夏町の涼葉

天倉永久

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第四話 天音の場所

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相変わらず夏屋敷の畳の大部屋では、無数の異形の怪物たちが苦しそうに布団の上でうごめいていた。
そのうちの一人の怪物が、私が飲まされ続けていたクスリを持っていたから助かった。

「……クスリ……頼む……」

弱った怪物は私に向かって腐りかけた手を伸ばしてくる。私の手には黒い鞄がある。中には向精神薬のほかに、その他に透明な液体が入った何本もの注射器がある。きっと麻薬の類だと私は思った。その他には、一枚の紙切れがある。内容はこの夏屋敷を訪れて書いたものらしい。その証拠に天音とのことも書かれていて、この弱った怪物が何者なのかよくわかった。そして、天音の正体も。

【俺はただの自殺に失敗した浪人生で、気がつけばこの屋敷にいた。ここは夏屋敷。あの女が言ってくれた。天音とかいう美しい容姿をした女。最初は美しいから見惚れていただけなのに、誘惑に負けて天音と関係を持ってしまった。この夏屋敷には醜い化け物が何体もいる。みんなが天音と肉体的な関係を持ったから、あんな姿になったらしい。そのことをあざ笑うかのように説明してくれた天音はイカレタように笑い声を上げていた。天音と関係をもってどれくらい経つのか? 体調があまりよくない。痙攣を起こした後、気絶することが何度もある。このままあんな化け物になるわけにはいかない。どうにか天音さえ殺せばこの悪夢がお終わるはずだから、まずは動けなくなった化け物。本来なら人だったものから使えそうなものを奪うことにする。どこかの同じ年くらいの男は缶詰をたくさん持っていたから殺して奪った。これで当分飢えることがないと思う。はずだ。この美しい夏屋敷に血色の悪い顔をした小僧がいたからクビを絞めて襲うことにした。こいつの持ち物は素晴らしい。ありとあらゆるクスリがたんまりある。クスリを楽しむおれのまえにアマネが現れる。コロシタイノニ、ウツクシイカラ、できない。あいつは妖怪。まだ理性があるからカクことにする。アマネはヨウカイ。ヒトじゃない。ユウワクのヨウカイ。】

「みんな、誘惑されたんだ」

天音に誘惑されて醜い怪物になったんだ。飲んだクスリが効きすぎているのか? 私は可笑しくて笑ってしまう。

「ねぇ、みんな殺してあげよう」

美羽は表情一つ変えずに言葉した。

「どうして殺すの? こいつらが苦しむ姿、楽しくないの?」

私が小首を傾げて訊くと、美羽はコクリと頷いて見せた。
どうせ私と同じで取り返しのつかないことをしてきた者達だ。自殺や殺人に、後は色々と人に言えないこととか……

「確かに楽しいと思うけど。このまま生きているのは、きっと可哀そうなことだから。それを楽しむことは、きっと心が壊れている証拠……」

美羽は笑う。心から壊れた笑みだと私は感じる。

「壊れた証拠? 美羽は今、笑っているよ。充分に壊れている。いいよ。この怪物たちを楽にしてあげよう」

高揚感の中で、私は小首を傾げて笑っていた。とにかく心が躍って仕方ない。

「さぁ、ラクニナロウ……これが終われば死ねるから……」

弱った怪物の腐った腕に、注射器で麻薬の類であるものを注射すると、怪物は落ち着いたかのように息をしなくなった。

「綺麗でしょ美羽。命が消えるのはとても儚いことだけど、それは同時にとても嬉しいことなの」

美羽が壊れたように笑って嬉しいことが続く。それなのに、クスリが効いている私には違和感が徐々に強くなっていく……

「どうしたの? もっと殺そう……」

大部屋にいる寝たきりの怪物たちに注射する私。
怪物たちが死んでいく中で美羽が笑う中で私は思い出す……もっと前に私はどこかでこの子に会っている……?

