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一章
事故の後
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七星四季館には救急車とパトカー、それに加えて消防車まで駆けつけ、あたりは騒然となっていた。
展示会は事故のため、急遽中止となった。
ロビーで実況見分を受けながら、俺はガラス張りだった正面にぽっかりと空いた穴を見上げる。
近くを走る高速道路を走行していた車がスリップし、壁面を乗り越えてこちらに飛び込んできたという。
どうなったら、そんなアクション映画顔負けの事態になるのか。
俺としては、「あのエリアにいたら、壁を突き破って車が飛び込んできた」と証言するしかない。
「一度その車に潰された記憶があるので、本当に起こるか確認していました」なんて言えるわけもなかった。
キッチンカーに積まれていたガスボンベなどが爆発する可能性もあるらしく、関係者の待機場所として本館側の会議室へ案内される。
展示エリアは美術館の一番端に位置しているため、ロビーのかなり手前に規制線が張られ、警備員が立つ。
何かとんでもないことが起こったのだと察した野次馬たちが、警備員の周囲に溜まり、十一番展示室の方角を気にしている。
とはいえ、彼らの目に映るのは、慌ただしく出入りする救急隊員や警察官、関係者たちの姿だけだ。
その奥にあるブルーシートで覆われた窓ガラスや壁どころか、展示室の入口すら見えてはいないだろう。
そんな好奇心に満ちた視線を受けながら、俺は野次馬の集団を通り抜けた。
そのとき、小さなシャッター音がした。
音のした方を見ると、少し離れた場所に二人組の女性が立っている。
よく見ると、俺がこの美術館に到着したあと、すれ違った二人組だった。
小柄な女性が、もう一人に抱きつくようにして腕を伸ばし、自分たちにスマホの画面を向けている。
どうやら自撮り写真を撮影しているようだ。
大変な事故が起きている建物の中にいながら、そちらには目も向けず自撮りか、と一瞬思った。
だが、インスタに「今、四季館にいます! 大変なことが起こったみたいでビックリ!」などと書き添えて写真を載せるつもりなのかもしれない。
事故現場や野次馬の様子を撮影していないだけ、まだましなのだろうが、ずいぶん能天気なものだ。
不躾な視線を向けたせいか、ロングヘアの女性がこちらを睨みつけてきた。
俺は視線を逸らし、足早にその場を立ち去る。
会議室に入ると、そこもまた騒然としていた。
それぞれが電話をかけたり、パソコンを開いて作業をしたりと、慌ただしく動き回っている。
橘は電話をしながら、部屋に入ってきた俺に向かって手を挙げた。
「はい、はい。よろしくお願いします。状況が分かり次第……ええ。了解しました」
十和一絵は電話をしながらパソコンに向かい、対応に追われている。
やがて通話を終えたのだろう。スマホを置き、大きく溜息をついた。そして顔を覆い、俯く。
「十和ちゃん、大丈夫?」
声をかけると、ビクリと身体を震わせ、俺を見上げてきた。
泣いてはいなかったが、その目にいつもの輝きはない。
「舞原監督。お疲れさまでした。
実況見分に同行できず、申し訳ありませんでした」
立ち上がり、深く頭を下げる。
「いやいや、事故を見たのは俺だけだったし、トカズコーポレーションさんが頼もしい助っ人を派遣してくれたから大丈夫だよ。
十和ちゃんは、こんなオッサンをアテンドしている場合じゃないだろ。
それに、さっきのお客さんの速やかな誘導、ありがとう。助かったよ」
俺の言葉に、十和一絵は泣きそうな顔で微笑んだ。
彼女を含め、部屋にいた女性二人が、あんな悲惨な現場を目撃せずに済んだのは不幸中の幸いだった。
「警察とのお話は終わったのですか?」
気遣うような問いかけに、俺はあえて笑顔で頷く。
「とはいっても、俺自身も状況がまったく分からない状態だから、役に立てたとは言い難いけどな」
「お疲れ~、舞原ちゃん。ところで一人? あの弁護士さんは?」
電話を終えた橘が声をかけてくる。
彼の言う弁護士とは、うちの会社の顧問ではなく、今回のイベントスポンサーであるトカズコーポレーション側の弁護士だ。
眞光という、若いがいかにも切れ者といった雰囲気の男だった。
大企業というのは本当にこういうところが凄いな、と思う。
「まだ警察の方と話があるみたいだ。
ただ、彼はあくまでもトカズの人間だろ。こちらのために動いてくれるわけじゃない。
うちの弁護士にも声をかけておくべきじゃないか?」
俺の言葉に、橘は大きくため息をつく。
「連絡はしておいたよ。
状況の詳細が分かり次第、資料をよこせってさ。
とはいえ、あいつは著作権やコンプライアンス関係には強いけど、こういう案件はいけるのかな?」
「その点については、私どもの事務所に得意な者がおりますのでご安心ください。
あなた方の弁護士の方の連絡先を教えていただけないでしょうか?
