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2 サクちゃんの「大変だ!」

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案内された婚活会場は政府関係のホテルでの立食形式のパーティだった。きれいめカジュアルということで水色のシャツにネイビーのジャケット、綿のベージュパンツに黒の革靴。番のいないオメガに必須の首輪をつけて僕はやってきた。開始時間ギリギリだったせいかエレベーター内には他に同乗者はいない。ふと視線を向けるとひょろりと高い背を隠すように猫背で立つ僕の姿がエレベーター内の鏡にうつっていた。



(襟もっと高いやつにすればよかった)



襟の下から顔をのぞかせる黒い首輪はいかにも番募集中です。と主張している気がする。この首輪さえなければ地味な僕はベータとして紛れ込めるのに。なにより久しぶりに首輪をつけたから違和感がすごい。家で一人でいる時が多い僕は望まない番を成立させないオメガにとっての人権の最後の砦ともいえる首輪をつけることがすくない。



(もう家に帰りたい)



チーンと高いベル音がしてエレベーターのドアが開いた。何も考えずエレベータの外に出た僕は場違いな自分に気づいた。目立たず浮かずを目指した僕の格好は婚活パーティには地味すぎたと会場フロアにいる人達との差に恥ずかしくなる。皆はパーティに来ていて僕は家庭教師の面接にきていたと言ったら伝わるだろうか。



受付にいる運営側の人達も僕よりよほど華やかなスタイルで僕はこのまま帰ってしまいたいとこっそり後ずさった。けれどエレベーターは「ドアが締まりますご注意ください」とドアを閉め始める。ドアの間に足をねじ込むかどうか一瞬迷った僕はそのままおいていかれてしまった。



もう一度エレベーターを呼ぼうとパネルに手を伸ばした僕は受付のお兄さんに「受付はこちらでお願いします」と声をかけられてしまった。



「いや、あの、その違うんです」



どうにか逃げられないかとまごついてる僕の首輪をみて「オメガの方ですよね?こちらでどうぞ。お名前お願いします」とさくさく案内してくるお兄さんにコミュ症の僕が敵うわけがない。気がつけば受付を終え会場前に案内されていた。



無意識に入口前でそっと首輪に手を伸ばす。



発情したオメガの首をアルファが噛むことで成立する番システムはオメガのフェロモンが番のアルファ以外には効かなくなり社会生活がしやすくなるという一方、番を解消しても新たに番を持つことが出来るアルファと違いオメガは発情期に起きる渇望を埋めてくれる番を一生に一度しか持てないという人生最大の大博打だ。



第二の性の説明授業でこの番システムを聞いたときにはどこにオメガにとってのメリットがあるんだ?って思った。第二の性が判明する前の僕は関係ないやつにフェロモンが効くとか効かないとかオメガ以外の奴らが我慢しろよ!って思ったんだ。こどもだったな。発情期が来てから何度も襲われかけて熱を出しながら朦朧としつつ理解した、あぁ我慢できないんだなって。そりゃオメガは邪魔者扱いされるわけだ。そして思った、神様なんていないなって。



一回しかチャンスがない番決めで間違わないで相手を選べるやつがどんだけいるの?って。人生100年時代だっていうのに。アルファはやり直しできるけどオメガには失敗を許してくれないなんて。



(神様がいたとしてきっとアルファしかかわいがってくれない神様なんだ)



気になってつい何度も触ってしまうけど僕だってアルファだらけの婚活会場に首輪無しで乗り込むようなバカ野郎ではないのでなんとか外すのは我慢している。急な発情期に備えて薬も胸ポケットと財布とズボンのポッケに入れてある。政府の婚活パーティで薬を盛ってレイプしようなんて考えるバカはいないはずだから。杞憂に終わると思うけど。



(大丈夫。きっと何も起こらない)



僕は胸ポケットを叩いて薬がちゃんとそこにあることをもう一度確認した。



(大丈夫。1時間だけ我慢して帰ろう)



おずおずと床の模様を見ながら入った会場のそこここでは既にオメガを囲んでいるアルファの姿。入口近くのドリンク置き場でグラスに入った炭酸水らしきものを手に取り足を進める。高身長の彼らだらけの会場内、平均身長の女性である担当さんはどこかで埋もれていることだろう。



人を探すということは見ている相手が視線に気づいてこちらに視線を投げてくる確率も高くなるってことだ。人見知りする僕が一番苦手な分野である。

先程視線を向けた先からこちらを見ている誰かがいる。

そう感じた僕は手にしたグラスを口元まで運んでただでさえ前髪と分厚いレンズのメガネで隠れている顔を更に隠した。



(どうか見ないでください……出会いは求めてないんです)



僕の願いが通じたのか誰ともしれない視線は僕を通り過ぎていった。



僕はもとから親しくない人と話すのがすごく苦手だ。だから間違っても話しかけられないように大広間に溢れる人を避けるように下手出入り口側のすみに気配を殺すようにひっそりと立ちつつ時間をつぶすことにした。

担当さんには悪いが番を見つける気持ちはさらさらない。ここに顔を出しただけで十分義理を果たしたつもりだ。



先程受付で『良いご縁があるといいですね』と送り出されたがそもそも僕には縁というものが繋がっていないのかもしれない。生まれた時から親の縁は切れているし。友達だって恋人だっていやしない。オメガだけれど原因不明の不妊症と診断されている上に発情期不定期症候群でもある。

