群青サルベージ

湖ノ上茶屋

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 私の席は、廊下側の一番前だった。
 隣の席の人は、光さんとは対照的な、大人しい印象の男の子だった。近しいものを感じずにはいられない。会釈しかできないあたりも、なんだか私にそっくりだ。
「それでは、体育館に移動します」
 先生が言うと、みんなは気だるく立ち上がり、廊下へ移動し始めた。
「ら、ランドセル、後ろのロッカー。自分の番号のところに」
 隣の席の子がぼそりと言った。
「あ、ありがとう。教えてくれて」
「う、うん」
 男の子が廊下に出た。私はみんなに置いていかれないように、急いでランドセルをしまおうとして、気づいた。
 ――私の番号って、何番?
「あ、いっけない! 海さんは、三二番。あ、そこそこ! そこを使って」
 先生が、廊下から首だけにゅいっと教室にいれながら言った。
 私は頷いて、三二番のロッカーにランドセルを入れた。

 体育館へ行くと、たくさんの児童が集まっていた。
 なんだろう? と少し考えてしまったけれど、その理由はすぐに分かった。
 学期のはじめといえば、始業式だ。
 あちこちから、休みの間に起きた出来事を話す声や、好きな有名人の話で盛り上がる声が聞こえてくる。
 同じ国に居続けたなら、どこへ行ってもこの様子は変わらないのかもしれない、と思う。
 キョロキョロとあたりを見ていると、後ろからつんつんと肩をつつかれた。振り返ると、美咲さんがいた。
 いつから居たんだろう。廊下に出たときは、もっと前のほうに居た気がするんだけれど。
「……? ああ、わたしね、この後児童代表挨拶するの。だから、打ち合わせ……なんて大人みたいなことはしてないけど、ちょっと先生と話してきてさ。あとあと、真ん中のほうにいると移動するのが大変だから。そんなわけで、後ろ」
 私が質問する前に、知りたかったことを山ほど教えてくれた。
「それで、さ。わたし、ちょっと気になってることがあってさ」
「な、なに?」
「さっきの、迷惑だった?」
「め、迷惑?」
「普通に質問タイムでもよかったのかな? って思って。わたし、自分の経験を思い出して、ついつい口を出しちゃったけど、人ってみんなそれぞれ違うじゃない? だから、海さんもわたしと同じように考えたり感じたりするわけじゃないのに、同じように思うだろうって決めつけちゃったかな、って」
 代表挨拶をするのだから、きっと緊張していると思う。けれど、今目の前にある顔は、これからの緊張よりもこれまでの不安でいっぱいに見える。自分のことよりも、他人のことを考えて、心を震わせている気配を感じる。
「ううん。迷惑じゃなかった。私、ホッとした。ああ言ってくれて」
「そう? それならよかった。わたしもホッとした」
「あ、あの」
「なに?」
「挨拶、頑張って」
「うん。頑張る!」
 式が始まると、体育館に広がっていたおしゃべりの声はパタッと止んだ。耳をすませばどこかから小さな話し声とこらえきれなかったらしい笑い声が聞こえてきたりもするけれど、そうすると先生の鋭いまなざしが飛んで、声が負けて、スピーカーからの音しか聞こえなくなる。
 体育館の中は無言の圧力によって管理され、式は滞りなく進んでいく。
『続いては、校長挨拶です』
 司会の先生が言うと、とん、とんと、校長先生らしい人が壇上に上がり始めた。その様を見ながら私は思わず、
「あっ!」とこぼした。
 前にいる、まだ名前を知らない女の子が振り返る。
「どうかした?」
「う、ううん。なんでもない。ごめんなさい」
「う、うん」
 女の子が前を向いた。私もしっかり、壇上を見る。
 あの人、玄関で声をかけてきた、ふんわり笑うおじさんだ!
 あのおじさん、校長先生だったんだ!
「皆さん、おはようございます!」
「「おはよーございます」」
「今年も皆さんの元気な挨拶を聴くことができて、とても嬉しいです。ほとんど毎回かな。私が挨拶をするときに、必ずお話しすることがあります。それは、私が小さかった頃、校長先生の話が大嫌いだったということです」
 体育館に、押し殺した笑い声が広がった。児童だけじゃない。先生たちもくすくすと笑っている。その笑いは、〝また始まった〟と、面白いと知っていることを飽きずに楽しんでいるかのようだった。
「自分が嫌だと思ったことを、人にしたいとは思いません。というわけで、校長先生はすぐに話を終わらせたいと思います。長くは話しませんから、先生が話している間はきちっとお話を聞いてもらえると嬉しいです。それでは――」
 校長先生の話は、本当にすぐに終わった。カップラーメンを作ったり、冷凍ご飯を温めたりするときの待ち時間よりも短かったように思う。
『続きまして、児童代表挨拶です。児童代表、六年二組、喜屋武美咲』
 ハッとして振り返る。そこに美咲さんはいない。いつの間に移動したんだろう。
 視線を前に戻す。しゃんと背筋を伸ばして壇上を目指す美咲さんがいる。
 体育館の中に、校長先生の時とは明らかに違う、嗤い声が湧く。
 私には、その理由がさっぱり分からない。
 美咲さんがマイクに向かって話し始めた。先生の話の時と比べると、明らかに雑談が多い。無言の圧力が放たれる。自分は注意されるようなことを何もしていないという自信があるけれど、圧力を、流れ弾を感じずにはいられない。
 体をぎゅっと小さくする。
 美咲さんの言葉をちゃんと聞きたいのに、こわばった鼓膜は震えない。