我々はあくまでも被害者の立場に変わりはありませんが、原因側の責任の所在が複雑です。
個別に交渉するより、共同で動いた方が良さそうです」
弁護士の眞光が部屋に入ってきた。
「申し遅れました。
フシハラホールディングス顧問弁護士の、眞光と申します」
柔らかなアルカイックスマイルを浮かべ、手際よく名刺交換を進めていく。
堂々としていながら洗練された所作。
創作物の中であれば、有能な切れ者という役どころが与えられそうなタイプだろう。
部屋をゆっくりと見渡し、微笑むだけで、自然と皆の視線を集め、場を支配していた。
「事故の方は、どういう状況なのでしょうか?」
橘は、明らかに年下のはずの眞光に、自然と敬語になっている。
「お話しする前に、お約束していただけますか?」
眞光は穏やかな声のまま続ける。
「マスコミはもちろん、ご家族に対しても、不用意に事故の詳細を漏らさないでください。
今回の高速道路での事故は、非常に複雑な状況です。
それだけに、マスコミやネットで掻き回されると、一気にややこしいことになります。
皆さんは、『展示室で仕事をしていたら車が突っ込んできた。分かっているのはそれだけで、警察も詳細を語ってくれないため、状況が分からない』というスタンスで過ごしてください。
逆に、『何が起こっているのか知っていたら教えてほしい』と聞き返すのも、話を逸らす手段として有効です」
穏やかな口調とは裏腹に、「余計な言動で俺の邪魔をするな」という強い圧が伝わってくる。
眞光によると、高速道路で大型トレーラーがスリップ事故を起こし、キッチンカーを含む十台規模の玉突き事故が発生したという。
その十台の中には配送トラックや観光バスも含まれており、過失割合の算定が非常に難しい共同不法行為になるらしい。
そうした専門用語を交えた説明を、俺はどこか冷めた感情で聞いていた。
本来なら、会社の記念イベントが台無しにされたことや、損害がどうなるのかと橘のように動揺していてもおかしくない。
だが、それ以上に気になることが多すぎた。
「運転手の方たちや、車に乗っていた皆さんは無事なのでしょうか?」
青い顔で十和一絵が質問する。
「現時点では、死者は美術館に飛び込んだ車両の運転手、それと玉突き事故の中ほどにいた軽自動車の運転手と同乗者の三名です。
ただし、今後増える可能性はあります」
冷淡とも取れる眞光の言葉に、十和一絵は言葉を失う。
眞光は彼女の様子を気にすることもなく、こちらに笑顔を向けた。
「今回の展示会についてですが」
眞光は資料を机の上に置きながら言う。
「フシハラホールディングスが所蔵している美術品を公開する展示会用に、すでに新国立現代美術館で押さえていた別会場があります。
もしよろしければ、そちらを代替会場としてご提供できます。
規模は多少変わりますが、“中止”ではなく、“形を変えて継続”という判断も可能かと」
その言葉に橘は表情を明るくする。
だが、俺は引っかかりを覚えていた。
「そちらの展示会は、問題ないんですか?」
俺の問いに、眞光はにこやかに頷く。
「うちの方は記念的なイベントではありませんので、社内にあるイベントエリアに移すこともできますから」
フシハラホールディングスは旧財閥系の企業だ。
美術館やホールを自社で所有している。
それでも、なぜわざわざ他所で展示会を開こうとしていたのか、引っかかる。
それに、顧問弁護士がイベント会場の変更を指示できるほどの権限を持っているものなのだろうか。
俺の戸惑いをよそに、橘とイベント会社の社員たちの間で、打ち合わせは滞りなく進んでいく。
俺はそれを、どこか現実感のない気分で眺めていた。
展示会は事故のため、急遽中止となった。
ロビーで実況見分を受けながら、俺はガラス張りだった正面にぽっかりと空いた穴を見上げる。
近くを走る高速道路を走行していた車がスリップし、壁面を乗り越えてこちらに飛び込んできたという。
どうなったら、そんなアクション映画顔負けの事態になるのか。
俺としては、「あのエリアにいたら、壁を突き破って車が飛び込んできた」と証言するしかない。
「一度その車に潰された記憶があるので、本当に起こるか確認していました」なんて言えるわけもなかった。
キッチンカーに積まれていたガスボンベなどが爆発する可能性もあるらしく、関係者の待機場所として本館側の会議室へ案内される。
展示エリアは美術館の一番端に位置しているため、ロビーのかなり手前に規制線が張られ、警備員が立つ。
何かとんでもないことが起こったのだと察した野次馬たちが、警備員の周囲に溜まり、十一番展示室の方角を気にしている。
とはいえ、彼らの目に映るのは、慌ただしく出入りする救急隊員や警察官、関係者たちの姿だけだ。
その奥にあるブルーシートで覆われた窓ガラスや壁どころか、展示室の入口すら見えてはいないだろう。
そんな好奇心に満ちた視線を受けながら、俺は野次馬の集団を通り抜けた。
そのとき、小さなシャッター音がした。
音のした方を見ると、少し離れた場所に二人組の女性が立っている。
よく見ると、俺がこの美術館に到着したあと、すれ違った二人組だった。
小柄な女性が、もう一人に抱きつくようにして腕を伸ばし、自分たちにスマホの画面を向けている。
どうやら自撮り写真を撮影しているようだ。
大変な事故が起きている建物の中にいながら、そちらには目も向けず自撮りか、と一瞬思った。
だが、インスタに「今、四季館にいます! 大変なことが起こったみたいでビックリ!」などと書き添えて写真を載せるつもりなのかもしれない。
事故現場や野次馬の様子を撮影していないだけ、まだましなのだろうが、ずいぶん能天気なものだ。
不躾な視線を向けたせいか、ロングヘアの女性がこちらを睨みつけてきた。
俺は視線を逸らし、足早にその場を立ち去る。
会議室に入ると、そこもまた騒然としていた。
それぞれが電話をかけたり、パソコンを開いて作業をしたりと、慌ただしく動き回っている。
橘は電話をしながら、部屋に入ってきた俺に向かって手を挙げた。
「はい、はい。よろしくお願いします。状況が分かり次第……ええ。了解しました」
十和一絵は電話をしながらパソコンに向かい、対応に追われている。
やがて通話を終えたのだろう。スマホを置き、大きく溜息をついた。そして顔を覆い、俯く。
「十和ちゃん、大丈夫?」
声をかけると、ビクリと身体を震わせ、俺を見上げてきた。
泣いてはいなかったが、その目にいつもの輝きはない。
「舞原監督。お疲れさまでした。
実況見分に同行できず、申し訳ありませんでした」
立ち上がり、深く頭を下げる。
「いやいや、事故を見たのは俺だけだったし、トカズコーポレーションさんが頼もしい助っ人を派遣してくれたから大丈夫だよ。
十和ちゃんは、こんなオッサンをアテンドしている場合じゃないだろ。
それに、さっきのお客さんの速やかな誘導、ありがとう。助かったよ」
俺の言葉に、十和一絵は泣きそうな顔で微笑んだ。
彼女を含め、部屋にいた女性二人が、あんな悲惨な現場を目撃せずに済んだのは不幸中の幸いだった。
「警察とのお話は終わったのですか?」
気遣うような問いかけに、俺はあえて笑顔で頷く。
「とはいっても、俺自身も状況がまったく分からない状態だから、役に立てたとは言い難いけどな」
「お疲れ~、舞原ちゃん。ところで一人? あの弁護士さんは?」
電話を終えた橘が声をかけてくる。
彼の言う弁護士とは、うちの会社の顧問ではなく、今回のイベントスポンサーであるトカズコーポレーション側の弁護士だ。
眞光という、若いがいかにも切れ者といった雰囲気の男だった。
大企業というのは本当にこういうところが凄いな、と思う。
「まだ警察の方と話があるみたいだ。
ただ、彼はあくまでもトカズの人間だろ。こちらのために動いてくれるわけじゃない。
うちの弁護士にも声をかけておくべきじゃないか?」
俺の言葉に、橘は大きくため息をつく。
「連絡はしておいたよ。
状況の詳細が分かり次第、資料をよこせってさ。
とはいえ、あいつは著作権やコンプライアンス関係には強いけど、こういう案件はいけるのかな?」
「その点については、私どもの事務所に得意な者がおりますのでご安心ください。
あなた方の弁護士の方の連絡先を教えていただけないでしょうか?
我々はあくまでも被害者の立場に変わりはありませんが、原因側の責任の所在が複雑です。
個別に交渉するより、共同で動いた方が良さそうです」
弁護士の眞光が部屋に入ってきた。
「申し遅れました。
フシハラホールディングス顧問弁護士の、眞光と申します」
柔らかなアルカイックスマイルを浮かべ、手際よく名刺交換を進めていく。
堂々としていながら洗練された所作。
創作物の中であれば、有能な切れ者という役どころが与えられそうなタイプだろう。
部屋をゆっくりと見渡し、微笑むだけで、自然と皆の視線を集め、場を支配していた。
「事故の方は、どういう状況なのでしょうか?」
橘は、明らかに年下のはずの眞光に、自然と敬語になっている。
「お話しする前に、お約束していただけますか?」
眞光は穏やかな声のまま続ける。
「マスコミはもちろん、ご家族に対しても、不用意に事故の詳細を漏らさないでください。
今回の高速道路での事故は、非常に複雑な状況です。
それだけに、マスコミやネットで掻き回されると、一気にややこしいことになります。
皆さんは、『展示室で仕事をしていたら車が突っ込んできた。分かっているのはそれだけで、警察も詳細を語ってくれないため、状況が分からない』というスタンスで過ごしてください。
逆に、『何が起こっているのか知っていたら教えてほしい』と聞き返すのも、話を逸らす手段として有効です」
穏やかな口調とは裏腹に、「余計な言動で俺の邪魔をするな」という強い圧が伝わってくる。
眞光によると、高速道路で大型トレーラーがスリップ事故を起こし、キッチンカーを含む十台規模の玉突き事故が発生したという。
その十台の中には配送トラックや観光バスも含まれており、過失割合の算定が非常に難しい共同不法行為になるらしい。
そうした専門用語を交えた説明を、俺はどこか冷めた感情で聞いていた。
本来なら、会社の記念イベントが台無しにされたことや、損害がどうなるのかと橘のように動揺していてもおかしくない。
だが、それ以上に気になることが多すぎた。
「運転手の方たちや、車に乗っていた皆さんは無事なのでしょうか?」
青い顔で十和一絵が質問する。
「現時点では、死者は美術館に飛び込んだ車両の運転手、それと玉突き事故の中ほどにいた軽自動車の運転手と同乗者の三名です。
ただし、今後増える可能性はあります」
冷淡とも取れる眞光の言葉に、十和一絵は言葉を失う。
眞光は彼女の様子を気にすることもなく、こちらに笑顔を向けた。
「今回の展示会についてですが」
眞光は資料を机の上に置きながら言う。
「フシハラホールディングスが所蔵している美術品を公開する展示会用に、すでに新国立現代美術館で押さえていた別会場があります。
もしよろしければ、そちらを代替会場としてご提供できます。
規模は多少変わりますが、“中止”ではなく、“形を変えて継続”という判断も可能かと」
その言葉に橘は表情を明るくする。
だが、俺は引っかかりを覚えていた。
「そちらの展示会は、問題ないんですか?」
俺の問いに、眞光はにこやかに頷く。
「うちの方は記念的なイベントではありませんので、社内にあるイベントエリアに移すこともできますから」
フシハラホールディングスは旧財閥系の企業だ。
美術館やホールを自社で所有している。
それでも、なぜわざわざ他所で展示会を開こうとしていたのか、引っかかる。
それに、顧問弁護士がイベント会場の変更を指示できるほどの権限を持っているものなのだろうか。
俺の戸惑いをよそに、橘とイベント会社の社員たちの間で、打ち合わせは滞りなく進んでいく。
俺はそれを、どこか現実感のない気分で眺めていた。
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