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日曜は、ブランチを食べてから、おやつの時間までアトリエに行くことになった。少々埃っぽいそこは、孝利にはマスクが必須なようだった。
「これが昨日買った絵の具だよ。で、これが下絵。この上に、塩化ビニールの板を置いて、まずは黒の絵の具で下絵をなぞるところから始めよう。」
細かいところは竹ペンを使うといいよ、と竹の先を鋭利に削ったペンと、竹串をくれた。
「難しい?」
「まずは隅の方で練習して、絵の具の粘度に慣れるといいよ。
チューブから直接塗ってもいいし、パレットに出して少しずつ盛っていってもいいし。」
好きなやり方を見つけて?と孝利は簡単な事のように言う。
「失敗しそう・・・。」
「乾いたら、カッターでそぎ落とせばいいし、大丈夫。要は、全部の線が隙間なくつながってるのが重要だから。」
そこまでで今日の作業は終わりかな?と孝利は自分の机に向かった。しばらくして、ガラスをダイアモンドカッターで切る、澄んだ音がし始めた。孝利も、作業に没頭しているようだ。仕方なく、言われた通りに、まずは端の方から手を付けてみることにした。
「あ。意外といけるかも。」
呟きを拾って、孝利がいいね、と返してくれる。頑張って、と応援されて、やる気が出た。孝利の下絵は、三つ又の燭台に立てられたろうそくに、明かりがともった図柄だった。初心者用にとの配慮なのか、緻密なところはない。ゆっくり、少しずつ、下絵をなぞっていく。全部が終わるころには、二時半を回っていた。
「孝利さん、ケーキ屋さん行って帰りましょう?」
カリカリと作業している孝利に声を掛けると、もうそんな時間?とため息した。
「ここに来ると、あっという間に時間が過ぎちゃってね。」
でもお腹が空いた。と苦笑する。
「今日は何にします?」
「この間食べそびれた、チョコレートケーキかな。なければ、フォンダンショコラ。コーヒーが飲みたい気分なんだ。」
孝利は、コーヒーにはチョコレートと決めているようだった。
「お目当てがあるといいですね。」
「そういえば、この間のメレンゲも美味しかった。」
「あぁ。孝利さん、焼き菓子も好きだって聞いて・・・。」
言いながら、しまったと思う。が、時すでに遅しだ。
「佐川さん?」
「・・・はい。」
「君たち、俺に隠れてよく会ってるの?」
「そんなことはないです。駅地下のケーキ屋さんにいたら、偶然。ちゃんと断りましたよ!タピオカミルクティー。」
「君、断れたのはいいけど、それってナンパじゃないの?」
そうなのかな?でも。
「あの人は、孝利さんが好きだったんですよ。」
「俺を?」
本気だったの?と聞かれて、たぶんと答える。
「じゃぁ、気があるそぶり見せてたのは、冗談じゃなかったんだ・・・。」
悪いことしたかな、と孝利が唸る。
「でも、孝利さんタチだってわかって諦めたみたいです。」
「・・・なんて話してるの。」
「ライバルにもなれないって、落ち込んでました。」
あぁ、あの人タチだろうからね。と孝利が腰を伸ばしながら立ち上がる。
「・・・行きましょうか。ケーキ屋さん。」
「うん。」
ショーケースには、お目当てのチョコレートケーキ。それと、柚子のムースが出ていた。美味しそうだけれど、コーヒーにはどうだろう。どちらかと言うと、緑茶に合わせたい。
「フォンダンショコラ、美味しいですか?」
「うん。食べる前に、レンジで少し加熱すると、トロトロが食べられるよ。」
それは美味しそうだ。
「あれ?このケーキ屋さん、もしかしてイートインできます?」
「うん。今気づいたの?」
「じゃぁ、食べていきます?」
尋ねると、孝利は、うーんと唸った。
「それはやめておこう。客層に合わない。」
ちら、と覗くと、女の子たちでいっぱいだ。確かに、この中に二人で入るのは相当に勇気がいった。
「夕ご飯どうしましょうか。」
「昨日肉だったからね。ご飯あるなら魚。ないならパスタにしよう。アラビアータが食べたい。」
「アラビアータですか・・・。」
大丈夫。瓶のふたを開けて和えるだけだよ、と孝利が笑った。
思うに、孝利は美味しいものを知っている。パスタソースの缶詰も、お酒も、ケーキも。手軽で簡単で、美味しいものばかり食べているから、朝食をセーブしたくらいでは間に合わず、少し太り始めていた。それはなぜかアンも同じで。
太り過ぎは、病気につながる。気を付けなければ。
一度健康診断に連れ帰った方がいいだろうか。孝利の猫だ。孝利に聞いてみなくては。
ソファーで、向かい合わせ。隣にいるアンの背を撫でながら、孝利に話しかける。月曜の昼下がり。
