【完結】嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜

終日ひもの干す紐

文字の大きさ
46 / 53
第二章

第46話 歩みを止められる場所

しおりを挟む
 馬車がラティマー家の屋敷へと到着する。馬車から降りると、ローワンと従者たちが門の近くで出迎えてくれた。

「フィセリオ様、ウィステル様、この度は遠方からこちらまで──」
「ローワン兄様……」

 ウィステルと同じ柔らかな藤色の髪。川面のような翠の瞳は、変わらず澄んでいる。見慣れたはずの懐かしい笑顔に胸が押し潰されそうになり、まだ挨拶も終わらないうちから、ローワンの名が零れ落ちていた。

 倒れたと聞いてから今日まで、片時も心が休まったことはなかった。こうして顔を見るまで、本当に目が覚めたのか、本当に体力が戻ったのか、信じたいのに信じきれないような不安が常につきまとっていた。

「ウィステル様、呼称が……フィセリオ様、申し訳ありません」
「ウィステルには私の方からそうするように伝えた。ローワン殿も気を使わないでくれ。公の場でないなら、私も特に気にしない」
「ですが……」
「あとから手のひらを返して責めるようなことはないから、安心してほしい」

 フィセリオが形式張ったこの場の緊張を解すように笑うと、ローワンもようやく腑に落ちた表情で苦笑した。その瞳がこちらへと向き、憂いの色を帯びて細まる。

「……心配をかけてしまったな、ウィステル」
「いえ、いえ……!」

 無事でいてくれたことに酷く安堵し、判別できないほどに混ざりあった感情があふれて、胸の奥で詰まる。なんと言葉にしていいかわからず、首を横に振るしかなかった。


* * *


 屋敷内の応接室へと通され、ローワンと向かい合うようにして座る。改めてローワンを見ると、以前とほとんど変わりがない。やつれて、衰弱したような雰囲気だったらと心配していたのは杞憂に終わった。

「ローワン兄様、思っていたよりも変わりなくてホッとしました」
「そういえばそうだな……キャスバート家の治療が手厚くて、普段より良いものを食べてたからか?」

 軽口を叩きながら首を傾げる姿を見て、体力が戻ったフリではないのだと伝わってくる。

「冗談か……?」
「自虐ですね」

 フィセリオは笑っていいところなのかを探りながら、冗談か自虐かの狭間で、ギリギリ冗談だと受け取ったらしい。しかし残念ながら、冗談ではなく自虐になってしまうのがラティマー伯爵家なのだ。

「病院食も大変美味しかったですよ」

 朗らかに笑うローワンを見て、フィセリオは眉間に深くシワを刻む。ウィステルはキャスバート家で振る舞われる普段の食事を思い浮かべていた。

 きっとフィセリオには、ラティマー家が普段どんなものを食べているかなんて想像もつかないだろう。極貧を極めていたときの食事なんて、食べ物だと認識してくれるかさえ怪しい。

「キャスバート家から派遣された皆さんには、大変お世話になりました。ですが私は、領主の役目を果たせませんでした。民を救うどころか、私が救われるとは……あまりにも無力で、情けない話です」

 ローワンは口元にだけ笑みを貼りつけながら、痛みを内に抱え込むように目を伏せる。ローワンがくれた最後の手紙にも、『領民を救う当主としては期待されていない』と書いていた。

 皆の希望となり、心を支えられる領主になろうとして、ローワンは結局なれなかったのだ。

「……ラティマー領には、ローワン殿のような領主が合っているだろう」

 重い沈黙が落ちかけた空間で、ぽつりとフィセリオは呟く。ウィステルとローワンの視線は、自然とフィセリオへと向いていた。彼はどちらへも視線を向けず、思考を巡らせているような眼差しをしていた。

「治安を安定させることすら難しい地で、暴動を起こさせない領主は貴重だ。おかげで領民も協力的で、復興も収束も早い。あまり卑下しすぎても、病み上がりの体に障る」
「そういう考え方も、あるのですね……」
「そういう考え方ではない。領主にもいろいろタイプはある。残念ながらローワン殿は、自身の理想のタイプと一致しなかったというだけだ」

 フィセリオの言葉は慰めではない。領主として理想とされるタイプが一つではないことは事実だ。ローワンはローワンで、派手ではないがラティマー領に大きく貢献してきている。けれど今回は結果が伴わなかった。

 自分のタイプでは補えなかった。これが自分にできる最善だった。そんな言い訳を自分に許さない人だということを、ウィステルはよく知っていた。

「領民といえば……現地派遣した者たちから、引き揚げの際に厚く感謝されたと聞いている。あんなふうに見送られたのは初めてだと口にしていた」
「……ラティマーは、こういう土地柄ですから。皆もわかっているのです。我々が返せるものは、感謝と礼儀くらいしかないと」

 ローワンの瞳に、深い諦念の色が浮かぶ。それでいて、ラティマー領に吹く風のようにカラリとした表情をしていた。それはきっと、どんな苦境にあっても人としての矜持を失わないと領民を信じ、証明されたように感じたからだろう。

