千鳥の飼い猫(アルポリ版)

結城 鈴

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 そういえば、と内海が切り出す。何事かと思えば、髪、伸びましたね、と首筋を撫でられた。
「床屋、面倒でね。みっともないだろう?」
猫毛の黒髪は、襟足が肩にかかる。前髪も邪魔な長さになっていた。
「街まで行くなら切ろうかな?」
清潔感のある内海を見ていると恥ずかしくて、そんなことが口をつく。しかし内海は、この長さも素敵ですよ、と言った。

 免許取りたてだ、というわりに、内海の運転は危なげなかった。内海の家からここまでは距離があるし、山道も越えてきたわけだ。それなりに経験を積んだのだろう。千鳥の隣に貼られた初心者マークの初々しさが眩しくて、可愛らしくて、口角が上がる。
「木下さん、どうですか?俺の車、カッコいいでしょう?」
「うん。スバルの車は、私も好きだよ。実はね、私のもスバルだよ。インプレッサに乗ってる。年代物だけど、雪に強いからね。今年は内海さんがいるから心強いなぁ。」
「雪道はまだ怖いですよ。」
「はは。大丈夫。ここいらはそんなに大変じゃないから。
街に降りたら雪なんてないしね。」
笑うと、内海はほっとしたように吐息して、それならよかった、と目を細めた。
あぁ。こんな風に、柔らかく笑うような人じゃなかったな。
不意に、『彼』が脳裏をかすめる。
だめだろ。失礼だろ。
今は内海と話しているのに。
こんなに楽しくて嬉しいのに、なんで・・・。
「木下さん?」
内海が首をかしげている。
「・・・そうだ。あれ、見てくれましたよね?俺の投稿。」
「・・・見たよ。どういう気持ちで書いたの?」
思わず、目を伏せて、視線を足元にすがらせてしまう。

『昨夜のことが忘れられない。』

あんなの・・・。
私の思い違いでなかったら、まるで恋でもしているようじゃないか。
「木下さん。・・・咲夜さんって呼びたいです。」
「っ・・・。」
顔を上げると、真剣な眼差しとかち合った。
だから・・・それはどういう気持ちなの・・・。
「だめですか?俺のことも、景吾って呼んでほしいです。
しばらく間借りするのに、よそよそしいの淋しいし。」
淋しい?
そうか、と腑に落ちて、そうか、淋しいのか、と反芻した。
「うん。いいよ。名前で呼び合おう。
ほかに何か決めておくことはある?」
「とくには。
あ、ここで仕事もしたいのですが、内容は咲夜さんにも教えられなくて。なるべく邪魔にならないようにするので、居間でやっててもいいですか?」
なるほど。
「それはこちらも。書きかけの小説を見せられないのは、私も同じだからね。じゃぁ、仕事の時間を決めようか。」
「俺は、朝ごはん食べたら、軽くジョギングして、十時ごろから、お昼挟んで三時くらいまで・・・。あとは、買い出しとか、たまには夕飯作ったりしますよ。まともなものは、あんまり作れませんけど。」
「じゃぁ、私もその時間は仕事することにするよ。昼食は当番制でいいかい?」
「もちろん。食べにいけるところとかはないんですか?」
「ちょっと奥まったところに蕎麦屋があるきりかな。
美味しいから、たまにはそこもいいね。」
楽しくなってきたが懸念事項もある。景吾はジョギングに行くと言っていたから、ある程度町の人に顔見せに行っておいた方がいいかもしれない。
不審人物として通報される前に・・・。

 向こう三軒両隣。距離はそれぞれ離れているが、お向かいさんや、隣の家の人には改めて挨拶に行くこととした。こういう時は、菓子折り必須である。それから、町役場。
引っ越してきたわけではないから、住民票はそのままだが、事情を話しておかないと、トラブルになりかねない。
さて、彼のことを何と説明したものか。
体格も違いすぎるし、顔が似ているわけでもないから、親戚とするには無理があるし。
「無難に・・・仕事上の知人・・・とか?」
窺うと、明らかに不満そうである。
じゃぁどう言ったらいいの。
まだ二回しか会ったことのない友人?
それもおかしい。
町の人の不信感をあおると、自分の立場も悪くなる。
それは避けたい。
唸っていると、景吾も口をへの字に曲げていた。
表情が豊かだな。
不機嫌なのがすぐわかる。
でも、一緒に暮らすなら、それはナシだ。
「内海さん。」
「・・・景吾です。」
「景吾。言いたいことは、言葉にしてほしい。
私たち、まだ出会って間もないんだから。
察するのは難しいんだよ?」
まじめな顔で言ってやると、景吾は深々とため息した。
「・・・わかりました。
じゃぁ、仕事上の知人でいいです。」
不服そうだなぁ。
「私と、どうなりたいの・・・。」
「初めに言いましたよ。」
言ってただろうか?
ピンとくる文言が思い浮かばずに、天井を見上げていると、景吾の不機嫌はますます悪化していった。
「・・・とりあえず、挨拶に行くんだから、愛想よくしてね・・・。」

