ペトリコールに融ける二人

白い黒猫

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始まりについて

夢より確かな既視感

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 目を覚ますと、私は自分の部屋のソファーにいた。
 テレビからは、私原作のアニメ作品が流れ続けている。
 ぼんやりとディスプレイを眺めたまま、しばらく呆然としていた。
 やがて、大きく深呼吸をしてから身体を起こし、冷蔵庫に向かう。
 ペットボトルの炭酸水を取り出し、ソファーに戻って蓋を開けた。
 喉を通る冷たい炭酸の刺激に、ようやく思考が浮かび上がってくる。

「……夢、だったの?」

 声に出してみても、返事などあるはずもない。
 一人暮らしの部屋には、私の声だけがふわりと浮かんだ。
 スマホの画面には【07/11 01:14】の数字。
 今日、漫画家さんと初めて顔を合わせる予定だった。
 けれど夢の中で私は、その出会いのあとで……死んだ。
 いくらなんでも突飛すぎる夢だと思う。けれど、やけにリアルだった。

 何か気になって、私はスマホで【アオイネミ】と検索する。
 作品の画像やイラストはたくさん出てくるが、本人の写真は見つからない。
 Xのアカウントがヒットした。

 《#刻越え 今回も神回だった~マイルの叫びに心震えた!
 もう最高! 今夜は興奮で眠れそうもない! よし、原作を今から読み直すぞ!》

 コメントに添えられていたのは、作品の一場面をラフで描いたイラスト。
 さらりと描かれた線からでも、私の作品のキャラクターへの愛情が伝わってくる。
 過去の投稿にも、毎回感想と一緒にイラストが添えられていた。
 夢で会った、あの笑顔を思い出す。
 まるで彼女がこのコメントを語っているかのように、声と表情が浮かぶ。

 私は首を横に振って、自分を戒めた。
 何をしてるんだ、夢で勝手に創り上げた彼女にまで影響されて。
 時刻は二時過ぎていたので。テレビを消して、眠ることにした。

 * * *

 朝、八時前に目を覚ました。
 カーテンを開けると、窓の向こうは、しつこい雨。
 前日の夢が脳裏をかすめるけれど、気を取り直して朝食をとり、出かける支度を始めた。
 夢の中の私は、雨のこともありシンプルなTシャツにパンツという格好だったけれど、
 今日はせっかくファンだと言ってくれている人に会うのだからと、上は少し華やかなブラウスに替え少しだけおめかししてみる。
 この雨だけれど、せめて服装くらいは気持ちを明るくしておきたいし。
 九時少し前、スマホにメッセージが届いた。

 《時雨先生、おはようございます!
 今日は生憎の雨ですね!でも、オリーの極上スイーツを経費で存分に楽しみましょう!
 私は10時半には近くに着いていると思いますので、もし早めに着いたらご連絡ください! 一緒にショッピングでも楽しみましょう!》

 担当編集者の幹元ミキモトハジメさんからだった。

 夢と、まったく同じ文章。絵文字の位置まで一緒。
 背筋に、ひやりとしたものが走る。
 気を紛らわせるようにテレビをつけると、ちょうど天気予報が流れていた。

「今日は断続的に雨が続くでしょう。午後は一時的に晴れ間が見えるところもありますが、傘は手放せません」
 天気予報士にアナウンサーが「今朝の雨、すごかったですよね」と応える。

 そう夢の中でもそんな天気だった。私は、幹元さんが私よりも前にELEVENタワーへと到着したら雨には合わなかったと言っていたのを思い出す。出発予定時間より早めだけど家を出ることにした。
 最寄りの駅に到着したのは10時ちょうど。
 どんよりとした雲はあるものの今は雨は降っていない。
 雨は降っていないとはいえ、モワッとした湿度が立ち込めていて暑苦しく肌がベタついてくる。
 少し蒸し暑くはあったけれど、暴雨に打たれることはなかった。
 私は急ぎ足でELEVENタワーのエントランスへと向かう。

 カーン カーン

 そんな音に振り返る。
 この建物の向かいでは、新しいビルの建設工事が行われていて、空高く組まれた鉄骨と、巨大なクレーンの姿が見える。
 吊り上げられた鉄骨が、ユラ~ユラ~と揺れている。
 その揺れが少しだけ気持ちを不安定にする。

 目を逸らすように私はELEVENタワーの自動ドアをくぐった。
 中に入ると、冷房の涼しい空気が肌に心地よい。
 ふと背後で水音がして、また雨が降り始めたのに気づく。私が夢の中で苦しめられたのと同じような悪意のある土砂降り
 ほんのわずかな差で、雨を逃れられた。

 時間は10時すぎ。
 まずはトイレで、デオドラントシートで汗を拭き、駅までの移動で崩れた化粧を直す。
 それから、このショッピングビルを少しだけ見て回ることにした。
 ELEVENタワーは高級感のあるショップが多く、気軽に買い物するには少し背伸びが必要なので、ウィンドウショッピングだけを楽しむ。

 七階には本屋があると聞いて、私はそちらに向かうことにした。
 どうしても、自分の本がどう並んでいるかが気になってしまう。
 アニメが放映中な事もあり、私の原作小説と漫画版が目立つところで並んで平積みにされていた。
 思わず口元がゆるむ。

 そのとき目の端でこちらに手を振る女性が目に入った。
 幹元さんだ。ショートカットのアクティブな女性で、いつも大きな鞄を抱えている。

「時雨先生! やっぱりここにいらっしゃいましたか」

「こういうところで先生はやめてください、恥ずかしいので……」

「いいじゃないですか! こんなに素敵に展開してるんですから!」

 売り場を見渡して、満足げに微笑み移動する幹元さんに、私は頬が熱くなるのを感じながら後ろに続いた。

「そうそう。アオイ先生の担当編集の時枝さんは電車の遅延で少し遅れるみたいです。
 アオイ先生って、もう来られてるのかな? 私、顔知らないんですよね……」

 エレベーターで待ち合わせの四階ラウンジに向かう。
 そこに見覚えのある姿が、そこに立っていた。
 夢の中と同じ、あのワンピース。同じ顔。
 向こうもこちらを見て、目を見開いていた。初めて会った人に対する顔ではない。

「アオイさん!」

「時雨先生!」

 ほとんど同時に名前を呼び合ってしまい、幹元さんが驚いたようにこちらを見る。

「えっ、もしかして、お知り合いだったんですか?」

「いえ、ただ……」

「……夢の中でお会いしたままの時雨先生だったので、びっくりしちゃいました」

 私の言葉に、彼女がそう続ける。

「なになに? 二人はもう意気投合って感じ?」

 幹元さんが、まるで運命のような出会いを目の当たりにしたかのように、明るく笑った。
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