26 / 38
誘拐は合意の上で
第二十六話
しおりを挟む
「わかった。兄さんがそう言うなら」
「……いい子、みつは本当に昔と少しも変わらないね」
──昔通り。変わらない。
最近、兄さんがよく使う言葉だ。まるで甘い砂糖を塗り溶かすように、子どもに言い聞かせるかのように、何度も何度も繰り返して。
違和感というほどでもないが、その言葉を聞く度にもやりとした気持ちが走る。
子ども扱いが嫌なのか、それとも、このもやもやした気持ちが反抗期というものなのか。考えてみても、どうせ答えはでてこない。
「んー」
だから曖昧な返事を返した。せっかく二人きりでいるのに、喧嘩なんてしたくはない。
「──……婚約のこと、なんだけれど」
ぼうっとレタスを千切っていれば、控えめな声が降ってくる。
父さんに婚約者を決めろと言われたあの日以降、互いにその話題は避けてきた。兄さんも、きっと聞いてはいるのだろう。聞いて、交渉材料としては知っている。それだけの話だ。
「うん」
「みつは選ぶつもりなの」
「……選ぶよ、そりゃあ」
素知らぬ顔をして"家のため"なんて言葉は飲み込んだ。
きっと俺がそう言って少しでも嫌がる素振りを見せれば、兄さんは自分の身を顧みず俺の味方をするのだろう。
でも、それじゃあ駄目なんだ。
兄さんは朔魔家の長男で、魔王の血を一番濃く引いている。
次期当主として上に立つことを義務付けられ、重すぎるほどの期待と重圧を背負いながら、きっと、甘やかされて育つ弟を妬ましく思う時だってあったはずだ。
なのにそんな様子を微塵も見せず、いつだって穏やかな兄のままでいてくれた。
恩返し、なんて薄っぺらい言葉とは少し違う。
俺は本当に、兄さんのためなら喜んで死ねるとすら思うのだ。結婚一つで朔魔……直接的に兄さんの役に立てるのなら、それに越したことはないではないか。
「はい、レタス終わったよ。次は何すればいい?」
「…………みつ」
「やめてよ兄さん、俺は幸せなんだって。ほら、琉架は変わってるけどいい奴だし、天勝も多分……そんなに、悪い奴じゃない。大丈夫だよ」
滲む視界を晴らそうと、何度も瞬きを繰り返す。妙に優しく聞こえる声のせいか、感情が幾重にも増幅されて止まらない。
涙の膜を弾き飛ばしているはずなのに、後から後から込み上げて、もうどうしようもできなかった。
あぁ本当に、弱くて甘えたな出来損ない。同じ血を引いてるはずの兄さんと何故こうも違うのだろう。
「ごめ……ちょっと経てば、っ、落ち着く……から、」
「ねぇみつ、これを食べたら二人で少し話をしよう。私の考えてることも全部全部伝えるから、みつにも本気で話してほしい。……何も心配しなくていいんだよ」
声なんて出せず、ただ頷くのに精一杯だった。
涙で張り付きそうになった前髪を、優しい指が梳いていく。二人だけの空間に、遠く聞こえる鳥の声と、小さな嗚咽が響いていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽
「……落ち着いた?」
「うん」
ずびりと鼻を鳴らして、差し出されたティッシュを掴む。泣いた後というのはどうしてこうも気まずいのか。人類の永遠の課題といってもいいレベルだ。
「サンドイッチ、食べようか。お腹空いたでしょう」
「……ん」
正直そんなにお腹は空いてない。
だって、起きてからやったことといえば、リビングまでの短い距離を歩いただけだ。
人は寝ているだけでカロリーを消費するとはいうけれど、今は食欲より気恥ずかしさの方が勝っているから空腹を感じないだけなのだろうか。
「……ああそうだ。一応この辺り一帯が私有地ではあるんだけど、少し歩いたところに湖があってね。綺麗なところだから、みつもきっと気にいると思うよ」
「そうなんだ。私有地なら飛んでもいいの?」
「あんまり高いのは危ないから駄目だよ。……でもそうだね、久しぶりに一緒に飛ぼうか」
「やった!」
そう声を上げた瞬間、視界の端を黒いものが横切った。喜びのあまり、無意識に翼を出してしまっていたらしい。
「ふっ……ふふっ、そんなに楽しみなんだ?」
「や、ちが……くはないけど……!」
幼少期にこういったことは数あれど、それは感情の制御が上手くできないからであって、決して一般的なことではない。
むしろ感情を抑制できない=恥ずべきことであるはずなのに、兄さんは何故か嬉しそうに笑っていた。
心なしか、いつもの上品な笑いかたとは違い、大口で笑っているようにも見える。正確には手で口もとを隠されているからわからないけど。
「あははっ、可愛いなぁ。確かに久しぶりだものね」
「もう! 笑いすぎだと思うんだけど!」
「ごめんごめん、あんまり可愛くって」
目尻の涙を拭いながら、兄さんはにこりと微笑んでみせた。顔がいい人間って本当にずるい。微笑むだけで、全部許されると思ってるんだから。
…………まあ許すけど!!
