だって魔王の子孫なので

深海めだか

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誘拐は合意の上で

第二十四話

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 夜会が終わって数日が経ち、世間は既に春休み。かくいう俺も例外なく、自室のベッドの上で、束の間の平和を謳歌していた。

「……んん、やっぱりこの作者は外れないな」

 区切りのいいところまで読み進め、一度、本を置いて伸びをする。
 寝転がって本を読むなど、もし家の誰かにでも見つかったら行儀が悪いと大目玉だ。
 けれど、時刻は既に深夜過ぎ。父さんと兄さんは今日も帰ってきてないし、使用人たちに至っては、とっくに夢の中だろう。これぞ春休みの特権である。

「これだけ、これだけ読み終わったら本当に寝るから……」

 誰にともなく言い訳をして、再び本へと手を伸ばす。深夜だからこそ、ページを捲る静かな音だけが部屋に響いて、思わずのめり込んでしまうのだ。

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 誰もが寝静まった深夜の町に、こつり、こつりと靴音が響く。街灯の光に照らされて、レンガで塗り固められた道の上、一人の影が揺らめいていた。

 ようやく来たか。

 内心そう思いながらも、息を潜めてその時を待つ。ここで逃げられてしまっては、今までの全てが水の泡だ。
 まだ足りない、手を伸ばせば届く距離まで。
 後一歩、もう一歩……。

「もし、────」

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「みつ、まだ起きていたの」
「ひょわ………っ、に、兄さん……!?」
「うん。ごめんね、返事がなかったから」

 なんというタイミング。
 いきなり降ってきた声に、驚きで体を跳ねさせる。声自体はとても優しいものだったけど、動揺のあまり、おかしな声が喉をつく。

「き、今日は帰らないんじゃ……?」

 嗚呼、夜ふかしをして、あまつさえベットでだらけている姿を見られるなんて。
 おどおどと視線を逸らしつつ、本を枕の下にねじ込んだ。今さら手遅れだということは、この際、指摘しないでほしい。

「帰ってきたら駄目だった?」
「ちっ……違うよ! その、あと数日は会えないと思ってたから嬉しくて……」
「よかった。私も、みつが起きていてくれて嬉しいよ」
「へ……、?」

 思いがけない言葉に目を丸くする。

 兄さんは基本優しいけど、夜ふかしを推奨するようなタイプではない。
 何せ俺が中学に上がる頃までは、毎日のように寝かしつけに来ていたくらいなのだ。
 ちなみに、あの頃読んでもらった本のおかげで今の俺があるといっても過言ではなく、活字中毒の原点ともいえるだろう。

「実はちょっとした提案があってね」
「提案…………?」

 ぼんやり昔を振り返っていれば、兄さんは口もとに指を寄せ、悪戯っぽく微笑んだ。

 うっ、カッコいい……!

 途端に心臓がどくりと跳ねる。
 普段は滅多に見れないその表情を堪能しながら、話を聞いているとアピールするため、おうむ返しに言葉を投げた。
 返事なんてするまでもなく、兄さんからの提案なら断る理由も意志もないけど。

「明日の会食予定が急にキャンセルになったんだ。明後日は一日オフの予定だったから、久しぶりに連続で休みが取れそうでね」
「そうなんだ。……よかった、最近はずっと忙しそうだったし」
「おや、心配してくれていたの? みつはいいこだね」

 頭を撫でる手が擽ったくて、でも嬉しい。にやける顔を隠すため、口を引き結んで目を閉じた。

「だいたい、兄さんは働きすぎだよ。大学だってあるんだから、本当なら父さんが調整してあげるべきなのに」
「ふふっ、また頬を膨らませて……。懐かしいな。昔はよくやっていたのに、いつの間にか見なくなってしまったね」

 頬を指先で突かれれば、溜めていた空気がぷすりと抜ける。……また無意識のうちに、子どもっぽい仕草をしてしまっていたらしい。

「それで提案って何? 春休み中で暇だから、俺ができることなら手伝うよ」

 恥ずかしさに慌てて話題を変えようと試みる。
 若干無理やりではあったものの、俺のささやかな抵抗は無事に身を結ぶことになる。
 まあ、それを振り返ることができたのは、実に数十分後の話なんだけど。

「……ああ、そうだね。急がないとバレてしまう」

 独りごちて呟いた後、兄さんは美しく笑ってこう言った。

「ね。みつのこと、誘拐してしまってもいいかな」

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 ぼうっと窓の外に視線をやれば、背の高い街灯がいくつも並んで輝いている。時折り聞こえるのは梟らしき鳥の声。小説とは違い、この閑静な住宅街の中、不埒な行為を企むものはいないらしい。

 ゆるり、ゆるりと瞬きをして、かくりと傾きかけた頭を戻す。僅かな光すら眩しいけれど、このまま寝落ちるわけにはいかないのだ。
 何故なら────そう、何故なら隣に、兄さんがいるのだから。

「みつ、何度も言っているけど、眠っていていいんだよ。着いたら運んであげるから」
「……やだ。せっかく兄さんといるのに」
「ふふっ我儘な人質だなぁ。みつは誘拐されてるんだから、私の言うことは聞かないと」
「ん、……身代金で解放するつもりなの?」
「まさか、いくら積まれたって返すつもりは毛頭ないよ」

 寝ぼけた頭を揺らしながら、兄さんの言葉に軽口を返す。
 横目に視線を投げてみれば、ハンドルを握る白い指先が目に入り、再びぼやけて視界が揺れた。襲ってくる眠気のせいか、はたまた非日常すぎる光景のせいか、夢か現か判断がつかない。

 ……やっぱりこれは都合のいい夢なんじゃないだろうか。兄さんが運転する車の助手席に乗せてもらっているだなんて。

「いいから、眠っておきなさい。兄の言うことは聞くものだよ」
「……、でも、うんてん、してるひとを……、のこ……し、て、ねる……のは、」
「ふふっ、そうだね。君はそういう子だ」

 うつらうつらと言葉を紡げば、大きな手に撫でられる。

「𝖘𝖑𝖊𝖊𝖕」

 途端、低い声音が耳朶を擽り、まるで泥に沈むかのごとく眠気は一段と重さを増した。

 ずるい。兄さんはずるい。

 そう負け惜しみを吐いてはみても、効果なんてあるはずがない。もう口を動かすこともできないから、ただ深い眠りの中、引き込まれるように目を閉じた。
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