「私を知ってる?」

私が訊くと美羽は怪物たちが死ぬ様を見るのをやめて、ただ私だけを見つめた。

「知ってる。今の涼葉さんのことはよく知ってる。あの日のことが頭に焼き付いているけど、どうしても話すことができないから困る……」

美羽は自身のその寂しげな赤い瞳をどこかうっとりとさせる。

「もし、よろしければ私からお話ししましょうか?」

いつの間にか大部屋の畳の上に立つ天音がいた。

「ああ、ずいぶんと殺しましたね。中には私を心から愛した者もいたのに……それと私の体だけが好きなケダモノも……」

私が殺した異形の怪物を、どこか儚げに天音は見つめていた。

「美しい姿をしているけど、天音は妖怪なの?」

私が訊くと、

「はい、私は確かに妖怪です。人を誘惑して、別物にすることが好きな妖怪です」

自分の胸に右手を当て、天音はまるで喜んでいるかのような表情を浮かべる。

「先ほどもお伺いしましたが、よろしければ私からお話ししますよ。心が怪物の涼葉の過去を……」

自分が怪物なことくらい知っている……

「涼葉の小さな夢は、小さなケーキ屋をすること……似合いませんね。きっと自分とは違う幸せそうなお客様を見ればきっと嫉妬します」

天音は笑う。私をあざ笑う。

「涼葉は学校の先生に犯された。いつだって忘れられない過去だから、我慢しているうちに耐え切れなくなって、母親に精神病院に入れられた。違いますか? いえ、きっと違わない」

そうだ違わない。娘がレイプされたことを隠すために、言葉の届かない精神病院の白い牢獄のような部屋に閉じ込められたんだ……理由は私を忘れたいから……思い出した……

「私のお母さんはスナックで働いていて、お酒ばかり飲んで、ボロボロだった。そんなある夜に、母は男と出会って、レイプされた娘の私が邪魔だから、精神病院に入れた。私を忘れて、新しい人生を味わいたかったんだと思う」

「それからどうなったんです? おかしいもの扱いされた涼葉は?」

「とりあえず殺したよ。気分がよかったか、悪かったなのかは思い出せないけど……看護婦と女の医者……殺したよ」

答えられた……相手が妖怪でも私は答えることができたんだ……
だから笑うことができた……

「本当に笑うことができた涼葉は、それは美しいですよ」

私は言葉がとまらない。

「病院から脱走して、服と靴を買った。古着屋でお気に入りを見つけた」

「それからどうしたんですか?」

「モールのフードコートで久しぶりに甘いオレンジジュースを飲んでいたら……」

「飲んでいたら?」

そうだ……そうだった……

「この子が……美羽がいた……優しそうな両親と一緒に……」

私が答えると、美羽は小首を傾げて笑った。

「涼葉さんは私の家族に何をしたの?」

「殺したよ。私はあなたに……美しい羽になりたくて……」

恥ずかしくて、私は頬を赤らめて笑ったと思う。
そうだ……私はこの子を……美羽を知っている……だから、今でも刃物があったらめった刺しにしてやりたいと、間違った殺意を感じてしまうんだ……クスリのおかげで思い出せた……

「それで……涼葉は美しい羽になれましたか?」

天音はうっとりとした笑みを浮かべる。
私はあの日。あの夜。美しい羽になれたの? いや、なれなかった。ただ、怖がられて拒絶されたんだ……

「……どうして、私はあの子と違うの……」

あの夜。美羽の両親を殺した。
フードコートから後をつけて、家に押しかけた。

「私を助けて、どうか愛してくれませんか?」

私ができる精一杯の笑みを浮かべて頼んだのに、待っていたのは拒絶と私への恐怖。まるで怪物あつかいされたから……
気がついたら包丁を握っていた。どこかで買ったのか、それともこの家にあったのかは定かじゃないが……

