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第十二章 買い物
39話
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『──セシェルがいない…だと……? ッ、それは一体どういうことだ!!』
強く、何かを叩きつけるような鈍い音。苛立ちを隠そうともしない怒鳴り声が、静かな部屋に響いていた。
感情が制御できていないのだろう。銀色の髪が乱れる度、空気すらも凍てつかせるような、鋭い冷気が広がっていく。
『ヴィシェーラ様、お気持ちは分かりますが少し落ち着いてください。このままでは執務室ごと凍ります』
『ハッ、この状態で落ち着いていられるのなら、そいつは私じゃないだろうが』
『ええごもっともです。……ですが、そう威圧してしまっては話を聞くことすらできません』
振り向いた先には身を縮こまらせる少年の姿。全身の血を抜かれたのかと思うほどに蒼白で、その顔にはありありと悲愴感が漂っている。
『大丈夫ですよ、レオ。もう一度詳しい話を聞かせてもらえますか?』
『あ……は、はい! その…いつも通りの時間に、部屋に伺ったのですが──』
『その時には、既にいらっしゃらなかったんですね』
『はい。浴室も、隣室も、クローゼットの中まで探しました。でも、どこにもいらっしゃらなくて……。本当に…申し訳ございません』
尻すぼみになっていく声に比例して、ただでさえ小さな背が縮んでいく。それはそうだろう。目の前に怒り狂った国王がいるのだ。たかだか十二歳の子供が、この威圧感に耐えきれるはずもない。
『………扉の鍵は』
『し、閉まっておりました。……あ、ですが、その──』
『何だ、言ってみろ』
『窓の鍵が、開いておりました』
『ならば尚更おかしいだろう。魔法が使えないのに、あの高さから抜け出したとでも?』
『ヴィシェーラ様』
控えめに制すれば、主は深く息を吐いた。必死に抑えようとしているためか、はたまた動揺しているためか、その体は小刻みに震えている。
『すぐに捜索隊を編成しろ。私も出る』
『なりません』
『……ッ、この期に及んで何を言っている! 急がねば、セシェルの身に何があるともしれないんだぞ!!』
一際強い冷気が放たれ、ほんの瞬きの間に、襟首を掴み上げられていた。
感じるのは、肺が凍るような冷たさと息苦しさ。それでも、殊更人間らしい姿を見せる主に、何故か笑ってしまう自分がいるのだ。嘲笑でも、悦楽でもない。……きっとこれは、安堵からくるものなのだろう。
『重々承知の上で申し上げております。今ここで貴方が動けば、状況はさらに悪くなる。……攫った相手が誰にしろ、何のメリットも無しにこのような場所から連れ出しはしないでしょう』
『なら何もせずにいろというのか!!』
『ですから、相手に気取られないよう少人数で動きます』
その言葉に、襟元をつかみ上げていた力が緩む。これ幸いと抜け出して、動きにくいコートを脱ぎ捨てた。袖のボタンを外していれば、言葉の意味を理解できていない主が、呆然とこちらを眺めてくる。
まったく、あの青年のことに関しては本当にぽんこつらしい。
『信頼できる近衛を数人回してください。こちらからは一刻ごとに知らせを出します。ヴィシェーラ様は相手方からの接触を待って、もし動きがあれば連絡を』
『……お前が行くのか』
『他に誰が信用できますか。私しかいないでしょう』
傲慢にも似た自負を吐いて、主の方へと向き直る。自慢の髪を乱したまま、随分と酷い顔でいるものだ。
『氷の君。そんな仏頂面では、姫君に逃げられてしまいますよ』
『…ははっ、こんな時に笑えない冗談だな』
『いいえ。こんな時だからこそ、です。──大丈夫、必ず連れて帰りますよ』
『………最初から疑ってなどいない』
絞り出されたその声は、低く、けれど鮮明に耳へと届いた。もっと揶揄ってやりたい気持ちもあるが、今は急を要する事態。時間を無駄にするわけにもいかないのだ。
『ふふっ、それは良かった。……レオ』
『は、はい!』
『ヴィシェーラ様のサポートをお願いします。貴方を連れて行くわけにもいきませんし、私が抜ける分の穴埋めとしては最適です』
『え……僕がですか!?』
『貴方の優秀さはよく理解していますよ。誰が選んだと思ってるんですか』
驚きに目を見開く少年には、賞賛と信頼を。駄目押しのように微笑めば、彼は迷った末に頷いた。これでしばらくは大丈夫だろう。
背後で重い扉が閉まっていくのを聞きながら、足早に部屋から去る。昨日の今日ともあれば、まだ遠くには行っていないはずだ。
「……申し訳ございません、セラシェル様。たとえご自分の意思で出ていかれたとしても、私はきっと、貴方を連れ戻してしまう」
