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第二章「そら豆」
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「で、昨夜のお話でしょうか?」
小次郎がお茶を口に含んで、ごくりといわせたところで嘉平が訊いた。
「おうよ、その話だ。順を追って話してくれ」
「はあ、順をと申しますと?」
「そうだな、奉公人は何人いるんでぃ?」
「はい、番頭の私に、手代が二人、六助と鉄三というのがいます。それに丁稚が三人、長治、平太郎、そして、先ほどの三吉でございます」
「奥は?」
「女中は、おしまが。このおしまは、私の女房でして。あとは下女のおなつに、おゆきが。おゆきが火付けを見つけました」
「てぇと……」
貞吉は、指を折って数えている。
「全部で九人だろうが」
「すみやせん、どうも算術は苦手で」と、頭を掻いた。
「番頭と下女のおゆきは、俺が話を訊く。あとは、おめえが訊いて来い」
「へい」
待ってましたとばかりに、貞吉は傍にいた男をつかまえて聴き込みを始めた。
小次郎は、嘉平に向き直った。
「で、昨日はいつごろ店を閉めたんでぃ?」
「はい、いつもどおり暮れ六ツには閉めました。その後は、店の片づけを致しまして、私はその日の帳簿を旦那様に見てもらいました。仕事が終わったのが、宵の五ツ(二十時)でしょうか。それから夕餉をいただきまして、私とおしまはその後すぐに帰らせていただきました」
「おめえさん、通いかい?」
「はい」
「ていうと、この店で寝泊りするのは?」
「旦那様のご家族に、手代、丁稚、下女になります」
「おめえさんが帰ったのはいつごろでぃ?」
「さあ、良くは覚えておりませんが、長屋に着いたときは五つ半(二十一時)にもなっていなかったような気がしますが……」
「そうかい」
小次郎は、盆の窪に手をやった。
「おめえさんが火付けのことを知ったのは?」
「はい、昨日の朝でして。お店に来ましたら、店の中が右往左往しておりましたので」
「おいおい、そりゃ幾らなんでも暢気すぎねえか? 自分の奉公先が火付けにあったんだぜ。それを朝来て知るなんて」
小次郎は厳しい目を向ける。
すると、嘉平は小さな体をさらに小さくした。
「は、はい、お疑いはごもっともで。しかし、それが事実でして。私も、おしまとともに驚きまして。それで、『なぜ早く知らせなかったんだ』と、手代の六助を叱ったのですが、六助は、『旦那様が大袈裟にするのはまずいから、番頭には知らせるな』と言われたと言いますもので」
夜中に町を跨って移動するには、木戸を通らなくてはならない。
この木戸番が曲者で、そんじょそこらの理由じゃ簡単に通してはくれない。
となると、木戸番に火付けのことを言わねばならないし、その木戸番が火付改に通報することは十分に考えられた。
「その件は分かったよ」
小次郎はお茶を含んだ。
「おめえさんは、二日の夜、お七を見たかい?」
「お嬢様ですか? いえ、ちらりとも」
嘉平は頭を横に振った。
「お七は、店には出て来ないのかい?」
「小さいころは、お遊びついでと店先に出て、商いの真似事みたいなことをやっておられましたが」
「最近は出なくなった?」
「そうですね……、ここ二、三ヶ月は」
「あまり奉公人と話すような娘じゃないか?」
「いえ、とんでもない。奉公人の私たちに対しても、『お疲れ様だね』とか優しいお声をかけていただきますし、それに、ほら、三吉なんか、特に目をかけて可愛がっていただいて……」
「ここ二、三ヶ月もか?」
「いや、それが……」
どうも、ここ二、三ヶ月が要のようだ。
「何があったんでぃ?」
「はあ、あの火事でございます」
「火事……? ああ、大円寺の大火事か」
天和二(一六八二)年十二月二十八日のことである。
