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アンが広いリビングを探検し終え、寝床と決めたのかソファーに乗る。孝利は、それを咎めるでもなく向かいのソファーに座ると、のんびりとコーヒーを飲み始めた。テーブルにはコーヒーがもう一つ。どうやら、自分にも淹れてくれたらしい。が、ブラックで飲めない。困っていると、孝利が首を傾げた。
「どうしたの?座って。君の分だよ。」
「・・・あの、もしあったらミルク、もらえますか?」
「アンの?」
「・・・僕に。」
泣きそうになりながら言うと、なんだブラック飲めないの、と孝利が笑った。
「すみません。」
「いいよ。冷蔵庫にある。取っておいで。」
勝手にいいのだろうかと思いつつ、キッチンの冷蔵庫に向かう。冷蔵庫の中は整然と片付いていた。というか、食材があまり入っていない。牛乳を見ると、五百ミリのパックがあり、未開封だったが消費期限が過ぎていた。
「あの、孝利さん。牛乳、消費期限が・・・。」
「あぁ。切らしちゃったか。たまに料理に使うから買うんだけど、牛乳は捨てることが多いね。」
もったいない。未開封だし、味見だけでもしてみようか。そう思っていると、孝利がやってきた。
「コーヒーのはこっち。」
と、ポーションタイプのクリームを渡される。
「牛乳はもったいないけど、あとで処分しておいて。」
「はい。」
冷蔵庫のドアを開いたスペースに、男が二人。
近い!近い!近い!
焦って、その場から飛びのいた。孝利が不思議そうにしている。
「あ、いや・・・えっと・・・。」
近くで見なくても、整った顔立ち。上から見下ろされるくらいの身長差。低い声。均整の取れた体つき。女性なら、放っておかないだろう。
「あ、あのっ。孝利さん、か、彼女とか・・・は?」
「できたよ?」
「え?」
できた?
「ほらそこに。」
とアンを指される。
「そうじゃなくて、人間の。」
「いたら、君に住み込みは頼まないな。」
驚いた。もしかして、特定の彼女を作らないタイプなのかな。
それとも、余程仕事が忙しいとか。
「今夜も仕事ですか?」
「いや。誕生日くらい休みにしたよ。」
「は?」
孝利はニコニコと笑っている。
「え?誕生日なんですか?」
「そう。君と、アンは、日ごろ頑張っている自分への誕生日プレゼントなんだ。」
「そうならそうと・・・言ってくださいよ。」
「だって、恥ずかしいだろう?わんわんにゃんにゃんの日に自分で自分に猫を飼うなんて。」
?
「あ、十一月二十二日。」
1122で、わんわんにゃんにゃんの日か!
言われて、あらためて今日は何日なのかを知る。世間的にはいい夫婦の日だが、ペット関係者にとっては、犬猫の日だ。
「いつか、飼ってみたいと思っていたんだ。君にはいいきっかけをもらった。ありがとう。」
「いえ。あの・・・お誕生日、おめでとうございます。」
「うん。」
孝利は、そう応えると、満足そうに微笑んだ。
「今年は最高の誕生日だ。」
タマとアンが来てくれたからね、と。
「夕ご飯、どうしましょうか。冷蔵庫、食材が・・・。そと雪だし・・・。誕生日なのに。」
「誕生日はまぁ・・・仕方ないとして。備蓄してある食材があるから、それで済ませよう。パントリーにパスタと、パスタソースの缶詰があるから。開けて温めるくらいできるでしょう?」
「缶開けるのは慣れてます。」
猫缶で。
「パントリーって?」
おいで、こっちだよ。と手を引かれた。大きな手のひらに、簡単につかまれてしまう手首。
自分だって、そんなに小さい方じゃないけど。でも、孝利のようながっしり体型でもない。少し、情けない気分になって俯いた。
「ここ。ここに、保存のきく食料や、洗剤の予備なんかが置いてあるから、あとで確認しておいて。キッチンはどこを開けてもいいから、物の場所を把握しておいてくれると助かるよ。」
パントリーは、三畳分ほどの空間で、壁面に棚があり、様々なものが買い置きしてあった。パスタソースも何種類かある。
「ソース、何がいいですか?」
「カルボナーラかな。」
「了解です。」
あちこち開けさせてもらい、パスタ用の鍋を見つける。お湯を沸かしながら、パスタを量る。
「パスタ、何グラムくらいいけます?」
「二百五十グラム。」
「・・・結構いきますね。」
「二人分だよ?」
「ですよね!」
あぁびっくりした。何かの大食いメニューかと思った。
缶のソースは、二人前から三人前とあって、どうやら一つで足りそうだった。
「あ、そうだ。タマ。ご飯食べ終わったら、あちこち探検していいけど、奥の左手は仕事部屋にしてるから入らないで。掃除も特にしなくていいから。」
「了解です。」
パスタのお湯が沸く。さすがに、スパゲッティーを茹でるくらいは自分でもできた。カルボナーラの缶を、フライパンにあける。弱火で温めながら、パスタが茹で上がるのを待った。
アンはと言えば、すっかりソファーで落ち着いている。もともと大人しい品種だが、こうも堂々とされると、なんだか自分が恥ずかしい。
男相手に、ドキドキしたりして。
とは、さっきの冷蔵庫の話だ。近過ぎる距離に動揺したのは、孝利がちょっといい香りだったから。車の中でも思ったが、孝利はすっきりとした甘い香りの何かを使っているらしかった。洗剤なのか、香水なのか。品のいい香りで、自分はそれを好きだと思ったのだ。
好き?
まぁ。嫌いよりはいいだろう。これから半年、ここに住むのだから。仲良くしたい。
『猫好きに悪い人はいない。』
父の言葉がよみがえる。『タマ』と猫扱いだったとしても、最初の傍若無人なイメージはかなり払拭されていた。むしろ、好意的な目で見ている。雪の中、冷蔵庫の食材を切らしたからと言って、デリバリーを頼むようなタイプだったら、ちょっとお付き合いを考えたかもしれない。孝利は少なくともそういう人種ではなかった。
「パスタ、ダイニングテーブルでいいですか。」
「うん。」
孝利は、そう言うと立ち上がって冷蔵庫を開けた。白ワインを取り出す。
「君と乾杯できそうかな?」
飲める?と聞いているのだ。
「乾杯くらいなら。」
ワインはあまり飲んだことがない。でも、口をつけて舐めるくらいはできるだろう。
「なら開けよう。お祝いだからね。」
「誕生日の?」
「アンと君をお迎えした。」
「あ。ありがとうございます。」
孝利は微笑むと、キッチンボードからワイングラスを取り出し、テーブルに置くと、ワインを開けた。そこに、パスタを運ぶ。孝利がワインを注ぐ。座るのを待って、向かいに座った。
「これからの生活に、乾杯。」
孝利が、ワイングラスを軽く持ち上げる。真似をして、乾杯と口にした。きりりと切れ味のいい白ワインだ。飲みやすい。
「美味しいですね。」
「うん。気に入ってるんだ。」
言いながら、パスタを一口する。
「うん。こっちも美味しい。」
缶を開けて、あえただけだけど。でも、褒められると嬉しい。
「ありがとうございます。」
「あとで、売ってるお店教えるから、補充しておいて。」
「わかりました。」
そして、誕生日の食事はあっさりと終わった。
食後、生ハムとチーズがあるから、とワインを勧められた。
「開けちゃったら、劣化するからね。飲み切っちゃった方がいいんだよ。二人ならいけるでしょ。」
そう押し切られて、飲み口が軽かったのもあったが、泥酔した。
ふと目を覚ますと、ソファーに横たえられ、ペットボトルの水を差し出されていた。
「ごめん、タマ。飲ませすぎちゃったね。気分はどう?」
「眠いです。」
水を受け取り、ゴクゴク喉を鳴らして飲んだ。
「美味しい。」
「寝室、案内するけど、動ける?」
軽く目が回っているが・・・。
「大丈夫です。」
「ごめんね。アンがここで寝たいみたいだから。」
「あ、すみません。」
アンか・・・。
のろ、と起き上がる。クラクラする。
「大丈夫?寝室こっち。」
危なっかしいと思われたのか、手を引かれて部屋へと向かう。
「ここが君の部屋だよ。」
広めの部屋に、ダブルのベッド。ふわふわの羽毛布団がかかっていた。
「寒かったら言って。毛布の準備もあるから。」
「ありがとうございますぅー。多分大丈夫です。ごめんなさい。眠くて・・・。」
「うん。おやすみ。仕事の話はまた明日しようか。」
じゃぁ、と孝利が去っていく。
「おやすみなさーい・・・。」
何とか挨拶を済ませ、そしてそのまま眠りに落ちた。
翌朝。寝起きはわりと普通で、恐れていた二日酔いにはならなかった。
っていうか、今何時!?