「……いい子、みつは本当に昔と少しも変わらないね」
──昔通り。変わらない。
最近、兄さんがよく使う言葉だ。まるで甘い砂糖を塗り溶かすように、子どもに言い聞かせるかのように、何度も何度も繰り返して。
違和感というほどでもないが、その言葉を聞く度にもやりとした気持ちが走る。
子ども扱いが嫌なのか、それとも、このもやもやした気持ちが反抗期というものなのか。考えてみても、どうせ答えはでてこない。
「んー」
だから曖昧な返事を返した。せっかく二人きりでいるのに、喧嘩なんてしたくはない。
「──……婚約のこと、なんだけれど」
ぼうっとレタスを千切っていれば、控えめな声が降ってくる。
父さんに婚約者を決めろと言われたあの日以降、互いにその話題は避けてきた。兄さんも、きっと聞いてはいるのだろう。聞いて、交渉材料としては知っている。それだけの話だ。
「うん」
「みつは選ぶつもりなの」
「……選ぶよ、そりゃあ」
素知らぬ顔をして"家のため"なんて言葉は飲み込んだ。
きっと俺がそう言って少しでも嫌がる素振りを見せれば、兄さんは自分の身を顧みず俺の味方をするのだろう。
でも、それじゃあ駄目なんだ。
兄さんは朔魔家の長男で、魔王の血を一番濃く引いている。
次期当主として上に立つことを義務付けられ、重すぎるほどの期待と重圧を背負いながら、きっと、甘やかされて育つ弟を妬ましく思う時だってあったはずだ。
なのにそんな様子を微塵も見せず、いつだって穏やかな兄のままでいてくれた。
恩返し、なんて薄っぺらい言葉とは少し違う。
俺は本当に、兄さんのためなら喜んで死ねるとすら思うのだ。結婚一つで朔魔……直接的に兄さんの役に立てるのなら、それに越したことはないではないか。
「はい、レタス終わったよ。次は何すればいい?」
「…………みつ」
「やめてよ兄さん、俺は幸せなんだって。ほら、琉架は変わってるけどいい奴だし、天勝も多分……そんなに、悪い奴じゃない。大丈夫だよ」
滲む視界を晴らそうと、何度も瞬きを繰り返す。妙に優しく聞こえる声のせいか、感情が幾重にも増幅されて止まらない。
涙の膜を弾き飛ばしているはずなのに、後から後から込み上げて、もうどうしようもできなかった。
あぁ本当に、弱くて甘えたな出来損ない。同じ血を引いてるはずの兄さんと何故こうも違うのだろう。
「ごめ……ちょっと経てば、っ、落ち着く……から、」
「ねぇみつ、これを食べたら二人で少し話をしよう。私の考えてることも全部全部伝えるから、みつにも本気で話してほしい。……何も心配しなくていいんだよ」
声なんて出せず、ただ頷くのに精一杯だった。
涙で張り付きそうになった前髪を、優しい指が梳いていく。二人だけの空間に、遠く聞こえる鳥の声と、小さな嗚咽が響いていた。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽
「……落ち着いた?」
「うん」
ずびりと鼻を鳴らして、差し出されたティッシュを掴む。泣いた後というのはどうしてこうも気まずいのか。人類の永遠の課題といってもいいレベルだ。
「サンドイッチ、食べようか。お腹空いたでしょう」
「……ん」
正直そんなにお腹は空いてない。
だって、起きてからやったことといえば、リビングまでの短い距離を歩いただけだ。
人は寝ているだけでカロリーを消費するとはいうけれど、今は食欲より気恥ずかしさの方が勝っているから空腹を感じないだけなのだろうか。
「……ああそうだ。一応この辺り一帯が私有地ではあるんだけど、少し歩いたところに湖があってね。綺麗なところだから、みつもきっと気にいると思うよ」
「そうなんだ。私有地なら飛んでもいいの?」
「あんまり高いのは危ないから駄目だよ。……でもそうだね、久しぶりに一緒に飛ぼうか」
「やった!」
そう声を上げた瞬間、視界の端を黒いものが横切った。喜びのあまり、無意識に翼を出してしまっていたらしい。
「ふっ……ふふっ、そんなに楽しみなんだ?」
「や、ちが……くはないけど……!」
幼少期にこういったことは数あれど、それは感情の制御が上手くできないからであって、決して一般的なことではない。
