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白い絹とレースの手袋は幸福をもたらさない
02.二つの箱
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クロエがリュシーを問い詰めると、彼女はあっさりとジュストと会っていることを白状した。
しかも、後ろめたさなどかけらもなく、堂々としたものだ。
「だって、お姉さまの汚い手なんて、見ているだけでうんざりするっていうんですもの。私の綺麗な手が好きだっていうから、ちょっとお会いしてあげただけよ」
「……彼は、私の婚約者よ」
「まあ、誤解しないで。あの程度の男、私が本気で相手にするわけがないでしょう。たかが子爵家の三男なんて、私にはふさわしくないわ。私に気まぐれで相手してもらって、感謝するべきよ」
薄笑いを浮かべながら、リュシーは高慢に言い放つ。
クロエは唖然としてしまい、とっさに言葉が出てこなかった。
「お姉さまより私が良いのは当然だけれど、間違って本気になられたら迷惑だわ。私は上位貴族に嫁ぐのよ。おかしなことにならないよう、お姉さまもきちんと見張っておいてちょうだいね」
言いたいことだけ言うと、リュシーはさっさと自分の部屋に戻っていった。
怒りと悔しさ、情けなさでクロエは涙がにじんでくる。
クロエは衝動的に屋敷から出て、近くの森へと駆け出した。
誰とも会いたくなかったのだ。良い姉でいなくともよい、一人になれる場所に行きたかった。
「いつも……いつも、勝手なことばかり……! ふざけないでよっ!」
薄暗い森の中で、クロエは一人叫ぶ。
父も義母も、本当に大切なのは妹のリュシーだけなのだ。クロエが求められているのは良い姉という役割で、だからこそ家族と認められている。
どれだけ腹立たしくても、直接文句を言うわけにはいかない。
それでも我慢できなくなったときは、この森にやってきて叫ぶのが、クロエの息抜きだった。
この森には危険な動物は確認されていない。小動物くらいしかいないので、一人で叫ぶのにはもってこいの場所だった。
「……そこのきみ、ちょっといいかな」
ところが、誰もいないと思っていたはずなのに、木陰から声がした。
クロエはぎょっとしながら、声のした方向を見る。
すると、一人の青年が木にもたれかかって座り込んでいたのだ。
しかもクロエがこれまで見たことがないほど、華やかな雰囲気の漂う、整った顔立ちの美青年だった。
「は……はい……」
クロエは思わず青年に目を奪われながら、答える。
それまでの激情が一瞬で引っ込むほどの衝撃だった。
「狩りに向かうところだったのだけれど、少々足を痛めてしまってね。迎えを呼びたいので、この森から出るのを手伝ってもらえないだろうか」
落ち着いた声には、命令慣れした響きがある。
間違いなく、身分の高い相手だ。クロエは緊張しながら、頷く。
「こ……この近くに、私たちの屋敷があります。よろしければ、そちらにご案内いたします」
「ああ、よろしく頼むよ。ところで少し支えてもらえないだろうか」
「は……はい……」
おどおどとしながら、クロエは青年に手を差し出す。
青年は微笑んで、その手を取って立ち上がり、クロエに寄り添いながらゆっくりと歩き出した。
怪我人を助けているだけとはいえ、美青年と寄り添って歩くという状況に、クロエは戸惑う。
やがて屋敷の前にたどり着くまで、二人とも言葉を発することはなかった。
「……もしかして、あなたは男爵の二人いる令嬢のどちらかかな?」
屋敷を目前にして、青年が口を開く。
「は……はい、長女のクロエと申します……」
「そうか……私は王都から来ていてね。王都には、あなたのように心癒される令嬢はいない。もしよければ、これからも私に寄り添ってもらえないだろうか」
「え……?」
突然の申し出に、クロエは耳を疑う。
もしかしてこれは、プロポーズではないだろうか。
つい先ほど出会ったばかりなのに正気だろうかと、クロエは唖然として立ち止まってしまう。
「実は、最上の紅月酒を作り出す乙女の話を聞いてやってきたのだよ。土産も用意してある」
そう言って、青年は二つの小箱を取り出す。
華やかな装飾の豪華な小箱と、飾り気のない素朴な小箱だ。