 ようやく、休憩時間がやってきた。
 私は次の時間に何をするのか分からないまま、何が起きてもいいようにできることをしておこうと、ランドセルに手を伸ばした。といっても、ペンケースを取り出すくらいしか、することなんてないのだけれど。
「ランドセル、青なんだね」
 誰がこの声を発するのか、私はもう覚えている。
「う、うん」
「お兄ちゃんいるの?」
「え?」
「ああ、いや。おさがりとかなのかな、って思って。……って、ごめん。また決めつけちゃったね。別に、青でもいいよね」
「え、えっと……」
「わたしのやつは、赤。女の子は赤って言われて、赤」
 そういう美咲さんの表情は、なんだかとっても悲しそうだった。
「もともと、赤だった……」
「もともと? このランドセル、ふたつ目なの?」
 こくん、と頷く。美咲さんはいま、どんな顔をしているんだろう。きっと、不思議なものを見ているときにするような顔なんだろうな。
「へぇ……。いいなぁ」
「い、いい?」
「うん。だって、ランドセルなんて六年しか背負えないじゃん? それに高いからって、一度買ったらそうそう買い替えてくれない。初めに買ったのが、自分が好きなものじゃなくっても。だから、ふたつ目ってなんかいいなって、わたしは思うよ。六年のうちに好みが変わらないはずもないし」
 言われて確かに、と思う。
「それで、海さん……海って呼んでもいい?」
「え? あ、ああ、うん」
「じゃあ、わたしのことは美咲って呼んでね」
「み――」
 美空さん、と言えない私は、美咲、も言えない。
「ねぇ。海もさ、転勤族なの?」
「て、転勤族?」
「わたし、お父さんの仕事の都合で、同じところに長い間住めないの。ううん。同じところに住んじゃいけないわけじゃないんだけど、お母さんが『家族は全員一緒がいい!』っていうから、転勤が決まるたびに引っ越してるんだ」
「へ、へぇ」
「海も、転勤ついてきたの?」
 自分のクラスに転校生が来たことは、何度もある。けれど、何度誰かがやってきても、私は興味を持てなかった。その人と友だちになることはないからだ。ろくに遊べやしないだろうし、家のことを知られたくない。友だちを作らないのは、自分を守るための手段でもあった。
 だからだろうか。転校生がどうして転校してきたのかなんて知らなかった。引越ししてきたんだな、くらいにしか思っていなかった。そうか。親の仕事の都合で引越しをすることもあるのか。
 私も、そういうことにしておいた方がいいのだろうか。いや、きっとその方がいい。
 本当のことは、誰にも言っちゃいけない。
「そ、そう」
 この嘘は、完全な嘘ではないはずだ。
 だって、お母さんはあの男に仕えるのを辞めたんだもの。それで、逃げて、今は――お母さんが嘘をついていなければ、仕事を探しているはずだもの。
 それはほとんど、転勤みたいなものだ。
「ふーん」
 美咲の顔を見る。結果を想像できない実験をしながら、実験器具を見る時みたいな目。
 今は私に興味を持ってくれているようだけれど、きっとすぐにそんな興味は散るだろう。
 そうして私は今までと何ら変わらず、これからも教室の空気になるのだろう。
 

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