新田二五は何もしたくない

綿貫早記

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三章

episode 12 ごめん……風子

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 *
 祥太郎が入ったあと、開いたままの襖の向こう――祖父の久遠の部屋の中に、風真は、凛子と祥太郎の妹・琴子の姿を見てしまった。
 彼女の怯えた目、震える肩、そして祥太郎の怒りと悲しみが入り混じった表情。
 その瞬間、風真は悟った。
――自分の祖父が、琴子に何をしたのかを。

 甚平姿のまま、風真は久遠家の裏口から飛び出した。
 無我夢中で走った。
 祖父に、あんな醜い一面があったなんて――
 父の一郎よりも、もっと酷い。まるで化け物だ。
 心の中がぐちゃぐちゃにかき乱され、気づけば風真はいつもの洞窟にたどり着いていた。

 夕方のこの時間、凛子がいるはずもない。
 それでも、風真の足は自然とこの場所を選んでいた。
 凛子の声が聞きたかった。
 ただ、誰かに――凛子に、すがりたかった。

 洞窟の入口に腰を下ろし、風真は膝を抱えてうずくまった。
 悔しさがこみ上げ、涙が頬を伝う。

「クソ……クソッ……!」

 凛子が会いたがっていた琴子を、あんなふうに傷つけるなんて……!
 風真は地面を何度も叩いた。

 そのとき、背後からそっと声がした。

「……風真くん? どうしたの? 今夜は夏祭りだって言ってたじゃない」

 驚いて顔を上げると、そこには凛子が立っていた。

「私……夏祭り行けないのはわかってる。でも……ここに来たら、風真君や祥太郎と、一緒に夏祭りに行っている気がするかなって……」

 風真は、言葉を失った。
 まるで、凛子の心が自分の痛みを感じ取ったかのようで――

「……凛子ちゃん……ごめん、ごめん……」

 風真の涙に、凛子は目を見開いた。
 ためらうように一歩踏み出し、そっと訊いてみた。
 
「……何があったの?」

 風真は、久遠家で祖父が琴子にしたことを凛子に話してしまった。

 話を聞いた凛子は、その場で泣き崩れた。風真は、話したことをすぐに後悔し、何度も謝った。

 しばらくの間、凛子は顔を伏せたまま鼻をすすり、手の甲で涙を拭った。やがて、ゆっくりと顔を上げ、風真をまっすぐに見つめて言った。

「双山村の村長……いえ、久遠宗一郎の“大事な人”って、誰?」

 風真は視線を落としたまま、答えをためらった。

「……あいつの大事な人を、双山村から消してやりたい」

 その言葉に、風真は顔を上げ、ぽつりと答えた。

「……風子」

 風子は風真の妹だ。可愛いとは思っている。けれど、祖父の風子への甘やかし方は異常だった。子どもの頃から、風子の失敗はすべて風真のせいにされた。テストの点が風真の方が点数が良くても、祖父が褒めるのはいつも風子だった。祖父の目には、風子しか映っていなかった。

 その理由を、風真は知っている。
 自分の顔が、父の一郎にそっくりだからだ。

 成長するにつれ、祖父の態度はますます冷たくなった。
 小学校の頃、風真は勇気を出して祖父に尋ねたことがある。

「お爺ちゃんは、僕のことが嫌いなの?」

祖父は、ためらいもせずに言った。

「お前の父親、一郎にそっくりな顔をしてる。食事の仕方も、歩き方も、後ろ姿も……全部だ。お前もどうせ、ろくな大人にならん。俺に嫌われたことを恨むなら、お前の父親を恨め」

 あの言葉は、今でも胸に刺さっている。
 風子の顔は母に似ているから、祖父に好かれている――たったそれだけの理由で。同じ孫なのに。
 何も知らずに笑っている風子の姿が、時に憎らしく思えてしまうことがあった。

「ろくな大人にならん」なんて言った祖父の方こそ、ろくでもない大人だった。だから、風真は凛子に「風子」と答えてしまったのだ。

 凛子は拳を握りしめ、双山村の方をじっと睨みつけた。

「風子を……この村から追い出してやる」

 **
 二週間後――
 夜の八時過ぎ。外はすっかり暗くなっていた。 
 風真は風子を連れて、双山村の端にある双双山へ向かう橋まで歩いていた。
 この時間になれば、輝水天上天下の幹部や信者たちが出歩かないことを、風真は知っている。

 風子は怖がって、風真の腕にしがみついていた。

「ねぇお兄ちゃん、本当に祥太郎さんと橋の前で待ち合わせしてるの?」
「うん。祥太郎から面白い話をきいてさ。風子も楽しそうだから、一緒に連れて行っていいかって訊いたら、いいよって言ってくれたんだ」

 そう言いながら、風真は腕にしがみつく風子の顔をちらりと見た。怖がっているようでいて、その頬はほんのり赤く染まり、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 橋の近くまで来ると、懐中電灯の光がチラチラと揺れているのが見えてきた。

「おーい!そこにいるの、祥太郎か?」

 懐中電灯の光が風真と風子の方を照らし、二人は思わず目を細め、眉をひそめた。

「やっと来たな、風真。それに風子ちゃんも一緒に来たんだね」

 風子は風真の腕を離し、お辞儀をして「こんばんは」と、頬を赤らめながら小さな声で言った。

「それで祥太郎、この前言ってた例のやつ、持ってきたのか?」
「ああ」

 祥太郎はそう答えると、自転車のカゴに入れていたカバンの中を探り、縦長の長方形の紙を一枚取り出した。
 風子は不思議そうに紙を見つめ、首をかしげる。

「それ、なに?」

 祥太郎は少し間を置いてから、静かに答えた。

「……おふだ」

「おふだ」と聞いた風子は、ゾクリと背筋が冷え、再び風真の腕にしがみついた。
 風真が「見せて」と祥太郎に言うと、祥太郎はおふだを手渡した。

「な、なんのおふだなの!?」

 祥太郎は静かに語り始めた。

「実はさ、俺たちが住んでる女将の家に、絶対に開けちゃダメって言われてる部屋があるんだ。子どもの頃から一度も入ったことがなかったんだけど、この前、自分の部屋を掃除してたら物が入りきらなくなってさ。女将の家には他に使える部屋もないし、内緒でその部屋に入ってみたんだ」

 風子は息をのむ。祥太郎は話を続けた。

「女将にバレなきゃいいかって思って、ちょっとだけ物を置かせてもらったんだよ。で、部屋を出ようとしたとき、肩に何かが当たって、ノートが床に落ちたんだ。落ちた拍子でノートが開いて、そのページにこのおふだが挟まっててさ。そこには、こう書いてあったんだ――『アレに見つかれば連れていかれる。だが、このおふだを持つ者には決してアレは近づかない』」

 風子は顔をこわばらせて、声を震わせながら訊いた。

「……その“アレ”って、なに?」
 
 風真が口を開いた。

「この村に伝わる伝説、知ってるだろう?双双山と双山村にまつわる話さ。昔、双子の母親が身投げしたっていう橋が、まさにこの橋なんだ。そして“アレ”ってのは、その母親のこと。もし見つかったら……この橋に引き込まれるって言われてる」
 
 風子の顔がみるみる青ざめていく。

「それを知ってて、なんでお兄ちゃんは私をこんな橋に連れてきたのよ!」

 すると、祥太郎と風真は顔を見合わせて、ふっと笑った。

「な、なにが面白いのよ!」

 ムッとした風子に、風真がすかさず言った。

「そんな話、僕たちは信じてないからさ」

 祥太郎も頷いた。

「え?……どういうこと?私まで連れてきて、いったい何がしたかったの?」

 二人はニコッと笑って、声をそろえた。

「肝試しだよ」

 風子は目を見開いた。

「肝試し!?」
「やっぱりさ、肝試しって女の子がいないと盛り上がらないじゃん?」

 祥太郎が笑いながら言うと、風子は少し不満げに口をとがらせた。

「じゃあ、私じゃなくても……琴子でもよかったんじゃない」
「本当は琴子も誘うつもりだったんだけど、旅館の手伝いで女将に連れていかれちゃってさ。だから、今日は来られなかったんだ」

 風子は納得がいかないのか、下を向いたまま顔を上げようとしない。
 そんな風子を見て、祥太郎は風真に目で合図を送った。

「でもさ、俺は風子ちゃんが来てくれて嬉しいよ」

 祥太郎は優しく言った。

「風真と肝試しするより、風子ちゃんと一緒に歩く方が、なんか守ってあげたくなるっていうか……ね?」

 風子の頬が一気に赤く染まった。

 (もしかして……祥太郎さん、私のこと……ってことは、両想い!?)

 そのとき、風真が風子の背中をポンと軽く叩いた。バランスを崩した風子は、ふらりと祥太郎の隣に立ってしまった。

「じゃあ、僕はここで待ってるよ。二人で行ってきなよ」
「えっ、二人で!?」

 風子が慌てて風真の方へ戻ろうとした瞬間、祥太郎が風子の手をぎゅっと握った。

「じゃあ、そうさせてもらう。行こう、風子ちゃん」

 風子が“強引に引っ張ってくれる男の人が好き”だということを、風真は知っていた。だからこそ、あらかじめ祥太郎に伝えておいたのだ。あとは、祥太郎がうまくやってくれることを願うばかりだった。

 (ごめん……風子)
 
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