これまでも一人だったし、これからもきっとずっと一人でいるだろう。



唯一世間と繋がっていることを感じられていたボランティア添削活動ももう……



(もう別にいいけど)



手にしたグラスの中には氷が二つつながっている。
寄り添っているようなその形に『ずっと一緒にいる』と抱きしめてくれたあの子を思い出す。

一緒にいるだけでなんだかむずむずと嬉しくて手を繋いで歩くと二人でどこまでも行けるんじゃないかって元気がもらえた僕の大好きだった友達。もしも彼が大きくなっていたらどんな人になってたんだろう。オメガの僕と今でも友達でいてくれたんだろうか?でもきっと彼はアルファになったに違いない。かけっこだって早かったし幼稚園に入る前から僕に絵本を読んでくれたくらい字を読めるようになるのだって早かった……



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「!!はじめちゃん大変だ!!」



二人で幼稚園の本棚で本を読んでいたときのことだった。ぼくの隣で絵本を開いていた幼なじみのサクちゃんが突然僕の顔を覗き込んだ。サクちゃんはいつでも「大変だ!」だけど。



「なぁに?どうしたの?」



サクちゃんはいつも色んなことを僕に教えてくれた。6歳上のお兄ちゃんがいるからひらがなだけじゃなくてカタカナだって小学校で習う漢字だって読めるんだ。

いつも元気いっぱいでお友達もたくさんいて、上手に自分の気持ちを言葉に出せない僕とは正反対の幼なじみ。僕がパニックになっても「大丈夫。心配ないよ」ってそばにいてくれるサクちゃん。僕には家族はいなかったけどサクちゃんがいれば意地悪な子も寄ってこなかった。



サクちゃんはお外で遊ぶのも大好きだけど本を読むのも大好きで、本を読むときは必ず僕の横に座ってサクちゃんの「大変だ!」を教えてくれるんだ。



そんなサクちゃんの今日の「大変だ!」は「ことばってすごい!ね?」だった。



「僕のここが、ふぅわぁぁぁーって走りたくなるような気持ちはワクワク!!こぉんな!こぉんなふうに動くのはぐるぐる!!はじめちゃんのおめめのキラキラも僕の髪の毛のふわふわもぜーんぶそれぞれ言葉があるんだ!ちゃんと!うん!」



身振りをしながら僕に教えてくれたさくちゃん。



「それでねワクワクって言われたら僕もワクワクするし、ふわふわって言われたらそれをさわったらどんなだかわかるの。それでね本にはたーくさん言葉がかいてあるでしょ。本を読むとね本の中にあるものが僕の中に来るの。この本に入ってるものが僕の中に来るの。すごいね!!楽しいね!!」



そういってピカピカの笑顔を僕に向けたんだ。



幼稚園生なのに言葉の持つ力に気づいたサクちゃん。その秘密を教えられた僕。たくさん一緒に絵本を読んだ。小学生になってからは二人で毎日図書室に行って図鑑だって小説だってなんでも読んだ。君たちは本当に本の虫って図書の先生は優しく笑った。

ドッジボールが下手くそでも足が遅くてもクラスの皆の前で発表できなくても僕の隣にはサクちゃんがいて、図書室には本があった。毎日が楽しかった。

そんな子供時代が終わったのは小学校4年の夏休み。家族旅行で行った先の川でサクちゃんのお父さんとサクちゃんがなくなった。



夏休み明けの教室で先生がサクちゃんがなくなったことを告げると皆はざわめいた。



びっくりした。

旅行から帰ってきたらいつもみたいにお土産持って会いに来てくれると思ってたのに。

またねって約束したのに。



ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』夏休みの間に読み終わったら感想を言い合おうっていってたのに。



おかしいな。僕たちの友情もはてしなく続く物語だったはずなのに。

約束な!って言ったのはサクちゃんだったのに。

ずっと一緒だよって言ったのに。



「うそつき」



僕は約束を守る男だよ!ってサクちゃんはいつも言ってたのに。

針千本飲んでもらわないといけない。

ねぇ。どこに届けたらいいの?



『はてしない物語』ほんとに果てしなくて読み終わらないんじゃないかと思って消灯時間が過ぎても布団の中で読んだのに。



「うそつき」



涙と一緒にこぼれた僕の言葉は皆のすすり泣きにかき消された。



サクちゃんしかいなかった僕はそれから一人ぼっちになった。

臆病な僕はサクちゃん以外の友達を作るのが怖くてとても怖くて、本の世界に逃げ込んだんだ。



誰も来ない図書室奥。書架の間の床にぺたりと座り見つからないように息をひそめてページをめくる。

本の中に広がる世界は一人ぼっちの僕を包んでくれた。

本から顔を上げて隣を見ても光に透けるホコリが空中に見えるだけでサクちゃんの姿が見えない事におかしいなって気づく。
ここに、君が……いない。



(サクちゃん……)



目が熱くなる。視界がぼやける。一息ごとに体が冷えていく。鼻の奥がつんとする感覚がやっと起きなくなったころ僕も大人になっていた。
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