私の夫は妻を殺す悪役公爵──その未来、絶対に阻止します!

葵 すみれ

文字の大きさ
2 / 41

02.私を殺す悪役なのに、どうして優しくするのですか?

しおりを挟む
「ええと、状況を整理しないと……」

 オリアナは深呼吸をすると、物語を思い出そうとする。

「私は……もともと、地味で目立たない王女だった……」

 物語の記憶を辿りながら、オリアナ呟いた。
 国王が侍女に手を付けて生まれたのがオリアナだ。
 そして、オリアナには双子の弟がいた。彼の名はヘクター。
 そう、物語の主人公だ。

「ヘクターは男子だったため、王妃に殺されることを懸念して、秘密裏に神殿に預けられた。生まれたのはオリアナだけとされ、ヘクターの存在は隠されたまま……」

 オリアナは深く息を吐いた。

「そして成長したヘクターは騎士となり、やがて幼なじみの聖女ライラと共に国を救う英雄になる……。その課程で立ちはだかる悪役、それがサディアス・ファーレスト」

 自分の夫の名前を口にするたび、ぞっとする。

「その時点で、すでにオリアナは殺されている。サディアスの手でね……」

 自嘲気味に呟きながら、オリアナは目を伏せた。

「そして、ヘクターはサディアスを討ち取り、その功績をもって王家に迎え入れられる」

 物語では、オリアナは名前しか出てこない。
 ただ、オリアナの形見がヘクターの手に渡り、それが物語上で重要な役割を果たす。

「その形見が『星輝石』。聖女の力を覚醒させ、ヘクターを英雄へと導く石。確か、王妃も狙っていたのよね……」

 考え込むオリアナだったが、ふとあることに気づいた。

「まさか、これが……?」

 オリアナは手の中にあるペンダントを見つめた。
 精緻な銀細工の台座に、不思議な色合いの宝石が輝いている。
 まるで内部に無数の星をちりばめたように微細な光の粒が揺らめき、絶えず形を変えて踊るように煌めいている。

「……このペンダントが『星輝石』……? それに、前世の記憶が戻ったのも、このペンダントの力……?」

 オリアナは考え込む。
 だが、いくら考えてみても答えは出ない。

「でも……この石が命運を握っているのなら、絶対に誰にも渡さない……。特に王妃には」

 そっと首を振ると、オリアナはペンダントを握りしめる。

「……サディアスがどうして妻を殺したのかは、書かれていなかったのよね」

 物語では、サディアスが妻を殺した動機は明確にされていない。
 ただ、オリアナが王妃と通じていたことが原因の一つだとはほのめかされていた。

「オリアナは王妃の密偵で、公爵家の情報を王妃に流していたのかしら。今はそんなことを命じられていないけれど……でも、これまでのオリアナだったら、命じられれば従ってしまうでしょうね」

 オリアナは憂鬱な気持ちでため息をついた。

「でも……オリアナが王家に情報を流すくらいのことは、公爵家側だって予想できるわよね。となると……見過ごせないようなことをオリアナが仕出かした……?」

 オリアナは必死に考えを巡らせたが、答えは見つからない。
 胸に複雑な感情が渦巻く。

「彼がなぜ妻を殺すのか……それを突き止めなければ」

 もう二度と、怯えながら生きるのは嫌だった。

「夫婦でいる限り、避けるわけにもいかないのだから」

 オリアナは唇を引き結び、決意を新たにする。
 そして、ふと自分の頬を触った。
 かすかに震えていたはずの唇に、いつの間にか静かな微笑みが浮かんでいる。
 オリアナは立ち上がり、姿見の前に立った。
 鏡に映る自分の瞳が、今までよりもずっと強く輝いているように見える。

「私……いつの間にこんなに冷静になったのかしら」

 今までおどおどしていた自分とは違う──それを少しだけ心地よく感じていた。



 翌朝、オリアナは公爵家の朝食の席についた。
 長いテーブルの向こう側には、すでにサディアスが座っていた。彼はオリアナを見るなり立ち上がり、形式的に一礼する。

「おはようございます、オリアナ姫」

 淡々とした声音。抑揚がなく、冷たく響く。

「お、おはようございます、サディアスさま」

 声が震えないよう意識しながら、オリアナは席に着いた。
 昨日はただ雰囲気が怖いと思うだけだったが、今は別の意味で怖かった。物語の記憶が蘇った今、自分はいつ殺されてもおかしくない状況なのだ。

「昨夜は……よく眠れましたか?」

 サディアスの声に、オリアナはびくりと肩を揺らした。
 その声には感情の色がない。まるで機械のように形式的なものに聞こえる。

「ええ、ありがとうございます。ゆっくり休ませていただきました」

 表面上は平静を装ったつもりだったが、サディアスの視線がオリアナの皿に向けられると、思わず手が震えた。

「食事に不都合はありませんか? 嫌いなものや苦手なものがあれば、遠慮なくおっしゃってください」

 その言葉にオリアナははっと顔を上げる。
 不安を感じていたが、並べられている料理は、どれもオリアナの好みのものばかりだった。ふんわりと焼かれた甘い卵料理、香ばしいパン、そしてさっぱりとした果実のジュース。

(なぜ私の好みを……? でも、油断はできないわ。もしかしたらこれも策略かもしれないし……)

 警戒を解かないオリアナの様子に、サディアスは微かに目を伏せ、残念そうに肩を落とした。

「サディアスさま?」

「……いえ、何でもありません。食事を楽しんでください」

 それきり、彼は視線を落としたまま口を閉ざしてしまう。
 朝の陽光を浴びる彼の銀髪は美しく輝いているのに、その表情はどこか悲しげで、オリアナは妙な胸騒ぎを覚える。

(なぜかしら……やっぱり、彼のことが少しも理解できない……)

 食事のあいだ、公爵家のダイニングには沈黙が続いた。
 時折、使用人が食器を置く静かな音だけが響く。
 サディアスは相変わらず感情をほとんど見せない。銀髪に縁どられた横顔はまるで彫刻のように美しいが、その冷たい無表情はオリアナの不安を煽った。

(私のことを嫌っているのは明らかだわ……でも、それなら昨日の贈り物は何だったのかしら)

 オリアナの胸中には疑問ばかりが積もる。
 ペンダントの星輝石は、物語で最も重要なアイテムのはず。それをわざわざサディアスが渡した意味がわからない。

(もしかしたら、星輝石で私を試している? それとも、別の意図が……?)

 オリアナが無言で食事を続けていると、不意にサディアスが彼女の視線に気づいて顔を上げた。
 二人の視線が交差し、一瞬だけ気まずい沈黙が流れた。

「あの……」

「……はい?」

 沈黙を破ったのは、意外にもサディアスのほうだった。
 彼は淡々とした口調を崩さないまま、オリアナの顔を見つめる。

「今日は気分がよさそうですね。その……昨夜はよほど疲れているようでしたから、心配でした」

「えっ……?」

 思わぬ言葉に、オリアナは驚いて瞳を瞬かせた。
 サディアスの表情はほとんど変わっていないが、彼の瞳はわずかに揺れているように見える。

(何なの、この人……。私を嫌っているんじゃないの?)

「お気遣いありがとうございます。とてもよく休めました」

 おずおずと答えると、サディアスの表情が微妙に和らいだ気がした。
 しかし、それもすぐに消えてしまい、再び淡白な顔に戻る。

「それならよかったです」

 会話はそこで途切れた。
 オリアナはますます混乱する。
 物語のサディアスは妻を手にかけた悪役だが、目の前にいる彼からは悪意が感じられない。むしろ、微かな優しさが伝わってくるようにさえ思えた。

(だとしたら、なぜ妻を殺したの?)

 その疑問が、オリアナの心を激しく揺さぶった。

 やがて食事が終わり、サディアスが先に席を立った。
 彼は一礼し、食堂を出て行こうとする。
 しかし、その瞬間、彼は扉の前で足を止めた。
 オリアナは顔を上げる。

「サディアスさま……?」

 問いかけるオリアナをじっと見つめて、サディアスは微かに唇を動かした。だが、何を言おうとしたのか、彼は結局口を閉ざし、小さく首を振った。

「いえ、何でもありません。それでは」

 サディアスは扉を開け、すぐに姿を消した。
 残されたオリアナはますます困惑するばかりだった。

(あの人は一体、何を言おうとしたのかしら?)

 オリアナはテーブルの上で握りしめていた拳をゆっくりと緩めると、深く息を吐き出した。

「……やっぱり、私の知らない何かがある」

 呟きながら、オリアナはペンダントに手を触れる。
 心に生まれた疑問が、また一つ増えていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

わたくしが社交界を騒がす『毒女』です~旦那様、この結婚は離婚約だったはずですが?

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
※完結しました。 離婚約――それは離婚を約束した結婚のこと。 王太子アルバートの婚約披露パーティーで目にあまる行動をした、社交界でも噂の毒女クラリスは、辺境伯ユージーンと結婚するようにと国王から命じられる。 アルバートの側にいたかったクラリスであるが、国王からの命令である以上、この結婚は断れない。 断れないのはユージーンも同じだったようで、二人は二年後の離婚を前提として結婚を受け入れた――はずなのだが。 毒女令嬢クラリスと女に縁のない辺境伯ユージーンの、離婚前提の結婚による空回り恋愛物語。 ※以前、短編で書いたものを長編にしたものです。 ※蛇が出てきますので、苦手な方はお気をつけください。

婚約者には愛する人ができたようです。捨てられた私を救ってくれたのはこのメガネでした。

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
突然、婚約解消を告げられたリューディア・コンラット。 彼女はこのリンゼイ国三大魔法公爵家のご令嬢。 彼女の婚約者はリンゼイ国第一王子のモーゼフ・デル・リンゼイ。 彼は眼鏡をかけているリューディアは不細工、という理由で彼女との婚約解消を口にした。 リューディアはそれを受け入れることしかできない。 それに眼鏡をかけているのだって、幼い頃に言われた言葉が原因だ。 余計に素顔を晒すことに恐怖を覚えたリューディアは、絶対に人前で眼鏡を外さないようにと心に決める。 モーゼフとの婚約解消をしたリューディアは、兄たちに背中を押され、今、新しい世界へと飛び出す。 だけど、眼鏡はけして外さない――。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~

コトミ
恋愛
 結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。  そしてその飛び出した先で出会った人とは? (できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...