がばッと跳ね起きて、部屋に運び入れてもらったのだろう、自分のバッグをあさる。スマホを取り出すと、二十三日土曜の九時だった。
大慌てでリビングに出る。しかし、孝利はまだ起きてきていないようだった。アンが、おなかすいたとばかりに額を脛にぶつけてくる。とりあえず、と、アンの器にカリカリを入れてやり、水を交換すると、アンは一心不乱に食べ始めた。
孝利はまだ起きてこない。仕方なく、キッチンのあちこちを探検することにした。
まずは冷蔵庫。上から開けていくが、パン食なのか、バターとジャムが数種類、あとは飲み物と卵。ハムとベーコン。
野菜庫には玉ねぎとじゃがいもとにんじんと長ネギ。
冷凍庫には、余程好きなのか、冷凍の餃子が数種類。から揚げと、食パンのスライスしたものが半斤入っていた。
よかった。朝ごはんはパンにしよう。目玉焼きでも焼いて。
パントリーには、非常食なのか、パスタやうどん、蕎麦の乾麺。めんつゆや、醤油、みそのストック。様々な缶詰やレトルト食品。フリーズドライのスープ。コーヒーにワインセラー。
あちこち開けて、食器や調理器具を見たが、使ったことのないものを含めて、いろいろとりそろっていた。使った形跡はあるので、料理はするらしいことがうかがえた。
とりあえず、玉ねぎとベーコンでスープを作る。ベースはコンソメ。起きてきたら、温め直して目玉焼きを焼こう。
そうこうしているうちに、十時を回っていた。仕方なく、寝室からタブレットを持ってきて、雪の情報を確認する。
昨日夕方から降り続いているようで、今日も外出は無理そうだった。昼と、夕ご飯をどうしようか。靴は一応雪対応のブーツを履いてきてはいるが・・・。
無理して外出?土地勘ないのに?
困っていると、奥の扉が開いて、孝利が出てきた。ストライプの前ボタンのパジャマを着ている。
「おはよう、タマ。お酒残らなかった?」
「おはようございます。大丈夫でした。よく眠れたみたいで、寝坊しちゃって・・・。」
初日からすみませんと謝ると、孝利は首を傾げた。
「あぁ。言ってなかったね。俺が起きるの、毎日だいたいこのくらいだから。寝室は防音しっかりしてるから、朝から掃除とかしてくれても、問題ないよ。あ、でもうちルンバがあるから、週一くらいで掃除機と拭き掃除してくれたら多分問題ないと思う。」
「そう・・・ですか。」
噂のロボット型掃除機か。さすがだな。
孝利の言葉に少々の違和感を覚えたが、それがなんだかわからなかった。
「いい匂い。朝ごはん用意してくれたの?」
「とりあえずスープだけ。あと、目玉焼きでいいですか?」
「うん。冷凍庫にパン入ってるから、二枚焼いてくれる?」
「はい。」
やっぱりパン食なんだ。
勘が当たった、とにやけてしまう。パンをトースターに入れて、目玉焼きを焼き始めた。
「目玉焼きは何で食べますか?」
「俺は醤油。」
ん?『俺』?
なんか違和感あると思ったら、一人称俺なのか。物腰が柔らかいから、僕か、私だと思っていた。
「了解でーす。」
テーブルに、温め直したスープと、トースト、目玉焼きを持っていく。
「あぁ、君の箸、用意したから使って?俺のも新調したんだ。」
孝利がキッチンにやってくる。食洗機の中から色違いでお揃いの箸を取り出した。
「タマ、どっちが好き?」
青と緑を指される。
「孝利さんが選んでください。」
「じゃぁ、緑かな。」
「ありがとうございます。」
箸・・・か。なんか細かい人だなぁ。
「食べたらシャワー浴びるだろう?あ、冷えるから湯船にお湯張ってもいいよ。」
「あー・・・どうしようかな。食材があんまりないんで、買い物に出ようかと。」
湯冷めしたくない。絶対風邪ひく。風呂に入るなら、買い物を済ませた後がいい。
「それなら、地下の駐車場に駅に行く連絡通路があるから使うといいよ。雪も雨も関係なく、駅地下のスーパーに出られるから。」
「・・・すごいですね。」
「このマンションにもコンビニ入ってるから、レトルトとかチルドの食材なら買えるよ。ハンバーグが食べたいな。」
「便利ですねー。・・・それでなんでハウスキーパーが必要なんです?」
「君はあくまでも、アンのお世話係『兼』ハウスキーパー。」
そうだ、家の中案内しないとね、と思い出したように言う。
「アンのお世話、孝利さんは全くする気がないんですか?」
「そんなことはないよ。遊んだりはすると思う。」
つまり、餌と水と、トイレとブラッシングは自分の役割か。
「あの・・・。僕がいるの半年だけなんですけど?その後はどうするんですか?」
「・・・やめようよ。来たばかりで、いなくなる話なんて。」
え?
孝利はそう言うと、黙々とママレードを塗ったパンをかじり始めた。
「どうしたの?座って。君の分だよ。」
「・・・あの、もしあったらミルク、もらえますか?」
「アンの?」
「・・・僕に。」
泣きそうになりながら言うと、なんだブラック飲めないの、と孝利が笑った。
「すみません。」
「いいよ。冷蔵庫にある。取っておいで。」
勝手にいいのだろうかと思いつつ、キッチンの冷蔵庫に向かう。冷蔵庫の中は整然と片付いていた。というか、食材があまり入っていない。牛乳を見ると、五百ミリのパックがあり、未開封だったが消費期限が過ぎていた。
「あの、孝利さん。牛乳、消費期限が・・・。」
「あぁ。切らしちゃったか。たまに料理に使うから買うんだけど、牛乳は捨てることが多いね。」
もったいない。未開封だし、味見だけでもしてみようか。そう思っていると、孝利がやってきた。
「コーヒーのはこっち。」
と、ポーションタイプのクリームを渡される。
「牛乳はもったいないけど、あとで処分しておいて。」
「はい。」
冷蔵庫のドアを開いたスペースに、男が二人。
近い!近い!近い!
焦って、その場から飛びのいた。孝利が不思議そうにしている。
「あ、いや・・・えっと・・・。」
近くで見なくても、整った顔立ち。上から見下ろされるくらいの身長差。低い声。均整の取れた体つき。女性なら、放っておかないだろう。
「あ、あのっ。孝利さん、か、彼女とか・・・は?」
「できたよ?」
「え?」
できた?
「ほらそこに。」
とアンを指される。
「そうじゃなくて、人間の。」
「いたら、君に住み込みは頼まないな。」
驚いた。もしかして、特定の彼女を作らないタイプなのかな。
それとも、余程仕事が忙しいとか。
「今夜も仕事ですか?」
「いや。誕生日くらい休みにしたよ。」
「は?」
孝利はニコニコと笑っている。
「え?誕生日なんですか?」
「そう。君と、アンは、日ごろ頑張っている自分への誕生日プレゼントなんだ。」
「そうならそうと・・・言ってくださいよ。」
「だって、恥ずかしいだろう?わんわんにゃんにゃんの日に自分で自分に猫を飼うなんて。」
?
「あ、十一月二十二日。」
1122で、わんわんにゃんにゃんの日か!
言われて、あらためて今日は何日なのかを知る。世間的にはいい夫婦の日だが、ペット関係者にとっては、犬猫の日だ。
「いつか、飼ってみたいと思っていたんだ。君にはいいきっかけをもらった。ありがとう。」
「いえ。あの・・・お誕生日、おめでとうございます。」
「うん。」
孝利は、そう応えると、満足そうに微笑んだ。
「今年は最高の誕生日だ。」
タマとアンが来てくれたからね、と。
「夕ご飯、どうしましょうか。冷蔵庫、食材が・・・。そと雪だし・・・。誕生日なのに。」
「誕生日はまぁ・・・仕方ないとして。備蓄してある食材があるから、それで済ませよう。パントリーにパスタと、パスタソースの缶詰があるから。開けて温めるくらいできるでしょう?」
「缶開けるのは慣れてます。」
猫缶で。
「パントリーって?」
おいで、こっちだよ。と手を引かれた。大きな手のひらに、簡単につかまれてしまう手首。
自分だって、そんなに小さい方じゃないけど。でも、孝利のようながっしり体型でもない。少し、情けない気分になって俯いた。
「ここ。ここに、保存のきく食料や、洗剤の予備なんかが置いてあるから、あとで確認しておいて。キッチンはどこを開けてもいいから、物の場所を把握しておいてくれると助かるよ。」
パントリーは、三畳分ほどの空間で、壁面に棚があり、様々なものが買い置きしてあった。パスタソースも何種類かある。
「ソース、何がいいですか?」
「カルボナーラかな。」
「了解です。」
あちこち開けさせてもらい、パスタ用の鍋を見つける。お湯を沸かしながら、パスタを量る。
「パスタ、何グラムくらいいけます?」
「二百五十グラム。」
「・・・結構いきますね。」
「二人分だよ?」
「ですよね!」
あぁびっくりした。何かの大食いメニューかと思った。
缶のソースは、二人前から三人前とあって、どうやら一つで足りそうだった。
「あ、そうだ。タマ。ご飯食べ終わったら、あちこち探検していいけど、奥の左手は仕事部屋にしてるから入らないで。掃除も特にしなくていいから。」
「了解です。」
パスタのお湯が沸く。さすがに、スパゲッティーを茹でるくらいは自分でもできた。カルボナーラの缶を、フライパンにあける。弱火で温めながら、パスタが茹で上がるのを待った。
アンはと言えば、すっかりソファーで落ち着いている。もともと大人しい品種だが、こうも堂々とされると、なんだか自分が恥ずかしい。
男相手に、ドキドキしたりして。
とは、さっきの冷蔵庫の話だ。近過ぎる距離に動揺したのは、孝利がちょっといい香りだったから。車の中でも思ったが、孝利はすっきりとした甘い香りの何かを使っているらしかった。洗剤なのか、香水なのか。品のいい香りで、自分はそれを好きだと思ったのだ。
好き?
