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◇底辺召喚師と魔王◆
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フィロメーナは明朝、ふかふかのベッドで目をさました。
王城に一室を与えられ、ほぼ幽閉ではあるのだが、彼女はひとまず市民の安全が確保されたことに安堵していた。
彼女が屋敷から居なくなったという噂話はあっというまに広まり、屋敷の前に押し寄せていた群衆は居なくなったという。
牢に入れられた、死刑を待つばかりだとか、そんな噂話が飛び交っている。
市井の人々が召喚術に詳しいわけもなく、まさか、契約を断ち切って一人歩きする存在が居るなどと予想する者もおらず、つまり、事実とは異なるのだが召喚者であるフィロメーナを殺せば万事解決すると思っている者が多数だ。
実際には、真の召喚者であるディメリナを殺したとしても最早彼が消滅することはない。
恐ろしいことに彼は召喚師の手を離れて一人歩きしている存在なのだ。
そんなことは、二年前の事例を出せばすぐに分かることなのだが――一般の人間にそこまでの教養はない。文字が書けない者も居るのだから。
教養があったとしても、召喚術に関することは理解してくれないだろう。
(さて、どうしましょうか……)
フィロメーナとしては、やはりセヴェリアには姉と契約していてほしい。そのほうが彼の安全が保障される。
重ね重ね思うのだが、フィロメーナでは彼をサポートすることもできないのだから。
それに、魔王がフィロメーナに特別執着しているというなら、足を引っ張るのは明らかだ。
(うーん……ひとまず私はここで待機していて……いえ、相手が早く出てきてくれないことには……犠牲ばかりが増えてしまいますし。やっぱりここは私が囮になるべきなのでは?)
魔王の目的がフィロメーナの殺害であるとして、それなのに接触を試みないことを思うと、セヴェリアの存在を疎んでいるものと思われる。
(囮になりますなんて言ったら、セヴェリアさんのことですから、反対するに決まっていますし)
それに彼も言っていたが、自我や意識に干渉されては敵わない。
それでも、決断が必要な時期にさしかかっているのは分かっていた。
犠牲が増えるばかりというのを、ただ指を咥えて眺めているだけというのも嫌だ。
(ロレンスさんに相談してみましょうか)
つまりは、意識や自我に干渉されないという前提があればいいのだ。
命の保障はなかったとしても、魔王たる彼は「すぐには殺さない」と言っていた。
自分がこんなことばかりするから、セヴェリアを怒らせるのだと分かっているのだが、彼の命も、見知らぬのひとの命も、同じように大切なのだ。
◇◇◇
「言うと思ってた」
昼ごろになってフィロメーナの部屋にやって来たロレンスはにやにやと笑いながらそう言った。
「で、実は準備もできてたりする。これな」
手渡されたそれは琥珀色の宝石がはまったペンダントだった。
「うちの一級魔術師たちが精魂こめて作りあげた一品だ、そう簡単に突破されないだろう」
要するに、ロレンス自身は分からないが、上層部はフィロメーナを囮に使う気で居たのだろう。それ自体に不満はない、賢明な判断だ。
「だがお嬢様、あんたは剣も使えなければナイフも駄目だろう? まぁ、それが多少扱えたとしても、あってないようなもんだが、あの男が物理的にあんたを殺そうとした場合の対処法はない……おそらく、まぁ、おそらくだが、経過報告を聞くかぎり、すぐには殺しやしないだろうが」
言葉を濁すのはロレンスらしくないと感じた。
命の保障がないのは最初から分かっているが、そう簡単に死んでやるつもりもない。セヴェリアのために。
とはいえ、このまま放置してもおけないのだ。
「分かっています。私は彼の言葉を信じましょう。いざとなったらセヴェリアさんを呼びますし」
「あー……あとで怒り狂うあいつの姿が目にうかぶよ。でもあんた、根性あるな」
「このままにはしておけませんから」
微笑んだフィロメーナはペンダントを身につけると、扉のほうへと向かう。
