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誘拐は合意の上で
第二十五話
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ふっと意識が浮き上がり、ぼやける視界に焦点を合わせる。けれど、二度三度まばたきを繰り返していくうちに、とんでもない事実を知ることになるのだ。
「えッ……、に、兄さん……!? なんで!?」
自分でも驚くほどの音量に、慌てて口を覆い隠す。
目の前にはすやすやと、気持ちよさそうに眠っている兄さんの姿。垂れ目がちな目は閉じられて、長いまつ毛がその周りを縁取っていた。
「…………というか、ここどこ……?」
起こさないで済んだはいいものの、依然、状況は掴めない。
いつの間にやら体に回っていた腕を慎重に退け、そろりそろりとベッドの上から起き上がった。
──カーテンの隙間から差し込む日差しが、うっすらと部屋の中を照らしている。
柔らかな木目の壁、ずっしりとした衣装棚。端の方には何故か椅子が一脚だけ置いてあり、それを押し退けるようにして、中央に大きなベッドが居座っていた。
ここが兄さんの言っていた"目的地"なんだろうか。
「ん…………、みつ……?」
物珍しくて部屋中を眺めていれば、いつもより甘ったるい声音が耳に届く。もぞもぞと動いている様子から察するに、抜け出した俺を探しているのかもしれない。
「ここにいるよ」
まだ温もりが残るベッドに腰掛けて、小さな声で囁いてみた。それでも満足しないらしく、未だに腕を動かし続けている様子が可愛らしい。
兄さんは朝は早くて夜は遅い。こんな姿を見られるなんて、本当にいつぶりだろうか。
(疲れてるだろうし、もう少し寝かせてあげようかな)
額についた髪をはらい、布団を上の方まで引き上げる。暖房が効いているとはいえ、風邪をひいてしまっては大変だ。
「……よし、って……うわぁッ…………!?」
満足して腰を上げようとした瞬間、後ろから伸びてきた手が腹に回り、そのままぐいっと引き寄せられる。
力を入れる暇すらなくて、気づけば天井の木目を眺めていた。背中に当たるマットレスは沈み込むように柔らかい。
「……にいさん、起きてるでしょ」
「ふふっ、バレた?」
「流石に分かるって」
くすくすと揺れる吐息が耳に届いた。
擽ったさに身を捩りながらも、久々に感じる穏やかな時間に、口もとが緩んでいくのを止められない。
「兄さんは寝てていいよ。疲れてるでしょ」
「……駄目、みつも一緒に寝るの」
もう寝ぼけたフリだとバレているのに、兄さんは頸に顔を埋め、最後の抵抗とばかりに体をぎゅうっと抱きしめてくる。
長い手足に囚われてしまえば、逃げだすことすらできなくて、そのまま吐息は穏やかなものへと変わっていった。……俺はさながら、抱き枕用のぬいぐるみといったところだろうか。
ああもう、こうなれば抵抗するだけ時間の無駄だ。
半分自分に言い聞かせながら、伝わってくる体温に意識を揺らす。重たいまぶたに従えば、とろりとろりと、意識は眠気の中に溶けていった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▽
「みつ、みつ、起きて」
無理に揺らされる不快感に、自然と眉間に皺がよる。
人がせっかく気持ちよく寝ているという時に、何で邪魔をするのだろう。
「……っるさ、」
「お腹、減ってないの?」
その穏やかな声をすぐには理解できなくて、布団を頭上まで引き伸ばし、二度寝の態勢をとったあたりでようやく気づく。…………あれ? これ、兄さんの声じゃないか?