本郷追分近くの大円寺から出火、北風に煽られて火は瞬く間に燃え広がり、本郷から深川まで焼く大火事となった。
「あの折の大火事で、我々も焼け出されまして、旦那様は正仙院に身を寄せられました」
「正仙院?」
「大円寺の北にあります」
「ああ、あんなところに身を寄せていたのか?」
「はい、旦那様がご住職様と懇意だからと」
「なるほどな、で?」
「はい、そこには一ヶ月ぐらいでしょうか、身を寄せられました」
「そこから帰って来たら、娘の様子が変わっていた?」
「はあ、私は気付きませんでしたが、女房のおしまが、『お嬢様の様子がどうもおかしい』と首を捻りますもので。私は、『奉公先のお嬢様のことをとやかく言うんじゃないよ』と叱ったのですが……」
「お前さんはどうなんでぃ? お七の様子がおかしいと思ったことはなかったのかい?」
小次郎は、茶碗を掌の中でぐるぐると回しながら訊いた。
「はあ……、あまりお喋りにならなくなったなと」
「挨拶もしなくなった?」
「はい、私どもが挨拶をしましても、何かぼっーとなされていることが多くて」
「前の火付けのときはどうだったんだい? お七に変わった様子はなかったのかい?」
嘉平は、「全然」と首を振った。
「そりゃ、一回目も二回目も驚きましたよ、あのお嬢様が火付けをなさったんですから。ですが、その後は、むしろ以前のよな明るさを取り戻されたぐらいで。私どもにも挨拶をしてくださって、奉公人一同、安堵していたところですよ」
「なるほどな」
小次郎は、湯飲みを置いて顎に手をやった。
「でも、いまでもお嬢様が火付けなんて考えられませんよ」
嘉平は泣き出しそうな顔で言う。
「まあ、人っていうのは裏表があるもんだ」
と小次郎が言うと、
「お嬢様に限って、そんなことはありません」
と強い口調で答えた。
小次郎は、嘉平の目を見た。
どんな美麗な言葉を並べ立てようとも、目には人の本心が出てしまうものである。
嘉平は………………
なるほど、本気でそう思っているようだ。
「分かったよ。ところで、おゆきはどこだ?」
小次郎がお茶を口に含んで、ごくりといわせたところで嘉平が訊いた。
「おうよ、その話だ。順を追って話してくれ」
「はあ、順をと申しますと?」
「そうだな、奉公人は何人いるんでぃ?」
「はい、番頭の私に、手代が二人、六助と鉄三というのがいます。それに丁稚が三人、長治、平太郎、そして、先ほどの三吉でございます」
「奥は?」
「女中は、おしまが。このおしまは、私の女房でして。あとは下女のおなつに、おゆきが。おゆきが火付けを見つけました」
「てぇと……」
貞吉は、指を折って数えている。
「全部で九人だろうが」
「すみやせん、どうも算術は苦手で」と、頭を掻いた。
「番頭と下女のおゆきは、俺が話を訊く。あとは、おめえが訊いて来い」
「へい」
待ってましたとばかりに、貞吉は傍にいた男をつかまえて聴き込みを始めた。
小次郎は、嘉平に向き直った。
「で、昨日はいつごろ店を閉めたんでぃ?」
「はい、いつもどおり暮れ六ツには閉めました。その後は、店の片づけを致しまして、私はその日の帳簿を旦那様に見てもらいました。仕事が終わったのが、宵の五ツ(二十時)でしょうか。それから夕餉をいただきまして、私とおしまはその後すぐに帰らせていただきました」
「おめえさん、通いかい?」
「はい」
「ていうと、この店で寝泊りするのは?」
「旦那様のご家族に、手代、丁稚、下女になります」
「おめえさんが帰ったのはいつごろでぃ?」
「さあ、良くは覚えておりませんが、長屋に着いたときは五つ半(二十一時)にもなっていなかったような気がしますが……」
「そうかい」
小次郎は、盆の窪に手をやった。
「おめえさんが火付けのことを知ったのは?」
「はい、昨日の朝でして。お店に来ましたら、店の中が右往左往しておりましたので」
「おいおい、そりゃ幾らなんでも暢気すぎねえか? 自分の奉公先が火付けにあったんだぜ。それを朝来て知るなんて」
小次郎は厳しい目を向ける。
すると、嘉平は小さな体をさらに小さくした。
「は、はい、お疑いはごもっともで。しかし、それが事実でして。私も、おしまとともに驚きまして。それで、『なぜ早く知らせなかったんだ』と、手代の六助を叱ったのですが、六助は、『旦那様が大袈裟にするのはまずいから、番頭には知らせるな』と言われたと言いますもので」
夜中に町を跨って移動するには、木戸を通らなくてはならない。
この木戸番が曲者で、そんじょそこらの理由じゃ簡単に通してはくれない。
となると、木戸番に火付けのことを言わねばならないし、その木戸番が火付改に通報することは十分に考えられた。
「その件は分かったよ」
小次郎はお茶を含んだ。
「おめえさんは、二日の夜、お七を見たかい?」
「お嬢様ですか? いえ、ちらりとも」
嘉平は頭を横に振った。
「お七は、店には出て来ないのかい?」
「小さいころは、お遊びついでと店先に出て、商いの真似事みたいなことをやっておられましたが」
「最近は出なくなった?」
「そうですね……、ここ二、三ヶ月は」
「あまり奉公人と話すような娘じゃないか?」
「いえ、とんでもない。奉公人の私たちに対しても、『お疲れ様だね』とか優しいお声をかけていただきますし、それに、ほら、三吉なんか、特に目をかけて可愛がっていただいて……」
「ここ二、三ヶ月もか?」
「いや、それが……」
どうも、ここ二、三ヶ月が要のようだ。
「何があったんでぃ?」
「はあ、あの火事でございます」
「火事……? ああ、大円寺の大火事か」
天和二(一六八二)年十二月二十八日のことである。
本郷追分近くの大円寺から出火、北風に煽られて火は瞬く間に燃え広がり、本郷から深川まで焼く大火事となった。
「あの折の大火事で、我々も焼け出されまして、旦那様は正仙院に身を寄せられました」
「正仙院?」
「大円寺の北にあります」
「ああ、あんなところに身を寄せていたのか?」
「はい、旦那様がご住職様と懇意だからと」
「なるほどな、で?」
「はい、そこには一ヶ月ぐらいでしょうか、身を寄せられました」
「そこから帰って来たら、娘の様子が変わっていた?」
「はあ、私は気付きませんでしたが、女房のおしまが、『お嬢様の様子がどうもおかしい』と首を捻りますもので。私は、『奉公先のお嬢様のことをとやかく言うんじゃないよ』と叱ったのですが……」
「お前さんはどうなんでぃ? お七の様子がおかしいと思ったことはなかったのかい?」
小次郎は、茶碗を掌の中でぐるぐると回しながら訊いた。
「はあ……、あまりお喋りにならなくなったなと」
「挨拶もしなくなった?」
「はい、私どもが挨拶をしましても、何かぼっーとなされていることが多くて」
「前の火付けのときはどうだったんだい? お七に変わった様子はなかったのかい?」
嘉平は、「全然」と首を振った。
「そりゃ、一回目も二回目も驚きましたよ、あのお嬢様が火付けをなさったんですから。ですが、その後は、むしろ以前のよな明るさを取り戻されたぐらいで。私どもにも挨拶をしてくださって、奉公人一同、安堵していたところですよ」
「なるほどな」
小次郎は、湯飲みを置いて顎に手をやった。
「でも、いまでもお嬢様が火付けなんて考えられませんよ」
嘉平は泣き出しそうな顔で言う。
「まあ、人っていうのは裏表があるもんだ」
と小次郎が言うと、
「お嬢様に限って、そんなことはありません」
と強い口調で答えた。
小次郎は、嘉平の目を見た。
どんな美麗な言葉を並べ立てようとも、目には人の本心が出てしまうものである。
嘉平は………………
なるほど、本気でそう思っているようだ。
「分かったよ。ところで、おゆきはどこだ?」
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