むしろ感情を抑制できない=恥ずべきことであるはずなのに、兄さんは何故か嬉しそうに笑っていた。
心なしか、いつもの上品な笑いかたとは違い、大口で笑っているようにも見える。正確には手で口もとを隠されているからわからないけど。
「あははっ、可愛いなぁ。確かに久しぶりだものね」
「もう! 笑いすぎだと思うんだけど!」
「ごめんごめん、あんまり可愛くって」
目尻の涙を拭いながら、兄さんはにこりと微笑んでみせた。顔がいい人間って本当にずるい。微笑むだけで、全部許されると思ってるんだから。
…………まあ許すけど!!
10
あなたにおすすめの小説
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
平凡なぼくが男子校でイケメンたちに囲まれています
七瀬
BL
あらすじ
春の空の下、名門私立蒼嶺(そうれい)学園に入学した柊凛音(ひいらぎ りおん)。全寮制男子校という新しい環境で、彼の無自覚な美しさと天然な魅力が、周囲の男たちを次々と虜にしていく——。
政治家や実業家の子息が通う格式高い学園で、凛音は完璧な兄・蒼真(そうま)への憧れを胸に、新たな青春を歩み始める。しかし、彼の純粋で愛らしい存在は、学園の秩序を静かに揺るがしていく。
****
初投稿なので優しい目で見守ってくださると助かります‼️ご指摘などございましたら、気軽にコメントよろしくお願いしますm(_ _)m
乙女ゲームのサポートメガネキャラに転生しました
西楓
BL
乙女ゲームのサポートキャラとして転生した俺は、ヒロインと攻略対象を無事くっつけることが出来るだろうか。どうやらヒロインの様子が違うような。距離の近いヒロインに徐々に不信感を抱く攻略対象。何故か攻略対象が接近してきて…
ほのほのです。
※有難いことに別サイトでその後の話をご希望されました(嬉しい😆)ので追加いたしました。
人気アイドルが義理の兄になりまして
三栖やよい
BL
柚木(ゆずき)雪都(ゆきと)はごくごく普通の高校一年生。ある日、人気アイドル『Shiny Boys』のリーダー・碧(あおい)と義理の兄弟となり……?
親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール
雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け
《あらすじ》
4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。
そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。
平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。
天使から美形へと成長した幼馴染から、放課後の美術室に呼ばれたら
たけむら
BL
美形で天才肌の幼馴染✕ちょっと鈍感な高校生
海野想は、保育園の頃からの幼馴染である、朝川唯斗と同じ高校に進学した。かつて天使のような可愛さを持っていた唯斗は、立派な美形へと変貌し、今は絵の勉強を進めている。
そんなある日、数学の補習を終えた想が唯斗を美術室へと迎えに行くと、唯斗はひどく驚いた顔をしていて…?
※1話から4話までは別タイトルでpixivに掲載しております。続きも書きたくなったので、ゆっくりではありますが更新していきますね。
※第4話の冒頭が消えておりましたので直しました。
転生したが壁になりたい。
むいあ
BL
俺、神崎瑠衣はごく普通の社会人だ。
ただ一つ違うことがあるとすれば、腐男子だということだ。
しかし、周りに腐男子と言うことがバレないように日々隠しながら暮らしている。
今日も一日会社に行こうとした時に横からきたトラックにはねられてしまった!
目が覚めるとそこは俺が好きなゲームの中で!?
俺は推し同士の絡みを眺めていたいのに、なぜか美形に迫られていて!?
「俺は壁になりたいのにーーーー!!!!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる