桜はまだか?

hiro75

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第4章「恋文」

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 小次郎は不味そうに酒を飲む。

 一蔵は、その様子を面白そうに眺める。

「はい、お待ち」

 片口二本に、烏賊の煮付けが一鉢。

 一蔵は、それを一口入れて、酒でぐいっと流し込んだ。

「くう~、うめえな~」

「本当ですね。旦那」

 片口が一本空いたところで、一蔵が話し出した。

「おうよ、辰三」

「へい?」

「この前捕まえた男、名は何て言ったかのう?」

「この前の……? 吉祥寺の門前でのことでやすか? へい、吉十郎です」

 小次郎の耳が動いた。

「そうよ、その男、これを取り調べてみたんだが……」

「へい」

 と、辰三が相槌を打つ。

「本郷追分の娘っ子が火を付けたとかいう噂があったろう、あの一件に関わりがあるみていでよ」

「本当ですか?」

 辰三は驚いたが、小次郎は、やはりなと思った。

「どうやら、娘に火を付けろと唆したのは、その吉十郎らしんだ。娘が火を付け、そのどさくさに火事場泥棒を働こうと考えたらしい。が、これが思ったよりも火の回りが小さくて、おまけにすぐさま消し止められたんで、盗みには入らなかったらしいがな」

 貞吉は、目を丸くして小次郎の顔を見た。

 小次郎は、眉間の皺をさらに深くしている。

「へえぇ~、でも、何でその娘っ子は、火を付けようなんざ思ったのでしょうね? 吉十郎って男に脅されてたんでやんすか?」

 そこだ、そこが問題なのだ。

 もし、お七が吉十郎に脅されて火付けを働いたとなれば、彼女に罪はない。

 罪状も、軽減されるだろう。

 小次郎は、一蔵と辰三の会話に耳を澄ませる。

「どうも、そこがはっきりしなくてな。まあ、吉十郎をもう少し締め上げれば吐くだろうがよ。しかし、案外、店の者が知ってるんじゃねぇのか?」

「へっ、それは、どういうことで?」

 一蔵は、烏賊を口に放り込む。

 くちゃくちゃと汚らしい音を立てながら話す。

「吉十郎が言うには、その娘っ子と文の遣り取りをしていたとか」

「へえ~、じゃあ、吉十郎と恋仲だって訳ですかい? 巷の噂では、何処かのお侍って話でしたが」

「いまは、そこまでは分からねぇ。だが、案外、店の者が知ってるんじゃないのか、そいつを使って、お七と文を交わしてたって白状したからな」

「そいつは誰ですかい?」

 小次郎の脳裏に、おゆきの雀斑顔が浮かんだ。

「さあ、名は知らねぇようだぜ。ただ、年の頃は十ぐらいの坊主で、ぼーっとした面だったとよ」

 坊主? 

 ぼーっとした面?

(おゆきじゃねえ。そういえば、おゆきは、お七の使いをしなくなったあとも、文が増えていたって言ってたっけ。じゃあ、おゆき以外の誰かが、お七の使いで吉十郎に文を届けていたってことだが……)

 思い当たる節がある。

 小次郎は勢いよく立ち上がる。

 銭を放り出して、店を飛び出していった。

「だ、旦那!」

 貞吉が、慌てて追いかける。

 残された一蔵は、ぐいっと酒を飲み干した。

「旦那、よろしんですか? 敵に塩を送るような真似して」

 辰三は、眉を顰めた。

 一蔵は、ふんと鼻で笑う。

「しょぼくれた男と喧嘩をしても、面白くねえだろうが」

 片口を覗き込むと、

「おい、おかつ、もう一本な」

 と奥に叫んだ。

 奥からは、

「は~い」

 と艶やかな声が返ってきた。
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