「俺も近くに待機してるよ、他の魔術師や騎士もな。で、最後はどうかセヴェリアを頼ってくれ、あの男を消滅させられるのはあいつだけだ」
彼女はそれに頷いた。
このときは、まさか、セヴェリアという存在がああまで人並みはずれた存在だとは思っていなかった。あとで思えば、魔王となり召喚師との契約を破棄にできるほどの力があるのだから、予測すべき事態だったのだが。
◇◇◇
夜の帳がおりる頃、フィロメーナは薄暗い森の中に一人で佇んでいた。
近くにはロレンスや王城に仕える王国随一の天才たちも潜んでいる。
ほどなくして、彼はやって来た。
「フィロ、ああ……フィロ。自分から私に逢いに来てくれるとは思わなかったな」
嬉しそうに微笑んでいるのに、そこには感情というものが欠落していた。
細められた金色の瞳は、本来の色と異なるだけでなく、宿る感情さえも変えてしまったかのようだ。
「っ」
距離を保とうと思っていたのに、気づいたときには頬に彼の手が触れていた。その手は首筋をなぞり、胸元にあるペンダントに触れる。
「ああ……なるほど、私を警戒してこうしてきたんだね。うん、正しい判断だ。だけど私はきみを人形に変えてしまう前に、生きているきみと話がしたかったんだ」
やはり、そのつもりではあったのだと思うとぞっとする。
「だけど、ね? フィロ、きみたちは甘いよ。とても甘い。一番重要なことに関してはなんの策も練らなかったんだね?」
「え?」
「それとも……私にはこんなことできないと思いこんでいた?」
パキ、と音がした。身体の内側から。
骨が折れたとか、そういう類のものではない。セヴェリアとフィロメーナの繋がりが絶たれた、つまり、強制的に契約を破棄にされたのだ。
一時的なものか永続的なものかは分からないが、フィロメーナは焦りに翠の目を見開いた。
セヴェリアがすぐに消滅することはないだろう、ディメリナとの仮契約がある以上、彼女の存在が支えになるはずだ。
だが、少なくとも――……セヴェリアの助けは望めそうにない。彼も異変には気づいただろうが、フィロメーナがどこに居るかまで特定できるだろうか?
「さあ、フィロ。これで邪魔者は居なくなった、しばらく一緒に話をしよう? 私はきみと話したいことがたくさんあるんだ」
ゆっくりと彼の手が腰にまわる。呆然と立ち尽くすあいだに抱き寄せられて、周囲の景色が歪み始める。遠くでロレンスの声がした。
◇◇◇
セヴェリアはすぐに異変に気づいた。
今まで確かに感じていたフィロメーナの気配がぱったりと途絶える。
(約束、守ってくれなかったのかい? フィロ……!)
また、同じ部屋に居たディメリナも異変に気づいたようだった。
「フィロメーナとの契約が途絶えた?」
彼女は首を傾げたが、部屋を飛び出そうとするセヴェリアの背に厭味に嗤って声をかける。
「ねえ、待ってちょうだいな。あなた今、もしも私が契約破棄をしたらどうするつもり?」
「――ディメリナ」
この期に及んでそうくるとは。まあ、予想していなかったわけではない。
「あの子のところに行こうってんでしょう? でも立場は逆転したわセヴェリア。命令よ、あの子を助けに行くのはやめなさい。そうしないと、契約を破棄にしてしまうわよ!」
要するに仕返しだ。
しかし、セヴェリアはそれに薄く微笑んだ。
「……いいよ、好きにすればいい。もう一人、殺人鬼が増えてもいいと言うならね。きみにも汚名が降りかかることだろう、地の底までも失墜するがいい」
「は? 何を言ってるの……?」
心底分からないというふうのディメリナに、セヴェリアは丁寧に説明をしてやった。
「きみとの契約がなくなっても私は存在し続けることができる、魔王と同じように殺人鬼としてね。フィロが死ぬかもしれない、死んでしまうなら、それに引き換えてまで守るようなものは私にはない。だが、今の私の主人はディメリナ、きみだ。結局きみは、悪しき者を召喚したとして、人々に罵られることだろう」
さあっと青ざめるディメリナに背を向けて、セヴェリアは駆け出した。
こんなことができるのは一人しかいない、フィロメーナが自分で契約を絶ったのでないのなら。その可能性は薄いのだ、彼女にはセヴェリアの同意なくしてそれを決行するほどの力はない。
(時間がない……早く、早く、見つけださなければ!)
