天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ

葵 すみれ

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28.眠れぬ夜に紡がれる記憶1

 静まり返った回廊の先、重厚な扉が開かれると、甘い花の香が鼻をかすめた。

 通されたのは、公爵家の離れにある客間──というには贅沢すぎる寝室だった。
 天井まで届く天蓋付きの寝台がひとつ、部屋の中央に据えられている。象牙色のレースが揺れ、羽毛を詰めた掛け布がふんわりと膨らんでいた。

「まあ……素敵なお部屋ですわね」

「おいおい、よりにもよって寝台がひとつかよ……」

 レオがあからさまにため息を漏らした。
 夜会の後、一泊してから帰ることになっている。そのために案内された部屋だ。

「……俺はソファでいい。そっち、使え」

「あら、一緒には寝ませんの?」

「……一緒に寝たいのかよ」

「レオさまがお求めとあらば。妻の務めですもの」

「……もう少し肉がついたら考えてやるよ。そんな身体じゃ、その気になれねえ」

「まあ、ひどい」

 パメラは頬をふくらませた。見せかけの拗ね顔は、いつもの“愛らしい令嬢”の仮面。

 彼が初夜に自室を訪れたとき、本気で組み敷くつもりだったことくらい、察している。
 けれど、彼は途中でやめた。パメラがわずかに探りを入れた瞬間、それ以上踏み込んでこなかった。
 以来、彼が夜に訪れたことはない。

「……いいから寝ろよ。明日も早ぇ」

 レオはそっぽを向いて、ぶっきらぼうに言い放った。
 その言い草は素っ気ないが、言葉の端に、わずかに揺れる気配があった。



 夜の寝室に満ちるのは、ただ静けさだけだった。

 蝋燭はとっくに消え、天蓋の向こうの闇がゆっくりと深まっていく。
 けれどパメラは、まぶたを閉じて眠るふりをしながらも、意識の一部を隣の気配に向けていた。

 レオの寝息は聞こえなかった。
 ソファに身を預けているはずなのに、寝返り一つ打たず、ただ静かに気配だけを残している。

(眠ってなどいませんのね)

 パメラは、薄く笑った。
 初夜のあの夜と同じ。彼は動かず、けれど、意識だけを部屋に漂わせていた。

 あの夜──彼は間違いなく、自分を“抱くつもり”で現れた。
 けれど、パメラが問いかけを投げたその一瞬、レオは迷い、そして退いた。

 その一歩を踏み出せなかった男の姿が、妙に心に残っている。
 意外だったから。けれど、それだけではない。

(あの人は、わたくしを見ていましたわ)

 仮面の奥。笑顔のそのさらに奥。
 彼の目がほんの一瞬、真剣に自分を見たのを、パメラは確かに覚えている。

 それがどんな感情だったのかは、わからない。
 支配か、警戒か、あるいは──。
 ただひとつ確かだったのは、あの目に浮かんだ迷いの色が、なぜか今も、自分の胸に残って離れないということだった。

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