「ど、どうして助けられたいの……? どうして愛されたいの……?」

あの夜、血だらけの美羽に訊かれた、訊かれさえしなければ、犯してやったのに。訊いてきたから……

「……確か殺したんだ……何度も刺したのに……美羽は叫び声一つ上げなかったね……」

私は壊れながら、どこかうっとりとしながら美羽の頭を撫でた。

「……偉いでしょ……」

「うん……とても……」

そう……心から嬉しいって、こういうことなんだ。

「涼葉が殺してしまったその子がどうしてここにいると思うんですか?」

天音の問いかけに私は何も答えられなかった。殺してあげた美羽がどうしてここにいるのか、本当にわからなかったから……

「私が涼葉のために答えてあげますよ。その子は涼葉にとって幻覚なのに、意志を持ってしまった。意志を持った幻覚なんですよ」

天音はそう答えて見せる。笑ってはいたが、その表情からは不機嫌さが読み取れた。

「ごくたまにいるんですよ。幻覚をつれてくるものが夏町に。まさかそれが私の涼葉だったなんて、不本意で心が張り裂けそうなくらい胸が痛いです」

天音は瞳を閉じて、自身の胸に痛々しく手をあてる。

「涼葉は選ぶべきです。美しい人の姿をした妖怪の私か、意志を持った幻覚でしかない美羽。私も女のお方は久しぶりですから……」

私が選ぶ……? 天音か美羽か……?
天から聞こえてくる音色か、美しくとも羽のない幻覚の鳥か……

「どうせ人なんて信じられない……愛を求めても拒絶されて、最後には怪物扱いされる……だから……」

私は天音に向かって手を伸ばした。美しい妖怪なら私の寂しさや味わい続けた苦痛をわかってくれる気がする。

「そうです。それでいいんですよ。壊れている涼葉には当然な選択です」

天音は美しく嬉しそうな笑みを見せると、ゆっくりと私の手を取った。

「さて、幻覚のあなたには餌食になってもらいます。ここにいる怪物たちに何をされるか知りませんけど、その意思が消えることがないことを、私は心から願います」

天音が優しく言葉すると、見覚えのある異形の怪物が美羽に駆け寄る。冴島とかいう元死刑囚だ。

「どうぞ。お好きになさってください」

「……いいよ……もう終わりにしよう……私は幻覚だから……」

あきらめたかのような美羽の言葉に、狂ったような笑い声を上げる冴島は、美羽を連れ去る。

「……美羽……」

私は名残惜しさというものをこのとき初めて知った。右手は天音に握られ、左手は連れ去られる美羽に伸ばしていた……

「これで私たちだけです……涼葉は私をどうしたいですか……?」

心が怪物でしかない私にはもう妖怪の天音しかいない。だから……

「もっと壊れたい……だからあなたのことが知りたい……」

天音は妖艶に笑みを零した。

「ああ……私のことが知りたいという……それなら私の場所はいかがですか? 誰にも見せたことがない私の場所は……」

天音の誘いに私は

「つれていって」

何の迷いもなかった。

「そうですか。涼葉なら歓迎です」

妖怪の天音が女の子らしく笑った気がした……違う妖怪でも天音の容姿は美しい女の子にほかならない……
頭の中が真っ白になる……

「……私の場所はとても美しいですよ……」

天音の声が多分聞こえたと思う。ふと自分に返れば、そこは夏の夕暮れの世界で、とても美しい場所。足元は夕暮れの光に照らされた透明な浅い湖とも言うべき場所で、それは永遠に広がっているようだった。

「夏の夕暮れと浅い湖。誘惑の妖怪の私の心はこんなものです」

浅い湖に立つ天音はそう言葉にする。

「私とあなた以外誰もいない。寂しい場所だと思うけど私は好き……」

心が壊れていても、私は正直にそう思った。

「女の人は初めてです。どうか抱いてください」

念の恥じらいもなく天音は着ている浴衣を脱いだ。脱いだ浴衣は夕暮れの光に照らされながら湖の上へと浮かぶ。

「……ああ……好きだよ……愛おしいよ……」

私も着ている白いワンピースを脱いだ……
だから、裸の天音を抱いた……
誰でも誘惑されるのもわかる……
天音の体はとても心地よくていい香りがするし、キスされた瞬間……私は自分の怒りや悲しさが消えていくような感覚を覚える……

「……愛していますよ……涼葉……」

耳元で甘い吐息を天音に漏らされれば不安や恐怖もなくなる……それが嬉しくて仕方ないのに……

「……嬉しいって、何だけ……どういう気持ちだった……?」

嬉しさも……消えた……
残ったのは何も感じない私だけだった……

「……綺麗ですよ……」

夏の夕暮れの光に照らされた浅い湖で……天音は……私をそっと抱きしめてくれる……
……ただ笑みを浮かべたいのに……私にはもうできない……

「……あなたを愛しています涼葉……だからいつまでもずっといましょう……寂しさのない日々を私にください……それは夏の終わりがない世界で……この終わらない夕暮れのように……」

……私は天音のものになることができた……
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