魔王と呼ばれる彼は、フィロメーナの命を狙っていたが、今はおそらく共に奈落の底へ落ちることを望んでいる。その際には、彼女の自我も書き換えてしまうことだろう。
それが虚しい人形遊びだと分かっていて。
王城の近くにある暗い森に近づいたところで、ロレンスが駆けて来た。
「セヴェリア!」
普段は殴られるだのなんだの言っている彼だが、今回は青ざめた様子でセヴェリアを見つけると早口に言った。
「悪い、俺たちの落ち度だ。まさか、契約の強制破棄ができるとまでは考えていなかった!」
「囮にしたんだね? いや、いい、彼女はそれを望むだろうと分かっていたのに、傍に居なかった私も悪い。行き先の手がかりは?」
それにロレンスは力なく首を横に振った。
セヴェリアはそれに肩を落とし、しばらく思案していたが、やがてあることに気づいた――。
王城に一室を与えられ、ほぼ幽閉ではあるのだが、彼女はひとまず市民の安全が確保されたことに安堵していた。
彼女が屋敷から居なくなったという噂話はあっというまに広まり、屋敷の前に押し寄せていた群衆は居なくなったという。
牢に入れられた、死刑を待つばかりだとか、そんな噂話が飛び交っている。
市井の人々が召喚術に詳しいわけもなく、まさか、契約を断ち切って一人歩きする存在が居るなどと予想する者もおらず、つまり、事実とは異なるのだが召喚者であるフィロメーナを殺せば万事解決すると思っている者が多数だ。
実際には、真の召喚者であるディメリナを殺したとしても最早彼が消滅することはない。
恐ろしいことに彼は召喚師の手を離れて一人歩きしている存在なのだ。
そんなことは、二年前の事例を出せばすぐに分かることなのだが――一般の人間にそこまでの教養はない。文字が書けない者も居るのだから。
教養があったとしても、召喚術に関することは理解してくれないだろう。
(さて、どうしましょうか……)
フィロメーナとしては、やはりセヴェリアには姉と契約していてほしい。そのほうが彼の安全が保障される。
重ね重ね思うのだが、フィロメーナでは彼をサポートすることもできないのだから。
それに、魔王がフィロメーナに特別執着しているというなら、足を引っ張るのは明らかだ。
(うーん……ひとまず私はここで待機していて……いえ、相手が早く出てきてくれないことには……犠牲ばかりが増えてしまいますし。やっぱりここは私が囮になるべきなのでは?)
魔王の目的がフィロメーナの殺害であるとして、それなのに接触を試みないことを思うと、セヴェリアの存在を疎んでいるものと思われる。
(囮になりますなんて言ったら、セヴェリアさんのことですから、反対するに決まっていますし)
それに彼も言っていたが、自我や意識に干渉されては敵わない。
それでも、決断が必要な時期にさしかかっているのは分かっていた。
犠牲が増えるばかりというのを、ただ指を咥えて眺めているだけというのも嫌だ。
(ロレンスさんに相談してみましょうか)
つまりは、意識や自我に干渉されないという前提があればいいのだ。
命の保障はなかったとしても、魔王たる彼は「すぐには殺さない」と言っていた。
自分がこんなことばかりするから、セヴェリアを怒らせるのだと分かっているのだが、彼の命も、見知らぬのひとの命も、同じように大切なのだ。
◇◇◇
「言うと思ってた」
昼ごろになってフィロメーナの部屋にやって来たロレンスはにやにやと笑いながらそう言った。
「で、実は準備もできてたりする。これな」
手渡されたそれは琥珀色の宝石がはまったペンダントだった。
「うちの一級魔術師たちが精魂こめて作りあげた一品だ、そう簡単に突破されないだろう」
要するに、ロレンス自身は分からないが、上層部はフィロメーナを囮に使う気で居たのだろう。それ自体に不満はない、賢明な判断だ。
「だがお嬢様、あんたは剣も使えなければナイフも駄目だろう? まぁ、それが多少扱えたとしても、あってないようなもんだが、あの男が物理的にあんたを殺そうとした場合の対処法はない……おそらく、まぁ、おそらくだが、経過報告を聞くかぎり、すぐには殺しやしないだろうが」
言葉を濁すのはロレンスらしくないと感じた。
命の保障がないのは最初から分かっているが、そう簡単に死んでやるつもりもない。セヴェリアのために。
とはいえ、このまま放置してもおけないのだ。
「分かっています。私は彼の言葉を信じましょう。いざとなったらセヴェリアさんを呼びますし」
「あー……あとで怒り狂うあいつの姿が目にうかぶよ。でもあんた、根性あるな」
「このままにはしておけませんから」
微笑んだフィロメーナはペンダントを身につけると、扉のほうへと向かう。
「俺も近くに待機してるよ、他の魔術師や騎士もな。で、最後はどうかセヴェリアを頼ってくれ、あの男を消滅させられるのはあいつだけだ」
彼女はそれに頷いた。
このときは、まさか、セヴェリアという存在がああまで人並みはずれた存在だとは思っていなかった。あとで思えば、魔王となり召喚師との契約を破棄にできるほどの力があるのだから、予測すべき事態だったのだが。
