10 / 90
ふたりの出会い
しおりを挟む
――もうフランスなんて嫌だ。
そう言って、逃げてきた。
正確に言うと、爺さんに泣きついて、帰らせてもらっている。
小学校を卒業してすぐ、フランスに住む叔母の家に預けられることになった。
叔母さんは厳しいけど優しい、同年代の従兄弟もいる。
でも、他に知り合いはいないし、現地校だから学校でも言葉が通じない。
従兄弟はいい奴らだけど、クラスが違うから学校ではいつも一人で過ごしている。
言葉が分からないから勉強だって今までの3倍は時間がかかってしまう。分からないところを質問する言葉がまず分からない。
……情けないことにフランスに行ってたった3週間で、白旗を掲げて日本に帰ってきてしまった。
そもそもうちには母親がいない。
俺が産まれた時に予期せぬ大出血で帰らぬ人となったと聞いている。
母の代わりに家政婦のシゲさんが何かと世話を焼いてくれていたが、もう年だし俺の小学校卒業を機に引退することとなった。
そのうえ最近、大企業の一人息子である俺の存在に、良くも悪くも世間が注目し始めている。世間の目は期待や妬みとなって、俺がちょっとでも刺激すれば一瞬で牙を剥き、容赦なく襲いかかってきそうで恐ろしい。
父は息子が潰れるのを懸念したのかもしれない。
視野を広げるのに良い機会だから、と言っていたが、本当は多忙な自分では日本にいる息子を守れないと判断したのだろう。
何もできない自分の無力さが、嫌になる。
もう何をするのも面倒くさくて、庭で背中を丸めて座り込んでいたら、人が近づいてくる気配を感じた。
チラ、とそちらを見る。
――桜の木の下に、ひとりの少女が立っていた。
小学生? 低学年くらいか?
くりっと大きな可愛らしい目なのに、どこか凛とした力強さを感じさせる。
ふわっとした赤茶色の髪の毛は、小動物のように愛らしい。
「どこか痛いの? お爺様、呼んでこようか?」
爺さんのことを知っている。
ということは、勝手に庭に入ってきた子どもではないということか。
無視していたら、人ひとり分くらい空けて隣に座り込んだ。
特に話しかけてくるでもなく、ただ座っているだけ。
なんだか沈黙に堪えられなくなって、こちらから話しかけてしまった。
「フランスでは、言葉が通じないんだ」
彼女は、キョトンとした感じで、目を少し見開いた。
そのあどけない表情に、思わずちょっと後ずさる。
「そしたらさ、しゃべらなくていいよ」
「そんなことしたら、友達ができないだろ」
わかったような口きくな、と少しイラッとした。
「できるよ。
眠って、起きて、息して、おならもして、それだけですごいことだから。
そこにいてくれれば会いに行ける。
あとは、ご飯が食べられれば大丈夫。
今日は、何か食べた?」
「何も……」
「そっか」
そう言うと立ち上がって、俺からさらに少し離れてからお尻をポンポンと軽く叩いて芝を落とす。
「ちょっと待ってて」
彼女が走って行ってしまうと、もう葉っぱだけになった桜の木がサワサワと静かに揺れた。
その音が心地よくて、木を見上げた。
ああ、空が青い。
久しぶりに、空に浮かぶ雲を見たような気がする。
そんなことを考えていたら、いつの間にか先ほどの少女が、白い皿に白い物体を載せてすぐそばに立っていた。
「おにぎり、どうぞ」
おにぎりって……確かに朝から何も食べてないからお腹は空いてるけど、もう少しまともな物が食べたい。
しかも中身を聞くと、何も入ってないという。塩だけだって。
形も悪いし、俺、これ食べるの……。
まあ、爺さんの知り合いみたいだし、とりあえず食べても危険なものではないと思うけど……。
恐る恐る口に入れる。
「うま……」
なんだこれ、塩だけなのに、すごく美味い。
単にお腹が空いてたからなのか分からないけど、魔法のように美味しいおにぎりを続けて全部食べてしまった。
「それじゃ、またね、がんばらないでね」
彼女は満開の桜のように笑って、空になったお皿を持って走って行った。
いや、そこは普通、がんばってねが一般的だろ。
そう言って、逃げてきた。