「支援は見返りを求めるものではない。彼らに誇りを握らせて帰したなら、十分だろう」

 ウィステル自身は、派遣されていた者たちをキャスバート領で迎えた側だった。休みなく対応し続けていた彼らは、深い疲労が顔に出ていた。けれどその瞳は、眩い星のように強く輝いていたことを覚えている。

 見返りもなく、他の領地の危機のために力の限りを尽くしてくれた人々。つらく長い時を耐え、見えた希望を折られても、ラティマー家を信じてくれた領民たち。ウィステルはそのどちらにも、深い敬意と感謝を抱いていた。

「しかしだ、ローワン殿。あまり他領のやり方に口出しはしたくないのだが、領主が何日も続けて陣頭指揮を執るのはオススメしない。それも戦場の最前線など……足りてないものを自分で埋めようとするのは悪い癖だな」
「はは……おっしゃる通りですね。父も現場に赴いて、亡くなってますし……」
「これはローワン殿や父君だけの癖ではない。“ラティマー家の癖”だ」
「……ウィステル、まさか……?」

 渋い表情でじろりとこちらを見るフィセリオと、どういう意味か確認しようとするローワンの視線がウィステルへと刺さる。“足りないものを自分で埋めようとする癖”と言われ、すぐに心当たりにぶち当たった。

「た、確かに……ローワン兄様のいない穴を埋めようとして、派遣してほしいとお願いは……しました……」
「ウィステル~……」

 頭を抱えてうつむくローワンから「おいおいおい、それはダメだろ……」という声が聞こえてくるような気がした。

「フィセリオ様、ウィステルを止めて、守ってくださって本当にありがとうございました」
「フィセリオ様、ローワン兄様、申し訳ありませんでした……」

 おまけに自分のことでローワンに尻拭いさせてしまう始末。もう大人として自分で責任を取らなければならないというのに。あのときは冷静さを欠いていたとはいえ、あまりにもお粗末だった言動に消え入りたいほど恥ずかしくなった。

「存在の重さを理解してくれればそれでいい。君たちの喪失は大きな損失になる。“代わり”など存在しないからな」

 フィセリオは怒るでもなく、淡々と事実を並べるように言葉を口にする。それを聞いて、ふと思い出したことがあった。

『損失など……一つもありません。仮にわたくしが死のうと、代わりなどいくらでもいるはずでしょう!』

 これは、あのときの言葉への回答だ。冷静さを欠いて否定した言葉が、ローワンという存在を通したからこそ飲み込めるようになっていた。

 責任感だけは立場に見合うだけのものを持とうとするのに、自身の命は軽く扱っていた。領民と、安定した未来のために捧げる供物のように。

 立場は自身の存在の価値を証明するものにはならない。けれどその立場で何を成すかは、人によって変わる。その判断と行動にその人の価値が生まれ、代わりが利かなくなっていく。

 フィセリオはその価値をウィステルたちに見出してくれている。それは想像していた以上の信頼からくる、重い期待の表れかもしれない。

 しかしその重みを、息苦しさとして感じていない。むしろ寄る辺なく漂う小舟を、“ここ”という場所に留め、安定させるいかりのようですらある。

 ここが自分の居場所なのかもしれない──そうしてストンと、地に足がついたような気がした。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

【完結】旦那に愛人がいると知ってから

よどら文鳥
恋愛
 私(ジュリアーナ)は旦那のことをヒーローだと思っている。だからこそどんなに性格が変わってしまっても、いつの日か優しかった旦那に戻ることを願って今もなお愛している。  だが、私の気持ちなどお構いなく、旦那からの容赦ない暴言は絶えない。当然だが、私のことを愛してはくれていないのだろう。  それでも好きでいられる思い出があったから耐えてきた。  だが、偶然にも旦那が他の女と腕を組んでいる姿を目撃してしまった。 「……あの女、誰……!?」  この事件がきっかけで、私の大事にしていた思い出までもが崩れていく。  だが、今までの苦しい日々から解放される試練でもあった。 ※前半が暗すぎるので、明るくなってくるところまで一気に更新しました。

【完結】婚約破棄に祝砲を。あら、殿下ったらもうご結婚なさるのね? では、祝辞代わりに花嫁ごと吹き飛ばしに伺いますわ。

猫屋敷むぎ
恋愛
王都最古の大聖堂。 ついに幸せいっぱいの結婚式を迎えた、公女リシェル・クレイモア。 しかし、一年前。同じ場所での結婚式では―― 見知らぬ女を連れて現れたセドリック王子が、高らかに宣言した。 「俺は――愛を選ぶ! お前との婚約は……破棄だ!」 確かに愛のない政略結婚だったけれど。 ――やがて、仮面の執事クラウスと共に踏み込む、想像もできなかった真実。 「お嬢様、祝砲は芝居の終幕でと、相場は決まっております――」 仮面が落ちるとき、空を裂いて祝砲が鳴り響く。 シリアスもラブも笑いもまとめて撃ち抜く、“婚約破棄から始まる、公女と執事の逆転ロマンス劇場”、ここに開幕! ――ミステリ仕立ての愛と逆転の物語です。スッキリ逆転、ハピエン保証。 ※「小説家になろう」にも掲載。 ※ アルファポリス完結恋愛13位。応援ありがとうございます。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

処理中です...