誰にともない謝罪を吐いて、朝の日差しが差し込む中、一人の男は消えていった。
強く、何かを叩きつけるような鈍い音。苛立ちを隠そうともしない怒鳴り声が、静かな部屋に響いていた。
感情が制御できていないのだろう。銀色の髪が乱れる度、空気すらも凍てつかせるような、鋭い冷気が広がっていく。
『ヴィシェーラ様、お気持ちは分かりますが少し落ち着いてください。このままでは執務室ごと凍ります』
『ハッ、この状態で落ち着いていられるのなら、そいつは私じゃないだろうが』
『ええごもっともです。……ですが、そう威圧してしまっては話を聞くことすらできません』
振り向いた先には身を縮こまらせる少年の姿。全身の血を抜かれたのかと思うほどに蒼白で、その顔にはありありと悲愴感が漂っている。
『大丈夫ですよ、レオ。もう一度詳しい話を聞かせてもらえますか?』
『あ……は、はい! その…いつも通りの時間に、部屋に伺ったのですが──』
『その時には、既にいらっしゃらなかったんですね』
『はい。浴室も、隣室も、クローゼットの中まで探しました。でも、どこにもいらっしゃらなくて……。本当に…申し訳ございません』
尻すぼみになっていく声に比例して、ただでさえ小さな背が縮んでいく。それはそうだろう。目の前に怒り狂った国王がいるのだ。たかだか十二歳の子供が、この威圧感に耐えきれるはずもない。
『………扉の鍵は』
『し、閉まっておりました。……あ、ですが、その──』
『何だ、言ってみろ』
『窓の鍵が、開いておりました』
『ならば尚更おかしいだろう。魔法が使えないのに、あの高さから抜け出したとでも?』
『ヴィシェーラ様』
控えめに制すれば、主は深く息を吐いた。必死に抑えようとしているためか、はたまた動揺しているためか、その体は小刻みに震えている。
『すぐに捜索隊を編成しろ。私も出る』
『なりません』
『……ッ、この期に及んで何を言っている! 急がねば、セシェルの身に何があるともしれないんだぞ!!』
一際強い冷気が放たれ、ほんの瞬きの間に、襟首を掴み上げられていた。
感じるのは、肺が凍るような冷たさと息苦しさ。それでも、殊更人間らしい姿を見せる主に、何故か笑ってしまう自分がいるのだ。嘲笑でも、悦楽でもない。……きっとこれは、安堵からくるものなのだろう。
『重々承知の上で申し上げております。今ここで貴方が動けば、状況はさらに悪くなる。……攫った相手が誰にしろ、何のメリットも無しにこのような場所から連れ出しはしないでしょう』
『なら何もせずにいろというのか!!』
『ですから、相手に気取られないよう少人数で動きます』
その言葉に、襟元をつかみ上げていた力が緩む。これ幸いと抜け出して、動きにくいコートを脱ぎ捨てた。袖のボタンを外していれば、言葉の意味を理解できていない主が、呆然とこちらを眺めてくる。
まったく、あの青年のことに関しては本当にぽんこつらしい。
『信頼できる近衛を数人回してください。こちらからは一刻ごとに知らせを出します。ヴィシェーラ様は相手方からの接触を待って、もし動きがあれば連絡を』
『……お前が行くのか』
『他に誰が信用できますか。私しかいないでしょう』
傲慢にも似た自負を吐いて、主の方へと向き直る。自慢の髪を乱したまま、随分と酷い顔でいるものだ。
『氷の君。そんな仏頂面では、姫君に逃げられてしまいますよ』
『…ははっ、こんな時に笑えない冗談だな』
『いいえ。こんな時だからこそ、です。──大丈夫、必ず連れて帰りますよ』
『………最初から疑ってなどいない』
絞り出されたその声は、低く、けれど鮮明に耳へと届いた。もっと揶揄ってやりたい気持ちもあるが、今は急を要する事態。時間を無駄にするわけにもいかないのだ。
『ふふっ、それは良かった。……レオ』
『は、はい!』
『ヴィシェーラ様のサポートをお願いします。貴方を連れて行くわけにもいきませんし、私が抜ける分の穴埋めとしては最適です』
『え……僕がですか!?』
『貴方の優秀さはよく理解していますよ。誰が選んだと思ってるんですか』
驚きに目を見開く少年には、賞賛と信頼を。駄目押しのように微笑めば、彼は迷った末に頷いた。これでしばらくは大丈夫だろう。
背後で重い扉が閉まっていくのを聞きながら、足早に部屋から去る。昨日の今日ともあれば、まだ遠くには行っていないはずだ。
「……申し訳ございません、セラシェル様。たとえご自分の意思で出ていかれたとしても、私はきっと、貴方を連れ戻してしまう」
誰にともない謝罪を吐いて、朝の日差しが差し込む中、一人の男は消えていった。
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