「眠たいならまだ寝ていてもいいんだけど……」
「まって! 起きる、起きるから!」
がばっと上半身を起き上がらせれば、俺と同じ──けれど少しだけ淡い紫が、ぱちぱちと、何度もまばたきを繰り返す。
「ごめんなさい、寝ぼけてた。……その、うるさいとか………」
「ああ、別に気にしていないよ。みつの寝起きが悪いのは昔から変わらないし」
「それもどうかと思うんだけど」
「ふふふっ、ごめんごめん。ご飯は食べれそう?」
その言葉に頷いて、手を引かれるまま歩いていく。最初に予想した通り、きっとここが兄さんの目的地だったのだろう。
先ほどの寝室らしき部屋を出れば、すぐに階段が現れた。思ったよりもそう広くはないらしい。
「狭いでしょう、ごめんね。見つからない場所で選んだら、ある程度は妥協しないといけなくて」
心の内を読まれたのかと、一瞬手に汗が滲む。
「そんなことないよ。俺は好き」
「そう? 嬉しいな、あとで書斎も案内してあげるからね」
みつの好きそうな本を揃えてるんだ。
そう言って笑う兄さんの横顔は、いつもよりも少しだけ無邪気に見えた。
俺はこの場所を知らないけど、兄さんは知ってる。それに「選んだ」とも言っていた──ということはつまり、
「…………もしかしてここ、兄さんが買ったの?」
「うん。だから父さんも母さんも、使用人たちだって知りやしないよ。私とみつだけの秘密基地」
浮かんだ疑問を声に乗せれば、兄さんは嬉しそうに頷いた。
「えっ、本当に買ったの!!?? いつ!?」
「ええと……確か二ヶ月前くらいかな。もともと探してはいたんだけど、ようやくいい場所が見つかったから」
階段の先には広い吹き抜けのリビングがあり、この別荘の大半を占めているようだった。
ガラスドアから見える景色は一面緑で、すらりとした背の高い木々たちが競うようにして伸びあっている。
もっとよく見てみたい気もするけれど、今はこちらの話が先決だ。
「サンドイッチでいい? まだ調理器具を揃えてなくて……食材は事前に運んでもらったから」
「あっ待って、俺も手伝う」
少ない家具の合間を抜けて、兄さんのあとを追いかける。……二ヶ月前といえば確か、婚約の話が出始めた頃じゃなかっただろうか。
ふとそう思いはしたものの、兄さんが別荘を買ったこととは何の関係もない話だ。むしろそちらに意識が向きすぎて、何か見落としていたのかもしれない。
「……その、何かあったの? 父さんと喧嘩したとか」
「ふふっ、おかしなことを言うね。何もないよ」
「本当に本当?」
「本当に本当だってば」
穏やかながらその声音には、不動の石のような重みがあった。要するに、これ以上詮索するなということだ。
「えッ……、に、兄さん……!? なんで!?」
自分でも驚くほどの音量に、慌てて口を覆い隠す。
目の前にはすやすやと、気持ちよさそうに眠っている兄さんの姿。垂れ目がちな目は閉じられて、長いまつ毛がその周りを縁取っていた。
「…………というか、ここどこ……?」
起こさないで済んだはいいものの、依然、状況は掴めない。
いつの間にやら体に回っていた腕を慎重に退け、そろりそろりとベッドの上から起き上がった。
──カーテンの隙間から差し込む日差しが、うっすらと部屋の中を照らしている。
柔らかな木目の壁、ずっしりとした衣装棚。端の方には何故か椅子が一脚だけ置いてあり、それを押し退けるようにして、中央に大きなベッドが居座っていた。
ここが兄さんの言っていた"目的地"なんだろうか。
「ん…………、みつ……?」
物珍しくて部屋中を眺めていれば、いつもより甘ったるい声音が耳に届く。もぞもぞと動いている様子から察するに、抜け出した俺を探しているのかもしれない。
「ここにいるよ」
まだ温もりが残るベッドに腰掛けて、小さな声で囁いてみた。それでも満足しないらしく、未だに腕を動かし続けている様子が可愛らしい。
兄さんは朝は早くて夜は遅い。こんな姿を見られるなんて、本当にいつぶりだろうか。
(疲れてるだろうし、もう少し寝かせてあげようかな)
額についた髪をはらい、布団を上の方まで引き上げる。暖房が効いているとはいえ、風邪をひいてしまっては大変だ。
「……よし、って……うわぁッ…………!?」