◇◇◇
夜の帳がおりる頃、フィロメーナは薄暗い森の中に一人で佇んでいた。
近くにはロレンスや王城に仕える王国随一の天才たちも潜んでいる。
ほどなくして、彼はやって来た。
「フィロ、ああ……フィロ。自分から私に逢いに来てくれるとは思わなかったな」
嬉しそうに微笑んでいるのに、そこには感情というものが欠落していた。
細められた金色の瞳は、本来の色と異なるだけでなく、宿る感情さえも変えてしまったかのようだ。
「っ」
距離を保とうと思っていたのに、気づいたときには頬に彼の手が触れていた。その手は首筋をなぞり、胸元にあるペンダントに触れる。
「ああ……なるほど、私を警戒してこうしてきたんだね。うん、正しい判断だ。だけど私はきみを人形に変えてしまう前に、生きているきみと話がしたかったんだ」
やはり、そのつもりではあったのだと思うとぞっとする。
「だけど、ね? フィロ、きみたちは甘いよ。とても甘い。一番重要なことに関してはなんの策も練らなかったんだね?」
「え?」
「それとも……私にはこんなことできないと思いこんでいた?」
パキ、と音がした。身体の内側から。
骨が折れたとか、そういう類のものではない。セヴェリアとフィロメーナの繋がりが絶たれた、つまり、強制的に契約を破棄にされたのだ。
一時的なものか永続的なものかは分からないが、フィロメーナは焦りに翠の目を見開いた。
セヴェリアがすぐに消滅することはないだろう、ディメリナとの仮契約がある以上、彼女の存在が支えになるはずだ。
だが、少なくとも――……セヴェリアの助けは望めそうにない。彼も異変には気づいただろうが、フィロメーナがどこに居るかまで特定できるだろうか?
「さあ、フィロ。これで邪魔者は居なくなった、しばらく一緒に話をしよう? 私はきみと話したいことがたくさんあるんだ」
ゆっくりと彼の手が腰にまわる。呆然と立ち尽くすあいだに抱き寄せられて、周囲の景色が歪み始める。遠くでロレンスの声がした。
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セヴェリアはすぐに異変に気づいた。
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「フィロメーナとの契約が途絶えた?」
彼女は首を傾げたが、部屋を飛び出そうとするセヴェリアの背に厭味に嗤って声をかける。
「ねえ、待ってちょうだいな。あなた今、もしも私が契約破棄をしたらどうするつもり?」
「――ディメリナ」
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「あの子のところに行こうってんでしょう? でも立場は逆転したわセヴェリア。命令よ、あの子を助けに行くのはやめなさい。そうしないと、契約を破棄にしてしまうわよ!」
要するに仕返しだ。
しかし、セヴェリアはそれに薄く微笑んだ。
「……いいよ、好きにすればいい。もう一人、殺人鬼が増えてもいいと言うならね。きみにも汚名が降りかかることだろう、地の底までも失墜するがいい」
「は? 何を言ってるの……?」
心底分からないというふうのディメリナに、セヴェリアは丁寧に説明をしてやった。
「きみとの契約がなくなっても私は存在し続けることができる、魔王と同じように殺人鬼としてね。フィロが死ぬかもしれない、死んでしまうなら、それに引き換えてまで守るようなものは私にはない。だが、今の私の主人はディメリナ、きみだ。結局きみは、悪しき者を召喚したとして、人々に罵られることだろう」
さあっと青ざめるディメリナに背を向けて、セヴェリアは駆け出した。
こんなことができるのは一人しかいない、フィロメーナが自分で契約を絶ったのでないのなら。その可能性は薄いのだ、彼女にはセヴェリアの同意なくしてそれを決行するほどの力はない。
(時間がない……早く、早く、見つけださなければ!)
魔王と呼ばれる彼は、フィロメーナの命を狙っていたが、今はおそらく共に奈落の底へ落ちることを望んでいる。その際には、彼女の自我も書き換えてしまうことだろう。
それが虚しい人形遊びだと分かっていて。
王城の近くにある暗い森に近づいたところで、ロレンスが駆けて来た。
「セヴェリア!」
普段は殴られるだのなんだの言っている彼だが、今回は青ざめた様子でセヴェリアを見つけると早口に言った。
「悪い、俺たちの落ち度だ。まさか、契約の強制破棄ができるとまでは考えていなかった!」
「囮にしたんだね? いや、いい、彼女はそれを望むだろうと分かっていたのに、傍に居なかった私も悪い。行き先の手がかりは?」
それにロレンスは力なく首を横に振った。
セヴェリアはそれに肩を落とし、しばらく思案していたが、やがてあることに気づいた――。
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