「無理をするな」と言うだけで何もしなかったあなたへ。今の私は、大公家の公子に大切にされています

葵 すみれ

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09.正当な評価

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 久方ぶりに王都の石畳を踏んだとき、クラリーヌは一瞬だけ足を止めた。
 かつて、ただ使いの令嬢として通っていたこの地に、今、自分は招かれて戻ってきたのだと──その事実を、改めて胸に刻む。

 傍らにはジュリアンがいる。
 彼の腕に添えられた手が、かつての自分とは違う誇りを証明していた。

「緊張されていますか?」

「……少しだけ。でも、大丈夫です」

 穏やかなやり取りを交わしながら、二人は王城の大広間へと足を踏み入れた。

 国王陛下への謁見と、ベルモント家公子とその婚約者としての正式な紹介。
 王家と大公家の信頼関係を確認する、格式ある場であった。

 すでに貴族たちは集まっていた。
 そしてその中に、クラリーヌは見知った顔をいくつも見つける。

 モンテクリュ侯爵家の嫡男、ティエリ。
 その傍に立つ、ランベール伯爵令嬢、エリサ。
 そして遠巻きに控えている──自分を追い出した、実家の父と母。

 クラリーヌが王城の大広間に足を踏み入れたとき、彼らの目が揃ってこちらに向けられた。
 その瞬間、空気がわずかにざわめいた。

 ティエリの眉がぴくりと動き、目を細めて彼女を凝視する。
 クラリーヌの装い──深い色合いの、上質な生地で仕立てられたドレスは、過度な装飾こそなかったが、纏う者の品格を際立たせていた。
 その静かな華やかさに、ティエリの視線が止まる。
 彼の隣でエリサが小さく囁いた何かに、ティエリが答えず、わずかに首を傾けるのが見えた。

 エリサは戸惑ったようにクラリーヌを見ていたが、すぐにその目をジュリアンへと移した。
 そして、明らかに顔色が変わった。
 見覚えのある顔──だが、思いもしなかった場で、思いもしなかった立場で目にしたことで、思考が追いつかないのだろう。

 クラリーヌは彼らを見なかった。
 ただ、隣に立つジュリアンと目を合わせ、ゆっくりと一歩を踏み出す。

 やがて、名乗りの時が訪れる。
 案内役が、恭しく告げる。

「ベルモント大公家第三公子、ジュリアン・ベルモント殿下。そして婚約者、クラリーヌ・ラシャンブル嬢」

 その名が高らかに響いた瞬間、広間の空気が一変した。
 ただの騎士──田舎貴族の三男坊──そう思い込まれていた男の名が、王家の前で「大公家の第三公子」として呼ばれたのだ。

 クラリーヌは視線を前に据えたまま、周囲の動揺をはっきりと感じ取っていた。
 ティエリが小さく息を呑む気配がした。
 その横で、エリサが口元を押さえるようにして視線をさまよわせる。
 両親もまた、想定外の展開に言葉を失っているのが、背中越しにも伝わってくる。

 かつて彼らが使い捨ての婚約者と見下していた令嬢と、ただの騎士と侮っていた男が、今こうして堂々とこの場に立ち、王家に名を通す立場で紹介されている。
 その現実を、まだ受け入れきれていないのだ。

 クラリーヌは動じなかった。
 ただ静かに、胸を張ってその場に立ち、かつて見下されていた自分とは、もう別の存在なのだと示していた。

 玉座の上から、王はジュリアンとクラリーヌをゆっくりと見下ろす。

「ベルモント公子、そしてそのご婚約者、ラシャンブル嬢。……よく来られた」

 二人が恭しく頭を下げると、王は続けた。

「クラリーヌ・ラシャンブル嬢。実は、そなたの名は以前より城内で耳にしておったよ」

 大広間に再び微かなざわめきが走る。

「王城への使いとして幾度も訪れていた頃、貴女が取り扱った文書は、常に正確で、整い、そして何より、読む者の立場を思いやる構成だったと聞いている」

 クラリーヌの瞳がわずかに揺れる。
 誰にも気づかれずにこなしていた、あの無数の地味な仕事。
 それらが、今こうして正式に王の口から価値ある行いとして語られている。

「貴族である前に、人であること。名家の出か否かではなく、行いと信頼で評価される者こそ、王国の礎となるのだと、改めて思わせてくれた」

 ティエリの頬が引きつる。
 彼の中で便利な道具としか見ていなかった女が、今、国王自らにこうまで評価されているという現実。

「ジュリアン。良い伴侶を得たな。クラリーヌ嬢、その誠実な志が、これからの時代を照らす灯となることを願っている」

 王の言葉は、謁見の間にいた全ての者の胸に、否応なく刻まれていった。

 評価は塗り替えられたのではない。
 本来そこにあった光が、ようやく正当に照らし出された──ただ、それだけのことだった。
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