「孝利さん。アン、少し運動量の割には、美味しいもの食べ過ぎみたいで・・・月齢考えると太ってきたかもです。一度、健康診断受けに行きますか?体重が計れれば、電話でとりあえず相談もできますけど。」
「それって、君のうち?お母さんが獣医さんなんだっけ?」
「はい。」
頷いて見せると、いいよ、と返ってきた。
「土曜にでも一緒に連れて行こう。アン、重くなったし、電車じゃ大変だろう?」
幸いにも、うちがあるのはいつも買い物に行く駅の沿線だったが。
「助かります。肩腰バキバキになりそう。」
どうやら、土曜に車を出してもらえることになった。
「暇なときは、帰ってもいいんだよ?」
近くなんだし、と孝利が不思議そうに言う。
「なんで帰らないの?」
「僕、お腹壊しちゃうんです。その・・・女性が近くにいると。バイトの子はもう慣れたし、何とかやってましたけど、少し離れたし、ぶり返してたら嫌だなって。」
「お腹壊すって・・・女の人に何されたの・・・。」
首を傾げられて、獣医の大学を落ちたこと、それでトリマーの専門学校へ行ったこと、そこで逆セクハラにあったこと、就職先でもそれが続いて、職場を転々としたことを、話した。
「それは、災難だったね。」
「・・・いえ。今思うと、なんとなくどうしてされてたのかわかる気がします。女の人にはわかってたんだと思います。
僕は雄じゃないって。」
「孝利さんだって、そういう目で見てたわけでしょう?」
ガラス越しに、と言うと、孝利はバツが悪そうに肩を落とした。
「まぁ・・・。でも、本当にこんなことになるとは思ってなかったんだよ?」
えっちなこととか、下心はなかったんだ。とため息した。
「意外といけそうかな?と思っているうちに、どうしても抱きたいって思うようになった。」
ごめんね?とまじめな顔で謝られてしまい、居心地が悪くなる。
「男同士ですもん。面白そうだからなんとなくやっちゃった、って言われるよりは、大事にされてるみたいで嬉しいですよ。」
僕だって、一線越えるとは思ってなかった。
「されてるみたいじゃなくて、大事にしてる。だから、ちゃんと勉強して、失敗がないように準備してる。君のこと、気持ちよくしたくて。
ねぇタマ。本当に、最後までしちゃっていいの?今なら、気の迷いとか、遊びで済ませられるよ?」
「あそ・・・び?」
あれが?
苦痛な通過儀礼をしてでも、眩暈のするような快感を欲したあれを、遊びの一言で片づけるの?
そんなの、とても無理だ。
「僕にとっては遊びじゃなかった。」
孝利は、初めからとても楽しそうだったけれど。
じわ、と涙が目に浮かぶ。
どうしちゃったんだろう。孝利のことになると、涙腺が崩壊してしまう。
「泣かないで。タマ、遊びなんかじゃないよ。
気持ちいいこと好きでしょう?いつだって、君に快楽をあげたいって思ってる。食欲も性欲も充たしてあげたい。」
「うん。」
ちゃんと本気だよ、と宥められて、涙を指先で拭った。
最近おかしい。前はこんなに涙もろくなかったのに。
「孝利さん、僕たちこれからどうなるの?」
「そうだなぁ・・・。まずはクリスマスのイルミネーションの飾りつけを一緒にして、クリスマスを祝って、大晦日の次は元旦で・・・。バレンタインにホワイトデー・・・そしたらお花見かな?」
前に、自分が言ったことを、孝利は覚えていたらしい。そっくり返されて、赤面する。
「花が散るまでは・・・いつも一緒ですよね?」
「そうだね。ゴールデンウィークは旅行に行こう。」
孝利が、苦笑しながら告げる。
お別れは五月末。それまでは、恋人兼アンのお世話係と、ハウスキーパー。
切なくて、また目が潤む。
「ほら、泣かないで?今日のおやつはホットケーキが食べたいな。作ってくれる?」
頷いて、キッチンへと向かった。
メープルシロップをたくさんかけて、バターも乗せて、ホットケーキを食べる。はちみつも買ったみたいだが、それの用途が知れていたので、あえて出さなかった。孝利は、それを自身に塗って、舐めさせる気なのだ。甘い方がいいと言ったから。
卑猥な妄想に頬を染めていると、孝利が機嫌直った?と聞いてきた。こく、と頷いて、しかしホットケーキはナイフで小さく切って口に入れる。
「ちまちま食べるの、かわいいね。」
「そんなこと言ってご機嫌とろうったって、簡単じゃないんですからね。」
「・・・わかってるよ。」
タマのお父さんに、ぶっちゃけちゃおうか?と孝利がフォークの先でハートマークを描いた。
「だだだ・・・だめっ。」
「なんで?」
「うちのお父さんに、理解があるとは思えない!
下手すると、もうここにいられなくなるかも。」
それは困るね、と孝利が唸る。
「とりあえずは、じゃあ、明日晴れたら、中庭のイルミネーションの飾りつけだね。」
「明日?昼間に?」
「うん。順調に終わったら、夜は点灯式だよ。」
今日はもう、十二月の一日だ。クリスマスまで、日がない。「あ、そうだ。お金、あまりましたけど・・・使っちゃっていいんですか?」
「うん。今月分渡そうね。現金で十万円で足りる?」
「十日を三万円程度に収めればいいんですよね?できると思います。」
「クリスマスは、別途予算組もうかな。ケーキもチキンも割高だから。」
予約しないとね。楽しみだね!と孝利が笑う。職業柄、イベントごとには敏感なのだろう。
「ごめんね。二十五日の夜からまた仕事なんで、あんまりゆっくりはできないけど、イブは二人で過ごせるから。」
「孝利さん、仕事優先でかまいませんよ。僕は女の子じゃないんで。」
「そっかそうだよね。」
あぁそうか。察するに、今までの女性とは、仕事の関係で疎遠になったのかもしれない。そんな考えが頭に浮かんだ。イベントごとが終わると、すぐにディスプレイの変更の仕事があるのだろう孝利は、クリスマスの余韻を楽しむこともなく仕事だ。きっと、それに耐えられなかった人と付き合っていたりしたのだろう。
気持ちはわかる。
でも、この贅沢な暮らしは、そういうものの犠牲の上に成り立っていいるのだ。
やっぱりちょっとは淋しけれど、それを口に出すことはできなかった。
「タマ?」
物思いにふけっていると、孝利が不思議そうに首を傾げた。「クリスマス、楽しみですね。」
「うん。」
孝利は穏やかに笑うと、ホットケーキの皿をシンクへと下げた。
「これが昨日買った絵の具だよ。で、これが下絵。この上に、塩化ビニールの板を置いて、まずは黒の絵の具で下絵をなぞるところから始めよう。」
細かいところは竹ペンを使うといいよ、と竹の先を鋭利に削ったペンと、竹串をくれた。
「難しい?」
「まずは隅の方で練習して、絵の具の粘度に慣れるといいよ。
チューブから直接塗ってもいいし、パレットに出して少しずつ盛っていってもいいし。」
好きなやり方を見つけて?と孝利は簡単な事のように言う。
「失敗しそう・・・。」
「乾いたら、カッターでそぎ落とせばいいし、大丈夫。要は、全部の線が隙間なくつながってるのが重要だから。」
そこまでで今日の作業は終わりかな?と孝利は自分の机に向かった。しばらくして、ガラスをダイアモンドカッターで切る、澄んだ音がし始めた。孝利も、作業に没頭しているようだ。仕方なく、言われた通りに、まずは端の方から手を付けてみることにした。
「あ。意外といけるかも。」
呟きを拾って、孝利がいいね、と返してくれる。頑張って、と応援されて、やる気が出た。孝利の下絵は、三つ又の燭台に立てられたろうそくに、明かりがともった図柄だった。初心者用にとの配慮なのか、緻密なところはない。ゆっくり、少しずつ、下絵をなぞっていく。全部が終わるころには、二時半を回っていた。
「孝利さん、ケーキ屋さん行って帰りましょう?」
カリカリと作業している孝利に声を掛けると、もうそんな時間?とため息した。
「ここに来ると、あっという間に時間が過ぎちゃってね。」
でもお腹が空いた。と苦笑する。
「今日は何にします?」
「この間食べそびれた、チョコレートケーキかな。なければ、フォンダンショコラ。コーヒーが飲みたい気分なんだ。」
孝利は、コーヒーにはチョコレートと決めているようだった。
「お目当てがあるといいですね。」
「そういえば、この間のメレンゲも美味しかった。」
「あぁ。孝利さん、焼き菓子も好きだって聞いて・・・。」
言いながら、しまったと思う。が、時すでに遅しだ。
「佐川さん?」
「・・・はい。」
「君たち、俺に隠れてよく会ってるの?」
「そんなことはないです。駅地下のケーキ屋さんにいたら、偶然。ちゃんと断りましたよ!タピオカミルクティー。」
「君、断れたのはいいけど、それってナンパじゃないの?」
そうなのかな?でも。
「あの人は、孝利さんが好きだったんですよ。」
「俺を?」
本気だったの?と聞かれて、たぶんと答える。
「じゃぁ、気があるそぶり見せてたのは、冗談じゃなかったんだ・・・。」
悪いことしたかな、と孝利が唸る。
「でも、孝利さんタチだってわかって諦めたみたいです。」
「・・・なんて話してるの。」
「ライバルにもなれないって、落ち込んでました。」
あぁ、あの人タチだろうからね。と孝利が腰を伸ばしながら立ち上がる。
「・・・行きましょうか。ケーキ屋さん。」
「うん。」
ショーケースには、お目当てのチョコレートケーキ。それと、柚子のムースが出ていた。美味しそうだけれど、コーヒーにはどうだろう。どちらかと言うと、緑茶に合わせたい。
「フォンダンショコラ、美味しいですか?」
「うん。食べる前に、レンジで少し加熱すると、トロトロが食べられるよ。」
それは美味しそうだ。
「あれ?このケーキ屋さん、もしかしてイートインできます?」
「うん。今気づいたの?」
「じゃぁ、食べていきます?」
尋ねると、孝利は、うーんと唸った。
「それはやめておこう。客層に合わない。」
ちら、と覗くと、女の子たちでいっぱいだ。確かに、この中に二人で入るのは相当に勇気がいった。
「夕ご飯どうしましょうか。」
「昨日肉だったからね。ご飯あるなら魚。ないならパスタにしよう。アラビアータが食べたい。」
「アラビアータですか・・・。」
大丈夫。瓶のふたを開けて和えるだけだよ、と孝利が笑った。
思うに、孝利は美味しいものを知っている。パスタソースの缶詰も、お酒も、ケーキも。手軽で簡単で、美味しいものばかり食べているから、朝食をセーブしたくらいでは間に合わず、少し太り始めていた。それはなぜかアンも同じで。
太り過ぎは、病気につながる。気を付けなければ。
一度健康診断に連れ帰った方がいいだろうか。孝利の猫だ。孝利に聞いてみなくては。
ソファーで、向かい合わせ。隣にいるアンの背を撫でながら、孝利に話しかける。月曜の昼下がり。
「孝利さん。アン、少し運動量の割には、美味しいもの食べ過ぎみたいで・・・月齢考えると太ってきたかもです。一度、健康診断受けに行きますか?体重が計れれば、電話でとりあえず相談もできますけど。」
「それって、君のうち?お母さんが獣医さんなんだっけ?」
「はい。」
頷いて見せると、いいよ、と返ってきた。
「土曜にでも一緒に連れて行こう。アン、重くなったし、電車じゃ大変だろう?」
幸いにも、うちがあるのはいつも買い物に行く駅の沿線だったが。
「助かります。肩腰バキバキになりそう。」
どうやら、土曜に車を出してもらえることになった。
「暇なときは、帰ってもいいんだよ?」
近くなんだし、と孝利が不思議そうに言う。
「なんで帰らないの?」
「僕、お腹壊しちゃうんです。その・・・女性が近くにいると。バイトの子はもう慣れたし、何とかやってましたけど、少し離れたし、ぶり返してたら嫌だなって。」
「お腹壊すって・・・女の人に何されたの・・・。」
首を傾げられて、獣医の大学を落ちたこと、それでトリマーの専門学校へ行ったこと、そこで逆セクハラにあったこと、就職先でもそれが続いて、職場を転々としたことを、話した。
「それは、災難だったね。」
「・・・いえ。今思うと、なんとなくどうしてされてたのかわかる気がします。女の人にはわかってたんだと思います。
僕は雄じゃないって。」
「孝利さんだって、そういう目で見てたわけでしょう?」
ガラス越しに、と言うと、孝利はバツが悪そうに肩を落とした。
「まぁ・・・。でも、本当にこんなことになるとは思ってなかったんだよ?」
えっちなこととか、下心はなかったんだ。とため息した。
「意外といけそうかな?と思っているうちに、どうしても抱きたいって思うようになった。」
ごめんね?とまじめな顔で謝られてしまい、居心地が悪くなる。
「男同士ですもん。面白そうだからなんとなくやっちゃった、って言われるよりは、大事にされてるみたいで嬉しいですよ。」
僕だって、一線越えるとは思ってなかった。
「されてるみたいじゃなくて、大事にしてる。だから、ちゃんと勉強して、失敗がないように準備してる。君のこと、気持ちよくしたくて。
ねぇタマ。本当に、最後までしちゃっていいの?今なら、気の迷いとか、遊びで済ませられるよ?」
「あそ・・・び?」
あれが?