正確に言うと、爺さんに泣きついて、帰らせてもらっている。
小学校を卒業してすぐ、フランスに住む叔母の家に預けられることになった。
叔母さんは厳しいけど優しい、同年代の従兄弟もいる。
でも、他に知り合いはいないし、現地校だから学校でも言葉が通じない。
従兄弟はいい奴らだけど、クラスが違うから学校ではいつも一人で過ごしている。
言葉が分からないから勉強だって今までの3倍は時間がかかってしまう。分からないところを質問する言葉がまず分からない。
……情けないことにフランスに行ってたった3週間で、白旗を掲げて日本に帰ってきてしまった。
そもそもうちには母親がいない。
俺が産まれた時に予期せぬ大出血で帰らぬ人となったと聞いている。
母の代わりに家政婦のシゲさんが何かと世話を焼いてくれていたが、もう年だし俺の小学校卒業を機に引退することとなった。
そのうえ最近、大企業の一人息子である俺の存在に、良くも悪くも世間が注目し始めている。世間の目は期待や妬みとなって、俺がちょっとでも刺激すれば一瞬で牙を剥き、容赦なく襲いかかってきそうで恐ろしい。
父は息子が潰れるのを懸念したのかもしれない。
視野を広げるのに良い機会だから、と言っていたが、本当は多忙な自分では日本にいる息子を守れないと判断したのだろう。
何もできない自分の無力さが、嫌になる。
もう何をするのも面倒くさくて、庭で背中を丸めて座り込んでいたら、人が近づいてくる気配を感じた。
チラ、とそちらを見る。
――桜の木の下に、ひとりの少女が立っていた。
小学生? 低学年くらいか?
くりっと大きな可愛らしい目なのに、どこか凛とした力強さを感じさせる。
ふわっとした赤茶色の髪の毛は、小動物のように愛らしい。
「どこか痛いの? お爺様、呼んでこようか?」
爺さんのことを知っている。
ということは、勝手に庭に入ってきた子どもではないということか。
無視していたら、人ひとり分くらい空けて隣に座り込んだ。
特に話しかけてくるでもなく、ただ座っているだけ。
なんだか沈黙に堪えられなくなって、こちらから話しかけてしまった。
「フランスでは、言葉が通じないんだ」
彼女は、キョトンとした感じで、目を少し見開いた。
そのあどけない表情に、思わずちょっと後ずさる。
「そしたらさ、しゃべらなくていいよ」
「そんなことしたら、友達ができないだろ」
わかったような口きくな、と少しイラッとした。
「できるよ。
眠って、起きて、息して、おならもして、それだけですごいことだから。
そこにいてくれれば会いに行ける。
あとは、ご飯が食べられれば大丈夫。
今日は、何か食べた?」
「何も……」
「そっか」
そう言うと立ち上がって、俺からさらに少し離れてからお尻をポンポンと軽く叩いて芝を落とす。
「ちょっと待ってて」
彼女が走って行ってしまうと、もう葉っぱだけになった桜の木がサワサワと静かに揺れた。
その音が心地よくて、木を見上げた。
ああ、空が青い。
久しぶりに、空に浮かぶ雲を見たような気がする。
そんなことを考えていたら、いつの間にか先ほどの少女が、白い皿に白い物体を載せてすぐそばに立っていた。
「おにぎり、どうぞ」
おにぎりって……確かに朝から何も食べてないからお腹は空いてるけど、もう少しまともな物が食べたい。
しかも中身を聞くと、何も入ってないという。塩だけだって。
形も悪いし、俺、これ食べるの……。
まあ、爺さんの知り合いみたいだし、とりあえず食べても危険なものではないと思うけど……。
恐る恐る口に入れる。
「うま……」
なんだこれ、塩だけなのに、すごく美味い。
単にお腹が空いてたからなのか分からないけど、魔法のように美味しいおにぎりを続けて全部食べてしまった。
「それじゃ、またね、がんばらないでね」
彼女は満開の桜のように笑って、空になったお皿を持って走って行った。
いや、そこは普通、がんばってねが一般的だろ。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる