囚われの公爵と自由を求める花~マザコン公爵は改心して妻を溺愛する~

無月公主

文字の大きさ
13 / 56

13.二人を繋ぐ子

しおりを挟む
数日後、間もなく出産の時が迫っていた。サクレティアはその緊張感に、深く呼吸を整えようと努めていたが、身体が徐々に出産の準備を進めているのを感じていた。痛みが波のように押し寄せ、彼女は静かにその瞬間を待っていた。



しかし、その不安をさらに大きくする知らせが入った。侍女の一人、アリアが顔色を曇らせ、慎重な足取りでサクレティアの元へと歩み寄ってきた。彼女の表情からは、何かを言い出しづらそうな雰囲気が漂っている。



「サクレティア様……」アリアは低い声で、申し訳なさそうに口を開いた。「申し訳ございません……実は……」



サクレティアはその表情を見ただけで、何か良くない知らせであることを察した。彼女はゆっくりとアリアに視線を向け、その続きを待った。



「今、大奥様が……出産に臨まれていて、医師はそちらに呼ばれてしまいました。おまけに……クレノース様も大奥様に付きっきりで……」



その言葉を聞いた瞬間、サクレティアの心に冷たい波が押し寄せた。出産を支えるはずの医師がいないという現実。そして、クレノースが母親にかかりきりだという事実が、彼女の胸に重くのしかかった。彼女はその現実に打ちのめされそうになるも、すぐに冷静さを取り戻そうと、強く拳を握った。



「……じゃぁ、どうすれば?」サクレティアは意外なほど冷静な声で問いかけたが、その声の裏には強い不安が隠されていた。



アリアはますます申し訳なさそうに目を伏せ、しばらくの間、沈黙が続いた後、静かに答えた。「今のところ、素人の私たちだけで……どうにかするしかないかと……」



その言葉は、サクレティアにとってあまりにも衝撃的だった。医師もいない、クレノースもいない――出産という命がけの瞬間を、侍女たちの力に頼るしかない状況だということが、彼女に突きつけられた。



だが、サクレティアはふと、自分の胸に宿る強い意志を感じ取った。



《大丈夫……私は負けない……》



サクレティアは深呼吸し、痛みと恐怖に打ち勝つ決意を胸に秘め、アリアに向かって小さく頷いた。「いいわ……準備を進めて。私がどうにかする。」



サクレティアは痛みに耐えながら、汗だくで呼吸を整えていた。波のように押し寄せる痛みが、彼女を強く締め付け、何度も意識を奪いそうになる。しかし、彼女はその度に気力を振り絞り、必死に耐え続けた。



侍女たちは懸命にサクレティアを支えようとしたが、経験のない彼女たちには限界があり、サクレティア自身もその事実を理解していた。それでも、彼女はひたすらに強くあろうと努めた。全身に力を込め、声にならない叫びを噛み殺しながら、ひとり孤独に痛みに耐え続けていた。



《……私は……一人でやれる……誰にも頼らず……》



そう自分に言い聞かせていたその瞬間――ふと、部屋の扉が大きく開かれた。



「サクレティア!!」



聞き慣れた声が、遠くから響くように耳に届く。クレノースだった。彼は息を切らし、汗で濡れた額を拭いながら、彼女の元へ駆け寄った。彼の顔は疲れと緊張に満ちていたが、その目は彼女を見つめ、深い心配と決意が見え隠れしていた。



「……クレノース様……」



サクレティアは、彼がここにいることに驚きながらも、すぐに気を取り直し、痛みに耐える自分を必死に落ち着かせようとした。彼女は、自分のことよりも、クレノースが母親の元を離れて、此方に来たことを心配していた。彼女は、彼がここにいることで後から何か仕打ちが来るのではないかと恐れていた。



「クレノース様、私は大丈夫です……あなたはお義母様のもとにいなくては……後で大変なことになります……」



サクレティアは、苦しみの中で言葉を絞り出し、彼に気を遣っていた。しかし、クレノースは彼女の言葉を遮るように、彼女の手をぎゅっと握りしめ、強く首を振った。



「俺は君の側にいる。母上のことは……後で考える。今は君を助けることが先だ!」



彼のその言葉に、サクレティアは一瞬驚いた。彼女に対する強い決意が感じられ、彼が本当に自分を優先していることが伝わってきたのだ。彼女は、これまでのクレノースの冷徹な態度とは違う一面を見て、少しだけ心が揺れた。



クレノースは、サクレティアの手を離さずに、侍女たちに指示を出しながら、彼女の痛みを少しでも和らげようと奮闘した。そして、サクレティアは彼の声を聞きながら、痛みと共に最後の力を振り絞り、全力で出産に臨んだ。



そして――ついに、その瞬間が訪れた。赤子の産声が部屋中に響き渡り、サクレティアは疲労のあまり全身の力が抜け、そのまま深いため息をついた。



「生まれた……」



彼女は安堵し、疲れ切った表情で天井を見つめた。クレノースも息を切らしながら彼女の手を握り、二人は一瞬、静かな幸福に包まれた。



だが、その瞬間、サクレティアはふと彼を見つめ、心配そうな表情を浮かべた。



「本当に……大丈夫なんですか……?私なんかよりも、お義母様の方が……」



クレノースは彼女の言葉に応じ、少し笑みを浮かべた。



「大丈夫だ。俺は……君の側にいたいと思ったから、ここに来たんだ。」



その言葉を聞いたサクレティアは、わずかに表情を緩めたが、まだ心の中には不安が残っていた。彼女にとって、クレノースへの恋慕という感情はほとんどなかったが、それでも彼のことを心配せずにはいられなかった。



「……なら、どうか無事でいてください……私は……怖いんです……」



彼女はそう言いながら、疲れ果てた目で彼を見つめた。クレノースは、その言葉に少しだけ苦笑を浮かべ、彼女の額にそっと手を置いた。



「心配いらない。俺が守る。」



クレノースは赤子をそっと抱き上げ、微笑みながらその小さな顔をじっと見つめた。彼の腕の中で、赤ちゃんは安らかに眠っていた。その穏やかな姿に、クレノースの胸の中で何か温かいものが湧き上がってくるのを感じた。



「サクレティア……」



彼は少し躊躇いながら、彼女に向かって優しく声をかけた。



「名前を……俺が決めてもいいか?」



サクレティアは疲れ切った体を少し持ち上げ、クレノースの方を見た。彼の真剣な表情に気づき、わずかに微笑んで頷いた。



「もちろんです。クレノース様が選んでください。」



その返事を聞いたクレノースは、赤ちゃんの顔をもう一度見つめ、少し考えるように視線を下げた後、静かに口を開いた。



「キース……彼をキースと名付けよう。」



サクレティアはその名前を口の中でそっと繰り返し、微笑みながら同意した。



「キース……良い名前ですね。」



クレノースは赤子を抱きしめ、ゆっくりとその小さな手にキスをした。



「キース……君は俺たちの大切な子だ。」



その言葉に、サクレティアも安らかな笑みを浮かべた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

わがままな婚約者はお嫌いらしいので婚約解消を提案してあげたのに、反応が思っていたのと違うんですが

水谷繭
恋愛
公爵令嬢のリリアーヌは、婚約者のジェラール王子を追いかけてはいつも冷たくあしらわれていた。 王子の態度に落ち込んだリリアーヌが公園を散策していると、転んで頭を打ってしまう。 数日間寝込むはめになったリリアーヌ。眠っている間に前世の記憶が流れ込み、リリアーヌは今自分がいるのは前世で読んでいたWeb漫画の世界だったことに気づく。 記憶を思い出してみると冷静になり、あれだけ執着していた王子をどうしてそこまで好きだったのかわからなくなる。 リリアーヌは王子と婚約解消して、新しい人生を歩むことを決意するが…… ◆表紙はGirly Drop様からお借りしました ◇小説家になろうにも掲載しています

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

目覚めたら大好きなアニメの悪役令嬢でしたが、嫌われないようにしただけなのに全員から溺愛されています

月影みるく
恋愛
目を覚ましたら、大好きだったアニメの世界。 しかも私は、未来で断罪される運命の悪役令嬢になっていた。 破滅を回避するために決めたことはただ一つ―― 嫌われないように生きること。 原作知識を頼りに穏やかに過ごしていたはずなのに、 なぜか王族や騎士、同年代の男女から次々と好意を向けられ、 気づけば全員から溺愛される状況に……? 世界に一人しかいない光属性を持つ悪役令嬢が、 無自覚のまま運命と恋を変えていく、 溺愛必至の異世界転生ラブファンタジー。

乙女ゲームのモブに転生していると断罪イベント当日に自覚した者ですが、ようやく再会できた初恋の男の子が悪役令嬢に攻略され済みなんてあんまりだ

弥生 真由
恋愛
『貴女との婚約は今夜を持って破棄させて貰おう!』  学園卒業祝いの夜会の場に、凛と響いた王太子殿下の一声。  その瞬間、私は全てを思い出した。  私が前世ではただの手芸とゲームが好きなインドア派女子大生だったこと。そして、ゲーム世界に転生して尚も趣味は変わらず、ライバルキャラですらないモブになってしまっていたことを。  幼い頃に一度出会ったきりの初恋の彼と学園で再会出来たらなぁ、なんて淡い期待を抱いて通っていたのに、道理で卒業式までなんにも起きなかったわけだ。  ーーなんて、ひとり納得していたら。  何故だが私が悪役令嬢の断罪イベントの目撃者として名指しされ、一気に渦中の人物に!?  更に、王太子以外の男性陣は皆様悪役令嬢に骨抜き。なので自然と私には、彼女の潔白に繋がる証言が求められる。  しかしながら、私は肝心の事件の日の記憶が訳あって曖昧だったので、致し方なく記憶を呼び覚ます治療を受けさせられる羽目に。  タイムリミットは1年間。  その1年間の私への護衛につけられたのは、悪役令嬢に心奪われた初恋の彼でした。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

処理中です...