「これらは『華麗な栄光』と『素朴な幸福』の箱だ。血縁者が二人で同時に開く必要があるという、不思議な箱でね。その名のとおりの運命を開けた者にもたらすそうだ。二人の男爵令嬢にプレゼントしようと思って持ってきたのだよ」
青年はクロエに二つの小箱を差し出してくる。
つい、クロエは受け取ってしまった。
「私の名はエミリアンという。願わくば、あなたが華麗な栄光を掴むことを。では、私は男爵に挨拶してこよう」
ゆったりとした足取りで、エミリアンと名乗った青年は屋敷に入っていく。
残されたクロエは、呆然としたまま立ち尽くす。
エミリアンとは、この国の王太子の名前だったはずだ。堂々とした立ち居振る舞いに支配者の声は、まさに本人であると物語っている。
「まさか、そんな……」
たった今、クロエは王太子からプロポーズされたということになるのだ。
信じられない思いで、クロエは屋敷の前で一人たたずむ。
「……お姉さま!」
ややあって、屋敷の中からリュシーが出てきた。
「先ほどの方、いったい……あら? 何を持っていますの?」
リュシーはクロエが手に持ったままの二つの小箱に気付く。
そして、豪華な小箱をひょいと取り上げて、開けようとする。
「……ちょっ……開きませんわ……」
だが、小箱は開かない。
血縁者が二人で同時に開く必要があるという言葉を、クロエは思い出す。
「その箱は、二人で同時に開く必要があるそうよ」
「じゃあ、お姉さまも一緒に開けましょうよ。お姉さまは、そっちのつまらない、ちっぽけな箱でよいでしょう?」
当然のように素朴な箱を押し付けてくるリュシー。
クロエは、はっとして考える。
これらの箱は、『華麗な栄光』と『素朴な幸福』だ。その名のとおりの運命を開けた者にもたらすのだという。
つまり、豪華な箱を開ければ、これまで良い姉というリュシーの影でしかなかったクロエが栄光を掴めるのだ。
実は中身は見た目に反しているのだとでも言えば、リュシーを言いくるめるのはわけもない。
クロエは迷う。
華麗な栄光を掴むか、素朴な幸福を求めるか。
つまらない、ちっぽけな存在から抜け出すチャンスなのだ。自分の力だけでは得られないであろう、貴重な機会が訪れている。
華やかな世界への扉は、目の前で開きかけているのだ。
「……実は、その箱は──」
迷った末、クロエは決断すると、静かに口を開いた。
しかも、後ろめたさなどかけらもなく、堂々としたものだ。
「だって、お姉さまの汚い手なんて、見ているだけでうんざりするっていうんですもの。私の綺麗な手が好きだっていうから、ちょっとお会いしてあげただけよ」
「……彼は、私の婚約者よ」
「まあ、誤解しないで。あの程度の男、私が本気で相手にするわけがないでしょう。たかが子爵家の三男なんて、私にはふさわしくないわ。私に気まぐれで相手してもらって、感謝するべきよ」
薄笑いを浮かべながら、リュシーは高慢に言い放つ。
クロエは唖然としてしまい、とっさに言葉が出てこなかった。
「お姉さまより私が良いのは当然だけれど、間違って本気になられたら迷惑だわ。私は上位貴族に嫁ぐのよ。おかしなことにならないよう、お姉さまもきちんと見張っておいてちょうだいね」
言いたいことだけ言うと、リュシーはさっさと自分の部屋に戻っていった。
怒りと悔しさ、情けなさでクロエは涙がにじんでくる。
クロエは衝動的に屋敷から出て、近くの森へと駆け出した。
誰とも会いたくなかったのだ。良い姉でいなくともよい、一人になれる場所に行きたかった。
「いつも……いつも、勝手なことばかり……! ふざけないでよっ!」
薄暗い森の中で、クロエは一人叫ぶ。
父も義母も、本当に大切なのは妹のリュシーだけなのだ。クロエが求められているのは良い姉という役割で、だからこそ家族と認められている。
どれだけ腹立たしくても、直接文句を言うわけにはいかない。
それでも我慢できなくなったときは、この森にやってきて叫ぶのが、クロエの息抜きだった。
この森には危険な動物は確認されていない。小動物くらいしかいないので、一人で叫ぶのにはもってこいの場所だった。
「……そこのきみ、ちょっといいかな」
ところが、誰もいないと思っていたはずなのに、木陰から声がした。
クロエはぎょっとしながら、声のした方向を見る。
すると、一人の青年が木にもたれかかって座り込んでいたのだ。