 食料品を買いに行くついでに、街の和菓子屋に寄り、菓子折を六つ。一つは自宅用で、ついでに名物のどら焼きを買った。
景吾も、甘いものは好きなようである。

 助手席に乗せるのは、咲夜さんが初めてですよ、と言いおいて、ステアリングを握る景吾は、機嫌が直ったようである。不慣れな道だろうからと、ナビを引き受けたが、案外順調に目的についた。
「お茶を切らしてるから、スーパーで買おう。夕ご飯は何にしようか。二、三日分いつも買いだめるけど・・・冷蔵庫に入るかなぁ。」
冷凍食品用の、大型のストッカーもあるが、今のところ使わずにすんでいたため、手入れをしていない。
「この辺は、やっぱり魚より肉なんですか?」
「あぁ・・・魚は干物とかが多いかな。でもちゃんと生の魚も流通してるよ。魚が食べたいなら、寿司折でも買って帰ろうか。」
「あぁ。いいですね。俺、アナゴ好きです。」
「私は煮エビ。」
ふふっと笑いあって、寿司のコーナーに向かう。
「好きなものとか、苦手なものとか、少しずつ話していけたら楽しいだろうな。」
景吾がそんな風に言うので、それはまるでお見合いでもして、結婚を前提のお付き合いを始めたばかりの様で。
顔が熱くなる。
「景吾はその・・・。女性に興味はないの?」
こんな風に買い物に来たり、買ったばかりの車に乗せるのが、自分だったり・・・。
それでいいの?
「男同士のほうが楽で・・・いけませんか?
気持ち悪いですか?」
気持ち悪いかと問われると、そんなことはない。
むしろ、気持ち悪いのは自分の方だ。
最初に会った日の夜、自分は何をしたのか。
口が裂けても言えない。
「・・・悪くないよ。私は女性が少し苦手だから。」
どう伝えたらいいかわからなくて、言わなくていいことを言った。

 高校の、保健と生物の授業で学んだ、女性の体の構造と役割が、自分のことではないのにもかかわらず、生理的に受け入れられなかった。子供を成すにあたって、女性に強いる、身体的、精神的負担を、自分の精がもたらすのだと認識した時、果たして自分はその責任を負えるのか、幼いながらに悩んだものだ。特に映像で見せられた出産シーンなどは、今も時々魘されるほど凄惨なもので。本来その生命の神秘や、女性に対する尊敬の念やらを感じなければいけなかったに違いないその時、自分は吐き気をもよおしていた。

結果、今に至るわけだ。
言い訳だと、自分でもわかっている。
女性への嫌悪とは別の、単なる自堕落の結果である。
流されるまま、たどり着いてここにいる。
多分、今度もまた。
景吾の思惑はわからないが、新しいおもちゃでも手に入れたくらいのつもりだろう。
胸が少し痛むのは、もしかしたら健気に会いに来た景吾のことが、少なからず気になっているからかもしれない。

困ったな。

恋はよくわからない。
愛はもっとわからない。

あんなにたくさんの恋愛小説を書いているのに。
しかも、登場人物は男と女で、必ずハッピーエンド。
どこをどうしたら、あんな物語が書けるのか。

『この物語はフィクションです。』
頭に浮かんだセンテンスに、自嘲が漏れた。

 その夜は、寿司をつまみに、日本酒を開けて、遅くまでいろいろ話した。仕事のことに触れずに、男同士が話をするのは難しかったが、学生のころに何を学んだかなどは、お互い興味深かった。
自分は、文学部で、司書の資格は持っていたが、景吾は学芸員の資格を持っているとか。資格だけで、実際に博物館に勤めたことはないそうだが、実習でパンフレットや、フライヤーを作ったりしたらしい。実に面白そうである。自分はと言えば、年に数回、町の公民館の一角にある図書室の蔵書整理を頼まれている。

「咲夜さん。そろそろ寝ましょうか。」
日付が変わるころ、景吾が酒器を片付け始める。古い食器棚に並んだ皿を眺めながら、ふと手を止めた。
「咲夜さん、これは蓋椀(がいわん)ですか?」
「あぁ。両親が旅行に行ったお土産でね。」
白磁に金の竜が描かれた、蓋のついた茶器である。
「よく見ると、どれも五つずつそろえてある。五人家族だったんですか?」
「うん。今は四人。妹がいるよ。東京で社会人してる。まぁ、だからあとは来客用かな。」
景吾はしばらく食器棚を見ていたが、やがて、いいことを思いついたと言わんばかりの顔をして振り向いた。
「咲夜さん。俺とあなたの専用の食器が欲しいです。」
面食らって、箸を取り落としそうになる。
「・・・なんでもいいかい?」
来客用、と言ったことが気に入らなかったのだろう。自分はもうこの家に住まうのだと、そう言いたいのかもしれない。
「寒くなるから、マグカップがいいです。ペアで!」
「ペアで!?」
力強く言われて、思わずオウム返ししてしまう。
「いや・・・あのねぇ。そういうのは、いつか彼女ができた時にでもやりなさいよ。こんなおじさんとマグカップそろえてもしょうがないでしょうに。」
「咲夜さんはおじさんじゃないです。肌だって、艶々じゃないですか。俺とペアは嫌ですか?」
艶々って・・・。あまり外に出ないから、紫外線の影響を受けにくいだけなんだけどな。
「・・・嫌じゃないけど。それ、あとで黒歴史になっても、私は責任取れないよ?」
「なんですかそれ。明日早速買いに行きましょう。」
「うーん。・・・あぁ君の好きそうなアンティークショップが街にあるよ。そこなんかどうだろう。」
古いものが好きだと言っていたから、気に入るものがあるかもしれない。
「いいですね!じゃぁ、今日はもう寝ましょう。早く寝ましょう。」
手早く片づけを始めた景吾に、苦笑する。
「君ね、明日は朝から君の挨拶回りがあるんだよ。
それを終えないと、不審者扱いで、村八分だからね。」
「あーそれ、習いました。悪習ですよね。この辺にはまだ?」
「冗談だよ。」
呆れて告げると、ですよね、と景吾は笑って、濡れた手をタオルで拭った。
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