかったっけ……?」
「は、はい」
「いや、しょっちゅう言ってたよね? 『ピア、大好き!』って」
「そ、そうですね、王女さま時代は。でも当時は、側仕えに対して親愛の情を示してくださっているのだと思っていましたから……」
ロゼルトは愕然として言葉を失う。
思い返せば確かに、王子になってから恋心を打ち明けられる機会などなかった。
「ピア。僕は――」
改まったように何か言いかけたところで、ロゼルトは今さらながら自分たちが衆人環視の中にいることを思い出し、おたおたと慌てた。
「そ、外で話そう!」
王子はピアの手を取り、庭園につながる大きな掃き出し窓のほうへと足早に向かっていった。
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