満足して腰を上げようとした瞬間、後ろから伸びてきた手が腹に回り、そのままぐいっと引き寄せられる。
力を入れる暇すらなくて、気づけば天井の木目を眺めていた。背中に当たるマットレスは沈み込むように柔らかい。
「……にいさん、起きてるでしょ」
「ふふっ、バレた?」
「流石に分かるって」
くすくすと揺れる吐息が耳に届いた。
擽ったさに身を捩りながらも、久々に感じる穏やかな時間に、口もとが緩んでいくのを止められない。
「兄さんは寝てていいよ。疲れてるでしょ」
「……駄目、みつも一緒に寝るの」
もう寝ぼけたフリだとバレているのに、兄さんは頸に顔を埋め、最後の抵抗とばかりに体をぎゅうっと抱きしめてくる。
長い手足に囚われてしまえば、逃げだすことすらできなくて、そのまま吐息は穏やかなものへと変わっていった。……俺はさながら、抱き枕用のぬいぐるみといったところだろうか。
ああもう、こうなれば抵抗するだけ時間の無駄だ。
半分自分に言い聞かせながら、伝わってくる体温に意識を揺らす。重たいまぶたに従えば、とろりとろりと、意識は眠気の中に溶けていった。
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「みつ、みつ、起きて」
無理に揺らされる不快感に、自然と眉間に皺がよる。
人がせっかく気持ちよく寝ているという時に、何で邪魔をするのだろう。
「……っるさ、」
「お腹、減ってないの?」
その穏やかな声をすぐには理解できなくて、布団を頭上まで引き伸ばし、二度寝の態勢をとったあたりでようやく気づく。…………あれ? これ、兄さんの声じゃないか?
「眠たいならまだ寝ていてもいいんだけど……」
「まって! 起きる、起きるから!」
がばっと上半身を起き上がらせれば、俺と同じ──けれど少しだけ淡い紫が、ぱちぱちと、何度もまばたきを繰り返す。
「ごめんなさい、寝ぼけてた。……その、うるさいとか………」
「ああ、別に気にしていないよ。みつの寝起きが悪いのは昔から変わらないし」
「それもどうかと思うんだけど」
「ふふふっ、ごめんごめん。ご飯は食べれそう?」
その言葉に頷いて、手を引かれるまま歩いていく。最初に予想した通り、きっとここが兄さんの目的地だったのだろう。
先ほどの寝室らしき部屋を出れば、すぐに階段が現れた。思ったよりもそう広くはないらしい。
「狭いでしょう、ごめんね。見つからない場所で選んだら、ある程度は妥協しないといけなくて」
心の内を読まれたのかと、一瞬手に汗が滲む。
「そんなことないよ。俺は好き」
「そう? 嬉しいな、あとで書斎も案内してあげるからね」
みつの好きそうな本を揃えてるんだ。
そう言って笑う兄さんの横顔は、いつもよりも少しだけ無邪気に見えた。
俺はこの場所を知らないけど、兄さんは知ってる。それに「選んだ」とも言っていた──ということはつまり、
「…………もしかしてここ、兄さんが買ったの?」
「うん。だから父さんも母さんも、使用人たちだって知りやしないよ。私とみつだけの秘密基地」
浮かんだ疑問を声に乗せれば、兄さんは嬉しそうに頷いた。
「えっ、本当に買ったの!!?? いつ!?」
「ええと……確か二ヶ月前くらいかな。もともと探してはいたんだけど、ようやくいい場所が見つかったから」
階段の先には広い吹き抜けのリビングがあり、この別荘の大半を占めているようだった。
ガラスドアから見える景色は一面緑で、すらりとした背の高い木々たちが競うようにして伸びあっている。
もっとよく見てみたい気もするけれど、今はこちらの話が先決だ。
「サンドイッチでいい? まだ調理器具を揃えてなくて……食材は事前に運んでもらったから」
「あっ待って、俺も手伝う」
少ない家具の合間を抜けて、兄さんのあとを追いかける。……二ヶ月前といえば確か、婚約の話が出始めた頃じゃなかっただろうか。
ふとそう思いはしたものの、兄さんが別荘を買ったこととは何の関係もない話だ。むしろそちらに意識が向きすぎて、何か見落としていたのかもしれない。
「……その、何かあったの? 父さんと喧嘩したとか」
「ふふっ、おかしなことを言うね。何もないよ」
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