まぁ。嫌いよりはいいだろう。これから半年、ここに住むのだから。仲良くしたい。
『猫好きに悪い人はいない。』
父の言葉がよみがえる。『タマ』と猫扱いだったとしても、最初の傍若無人なイメージはかなり払拭されていた。むしろ、好意的な目で見ている。雪の中、冷蔵庫の食材を切らしたからと言って、デリバリーを頼むようなタイプだったら、ちょっとお付き合いを考えたかもしれない。孝利は少なくともそういう人種ではなかった。
「パスタ、ダイニングテーブルでいいですか。」
「うん。」
孝利は、そう言うと立ち上がって冷蔵庫を開けた。白ワインを取り出す。
「君と乾杯できそうかな?」
飲める?と聞いているのだ。
「乾杯くらいなら。」
ワインはあまり飲んだことがない。でも、口をつけて舐めるくらいはできるだろう。
「なら開けよう。お祝いだからね。」
「誕生日の?」
「アンと君をお迎えした。」
「あ。ありがとうございます。」
孝利は微笑むと、キッチンボードからワイングラスを取り出し、テーブルに置くと、ワインを開けた。そこに、パスタを運ぶ。孝利がワインを注ぐ。座るのを待って、向かいに座った。
「これからの生活に、乾杯。」
孝利が、ワイングラスを軽く持ち上げる。真似をして、乾杯と口にした。きりりと切れ味のいい白ワインだ。飲みやすい。
「美味しいですね。」
「うん。気に入ってるんだ。」
言いながら、パスタを一口する。
「うん。こっちも美味しい。」
缶を開けて、あえただけだけど。でも、褒められると嬉しい。
「ありがとうございます。」
「あとで、売ってるお店教えるから、補充しておいて。」
「わかりました。」
そして、誕生日の食事はあっさりと終わった。
食後、生ハムとチーズがあるから、とワインを勧められた。
「開けちゃったら、劣化するからね。飲み切っちゃった方がいいんだよ。二人ならいけるでしょ。」
そう押し切られて、飲み口が軽かったのもあったが、泥酔した。
ふと目を覚ますと、ソファーに横たえられ、ペットボトルの水を差し出されていた。
「ごめん、タマ。飲ませすぎちゃったね。気分はどう?」
「眠いです。」
水を受け取り、ゴクゴク喉を鳴らして飲んだ。
「美味しい。」
「寝室、案内するけど、動ける?」
軽く目が回っているが・・・。
「大丈夫です。」
「ごめんね。アンがここで寝たいみたいだから。」
「あ、すみません。」
アンか・・・。
のろ、と起き上がる。クラクラする。
「大丈夫?寝室こっち。」
危なっかしいと思われたのか、手を引かれて部屋へと向かう。
「ここが君の部屋だよ。」
広めの部屋に、ダブルのベッド。ふわふわの羽毛布団がかかっていた。
「寒かったら言って。毛布の準備もあるから。」
「ありがとうございますぅー。多分大丈夫です。ごめんなさい。眠くて・・・。」
「うん。おやすみ。仕事の話はまた明日しようか。」
じゃぁ、と孝利が去っていく。
「おやすみなさーい・・・。」
何とか挨拶を済ませ、そしてそのまま眠りに落ちた。
翌朝。寝起きはわりと普通で、恐れていた二日酔いにはならなかった。
っていうか、今何時!?
がばッと跳ね起きて、部屋に運び入れてもらったのだろう、自分のバッグをあさる。スマホを取り出すと、二十三日土曜の九時だった。
大慌てでリビングに出る。しかし、孝利はまだ起きてきていないようだった。アンが、おなかすいたとばかりに額を脛にぶつけてくる。とりあえず、と、アンの器にカリカリを入れてやり、水を交換すると、アンは一心不乱に食べ始めた。
孝利はまだ起きてこない。仕方なく、キッチンのあちこちを探検することにした。
まずは冷蔵庫。上から開けていくが、パン食なのか、バターとジャムが数種類、あとは飲み物と卵。ハムとベーコン。
野菜庫には玉ねぎとじゃがいもとにんじんと長ネギ。
冷凍庫には、余程好きなのか、冷凍の餃子が数種類。から揚げと、食パンのスライスしたものが半斤入っていた。
よかった。朝ごはんはパンにしよう。目玉焼きでも焼いて。
パントリーには、非常食なのか、パスタやうどん、蕎麦の乾麺。めんつゆや、醤油、みそのストック。様々な缶詰やレトルト食品。フリーズドライのスープ。コーヒーにワインセラー。
あちこち開けて、食器や調理器具を見たが、使ったことのないものを含めて、いろいろとりそろっていた。使った形跡はあるので、料理はするらしいことがうかがえた。
とりあえず、玉ねぎとベーコンでスープを作る。ベースはコンソメ。起きてきたら、温め直して目玉焼きを焼こう。
そうこうしているうちに、十時を回っていた。仕方なく、寝室からタブレットを持ってきて、雪の情報を確認する。
昨日夕方から降り続いているようで、今日も外出は無理そうだった。昼と、夕ご飯をどうしようか。靴は一応雪対応のブーツを履いてきてはいるが・・・。
無理して外出?土地勘ないのに?
