桜はまだか?

hiro75

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第4章「恋文」

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 南町奉行所吟味方与力神谷源太郎の筆が止まった。

 目頭を押さえる。

 全ての疲れが噴出してしまったようで、体が重い。

 何よりも、心が重い。

 お七の一件で、秋山小次郎が新たに得てきた情報は、源太郎の心を殊更に重たくしたのである。

「女の……、一途な情念か……」

 源太郎は、咽喉の奥から搾り出すように呟いた。

 障子が音もなく開くと、女の白い足が入って来た。

「あなた、お夜食ですが」

 多恵が持って来たのは、蛤を味噌で煮込んで、それを冷えた飯にぶっかけたものだ。

 三つ葉をちょいとのせて、その香が鼻を擽る。

「すまぬな」

 源太郎は受け取り、一気に胃袋に詰め込んだ。

 と、先程まで重かった心が、少しばかりは軽くなった心持がした。

「お七さんの一件ですが、どのように相成りましたか?」

 多恵は、茶を入れながら尋ねた。

「多恵、おぬし、随分とお七の一件を気にかけておるようだが?」

「それは、同じ女として当然ですわ。女が火付けを覚悟したのですもの、それなりの訳がありましょうし」

 多恵は、湯飲みを差し出す。

 源太郎は、それを受け取った。

 湯気の向うに多恵の顔が揺れている。

 源太郎は、その顔を見ながら、ずずずっと啜った。

「覚悟か……、確かに、お七は相当の覚悟で火を付けたようじゃな」

「まあ、では本当にお七さんが……」

「それは間違いないようじゃ」

「でも、なぜ?」

「好いた男に……、逢うためよ」

「好いた男?」

「そう、夕刻、秋山が得て来たのじゃが……」

「はあ」

 源太郎は多恵に、お七と生田庄之助、そして吉十郎の関係を話してやった。
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