しかもクロエがこれまで見たことがないほど、華やかな雰囲気の漂う、整った顔立ちの美青年だった。
「は……はい……」
クロエは思わず青年に目を奪われながら、答える。
それまでの激情が一瞬で引っ込むほどの衝撃だった。
「狩りに向かうところだったのだけれど、少々足を痛めてしまってね。迎えを呼びたいので、この森から出るのを手伝ってもらえないだろうか」
落ち着いた声には、命令慣れした響きがある。
間違いなく、身分の高い相手だ。クロエは緊張しながら、頷く。
「こ……この近くに、私たちの屋敷があります。よろしければ、そちらにご案内いたします」
「ああ、よろしく頼むよ。ところで少し支えてもらえないだろうか」
「は……はい……」
おどおどとしながら、クロエは青年に手を差し出す。
青年は微笑んで、その手を取って立ち上がり、クロエに寄り添いながらゆっくりと歩き出した。
怪我人を助けているだけとはいえ、美青年と寄り添って歩くという状況に、クロエは戸惑う。
やがて屋敷の前にたどり着くまで、二人とも言葉を発することはなかった。
「……もしかして、あなたは男爵の二人いる令嬢のどちらかかな?」
屋敷を目前にして、青年が口を開く。
「は……はい、長女のクロエと申します……」
「そうか……私は王都から来ていてね。王都には、あなたのように心癒される令嬢はいない。もしよければ、これからも私に寄り添ってもらえないだろうか」
「え……?」
突然の申し出に、クロエは耳を疑う。
もしかしてこれは、プロポーズではないだろうか。
つい先ほど出会ったばかりなのに正気だろうかと、クロエは唖然として立ち止まってしまう。
「実は、最上の紅月酒を作り出す乙女の話を聞いてやってきたのだよ。土産も用意してある」
そう言って、青年は二つの小箱を取り出す。
華やかな装飾の豪華な小箱と、飾り気のない素朴な小箱だ。
「これらは『華麗な栄光』と『素朴な幸福』の箱だ。血縁者が二人で同時に開く必要があるという、不思議な箱でね。その名のとおりの運命を開けた者にもたらすそうだ。二人の男爵令嬢にプレゼントしようと思って持ってきたのだよ」
青年はクロエに二つの小箱を差し出してくる。
つい、クロエは受け取ってしまった。
「私の名はエミリアンという。願わくば、あなたが華麗な栄光を掴むことを。では、私は男爵に挨拶してこよう」
ゆったりとした足取りで、エミリアンと名乗った青年は屋敷に入っていく。
残されたクロエは、呆然としたまま立ち尽くす。
エミリアンとは、この国の王太子の名前だったはずだ。堂々とした立ち居振る舞いに支配者の声は、まさに本人であると物語っている。
「まさか、そんな……」
たった今、クロエは王太子からプロポーズされたということになるのだ。
信じられない思いで、クロエは屋敷の前で一人たたずむ。
「……お姉さま!」
ややあって、屋敷の中からリュシーが出てきた。
「先ほどの方、いったい……あら? 何を持っていますの?」
リュシーはクロエが手に持ったままの二つの小箱に気付く。
そして、豪華な小箱をひょいと取り上げて、開けようとする。
「……ちょっ……開きませんわ……」
だが、小箱は開かない。
血縁者が二人で同時に開く必要があるという言葉を、クロエは思い出す。
「その箱は、二人で同時に開く必要があるそうよ」
「じゃあ、お姉さまも一緒に開けましょうよ。お姉さまは、そっちのつまらない、ちっぽけな箱でよいでしょう?」
当然のように素朴な箱を押し付けてくるリュシー。
クロエは、はっとして考える。
これらの箱は、『華麗な栄光』と『素朴な幸福』だ。その名のとおりの運命を開けた者にもたらすのだという。
つまり、豪華な箱を開ければ、これまで良い姉というリュシーの影でしかなかったクロエが栄光を掴めるのだ。
実は中身は見た目に反しているのだとでも言えば、リュシーを言いくるめるのはわけもない。
クロエは迷う。
華麗な栄光を掴むか、素朴な幸福を求めるか。
つまらない、ちっぽけな存在から抜け出すチャンスなのだ。自分の力だけでは得られないであろう、貴重な機会が訪れている。
華やかな世界への扉は、目の前で開きかけているのだ。
「……実は、その箱は──」
迷った末、クロエは決断すると、静かに口を開いた。
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