困っていると、奥の扉が開いて、孝利が出てきた。ストライプの前ボタンのパジャマを着ている。
「おはよう、タマ。お酒残らなかった?」
「おはようございます。大丈夫でした。よく眠れたみたいで、寝坊しちゃって・・・。」
初日からすみませんと謝ると、孝利は首を傾げた。
「あぁ。言ってなかったね。俺が起きるの、毎日だいたいこのくらいだから。寝室は防音しっかりしてるから、朝から掃除とかしてくれても、問題ないよ。あ、でもうちルンバがあるから、週一くらいで掃除機と拭き掃除してくれたら多分問題ないと思う。」
「そう・・・ですか。」
噂のロボット型掃除機か。さすがだな。
孝利の言葉に少々の違和感を覚えたが、それがなんだかわからなかった。
「いい匂い。朝ごはん用意してくれたの?」
「とりあえずスープだけ。あと、目玉焼きでいいですか?」
「うん。冷凍庫にパン入ってるから、二枚焼いてくれる?」
「はい。」
やっぱりパン食なんだ。
勘が当たった、とにやけてしまう。パンをトースターに入れて、目玉焼きを焼き始めた。
「目玉焼きは何で食べますか?」
「俺は醤油。」
ん?『俺』?
なんか違和感あると思ったら、一人称俺なのか。物腰が柔らかいから、僕か、私だと思っていた。
「了解でーす。」
テーブルに、温め直したスープと、トースト、目玉焼きを持っていく。
「あぁ、君の箸、用意したから使って?俺のも新調したんだ。」
孝利がキッチンにやってくる。食洗機の中から色違いでお揃いの箸を取り出した。
「タマ、どっちが好き?」
青と緑を指される。
「孝利さんが選んでください。」
「じゃぁ、緑かな。」
「ありがとうございます。」
箸・・・か。なんか細かい人だなぁ。
「食べたらシャワー浴びるだろう?あ、冷えるから湯船にお湯張ってもいいよ。」
「あー・・・どうしようかな。食材があんまりないんで、買い物に出ようかと。」
湯冷めしたくない。絶対風邪ひく。風呂に入るなら、買い物を済ませた後がいい。
「それなら、地下の駐車場に駅に行く連絡通路があるから使うといいよ。雪も雨も関係なく、駅地下のスーパーに出られるから。」
「・・・すごいですね。」
「このマンションにもコンビニ入ってるから、レトルトとかチルドの食材なら買えるよ。ハンバーグが食べたいな。」
「便利ですねー。・・・それでなんでハウスキーパーが必要なんです?」
「君はあくまでも、アンのお世話係『兼』ハウスキーパー。」
そうだ、家の中案内しないとね、と思い出したように言う。
「アンのお世話、孝利さんは全くする気がないんですか?」
「そんなことはないよ。遊んだりはすると思う。」
つまり、餌と水と、トイレとブラッシングは自分の役割か。
「あの・・・。僕がいるの半年だけなんですけど?その後はどうするんですか?」
「・・・やめようよ。来たばかりで、いなくなる話なんて。」
え?
孝利はそう言うと、黙々とママレードを塗ったパンをかじり始めた。
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