苦痛な通過儀礼をしてでも、眩暈のするような快感を欲したあれを、遊びの一言で片づけるの?
そんなの、とても無理だ。
「僕にとっては遊びじゃなかった。」
孝利は、初めからとても楽しそうだったけれど。
じわ、と涙が目に浮かぶ。
どうしちゃったんだろう。孝利のことになると、涙腺が崩壊してしまう。
「泣かないで。タマ、遊びなんかじゃないよ。
気持ちいいこと好きでしょう?いつだって、君に快楽をあげたいって思ってる。食欲も性欲も充たしてあげたい。」
「うん。」
ちゃんと本気だよ、と宥められて、涙を指先で拭った。
最近おかしい。前はこんなに涙もろくなかったのに。
「孝利さん、僕たちこれからどうなるの?」
「そうだなぁ・・・。まずはクリスマスのイルミネーションの飾りつけを一緒にして、クリスマスを祝って、大晦日の次は元旦で・・・。バレンタインにホワイトデー・・・そしたらお花見かな?」
前に、自分が言ったことを、孝利は覚えていたらしい。そっくり返されて、赤面する。
「花が散るまでは・・・いつも一緒ですよね?」
「そうだね。ゴールデンウィークは旅行に行こう。」
孝利が、苦笑しながら告げる。
お別れは五月末。それまでは、恋人兼アンのお世話係と、ハウスキーパー。
切なくて、また目が潤む。
「ほら、泣かないで?今日のおやつはホットケーキが食べたいな。作ってくれる?」
頷いて、キッチンへと向かった。
メープルシロップをたくさんかけて、バターも乗せて、ホットケーキを食べる。はちみつも買ったみたいだが、それの用途が知れていたので、あえて出さなかった。孝利は、それを自身に塗って、舐めさせる気なのだ。甘い方がいいと言ったから。
卑猥な妄想に頬を染めていると、孝利が機嫌直った?と聞いてきた。こく、と頷いて、しかしホットケーキはナイフで小さく切って口に入れる。
「ちまちま食べるの、かわいいね。」
「そんなこと言ってご機嫌とろうったって、簡単じゃないんですからね。」
「・・・わかってるよ。」
タマのお父さんに、ぶっちゃけちゃおうか?と孝利がフォークの先でハートマークを描いた。
「だだだ・・・だめっ。」
「なんで?」
「うちのお父さんに、理解があるとは思えない!
下手すると、もうここにいられなくなるかも。」
それは困るね、と孝利が唸る。
「とりあえずは、じゃあ、明日晴れたら、中庭のイルミネーションの飾りつけだね。」
「明日?昼間に?」
「うん。順調に終わったら、夜は点灯式だよ。」
今日はもう、十二月の一日だ。クリスマスまで、日がない。「あ、そうだ。お金、あまりましたけど・・・使っちゃっていいんですか?」
「うん。今月分渡そうね。現金で十万円で足りる?」
「十日を三万円程度に収めればいいんですよね?できると思います。」
「クリスマスは、別途予算組もうかな。ケーキもチキンも割高だから。」
予約しないとね。楽しみだね!と孝利が笑う。職業柄、イベントごとには敏感なのだろう。
「ごめんね。二十五日の夜からまた仕事なんで、あんまりゆっくりはできないけど、イブは二人で過ごせるから。」
「孝利さん、仕事優先でかまいませんよ。僕は女の子じゃないんで。」
「そっかそうだよね。」
あぁそうか。察するに、今までの女性とは、仕事の関係で疎遠になったのかもしれない。そんな考えが頭に浮かんだ。イベントごとが終わると、すぐにディスプレイの変更の仕事があるのだろう孝利は、クリスマスの余韻を楽しむこともなく仕事だ。きっと、それに耐えられなかった人と付き合っていたりしたのだろう。
気持ちはわかる。
でも、この贅沢な暮らしは、そういうものの犠牲の上に成り立っていいるのだ。
やっぱりちょっとは淋しけれど、それを口に出すことはできなかった。
「タマ?」
物思いにふけっていると、孝利が不思議そうに首を傾げた。「クリスマス、楽しみですね。」
「うん。」
孝利は穏やかに笑うと、ホットケーキの皿をシンクへと下げた。
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